#116_アルス村の攻防(2)
迫り来るファランクス陣形。
中央にいた自衛官は両端の仲間にハンドサインを送った。
これまで数人が交代でチクチクと自動小銃で銃撃していたが、立てられた指が三本、二本、一本と一秒ごとに折られてカウントが0になった瞬間、一斉射撃が行われた。
雨あられと鉛玉を撃ち込まれた兵士たちは、短い呻き声を上げ地に膝を着けたり、中には即死する者も出た。
兵士たちは状況に対応すべく、身を屈めて仲間の屍を第二の盾にしながら攻撃を盾で防ぐ。
これで銃撃を防げたのは最前列のみで、それより後方は屍の盾が無いので手持ちの盾を銃弾が貫通してみるみるうちに兵士が血を流して倒れていく。
これで、完全にファランクスは崩れた。
だがそれ以降は、屍の山のせいで後ろの兵士への射線が防がれてしまう。
肉の壁が出来上がりつつあり、自衛官は無線で作戦の移行を進言する。
「アレスワン。攻撃力の低下を確認。ポイント9まで撤退する」
「こちらCP。許可する」
通信を終え、最前列にいた自衛官たちが村の奥へと引き下がると同時に、最後方のスナイパーによる狙撃が開始された。
発砲音を聞きながら、土嚢の第二層に隠れている砲兵部隊が攻撃の合図を待っていた。
本来であれば最初に砲撃で敵部隊を削るのが常套手段だが、自動小銃で迎え撃ったのは相手への温情に他ならない。
結局、百人以上の犠牲者を出しながらも退く姿勢が見られず無駄に終わったが。
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盾をも貫通する攻撃に対し、リディンたちは可及的速やかに対策を見出さねばならない。
盾兵に庇われながらシャルフは歯噛みした。
「あの後ろにいたのは漏れなく敵だったわけか」
「それよりも、一度退く?これじゃあ時間をかけた分だけこっちが不利になるんじゃないかなぁ」
「そのつもりはない。ここまで苛烈な攻撃を受けるのは想定外だったが、ならば相応の戦い方に転じる他はない」
何か策があると言うリディン。
ナナリウスが藁にも縋る思いで聞き出す。
「それで、何をするつもりなんだ?」
「貫かれる盾は、もはや盾ではない。相手も人間。足早に動き回る獲物に狙いを定めるのは困難なはずだ。防御を捨てて全軍で突撃する」
策でも何でもなく、やぶれかぶれの特攻だった。
この戦に勝つために死にに征けというのである。
ナナリウスは口の端を引き攣らせ、リディンがその決定を下さざるを得ない程の窮地に追い込まれている現実に少しばかり戦慄した。
「……なかなか、勇気がいるねぇ」
「五人が揃った戦いで、これほどまで追い込まれる事態になった事は一度たりともなかったはず。予知、気配探知、武器強化に瞬間移動、そしてリディンの分解。苦戦を強いられる隙などありはしなかった。
もしかしたら、これももうじき終わるかもしれない。そこまでするのはまだ早いんじゃないのか?」
シャルフが異見を唱えた。
それは犠牲者数を憂いての事なのか、それとも勝ち続けてきた事への執着やプライドから来るものなのか。
おそらくは両方なのだろうが、それが勝利に繋がるかは別問題。
リディンはそこを辛辣に突いた。
「その保証はどこにもない。では、これ以外の方法を教えてくれないか。考える時間をかければその分、兵たちを守ってくれる盾は消えていくぞ??」
シャルフは答えに詰まる。
だが、ちょうどその時状況に変化が訪れた。
気配探知で見えていた前線の兵士が悉く撤退していったのだ。
「ちょっと待て。前線の敵が全部下がったぞ」
「よく分かんねえ攻撃も収まって来たが、関係あるのか?」
「いや、分からん。だが、攻めるなら今だろう」
リディンは頷いた。
「ナナリウス、常に予知を使って皆に危険を報せろ。もし、それが我が軍全体に影響しかねないものだったら、これを使え」
リディンは一つのガラス瓶を手渡した。
コルクで封を施されてあり、中は空である。
「これは?」
「私が目くらまし用に作った特殊な煙幕だ。勝ち目が無いと判断したらそれを地面に叩きつけろ。それを退却の合図にする」
「……わかった。でも、使う時が来ない事を願うしかないね」
慎重に懐へしまい、それを見届けたリディンは作戦方針変更の号令をありったけの声量で叫ぶ。
「総員、ファランクス解除!銀色の壁に隠れている敵を排除し手柄を立てろ!敵兵の首一つにつき報酬は金貨百枚だ!」
莫大な報酬にそこら中から鬨の声が上がった。
盾兵は剣に持ち替えて小雨となった銃弾の雨の中、飢えた獣のように飛び出した。
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「迫撃砲射撃用意……てええええええっ!」
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「うおおおおおおっ!」
「突っ込めええええっ!」
銃撃が止み、その隙に心身を燃やすように突撃する聖マリアス国の兵士たち。
直後、リディンたちの遥か後方、その全部隊の中ほどの至るところで兵士たちが土煙と共に吹き飛ばされた。
それは幾度も起こり、続いている。
その異常にリディンたちが気付いたのは、事が起こり始めてから三十秒が経とうという時だった。
「な、なんだ?!」
「どこから仕掛けてきたっ?!」
「これはまさか……」
兵站を積んだ馬車に起きた謎の現象が、リディンの脳裏に思い起こされた。
「あの馬車の時も、敵の攻撃だったとでもいうのか……!?」
「なんだってっ!」
ナナリウスが頬を引き攣らせる。
「おいおい冗談だろ?何人も同時に吹き飛ばす武器を持ってて、しかもホイホイ使えるって?それじゃあ俺らはカイラス何人分と戦ってるんだよ」
シャルフは相手にしているのが絶大な力を有する者たちと知り、戦いを諦めかける。
リディンは折れそうになる意志をどうにか奮い立たせて、今どうすべきかを考えた。
「(撤退するべきなのだろう。だが、前線の敵が退いたのは、もしかしたら武器が尽きたからかもしれん。であれば、この強大な破壊力を持つ攻撃もそう長くは持たないかもしれん。
……全て、希望的観測に過ぎないな。だが、このまま母国に戻れば聖騎士といえども厳罰に処され、上級兵士の者たちは恐らく処刑される。一般兵らも敗残兵として皆も国内での当たりは強くなる。
誹りを受けながら生き永らえるか、賭けに出てここで兵士として死を迎えるか……)」
その時、決断を促す転機が訪れた。
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「射撃止めっ!作戦通り、火を放って撤退する!」
敵が土嚢に辿りつく前に素早く撤退を完了させ、ドラム缶を撃って土嚢に火を点けた。
アルス村での戦闘の報告を受けた伍代は一瞬、言葉を失った。
「……まさか、己の命を省みないやぶれかぶれの特攻をしてくるとは」
「こうなっては、M LRSの使用を躊躇う必要はないのでは?」
「それはやりすぎでは……」
「そんな事を言っている場合ではないと思うがね」
同じ自衛隊内でも意見が割れていた。
今後の外交への支障を懸念しての声か、現場にいる自衛官の命を慮っての声か。
どちらも正しいのだろう。それは皆分かっていた。
だから、議論は平行線を辿ろうとする。
このような時に必要なのが鶴の一声。
総理が長机に手を置いて、それぞれの顔を見渡してから言った。
「全部隊を撤退させ、戦線を下げる」
自衛官の安全を確保する決断だった。
他国の戦争で自国の貴重な財産が必要以上に奪われるのは容認できない、そういった感情に基づいた発言だった。
同時に、すでに同盟国としての義理も果たしたはずだとも。
それを確認するために、セレスティアへ許可を求めた。
「敵国の戦力を可能な限り削りました。ですが、死も恐れない者が相手では、これ以上の戦闘継続はいたずらに我が国の財産を散らしてしまうだけです。
今から自衛隊をアルス村から撤退させ、王都まで後退します。宜しいですか?」
「……ええ、十分すぎるほどです。早く兵を安全圏まで移動させてあげてください」
「ありがとうございます」
沈痛な面持ちで互いに謝意を示し、総理は通信士に撤退の指示を与えた。
横目でそれを見ていた統合幕僚長は、こうなった原因を間接的に呟いた。
「技術力の圧倒的な差を見せつけてしまったのが敗因かもしれない……」
一方、カイラスとハインが向かっている村の外の岩陰。
まだ彼らが肉眼では米粒程度の大きさに映る距離から、地面に伏せてスナイパーライフルのスコープを覗き込む自衛官と、同じく隣に伏せて双眼鏡を覗く自衛官がいた。
発する声もなく、鼓膜を刺激するのは風の音と自分の呼吸音のみ。
手ブレで揺れる目標とレティクル。
照準は一人の目立つ男に定められていた。
常に変化する風を計算しながら、その時を待つ。
そして、それは案外早く訪れた。
まだ目標との距離が1.5kmほど離れているが、スナイパーは今しかないと判断して引き金を引いた。
スナイパーライフルの銃身は射撃の反動でマズルが上に跳ね上がり、覗いていたスコープが一瞬空を映してから再び前方を映し出す。
間髪入れず、ボルトを引いて次弾を装填する。
隣のスポッターは目標への弾着確認を行って、スナイパーへ報告した。
「左肩部に命中。致命傷に至らず。二射目用意」
再度スコープ内に仕留めきれなかった目標を収め、今度こそは頭部を外さないようにと意気込んで調整する。
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「ぐああああっ!」
いきなりカイラスが左肩を抑えて叫び出し、近くにいた兵士が驚いた。
「いかがされましたかっ?」
「肩がっ……矢が当たったみてえだっ」
激痛に顔を歪ませ、負傷した箇所を見る事もままならない様子。
代わりに兵士が押さえている左肩を見るが、矢が刺さっているようには見えなかった。
「カイラス様、矢は刺さっておりません!」
「んだとっ!そんなはずは……なっ?!」
痛みに顔を歪ませつつも自ら確認すると、確かに矢は刺さっていない。
にもかかわらず、押さえた手の間からドクドクと出血している。
「貫通したのかっ……!?」
兵士数名が周囲の地面に落ちているだろう矢を探すが、どこにも見当たらない。
戸惑いを見せ始める兵士たち。
だが、そんな事など気にせず自分の感情のままにカイラスは動く。
「ふざけやがってっ、弓をかせっ!」
強引に兵士から装備を奪うと、肩の激痛に構わず遥か遠くに見える岩陰に向って弓を構えた。
「あそこから狙ってきやがったはずだ、ブチ殺してやる!」
怒りの言葉に反応するように、持つ弓と矢が赤い光を纏った。
そして、弦を引ききって矢を放った。
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スポッターが目標の異変を察知してスナイパーに伝える。
「狙撃中止。撤退する」
「了解」
二人が腰を上げた瞬間、弓矢の射程外のはずのこの場所まで矢が飛んできた。
咄嗟に頭を抱えて身を守ると同時に、二人の姿を隠していた岩が矢を受けて粉々に弾け飛んだ。
一瞬呆然とする二人。
しかし、すぐに近くに停めてある高機動車へ乗り込んでその場から離れた。
「ちっ、逃げるのかよ!ここからじゃあ追い付けそうもねえ……部隊転進だっ!村の野郎どもと合流するぞっ」
部隊が方向転換し村へ向かう。
だが、ハイン一人だけは砕けた岩の方を見ながらカイラスへ一言告げた。
「あれだけは始末してくる」
「……任せた」
溢れる怒りを低く小さい声に乗せて、仕返しを頼んだ。
ハインは小さく頷くと、百メートル間隔で瞬間移動して逃げ去る敵を追った。




