#16_テスト開始
被ったゴーグルに、カウントダウンが表示される。
浩介の視界の左下には、パーティを組んだ救世主の猫の名前とステータスバーが表示されており、更にその上に新太郎という文字とステータスバー。
フィールドに入る前に、新藤から浪木に提案があった。
「牧内さんがセクハラしてしまった女の子にお詫びということで、浪木さん、彼女とパーティ組んでみてはいかがでしょうか」
「セクハラ云々は置いておきますが、ソロプレイヤーが多いみたいなので、パーティ組んで遊ぶ場合も皆さんにお見せできれば確かに良いですね。では二、三人ほど声をかけてみます」
浪木は新藤に言われた通り、まず最初に救世主の猫にパーティを組まないかと提案した。
すると、困ったように浩介と浪木に対して交互に目を向ける。
「えっと、どうしましょう……」
試遊開始時間が迫っている時に、このパターンは少しマズイと思った浩介は割って入った。
「すみません、彼女、もう私とパーティを組んでしまっているので……それでもよければ」
「じゃあ丁度良かった、これで予定通り二人確保。新藤さん、聞いての通りです」
「わかりましたぁ!いや、まさか牧内さんがイジッた二人がもうパーティ組んでたとはちょっとビックリでしたが、番組的には凄く美味しいですね!」
「この俗物っ!」
と、このように浩介と救世主の猫が予想しえない展開になってしまったのだった。
カウントダウンが進むにつれて浩介の鼓動も早くなっていく。
ゴーグルのレンズが映し出す、荒野の中央に染み出る黒い水溜まり。
浩介はそこに程近い場所で待機していて、他の近接クラスも近くでデーモンを待ち構えている。
あと数秒で、討伐対象が出現する。
命が懸かっているわけでもないのに、僅かな恐怖が圧し掛かる。
唯一、敵にダメージを与えられる得物、立体化した刀を見る。
ホログラフとは思えず、質量を持っていると言われても信じてしまいそうになるほどにリアルだ。
耳元で浪木の声が聞こえた。
「いやぁ、緊張しますね。皆さん、頑張って討伐報酬を勝ち取りましょう!」
ゴーグルにはマイクと骨伝導イヤホンが装備されており、パーティメンバーに限って通信可能となっている。
だが、聴覚がイヤホンの音声しか捉えないわけではないので、肉声が届く範囲では普通にパーティメンバー以外に呼びかけられる。
数人がそれに呼応して、決して大声ではないが「おうっ」と声を張った。
浩介と救世主の猫は見ていただけだが、心では一緒に鬨の声を挙げた。
カウントが3になり、浩介は不格好ながら中腰で刀を構える。
救世主の猫はフィールドの端で、体に奔る興奮と恐怖の混じった震えを押さえつけながら弓を構える。
「すぅ……はぁ」
浩介が深呼吸し終わると同時にカウントが0になり、ついに、
「MISSION START!」
テストプレイが始まる。
黒い水溜まりから浩介の身長の三倍近くあるデーモンが姿を現す。
間近で見る等身大のデーモン。
見慣れたフォルムのはずなのに、見上げるほどの巨躯と禍々しさが相まって全くの別物、現実に現れた怪物のように錯覚させる。呼吸に合わせて上下する胸と肩がそれに拍車をかける。
その威容に魅入られて呆然とするが、途端に救世主の猫の叫び声で意識が引き戻される。
「ハイネガーさん、避けて!」
「っ!」
はっとすると、デーモンが眼前で拳を体に引き付け、今にも殴られそうだった。
この予備動作はどの攻撃か、それをどうにか思い出して放たれる拳の射線上から右に飛んだ。
直後、浩介が元居た場所に拳が信じられない速度で飛んできた。
「まじかよっ!」
「こんな速度なんて聞いてないよ、榊さん!」
たった一発の右ストレート。
控室のモニターで予習していた参加者も、見るのと実際に相対するのとでは全くの別物なのだと、たったその一振りで痛感した。
加えて、あまりに精巧に作られたデーモンの禍々しい相貌や巨躯が、皆に威圧感や恐怖を植え付ける。
ほとんどの参加者の動きが止まり、早々にこのままデーモンに蹂躙されて終わるのかと思い始めた時、デーモンの右頬に銃弾が命中した。
「何みんなボーっと突っ立ってんだか、情けなっ。これじゃあ報酬なんて無理か」
どこからか冷めた声がした。
チャラチャラした感じの参加者がアサルトライフルを撃っていた。
独り言のようだったが、明らかに戦意喪失した参加者に対する侮蔑の言葉だった。
「くそがっ」
浩介と同じ前衛の一人がそう吐き捨てた。
その苛立ちが彼の者へなのか己へなのかは不明だが、彼の言葉に突き動かされるようにして駆け出し、右手に持つ大剣でデーモンを斬りつけた。
ダメージを受けたデーモンは半身を僅かに捩り、よろけた様子を見た浪木が大きな声で呼びかける。
「大丈夫、迫力はあるけどゲームで見た挙動と何も変わらない!頑張りましょう!」
浪木はそう言い切って皆を鼓舞させると、素早く数歩後退して地面にバインドトラップを設置した。
参加者は有名人の檄で気を持ち直し、大剣で斬りつけている青年に続いて接近戦を仕掛けていく。
そして、全方位から魔法に弾丸、矢がデーモンに撃ち込まれ始めた。
浩介は手元の刀を一瞥し、思考を切り替える。
そして考えた。
いま足りていないのは何か、どうすれば少しでも勝ちに繋げられるか。
一瞬で答えを出し、すぐに方針を固めた。
「俺、しばらくは弓で援護に回ります」
「了解、デーモンの周囲はわちゃわちゃしてるから、その方が動きやすいでしょう」
「では前衛、お願いします」
浩介はすぐにフィールドの端付近まで下がる。
「武器変更、弓」
刀身が光りながら粘土を捏ねるようにうねり、形を弓に変えた。
素早く構え、ホログラムの弦を引くように腕を動かすと、弦も動いて自動的に矢が番えられていた。実際に目の当たりにすると何とも言えない感動が湧きあがる。
デーモンに狙いを定めようとすると、視界の中心にレティクルが表示された。
矢の方向をレティクルに上手く合わせると、青く光った。
「なるほど、この仕様は有難い」
レティクルを青く光らせたまま威力をチャージする。
その僅かな2、3秒の間にも、デーモンは大ぶりな裏拳や地面を踏みつけて衝撃波を出していた。
近接クラスの参加者は、それを盾で防いだり退避したりと忙しく、まさに息つく暇もない。
耳元で、ピンッという高い電子音が鳴り、チャージの完了を告げた。
浩介は掴んでいた弦を離すと、矢は本当に弓矢を放ったような速さでデーモンの右腕に突き刺さった。そして役目を終えた矢は、いくつもの小さいシャボン玉に形を変えて消えた。
目にするものすべてが初めて尽くしだが、いちいち驚いている暇はない。次々と矢を番え、チャージショットを放つ。
いつの間にか隣に見知らぬ男が立っていた。
「バフかけておきますね。ストレングスブースト」
浩介の携える弓全体が淡く輝き、与えるダメージ量が上がった。
「ありがとうございます、助かります!
男は軽く頷くとすぐに別の参加者にもバフをかけて回る。
前衛たちによる激しい攻防は続き、開始からまだ二分も経過していないにも関わらず、近接クラスの参加者の息はかなり上がっている。
こちらが疲弊している状況なのに、まだデーモンの体力は三割も削れていない。
このペースではクリアは絶望的だと思った浩介は、ゲーム中のあらゆる敵の弱点となっている頭部を狙う事にした。
的が小さいので外してしまう確率は高くなるが、ヒットすれば非弱点部位の三倍のダメージを与えられる。
他の遠距離クラスでの参加者の中にも頭部を狙っている者はいたが、大半は手堅く的が大きい胴体の部分を狙っていた。
その現状を変えるべく、わざと周囲に宣言する。
「このままだと、こちらの体力が持ちません。ヘッドショット狙いに行った方が良いと思います!」
責め立てられたり罵声を浴びせられる事も覚悟していたが、そこに拳を打ち付けている近接クラスの声が響く。
「確かに、長時間は戦えない。もう足も動かなくなって来てるし、エレメンタラーの回復も追い付いてないからそうしてくれ!」
矢を番えると、デーモンの頭部にレティクルを合わせて青く光る瞬間を待つ。常に細かく動き回る頭部を狙うので、レティクルがなかなか青く光らない。
しかし、別方向にいる参加者にとっては狙いやすい位置にあるようで、次々と遠距離攻撃が頭部に撃ち込まれる。
命中しなかった魔法や銃弾は流れ星のように軌跡を描いて、フィールドの端に吸い込まれるように消える。オーディエンスから見れば、さぞ綺麗な光景だろう。
しかし、当事者たちにはそんな事を感じる余裕はない。
そうして戦い続け、ある程度のダメージを蓄積したデーモンは動きに変化を見せた。
「そのモーションはっ!」
と、誰かがその場の全員の思った事を叫んだ。
デーモンは右の掌をアサルトライフルを携えた男性に向けると、ゲーム中で見せたレーザーを放った。
見知っていたはずの挙動だが、ここでもゲーム画面で見るのとその身で戦う勝手の違いが出てしまう。
ゲームのように瞬時に反応できなかった彼は、両腕を交差させて防御する。
しかし設定上、遠距離クラスにガードという概念はない為、ダメージ判定は直撃となる。
彼は自分のHPを確認した。
「嘘だろっ!半分近く持っていかれたぞ!」
防御力の低い遠距離クラスは3発食らったらアウトの設定らしい。想像していたよりも非常にシビアな条件に動揺が走る。
しかし、だからと言って慎重になり過ぎてしまっては、先に本人の体力が尽きる。未だ一人の退場者も出ていない今が、最初で最後の好機。
そう思った者たちは、一瞬怯んだ気持ちを奮い立たせて攻撃を再開する。
「遠距離職は手を休めるな!近接職が生きているうちに攻め切らないと、一瞬で終わるぞ!」
誰かがそう叫ぶ。その声で持ち直す者もいたが、それでも警戒しすぎて動きが鈍る者もいた。
それからデーモンは四肢を存分に振るって近接クラスにプレッシャーをかけ、レーザーを撃ち出して遠距離クラスを牽制する。
この場には、エレメンタラーという魔法クラスが二人しかいない。彼らは被弾した味方を回復するためにフィールド全域を奔走するが、回復が追い付かない。
じわじわと追い詰められ、諦めムードが漂い始める中、息を切らながら浪木が言った。
「二人とも、デーモンのゲージ見てください」
今までレティクルに気を取られていたから気が付かなかったが、いつの間にかデーモンのHPゲージはかなり削れていた。
「もう少しで残り三割……」
「ということは……本気モードに気を付けよう!」
「は、はい!」
程なくして、デーモンは激しく鼓膜を揺るがす咆哮をあげ、全身に紫色のオーラを纏う。
当然こうなることは承知していたが、だからといって落ち着いていられるものでもない。
ゲームの中ですら、オーラを纏ったデーモンの挙動パターンに慣れるのは何回も相手をしてやっとだった。
それを、今は動かしていたキャラクターの動きを生身で再現しなければならない。
この場の全員が、不安を感じた。




