#127_蹂躙の狼煙は唐突に
いよいよ本格的に聖マリアス国が侵攻してきたとアレイクシオンの全国民が知るところとなり、敵軍は王都アルスメリアを目前としていた。
自衛隊は王都の内部と外部に隊員を配備。万が一に備えて民間人の避難も始まった。
といっても、今から外へ出るのは危険なので、王城や貴族の館が主要な避難先となる。
今やその館の主たちはこの国を見限り、私兵共々亡命するために海岸へ向かっている道中にいるのだが。
主たちに見捨てられた数々の立派な館は、女王直下の近衛兵によって民間人に開放されていた。
「なんで公爵がいないんだ?兵士はどうしたんだよ」
事の背景を知らぬ一般人男性が不安そうな声で疑問を口に出し、それに対しての答えが館の廊下の奥から聞こえてきた。
「ここの旦那様だけでなく、ほとんどの貴族の方々はこの国を見限ってしまわれました。兵士もみな、私どもを見捨てた主と共に敵国へと寝返ってしまわれました」
そういって姿を現したのは、シックなメイド服に身を包んだ還暦近くの細身の女性だった。
その話しぶりと装いから、長い間この館に仕えていたと窺える。
手を前に組んで淡々と話すメイドの姿勢に苛立ちを覚えた男は食いかかった。
「こんな時になんで見捨てるんだよ!こういう時こそ貴族の出番だろうっ。収めた税金分は働くのが仕事じゃねえのかっ」
「申し訳ありませんが、私にそれを申されたところで何も答えられません」
軽く舌打ちして次の言葉を考え始めた隙に、別の男が出来るだけ平静を装いながら礼儀正しく質問した。
「兵士は本当に全然残っていないんですか?」
「左様でございます。今この国で戦えるの兵士は、女王様直轄の王国軍のみです」
「女王?いや、女王様はだいぶ前に亡くなられましたよね?国王の言い間違えじゃ」
「いいえ、今、この国の元首は女王様でございます。私もつい先ほど知らされたのですが、少し前にセレスティア様がガルファ様より王位を継承されたと伺いました」
その場にいた者たちは、揃って現女王の名前を聞いて喜びを見せたが、それも一瞬で曇った。
「このような大変な時に……セレスティア様の即位は喜ばしい話だけど、聖マリアス国相手に女王様の私兵だけでは到底……」
静まり返った中、誰かが呟いた。
「……終わったな」
それはこの場の誰もが心のどこかでそう思ったが、口には出すまいと我慢していた言葉。
心の弱い誰かが、つい声に出してしまったのだ。
そのたった一言が堰を切ったように皆の不安を掻きたてた瞬間、大きな音を立て扉が開け放たれた。
「まだ終わっていません!」
注目が一点に集めたその人は、セレスティア。
心の弱った者たちは助けてくれと縋りつこうと半歩踏み出すが、絶望的な戦力差を思い返しては再び諦念が支配し、それ以上は動けなかった。
セレスティアは諦めや怯えに染まった己が国民を、そして母親の足にしがみつく子供たちを見た。
目の前の民たちの心を今一度蘇らせるため、足を肩幅よりも少し開いて胸を張って威勢を見せる。
「まだ終わりではありません。確かに、私の抱える兵士だけでは勝ち目はありません」
「やっぱり」
誰かがその言葉と共に詰め寄ろうとするも、セレスティアは間髪入れずに言葉を続ける。
「ですが先日、他国と同盟を結び、現在その国の兵士たちが手を貸してくれています。そして、アルス村で一戦交え、こちらは無傷のまま敵に大きな動揺を与える事に成功しました」
全員の目を真っ直ぐに見つめて、諦めるのはまだ早いのだと訴える。
それでも民らは不安は完全に拭えきれず、ネガティブな言葉が漏れ出る。
「で、ですが、それもどうせ適当なところで見捨てるんじゃないですかっ?明らかな負け戦に手を貸そうなんて国、あるわけがないですよ」
「仰る通り、それが当然の判断でしょう。ですが、彼の国は故あってこのアレイクシオンを見捨てる事ができないのです。それを利用しているようで私も気が咎めるのですが、彼らは非常に頼りになります」
「そう言われても、勝ち目もないのに助ければ自分の国も標的にされるってのに、そんなお人好しな国なんてあるわけが……」
「それが、あるんじゃよ」
唐突に割って入った声。
セレスティアの後ろからサンドラが姿を見せて言葉を引き取った。
「ヒュドラを倒したという彼の者らじゃ。ほれ、恐ろしい程の手際の良さと統率力で西門の修繕やら建物の洗浄やら手伝った、一風変わった服を着た者らを知っておろう」
話の内容は理解できる。
が、ここにいる一般人はそれよりもその姿と声のギャップに呆気にとられた。
口をだらしなく開ける数々の顔を見て、またか、とため息を漏らした。
しかし、ここで素性を明かせば捕えられて敵に身柄を引き渡されかねない。
どれほど胡散臭がられようが話すわけにはいかない。
もしサンドラの話だけでは胡乱に思われたかもしれないが、そこにセレスティアの証言が加えられれば問題は無い。
ヒュドラを討伐した彼の国が味方となった事実。
それは、恐怖におびえていた人の心を勇気づけるには十分な材料だった。
「……アレを倒した国が味方してくれるなら、もしかしたら」
「ああ、勝てるかもしれない。こうなったら少しでもいいから何か出来る事をしよう!」
「そうだな。自分たちの国なのに余所の国に任せっきりってのはカッコ悪すぎるよな」
「まったく、勝ちが見えると知った途端にコレとは、男ってのは随分と都合の良い生き物だねぇ」
抗戦の姿勢を見せる男衆は気勢をあげ、鼻息荒くした男がセレスティアに助言を請いた。
「俺たちに何かできる事はありませんか?」
セレスティアは力強く頷き、東西南北の門を出た先で土嚢の壁を作っている部隊がいるので、その仕事を手伝って欲しいと伝えた。
男衆は駆けだして門に向かった。
残された女性や子供、力の衰えた年配の人は困ったように、でも希望に満ちた顔でお互いの顔を見合って腰に手を当てた。
「さて、わたしらは何をしようかねえ?」
王都の門を守るように東西南北に設置した急ごしらえの作戦天幕の中の通信機が、偵察機からの報告を受信した。
「HQの予想通り、南東から進軍してきた敵軍はアルスメリアからニ十キロほど離れた地点から部隊を四つに分け、それぞれのゲートに向かっている。尚、各部隊に進軍速度に大きな差異は認めず」
通信士の話を聞いた伍代は、瞬き一回分思案してから命令を下した。
「偵察機をチヌークに変更。ハヤブサは帰投し燃料を補給して待機」
ヘッドホンからパイロット以外の声が聞こえて、それは伍代の案に異論を唱えた。
「こちら航空幕僚長の西崎だ。偵察機の変更ではなく、ライトニングⅡの爆撃による先制攻撃を行い、数的不利の緩和を提案する。
異世界だろうと民間人の命の重さは変わらないはずだろう?万が一にも市民に危険が及ぶことなどあってはならないと愚考するが、どうだ?」
「攻撃目標は?」
「西門と北門へ移動中の部隊だ。回り込む部隊がなくなれば、前方だけに集中して作戦を展開できるだろう。それに、現在の西門を考えれば妥当だと思うが」
ヒュドラに破壊された門は再建を始めたばかり。
そこを突かれては防衛は一気に難易度が上がる。
「了解。では戦闘開始の合図はそちらに任せる。南に配備予定の一部車両をサポートに回す。以降、西と北の指揮はそちらに譲渡する。宮内陸将、いかがでしょうか」
「それでいこう。時間的猶予があり戦況的に可能であれば、西と北の敵部隊に撤退の動きがあるまで航空爆撃と砲撃を継続。
唯一の懸念材料は強化の加護持ちと呼ばれる敵将だが、得られた情報から推察するに、弓矢の威力は迫撃砲程度、射程は二千メートル前後と予想される。
こちらはそれ以上の射程と威力を誇る兵器で長距離から先手を打つ。希望としては、やっこさんには早々に引き揚げて欲しいものだがな」
その後、素早く作戦概要を自衛隊全体で共有させた。
一通りの準備が整い、伍代は憂いを帯びた声色で呟いた。
「宮内さんの言う通り、早々に引き際を見定めてくれれば良いが」
その十分後、作戦開始が開始された。
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リディンは怪訝に空を睨んでいた。
今朝からずっと快晴だというのに、雷鳴がよく轟く。
原因不明の雷鳴が轟く時には、決まって黒い小さな点が空を横切る。
何か関係があるのだろうかと思考を巡らせている最中も雷鳴が聞こえる。
しかし、今回の雷鳴は様子が違った。
これまでは一つの音が長く続いたものだったが、今は雷鳴がいくつも重なっている。
それは西門へ向かわせたシャルフ、そして西門を回って北門へと向かうハインとカイラスの部隊の方角に向かっているように聞こえた。
「これは本当に自然現象なのか?」
「あの黒くて小さいの、どうやら巨大な鳥のようですね。ほら、あそこの部隊の真下にでっかい糞を落としましたよ。ああ、何匹も同時とは、ご愁傷様です」
リディンの部隊内でも特に目の良い弓兵の男が、お茶らけながら胸に手を当てて冥福を祈るような仕草をする。
なるほど、やはり鳥だったかと安堵する。
リディンの後ろ歩く弓兵は、鳥から落とされた物体の着地タイミングを口に出して図る。
「さん、にい、いち」
ぜろ、という声と同時に物体は地面に叩きつけられる。
いくつもの盛大な土煙を上げ、遠目からでも見て分かる程に部隊の一部を破壊した。
「え?」
「……違う、あれは糞などではないっ。なんだあれは……」
上空を飛ぶ黒い鳥は、漏れなく別れた二部隊の真下に向けて何かの物体を落としている。
それが地面に到達するなり先のように部隊を破壊していく。
リディンはすぐに伝令を呼び、状況把握のため別動隊へ差し向けた。
その傍らで大司教がうわ言のように呟く。
「まさか、何か神の意に背くような事をしたか?いや、ならば何故これまで聖戦と銘打たれた戦いで敵に神罰が下らなかった?となれば、これは神罰ではない……のか?」
まさに神罰と見紛うほどの攻撃力。理解の追い付かない脳は疑問ばかりが堂々巡りし、全ての兵士は呆然と味方が散っていく様を見ていた。
リディンは隣を歩く大司教に答えを求める。
「これは一体何が起きているので……」
「ありえん。こんなのを認められるわけがない」
愕然とした大司教に、リディンの声は届いていなかった。




