#170_ナナリウスとウィルハルド
アレイクシオン王国・ルクル大森林。
陽は燦燦と輝いているのだが、森の中は鬱蒼と茂る木々により仄かに陰鬱な雰囲気を放っている。
湿度も高くじめじめして、不快指数は相当だ。
エストレア共和国側から森に入ったウィルハルドとその仲間は、ねっとりとした空気に耐えながら草木を分けて進む。
森の中央近くに来た時、ふと周囲から視線を感じた。
全員足を止めて視線の元を探る。
仲間の一人が進言する。
「……仕掛けますか?」
「いや、これは仕事じゃない。殺意のない相手と事を構える必要はない。そこで見ているんだろう、出てこい!」
ウィルハルドは対話の為に姿の見えない者へ呼びかけた。
一呼吸の間があった後、前方の茂みから二人の男がゆっくりと姿を見せた。
一人は背に剣を携え、見るからに一般兵。
もう一人は、どこかの上級貴族が戦時に纏うような煌びやかな意匠に凝った鎧が鈍く光って、その者が特別な存在なのだと示している。
森の中は薄暗いため顔ははっきりとは見えないが、その煌びやかな鎧はあまりにも有名だった。
ウィルハルドが思わず先に口を開く。
「あんたは……。どうしてこんな場所に」
「よお。アンタがウィルハルド、で間違いないか?」
「ああ。でも、どうして俺を知っている?……いや、俺を待っていた、のか?」
「ここで話すのもなんだ、話も長くなるしな。場所を変えよう、着いてきな」
目の前の二人はくるりと背中を向けて歩き出す。
どうしたものかと、部下の面々は一度顔を見合わせてからウィルハルドの判断を待った。
「噂の聖騎士殿の招待を袖にするわけにもいかんだろう。行くぞ」
ウィルハルドたちが二人の後を追うと、熊のねぐらのような穴倉の中へ入っていった。
「熊、いるんですかね?」
「さあな。中で寝てたら食われるのはあっち。お出かけしてたなら食われるのは全員。まあ、死なばもろとも、という感じではなかったから大丈夫だろうさ」
そう言われても恐怖は完全には払拭できず、連れの仲間たちは後ろと前を警戒しながら、平然と先を行くウィルハルドに続く。
暗く狭いなだらかに下る穴の中を十歩程度進むと、ようやく松明が等間隔で置かれて穴倉の闇が払われるようになった。
その先には王宮の会議室に匹敵する大きさの空間が広がっていた。
「これは、誰かの隠れ家の跡か?」
その問いに部屋の真ん中に立つ、先ほどの鎧の男が答えた。
「半分は正解。ここは俺たちの隠れ家として急ごしらえで作り上げたもんだよ。そして、ようこそ狩人たち」
明かりがある今、男の顔がはっきりと識別できる。
「やはり、聖騎士ナナリウスか。俺たちのような日陰者じゃあるまいし、あんたほどの人物に隠れ家が必要とは思えないが」
「これからする話はそれも含めてんだよ。ま、それがなくても今の俺にはこの穴倉は非常に有難いんだけどな」
苦笑いしながら、わざとらしくおどける。
何やら複雑な事情があるようだ。
話の中でそれが聞けるかもしれないが、人には言いたくない事情の一つや二つあるのは当然。その場合は無理に関わる気はない。
ウィルハルドとしては、ここに連れて来られた理由を聞ければそれだけでいい。
「それで、俺たちに話って何だ?」
ナナリウスはウィルハルドの手を借りたい理由を話した。
聞き終わるなり、眉間に皺を寄せる。
「……馬鹿げている。そんな話を信じろと?」
「そう言うだろうと、アンタを納得させる言葉も預かってきてるんだよ」
片方の眉だけを上げて訝るが、話だけは聞いてみる。
「セレスティア王女の暗殺任務中、下水道に逃げ込んだ王女を追いかけたはいいけど一人の男にぶっ飛ばされて失敗しただろ」
それは狩人内でも暗殺に関係した者しか知り得ない情報。
この中ではウィルハルドのみが知っていた。
「……どこでその情報を知った?」
「さっき話しただろ?さらに言えば、暗殺を阻止した男は異世界人だ。そいつの世界の軍隊が、一週間前にアレイクシオンに攻め入った俺たち聖マリアス国の軍隊を、たった一刻足らずで壊滅寸前まで追い詰めた」
「確かに、聖騎士団が壊滅的被害を受けたのは聞いていたが、それが別の世界の者の仕業というのは……俄かに信じられん話だ」
「だろうな。俺も最初聞かされた時は同じ気持ちだったさ。
俺は部下を全滅させたくなくて、部隊全員で戦場から逃げた。今や国ではおたずねものになってるだろうさ。帰りたくても帰れねえ。大勢の部下もいる。どうしたものかと途方に暮れていたところに、ってわけだ」
敵前逃亡。
なるほど、これが先ほどの下手な作り笑いの正体かと納得した。
ウィルハルドは考え込んで、やはりそれでも疑いの意念は晴れない。
「だとしたら、話が出来すぎている。聖マリアス国がアレイクシオン王国に敗れたとはいえ、仮にも大陸最強と謳われた集団がそんな簡単にやられたなど誰が信じる?」
「まだ言うか。なら、足の速いヤツに戦場となった平原を見てこさせればいい。山ほど死体はあるけどウチの国の兵士のしかないからな。あー、いや、戦場っていうのとはちょっと違うな」
兵士が戦って命を散らすのは戦場。
それが違うとはどういうことか首を傾げる。
ナナリウスは頭の中で言葉を選んでから言った。
「処刑場だな」
殺し合いではない、一方的な蹂躙。
戦争で処刑が行われるのは、戦いが終わった後。
戦いの最中にそれが行われるなど聞いたことが無く、想像に難い。
だが、この場で必要なのは自衛隊の戦闘能力を理解させることではなく、それを含めた現状をしっかりと認識させるのがナナリウスの目的だった。
「アンタを信じさせるにはそうだな……これを見れば俺の言ってることが本当だって信じるしかないんじゃねえかな」
「やけに自信ありそうじゃないか。で、何を見せてくれるんだ?」
「それはな……」
ナナリウスは真っ直ぐウィルハルドの目を見据えた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
C国、近海。
浩介の時計は14時30分過ぎを示していた。
護衛艦『もがみ』の中で眠りから覚めた浩介は、時刻を確認しては再び微睡みに沈みそうになる。
「あれ、起きないの?」
「……あと八時間」
「え、長くない?」
と言ってみたが、緊迫した状況で二度寝できるほど浩介の心臓は強くはない。
時間まで横になっているという選択肢もあるが、それくらいで回復出来る体力などたかが知れている。
仕方なく諦めて体を起こす。
「あ、起きたんだね」
「おはよう」
ベッドから降りてその足で洗面所へ向かって顔を洗う。
水が冷たくて気持ちが良い。
シャワーも浴びたくなるが、作戦開始時間はもう間もなくなのでここでも諦める。
「連絡あった?」
「何も。静かなものだよ」
「20分後には始まるっていうのに何も言ってこないなんて……あ」
浩介は気付いた。
「時差……」
そんなことで艦内無線を使うのは非常に躊躇われたが、無視できる問題でもないので無線越しに頭を下げながら通信したのだった。
「日本の方が一時間早いって事は、今は14時ちょっと前か……。シャワーの使用許可も出たし、昼食も取っておいてくれてるみたいだから有難いっ。では湯浴みに行ってきます」
シャワーを浴びて食堂で昼食を摂り部屋で待機。
心を落ち着けるために時間までボケーっとしているのも悪くは無いが、より能力を使いこなすために鍛錬をしながら待つことにした。
集中していると時間が経つのも早いもので、開始20分前を報せる無線が届いた。
これから迎えが来るらしい。
それから3分もせずにドアがノックされ、艦内をエスコートされて辿り着いた場所は、甲板だった。
「うわあ、すげぇ……」
「絶景だね」
艦の外は辺り一面の青。
と言いたいところだが、周囲に僚艦がいくつも見える。
それでも、久遠が言ったように絶景であるのは変わらない。
そんな中、ほんの少しだけ風に靡く髪を押さえる久遠の姿に不覚にも目を奪われてしまい、感付かれないようにさりげなく目を逸らすという一幕もあった。
そんな時、自衛官の声ではっとさせられた。
「あちらがC国、そして召喚門のある海岸です。この双眼鏡で確認してください」
双眼鏡を覗くと、レンズの中に小さくだが確かに多数の召喚門が見えた。
同時に、沿岸部を隙間なく埋め尽くす夥しい数の魔物も。
「うっ……これは、本当の意味で目に毒ですね」
遠くでウジ虫のように蠢く夥し数の魔物。
集合体恐怖症ではない浩介でも気持ち悪くなる程、これはレベルが違った。
「視覚的に把握する事も重要なので、作戦前に確認していただきました」
「そ、そうですよね。実際に見るのは、大事っすよね……」
船酔いではない吐き気を堪えながら海岸の様子をしっかりと確認し、双眼鏡を目から離す。
次は久遠に双眼鏡を覗いてもらった。
「これはまた、すごい量だね。前の時でも一か所にこんなに多く溜まりはしなかったんだけど……これが今のアイツの力量ってことかな」
苦渋の声を滲ませる。
これから皆であれらを掃討し、陸へ揚がるのだ。
艦砲射撃がどれほどの威力か浩介は知らないが、それでも生半可な攻撃では上陸するための場所さえ確保するのは難しいだろうというのは理解できる。
果たして、海上自衛隊の艦と他国の艦で突破口を作れるのだろうか。
ともかく、ここでの目的を達成した自衛官は、二人を作戦開始時の待機場所に案内しようとしたが、浩介と久遠は同じことを思った。
「打ち合わせももう終わってるし、作戦が始まるまで私たち何もすることないんだったら、移動しなくてもいいんじゃないかな?」
「だな。私たち空飛べるんで、ここで待機しててもいいですか?」
空を飛ぶと聞いて、ぽかんと口を開ける自衛官。
ウソかホントか分からない、と言うより「何言ってんだコイツ」と思ってそうな顔。
無線で上官に指示を仰ぐと二つ返事で承諾された。
多少混乱した彼に、浩介は心の中で軽く謝った。




