#163_ VS デーモン(3)
「ガアアアアアッ!」
刃は硬い筋肉の鎧を貫き、胸板を穿たれて悲痛な叫びを上げるデーモン。
切っ先がニ十センチは刺さっているがそれでも仕留めるにはまだ足りない。
暴れる前になお押し込もうと浩介は腕全体に力を入れるが、体の中に岩でも詰まっているのかと思うくらいに硬くてそれ以上は無理だった。
そう欲をかいたのがいけなかった。
暴れたデーモンの張り手が、横から浩介に襲い掛かる。
「あ」
危険が直前まで迫った時のように世界がスローモーションに見える。
認識は出来ても体が動かず、張り手が容赦なく襲い掛かった。
全身の骨が砕けたような痛みと衝撃が駆け巡り、視界が一瞬だけ砂嵐に覆われた。
「くあああああああっ!」
「キミッ!」
二百メートル先の岩壁に、強かに背中から打ち付けられた。
一瞬、砂嵐。
「かはっ!」
岩壁に浩介は半分埋まり、デーモンの張り手は常軌を逸していた事が窺えた。
荒い息を吐きながら嵌った窪みから抜け出す。
痛みは受けた一瞬だけだったが、激痛によって消耗した体力までは回復しない。
遠くに見える赤黒い巨躯は、今度は久遠と対峙せんとしている。
早く久遠に加勢しなくては。
そう思うが、今の一撃はあの一瞬の契約した時と同等の激痛。
完全に心身ともに竦んでしまった。
「……怖ぇよ。なんであんなのがこの世にいるんだよ。どう考えてもおかしいだろチートだろ。勝てるわけねえよ。もう許してくれよ……」
浩介は、身体を切り刻まれても押しつぶされても燃やされても死ぬことは無い。
だが、痛みは感じる。
今のはスズメが戦闘機に撥ねられたようなものだ。
普通の人間が耐えられるものではない。
幸か不幸か、その気が狂うほどの激痛は一瞬だったので辛うじて正気を保ててはいる。
涙で視界が滲みかけた向こう側で、デーモンがひと際大きく天に向けて叫んだ。
その隙に久遠が踏み込もうという時、デーモンの正面に黒い粒子が生まれてそれは急速に集約し大きくなる。
「くっ!」
危険を察知して寸でのところで踏み込みを中断してバックステップ。
「あれはもしかして……!」
浩介の読みは正しかった。
久遠がバックステップした直後に、集合した黒い粒子はすぐに粘土のようにぐにゃりと一回たわんでその姿を晒す。
「コピーかっ……」
デーモンよりもサイズが一回り小さいコピー。
コピーといえど油断ならず、気を取られていれば本体の攻撃が意識の外側から襲い掛かって来る。
その逆も然り。
そして、どういうわけかゲームとは違って召喚したのは一体だけ。だが、デーモンだけでも苦戦を強いられているのに、コピーまで呼ばれては完全に勝ち目が見えなくなった。
この苦境を覆せるのは、敵を上回る単純な力。
浩介にはフィクションの主人公のような一発逆転の必殺技も潜在能力もない。
出来るのは、最期まで足掻くか、諦めるのみ。
全てを諦めて逃げて、何も知らないふりをすれば恐怖は消える。
それでも、そうだとしても否、浩介の心の底にあるものがそれを許さない。
「……怖い。けど……全力も出さずに大事な人たちが殺されるのは、死ぬよりも嫌だっ!」
竦んでいた心も体も、その一心が解放した。
デーモンに突撃をかけようとしたその時、首から提げていたロケットの中の宝石が眩いばかりに青く光りだした。
「なんだ、どうしたんだ……?」
何故、突然輝きだしたのかは見当もつかないが、何をすればいいのかは不思議と分かった。
これでいいんだよな、と心の中で確認しながらロケットを開くと、一段と強烈な光が浩介を照らす。
遠くでそれを見た久遠が驚きの声を漏らす。
「これはっ!」
「グウウウウ……」
眩いばかりに輝く宝石に気付いた久遠は戸惑い、デーモンは警戒する声をあげる。
浩介が宝石に指を伸ばした時、デーモンは野生の嗅覚でも持っているのか、そうはさせまいと浩介に向って猛スピードで接近してくる。
その後を使い魔も追う。
だが、百メートル以上もある距離と数センチの差は、デーモンでも覆せるものではない。
浩介が宝石に触るのが先だった。
「っ!」
瞬間、指先に一瞬だけ電気が走った感覚がした。
すると、宝石から蒼く光り輝く二本の楔が稲妻をまとって現れ、雷光の如くデーモンと使い魔へ撃ちだされた。
それぞれの足の甲を貫き、砂浜に縫い付ける。
「グガアアアアアッ!」
「す、すごい……」
槍や刀の斬撃が全くと言っていいほど通らなかった体を、いとも易々と貫通させた。
得も言われぬ興奮を覚える。
この一撃、いや二撃は明らかに二人の攻撃と格が違っていた。
猛ダッシュしていたところに足が捕らわれて砂浜に手を着かされたデーモン。痛みに喘ぎながらもその楔を引き抜こうと手を掛けると、
「グオオオオオオッ!」
楔から雷光がいばらのように発して、赤黒い巨躯にまとわりつく。
弾かれて楔から放した手からは煙が立ち上り、鋼鉄の手は焼けていた。
「す、すごい……けど、なんだアレは?」
「……いや、驚いたよ。こんな事も起こるんだね」
いつの間にか久遠が横に立っていた。
楔がデーモンを縫い付けている間に移動してきたのだろう。
そして、久遠は何か知ってる風だった。
聞かずにはいられない。
「アレを知ってるの?」
「いや、初めて見るよ。けれど、アレの正体は知ってるかな」
「え、なに、そういう事?」
浩介に向いた彼女の指が、宝石を指す。
「キミの相棒だよ」
「……まさか、あの声の?」
この宝石に初めて触った時、そして暴走しかけてサンドラに眠らされた時に聞こえた声の主だという。
姿が見えないだけで人の姿をしているとばかり思い込んでいたので、驚愕の事実だった。
「あんな姿だったなんて……」
「いやいやいや?本当は違うよ。でもこれには私もビックリだよ。なんでこんな事になってるのか凄く問い詰めたいところだけど、それより今は」
浩介の早とちりだった。
二人はデーモンへ目を遣ると、凝りもせず電撃に撃たれながら焼けただれる手で楔を引き抜こうと足掻いている。
が、楔はびくともしない。
それでも浩介を屠ろうと、使い魔が手のひらを突き出してきた。
その行動の意味するところを知っていた浩介は、
「俺から離れろっ!」
言葉短かに久遠に回避を促して自身もその場から避ける。
二人が避けると間髪入れずにその間を太いレーザーが迸った。
「っ!ゲームより全然太い……。でも、これで全て手の内は――――」
迂闊だった。
一発避けてそれで終わりだと決めつけてしまっていた。
使い魔へ視線を戻す途中に見えたデーモンの姿は、レーザーを撃ち出す瞬間のそれだった。
まさか、使い魔と連携を計るとは。
「しまっ……!」
使い魔のレーザーは目くらましで、本命はデーモンのレーザー。
ゲーム内では、これらが連携を取ることなどなかった。
いや、連携していると感じる事はあった。でも、それは行動タイミングがたまたま重なっただけで、そこに思惑はない。
もし連携が可能だとしたら、そのゲームは難易度が高すぎてほとんどの人は敬遠しただろう。
浩介は良くも悪くも、ゲームに傾倒し過ぎていたが故の油断だった。
「(だめだ、またあれを……!)」
放たれたレーザーは違わず浩介に向かい、みるみるうちに視界を埋め尽くさんと大きく見えてくる。
瞬きの間に訪れるであろう激痛に怯えて体が強張り目を強く閉じる。
一秒、二秒。
「……ん?」
来る、と思っていた衝撃はなかなか来ない。
薄眼を開けて様子を見ると、目の前には一本の楔が宙に浮いていて、レーザーはどこにも存在しない。
「一体、何が……?」
答えてくれそうな久遠に聞こうとしたら、そちらから鋼がぶつかり合う激しい音が聞こえた。
楔に縫い付けられていたはずの使い魔が解放されて、久遠と戦い始めたのだ。
目の前に浮かぶ楔。
解放された使い魔。
「まさか、これが?」
「ああ、そのまさかだよ!キミの目の前にあるそれがレーザーを切り払ったんだ!」
使い魔の剛腕を槍で受けては横っ面に回し蹴りをいれたりする中、律儀にも答えをくれた。
改めて見る蒼く輝く楔。
光を放った宝石に触った時と同じように、楔に呼ばれているように感じた。
「いいのか、触っても……?」
まるで問いに答えるように、光が少し膨らんでは元の大きさへ戻る。
それでいい、そう言われたように見え、迷いは消えた。
躊躇わずにすっと手を伸ばして、楔の下の方を掴む。
バチンッ!と電気が弾けるような音がして、楔は強い光を発した。
「ま、眩しいっ!」
またもや夜の浜辺を照らす閃光。
思わず楔に触れた手を引っ込めそうになったが、何故だかそうしてはいけないような気がして、顔だけを背けるとすぐに収まった。
楔に目を戻すと、それは意外な変化を遂げていた。
「え、で、でかい刀……」
全長で三メートルほどありそうな大太刀が、浩介の手の中に握られていた。
創造する刀と同じで重量はないが、見るからにはっきりと違うところがある。
「この刀身に浮かんでるのは、文字か?」
梵字とルーン文字を合わせて二で割ったような不思議な模様が、切っ先から柄の部分まで綴られている。
これが、デーモンのレーザーを切り払った物の正体。
この大太刀について気になる事はもちろんあるが、今は心強い相棒、それだけでいい。
「これがあの声の主だっていうのはまだ信じられないけど、レーザーを切ったその強さ、頼りにしてるからな」
浩介の声に応えるように刀身の文字が軽く光った。
斬るべき相手を見据えて、流れる動きで姿勢を脇構えに持っていく。
デーモンは砂浜に深々と突き刺さる楔を外そうともがいていた。
「ガアアアアアアアッ!グアッ!ガアッ!」
一向に外れる気配はない。デーモンは楔を引き抜くのは諦めたようだ。
だが、あろうことか、今度は足の甲を引き裂いてでも拘束を外そうと強引に前に踏み出す。
それは正解で、片足の甲からつま先まで裂けた代わりに、自由を取り戻した。
「グオオオオオッ!」
一際高い咆哮をあげると足の怪我など感じさせない、以前と同じ俊敏な動きで瞬く間に距離を詰めてくる。
迫り来る凶暴で凶悪な巨躯を、浩介は大太刀を構えたまま見据えた。




