#124_女王と教皇と占い師、そして犬
浩介たちを乗せたチヌークが、日本のキーマンたちとセレスティアに見守られながらベースキャンプに帰投した。
セレスティアはハッチが解放される時を待ちわびていたが、勿論表情には出さない。
誰が見ても毅然とした女王の佇まいで、プロペラの巻き起こす風で暴れる髪を押さえていた。
間もなく後部ハッチが解放されてタラップが下り、担架に乗せられたガルファが出てきた。
「父上っ……」
その場を動かず、瞳を薄く滲ませ小さく声だけを上げる。
すぐにでも駆け寄って無事を確かめたい、顔を見て安心したい気持ちに蓋をして、すぐ横を通り過ぎるガルファを黙って見送る。
その僅かな時間、目が合った。
そしてセレスティアとすれ違った直後、ガルファの安らいだような吐息が一つ大きく聞こえた。
女王然とした振舞いを、という決意が揺らいで振り返りそうになるが、父親の漏らした吐息に含まれた気持ちを察して堪えた。
それでいい。
言葉は交わさずとも伝わった。
総理が後ろで、誰かにガルファについて行けと指示を出す。
続いて、浩介がガルファと同じく担架で運ばれてきた。
歩み寄って担架を持つ自衛官に話しかける。
「彼はどういう状態なのでしょうか」
言葉が分からないのか、それとも何も分からないのかただ首を振って通り過ぎていった。
担架を見送る背後で能天気な声がした。
「いやー、楽ちんじゃったのー。体を自由にしながら飛べる点があやつとは段違いじゃ」
「主様、これ私も欲しいです!」
「無理に決まっておるじゃろ、阿呆」
「ワンッ」
報告で聞いた教皇とシスターと犬の声だろうと思い、振り向いてはスカートのフレアを軽く摘まんで貴族式の礼をした。
「ようこそ、アレイクシオン王国へ。本当であればこのような時世でなく……」
挨拶をしつつ面を上げたセレスティアは、動きを止めた。
シスター、犬、この二つは報告通り。
十歳前後の少女が同乗しているとは聞いていない。
総理たちが小声で何やら話しているが、その様相はセレスティアと同じく動揺していた。
この場の誰もが少女の存在に困惑していた。
彼女が何者なのか問うべきなのだろうが、その前に少女の方から声が掛けられた。
「何じゃおぬしら、人の顔を見ては胡乱な顔を向けおって。で、わしに用がある者がいると聞いておるが、どこじゃ?」
「怪しまれるのも無理はねえとは思うがな。可愛い子供の姿してんのに、その口から出てくんのは年寄り臭い喋り方だもんな。お前さんが教皇だなんて誰も思えねえさ」
「……この子が、教皇?」
セレスティアの口から驚愕と懐疑的な色が含まれた声が漏れる。
それに反応したサンドラが声を弾ませて話しかけた。
「おお、おぬしでもよいわ。わしにどんな用じゃ?」
少女とは思えない言葉遣いに戸惑いながら、本当にこの少女が教皇なのかと確認を取る。
「私はアレイクシオン王国女王セレスティアと申します。こちらにマリアス教の教皇様がいらっしゃるとお聞きしているのですが……」
「それ、わしじゃ。正確にはこの体の持ち主なんじゃが……ほれ、自己紹介」
そう言うと、自信たっぷりな顔つきが一瞬で変わる。
顔の筋肉が弛緩して眉が頼りなさそうに歪んだが、何より一番の変化は、声そのものだった。
「えっと……マリーレイア、です」
「んんっ?!」
この場の全員が耳を疑った。
成人女性の安定した声質から一転して、子供特有の高音を多分に含んだ甘い声が同じ口から出たのだ。驚いてしまうもの無理はない。
何か言わなくてはと口を開閉させるが、出てくるのは吐息のみ。
時間にして数秒だったが、それだけでセレスティアたちがショックを受けているのは明らかだった。
「まあそうじゃろうな。というか、この反応が正しいとは思わんか、デルフ?」
「知るか。俺はマリーが生きてるだけで十分だ」
「ほんに、おぬしは孫には甘い、のう……っと」
「マリーっ?!」
突然ふらついたマリーレイアを支える。
「ご、ごめんなさい、おじいちゃん……ちょっと疲れた」
「ああ、そうだろう。ここまでずっと大変だったもんな、後の事は俺に任せておけ」
それからすぐにマリーレイアは気を失うように眠った。
デルフはマリーレイアを休ませるようセレスティアへ言い、彼女は頷いて日本側にもそれを伝えた。
そして、マリーレイアが目を覚ましたのは、二日後の早朝だった。
会談の場は急遽設営された新たな天幕。
パイプ椅子以外に何もない中、それぞれが腰を掛けてサンドラに視線が集中する。
居心地悪そうに困り顔でこの場の人間に向って言う。
「おぬしら、わしを見過ぎではないか?見世物ではないんじゃがのう」
それを聞いた日本陣営はすっと手元の資料へ目を逸らす。
自ずと通訳を通さずに話せるセレスティアがいち早く非礼を詫びた。
「も、申し訳ありません。決して悪気はないのですが、その……」
「わかっておる。済まぬな、意地悪が過ぎたようじゃ。まずはこちらの経緯を知ってもらうのが、何をするにも早かろう」
それからサンドラは、自身が大聖堂地下にある聖石に宿る精神体ある事、シスターは聖マリアス国が人工的に創り出した聖石の模造品に宿る人造スピリットである事を説明した。
続けて、教皇には聖石の能力を行使可能な人間が選ばれる事、そして今上教皇にはマリーレイアが就いた事も伝えた。
五年前にマリーレイアの両親が殺害され、その後五年に渡り監禁生活を余儀なくされていた所を浩介らに救い出され、少女は聖石と繋がって正当な教皇になるまでの経緯までを話した。
そこまで説明を終えると、声のトーンを上げてこの場の全員に確認を取る。
「という事じゃが、ここまでは理解してもらえたかの?」
総理が挙手をし、サンドラは話を聞く。
「私たちの世界の教皇と権威が同等であると仮定して、疑問点がいくつかあります。
一つは、なぜ己を害する団体のシンボルになろうと、または据えようとお考えになったのか。そして、教皇の座を空位にしたままではいけなかったのか、その理由もお聞かせいただけたらと。
もう一つはサンドラさん、あなたの行動は最初からマリーレイアという少女を教皇に据える為に動いていたように思えますが、何か深い理由がおありなのですか?」
自衛官高官や政府の人間の幾人かが同感だと頷いた。
サンドラは質問の内容に対する答えの中に、自分たちの立場が不利になるようなものがないか思考を巡らせてから答えた。
「アレイクシオンの女王よ。おぬし、契約はまだじゃな?」
「えっ」
まさかのタイミングで水を向けられて即答できなかったが、女王と契約と言う言葉が意味するところはすぐに思い至った。
「はい、まだ父が存命なので……」
「契約が必要な理由は聞いておるか?」
セレスティアは頷いて答えた。
「世界が永業の魔物によって朽ちかけた星に戻らないよう、今の姿を維持させるためです。そのためには王家の血と宝石の契約が必要だと、そう伝え聞いています」
サンドラはその答えを聞くと、僅かに眉を顰めて不満そうに言った。
「半分は正解じゃが、もう半分は間違って伝わっておるのう」
「それは、どういう事でしょう?」
「契約によって大地の浄化が続いていくというのは本当じゃ。間違っておるのは契約者の選定方法で、王家の血筋でなければならぬというわけではない。
が、アレイクシオンの末裔である事が幸いしておるのか、最低限の浄化能力は発揮されているようじゃから意味がないわけでもなかろうが。
もし、マリーレイアのように真に適性のある者が聖石の契約者であったなら、この国に魔物なぞ生まれ出でる余地もないぞ」
言われてみれば、もし神出鬼没の魔物がアレイクシオン王国と同様に聖マリアス国にも出没するのであれば、限られた兵力を大幅に他国への侵攻に割くのはあまりにもリスクが高すぎる。
今、この国を苦しめている事実がそれを裏付けていた。
しかし、とセレスティアは反論した。
「確か、先代教皇は五年ほど前に崩御されていたと思いますが、それではその後から現在まで聖石の力は眠ったままのはず。魔物が出現していてもおかしくないのではありませんか?」
「良い質問じゃ。大地の汚染というのは少しずつ進み、魔物は汚染された大地から生ずる瘴気を糧にして発生しよる。あの島は永い間適切な人間が契約しておって、それが途切れたのがここ最近の話じゃ。
それまでの貯金、というのも変な例えじゃが、数年教皇がおらぬとも魔物が生まれるまでの瘴気は発生せんよ。とはいえじゃ、人の目では何事もなかったように見えたじゃろうが、水面下で汚染は進んでおったがの。
マリーレイアが教皇となった今は元通りじゃ」
一通りセレスティアの質問に答えてから、サンドラは総理の発した最初の問いに答える。
「つまり、あの島の聖石を活性化させなくてはならぬ理由はそこじゃ。
教皇が空位のままであれば、いずれあの島の緑は枯れて海も腐り、その荒廃した島には凶悪な魔物が際限なく生まれ続け、死の孤島と化す。
わしはそれを食い止めるため、あやつに協力を仰いだのじゃよ。そして、今の世にあの島の聖石の契約者たりえる者はマリーレイアしかおらん。
さて、これが最初の質問の答えじゃが、満足いただけたかの?」
一歩間違えれば全てが破滅する世界。
組織や国という次元に固執している場合ではないと、サンドラは暗に訴えていた。
なるほど、と一同は納得する。
そして現在、日本の国力を疲弊させている原因の一つであるゴースト対策へ割いている多額の防衛費問題を解決させる糸口が見える。
総理は微かに前のめりになって質問した。
「では、その正当な契約者がこの国にも現れれば、魔物はいなくなるという認識で間違いはないでしょうか?」
「その通りじゃ」
日本の陣営から歓声が沸き上がった。
しかしそれを手で制し、肝心の質問を投げかけた。
「その方がどこにいらっしゃるかは?」
存在しているかどうかも分からないが、希望は持ちたい。
一同が固唾を呑む中、サンドラが答える。
「さて、わしには分からぬ」
膨らんだ期待が萎んでいく。
落胆する総理たち。
だが、とサンドラは続けた。
「もしかしたら、マリーレイアは分かるかもしれぬ。ちと見てくれぬか」
言うなりこれまでの姿勢が一変して、戸惑って心細そうな表情をする。
「え、え、わたし、えっ?」
唐突な出番に両隣に座っていたシスターと犬、デルフに助けを求めて袖に縋る。
シスターは満面の笑顔で大丈夫ですと励まし、デルフは、何だかよく分かんねえけど祖父ちゃんが守ってやるから心配するな、と掴んだ手を包んで安心させる。
犬はワンッと吠えたが、もちろん何を言っているのか分からない。
とにかく、二人のおかげで不安は薄れ、未来視を試みてみようと思った。
「やってみます。できなかったらごめんなさい」
通訳を通してその言葉が総理の耳に届くと、優しい笑顔で首肯して協力してくれるだけで有難いと伝えた。
その言葉添えでさらに肩の荷が少し軽くなった。
おかげでスムーズにリラックス状態へと入り込むことができ、そしてマリーレイアの見る世界は現在から未来へと置き換わる。




