#159_滅びの始まり(2)
街灯が無い異世界では、夜間のお供はランタンと月明りだけ。
しかし、その月も今宵は分厚い雲に隠れてその所在も分からない。
浩介は港での自衛官に状況を聞いた際、「暗い中は動き辛いでしょう」と耳掛け式の光量の強いライトを渡された。スマホとは比較にならない明るさだ。
ライトは優に百メートル以上先をも照らし、高速で道を駆け抜ける二人にとってこれほど頼りになる物はないだろう。
神官を助けた後、最北端の海岸までの道程が残り半分を切った道の先、水溜まりのような何かが幾つも目に入ったので警戒しつつ速度を落として確認すると、それは酷く損壊した数多の死体の海だった。
「うっ……こんなに人が……」
浩介はこみ上げる吐き気を口に手を当ててこらえ、顔を背ける。
前回は銃撃によるものだったので外見的変化はなく、感情だけが揺さぶられた。
しかし此度は死体の損壊が激しい。
攻撃を庇っただろう腕の切断面、眼球の突出、臓物が露出していたり。
とてもじゃないが、その類に耐性のない浩介は直視できなかった。
「この島の住民のようだね。自衛隊が助けに来る前にやられてしまったんだろう。だけど、ここまで私たちが遭遇したのは、あのゴースト一体だけ。
聞いてた話よりも数が少な過ぎる。もしかして、敵を引き付けてくれてるのかな」
「じゃあ、この先に大量の魔物が……」
「そう考えていた方がいいかもね。キミの世界の武器じゃ、ゴーストは倒せないんだよね?なら急ごう。天敵相手に長い間持ちこたえられるとは思えない」
「ああっ!」
先程よりも焦燥感が増し、一瞬すら惜しんで疾く走った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ちいっ、倒したところからまた次から次へとキリがない!住民を襲ったゴーストを誘導した部隊はまだ戻ってこないのか!?」
砂浜でミノタウロスやハーピーを相手に、自衛隊の二個中隊は足場の悪い中でそれに混じるゴーストの動きに特に注意を払いながらライフルや手榴弾を使って善戦していた。
敵は人間のように作戦を立てずにその目に入った者から攻めてくるので、陣形を維持したままの戦闘は難しい。
結果、乱戦状態。
注意を払うのはゴーストだけでなく、フレンドリーファイアにも注意しなければならず、いくら過酷な訓練をこなしてきている自衛官とはいえ脳の処理があっという間に限界を迎えてしまう。
「あの穴、塞げないのか?!誰か余裕のあるヤツいたら手榴弾投げ込んでみろ!」
「ピン抜け!投げ!弾着……いまっ!」
浜辺に出現した十数基ある召喚門のうちの一つ、その真下に投擲された手榴弾。
いまっ!という掛け声と同時にその周囲を一瞬だけフラッシュを焚いたように照らし、耳を劈く爆発音が浜辺に響き渡った。
砂塵が舞い、暗視ゴーグル越しの標的は灰色カーテンの向こう。
効果の有無に注視したいところだが、敵の一撃必殺の攻撃を躱しながら砂塵が晴れる時を焦れて待つ。
そして、視界の端で一人の自衛官がミノタウロスの打撃を食らい吹き飛んで視界から遠ざかった。
「無事かっ?!」
周囲の敵に神経を研ぎ澄ませながら仲間の反応を待つが、返ってこない。
意識を失ったかと思い、ハンドガンによる射撃の合間にもう一度強く「おいっ!」と声を掛ける。
が、代わりに返してきたのは他の人間だった。
「無駄だ、首が逝ってる!」
「くそっ!」
それだけ吐き捨てると、全神経を集中させて一秒でも長く生き延び、一体でも多くの魔物を狩る事にのみ全力を注ぐ。
仲間の死に動揺が広がらないのは、これが初めてではないからだ。
浜辺には、元自衛官だった人間がまばらに点在し、血の池を作っている。
故に、敵の振るう絶望的なまでの暴力を知っている。
故に、生きて帰れない事も。
だからせめて、敵を一分一秒でも長く足止めし、港に展開している部隊やアレイクシオン王国にいる幕僚たち、この世界の兵士たちが体制を整えられる時間を稼ぐ事のみに一意専心し、文字通り決死の覚悟で挑んでいる。
「第一中隊は残り五十人前後ッ!そっちは?!」
「四十人前後ッ!たった五分足らずでこのザマかよっ!」
港を出発した時に四百人ほどいた二つの中隊も、今はもう全員合わせても中隊一つ分以下の人数になってしまった。
こちらの人数は減る一方、敵は増える一方。
五分以内には確実にこの砂浜に生きた人間は立っていないだろうと、この場の誰もが思った。
そして、そこかしこで鳴り続ける銃声に混じって報告が叫ばれた。
「砂塵、晴れますっ!的、健在っ……!」
中隊長は無線機に呼びかける。
「……こちら討伐部隊。手榴弾と火器を用いた門の破壊は不可能。傷の一つもつけられない。別の手段を考案されたし」
通信相手はCP。
発生元を断つためにここまで来たのだが、自衛隊の装備ではどうすることもできなかった。
無限に魔物が湧き出て、海岸が地獄となるのを指を咥えて見ているしかない。
いや、見る事も出来ないだろう。
無念ではあったが、まるで収穫が無いわけでもなかったのは救いかもしれない。
地球の武器では効果がないという収穫。
自虐的だが、そうとでも思わなければ自分が報われない。
CPから新しい情報が入る。
「街道側から多数のゴーストが海岸へ接近中」
「……彼らも全滅したか」
目の前のハーピーの頭をハンドガンで撃ち抜いて、ゴーストの振り下ろし攻撃を横に飛んで回避する。
浮遊していたハーピーは糸が切れたように地面へ墜落し、塵となって消えた。
しかし、その後ろには後がつかえていると言わんばかりにビーストが何十体も控えていた。
更に、街道からはゴーストが迫っているという。
だが、背面のゴーストを引き付ける部隊がいなければここまで持ちこたえる事はできなかった。
彼らに感謝こそすれ、早すぎる全滅を非難する気はさらさらない。
彼らもまた、我々と同様に命を捨ててまで人類に希望を見出すまでの時間を稼いだのだ。
ここに居る者たちは今、彼らの尊い犠牲を想って奮い立つ。
この場の全員、そして無線の向こう側にいる者へ向けて中隊長は言った。
「俺たちの全滅も、もう間もなくだ。この通信が最後になるだろう。だが、俺たちは死ぬまで、いや死んでも人類の勝利を信じている。未来を頼んだぞ。通信終わり」
通信を切り、浜辺を埋め尽くさんと数を増やし続ける魔物たちへ向けてハンドガンを構える。
これなら照準を合わせるまでもなく、適当に撃つだけで確実に命中する。
それを証明するように、ただただ前方へ向けて撃つだけでその度に魔物が仰け反る。
数発撃つと弾倉は空になり、予備のカートリッジに交換する。
彼の顔つきは異常な興奮状態に陥ったせいか、いつ殺されるとも限らないというのに笑っていた。
「未練も後悔もたんまりとある。でもよ、ここで命張らなきゃ俺は自分を許せねえ。だからよ……死ぬまで思いっ切り鬱憤晴らさせてもらうぜえっ!」
背中に回していたアサルトライフルを体を振って器用に前まで持って来ると、ハンドガンとの二刀流で敵の群れを迎え撃った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
あともう少しで海岸という所で、膨大な数の魔物の群れが海岸方面からやって来た。
「あんなに多く……嘘だろ……」
「これは骨が折れそうだね。飛行種族がいるからキミが考えそうな空対地攻撃は少し無理そうかな」
「なんで分かったんだよ。久遠はもう一人の俺か?」
「慎重に行動するなら、距離を取って削っていく手もある。でも、その分威力は落ちるから手数が増える。あとは、周辺の被害を考慮しないのであれば、大きな一手が打てるけど」
「それは?」
「この一帯を空壁で囲ってその中を真空にして、氷漬けにさせる」
冗談みたいな言葉だが、後ろには島の住民が大勢いるのでそれとて真剣に検討しなくてはならないだろう。
「……やるなら、早いうちだな」
「召喚門から出てくる魔物の数に限りはない。つまり、召喚門を破壊しなければこの戦いは終わらない。衝撃波を使った戦い方でいくなら、この群れを押し返すほどの手数で海岸まで攻め入るしかない。
この群れを無視して速攻で召喚門を破壊し、それから魔物を狩るという手もあるけど、これはお勧めしないよ」
「理由は?」
「召喚門を壊すには、研ぎ澄まされた一撃が必須なんだ。力の集中に時間が要るから、召喚門を破壊しきる頃には敵は港へ辿りついているかもしれないから」
「なら、衝撃波と速攻は却下だな。なら、やろうか」
「冷気から身を守るのを忘れないでね」
二人は片手を前に突き出すと魔物たちと自分たちを含めた周囲に空壁を張り、前方の魔物の群れ頭上に半径三メートルほどの空気で練り上げた二つの球体を生成。
顔を見合わせて互いに頷き、「せーのっ!」という掛け声で密着させた二つの球体を右回りと左回りで回転させた。
その回転の速さは新たな風を産み、風は暴風に進化して地上を歩いていたミノタウロスは足を動かせない。
空を飛ぶハーピーは球体に吸い寄せられるように引き込まれると、摩擦に巻き込まれて途端に塵へと変わった。
空気が冷えだした上空には白い霞がかかり、パラパラと小粒の氷が降り始める。
浩介たちはさらに球体の回転速度を速め、空壁で囲ったエリアはそれに呼応して一気に大地も様変わりを見せ始めた。
まるで早送りの映像を見せられているように、土に霜が付き、霜が氷に変化していく。
「いくよっ!」
「ああっ!」
仕上げに取り掛かる合図。
球体は人類が誰一人として聞いたことがない唸り声のような音を上げると、空壁の中は一瞬でその姿を変えた。
全てが凍り付いた。
瞬きの間に生まれた氷の世界。
道路の敷石も周りに乱立する木々も、木の蜜を吸っていた虫やあてどなく動き回る動物も、そして魔物も。
空中で氷漬けになったハーピーは地面へ叩きつけられ、ミノタウロスは氷の彫像となり、ゴーストは人の形を維持できずにバラバラになって消えた。
見渡す限りの氷。
それらを生み出した二つの球体は、回転速度を緩めながら今も回っている。
「……ちょっとやり過ぎたんじゃね?」
「いや、これくらい徹底しなくちゃ万全に望めないよ、きっと。今ので目の前の敵は処理できたけど、こうしている間にも召喚門から新たな魔物が生まれ続けているんだからね」
「……そうだな。早く行こう」
敵が後追いの浩介の元に来てしまったということは、すなわち。
「結局、間に合わなかったか……」
海岸で足止めをしていた自衛隊の人たちが敵を通してしまった。
でもそれは絶対に意図的なものではなくて、仕方が無かったこと。
死してなお戦えというのは、あまりに心がなさすぎる。
道中で見たような凄惨な光景がこの先にも待っているのだろう。
努めて気を強く持って、氷の世界を駆け抜けた。




