#109_意外な伏兵
浩介の刃が亜戯斗へ吸い込まれる直前。
「マリーレイアよ、体を借りるぞ」
「え?」
占い師は承諾を得る間も惜しみ、言うや否や、マリーレイアの体は憔悴しているとは思えないほどの俊敏な動きで浩介へ向かって駆け出す。
「このぉ、戯けがあっ!」
占い師は怒声と共に、浩介の横っ面に鉄拳制裁を加えた。
よろめきながら何が起きたのかと振り向くと、マリーレイアがきっと睨んで両手を握り締めて立っていた。
頬を押さえて呆然とマリーレイアを見、その小さな体から発せられた声はどういうわけか占い師のものだった。
「いとも容易く己を見失いおって!今一度、おぬしの心に問うてみよ。激流の如きその怒りは、真におぬしだけのものであるのかをっ!」
しっかりと地面に立って浩介の心に訴えるその毅然とした姿は、か弱い外見とは裏腹に威風堂々たるものだ。
言葉こそ荒いが感情に寄った物言いではなく、道を正そうとするそれだ。
思いのこもったそれをぶつけられても怒りを抑えきれない程に浩介の感情は溢れていた。
「こいつらは殺しておくべきだ。生かしておいては私の大切な人たちが凌辱されてしまう」
「ここまで痛めつければ、あとはわしが石を取り上げるだけで良いじゃろうが」
「それだけでは不足だ。こういった手合いは執念深い。復讐を果たすためなら手段を択ばず成そうとする害虫だ。見逃す理由はない」
「……ところでおぬし、自分の言葉遣いが変化しておるのに気づいておるか?」
「何?」
ぴくりと片方の眉が上がる。
占い師に指摘されるまで気付かなかった。
その指摘へなのか自身の変化に対してなのか、怪訝には思ったが正常な状態ではない浩介にはどうでも良かった。
「それがどうした、些細な事だ。私の邪魔をするな」
マリーレイアを無視して、浩介は再び亜戯斗の腹部へ刀を向けた。
その行動を見て、占い師はより一層怒気を孕んだ声で告げた。
「引っ張られ過ぎじゃ……おぬしがその気なら、もう遠慮はせぬ。この場はわしが預かる」
「何を言って……っ!」
マリーレイアの双眸がかっと見開くと、突然浩介は意識を失って糸が切れたみたいに地面に崩れ落ちた。
その後に柴犬へ声を掛ける。
「主様、お手間を取らせてしまいますが、後はお願いします」
「ワンッ!」
了解したと吠えた直後、柴犬の体がストロボみたいに二回明滅すると、同調したように浩介の宝石も二回明滅した。
それ以外に特に変化はなかったが、それを見届けた占い師は感謝の意を込めて頷いた。
同時に亜戯斗を閉じ込めていた見えない壁は消失し、体は自由を得た。
「お?なんだかわかんねぇけど動けるな。っていうか、なに急に寝てんだよこいつ」
「っていうか、せっかく誘拐してきた国王逃がされちゃあ、たまったもんじゃないよ。早く奪い返しに行くぞ」
「ああ。でもその前に……」
亜戯斗はうつ伏せで倒れている浩介へ歩み寄り、これまでの恨みを込めて無防備な背中を容赦なく踏みつけた。
背骨が折れた。
それでも目を覚まさない。
「あぁん?こいつ、気でも失ってるのか?それとも今ので死んだか?まあ殺すからどっちでもいいけど」
双剣を手に取って浩介の後頭部に刃を突き立てようとした途端、再び体の自由が奪われた。
止めを刺すまであと数センチの場所で手が止まっている。
「クソがっ、またかよ!なんなんだよテメェ、意識ねえのにジャマすんじゃねえよっ!」
「残念じゃが、これはわしの仕業じゃ」
思いも寄らなかった方向から声がした。
声の主は十歳前後の少女。
先程の浩介に対しての怒りを含んだ声色とは打って変わり、イタズラを暴露する子供のような話し方。
亜戯斗はまさかこんな子供に妨害されるとは夢にも思っていなかったというのもあるが、修羅場に怯まずむしろ得意げに種明かしをする子供に得体の知れない不気味さを感じた。
「……は?いやいや、子供はちょっと黙っててくれる?今大事なトコなの、わかるだろ?」
「そんなのは言われずとも分かるわっ。まあ、こやつがどうなろうと黙って見ていても問題はなかったが、確かに貴様らのような下衆をこのまま放置しておくのは世にとって害悪でしかないからのう。
それにしても、ほんに悪党が板についておる。未浄化の石との相乗効果じゃろうな」
「わけわかんねえコトばっか言ってんじゃねぇよ。いくらガキでも邪魔すんなら手加減しねえぞ?」
「指一本も動かせんというに、よく吠えるわ。それと、そこのもう一人。助太刀しようなぞ無駄じゃ。理由はわかっておるな」
首だけで竜也の方を向き、その言葉が真実であることを自身の隙だらけの背中を晒して語る。
いつでも好きなタイミングでトリガーを引けるはずの竜也は、アサルトライフルを構えた姿勢のまま固まり、怯えた表情で口を震わせていた。
何が仕掛けられたのか知らない亜戯斗は、苛立たし気に竜也を叱責する。
「おい竜也っ、なんでもいいから早くこのガキの立場を分からせてやれ」
「……な、なんだ、これ」
「ちっ、何してんだよ、早く撃てよ」
「からだが、動かない、動かないんだよ!」
「なっ、てめえもかよっ!どうなってやがんだ……」
石像みたく動きを固められた二人は、片や不自由に苛立ち、片や初めての束縛にパニックを起こしかけている。
占い師にいつまでもこの反応に付き合っている趣味はない。
冷ややかな目でそう告げながらマリーレイアの口を開く。
「わしは無駄な時間を費やす趣味はなくてのう。下衆に打って付けの方法で処断してやろう」
「ああっ!?うっせえっ。それよりもこの変な術はてめぇの仕業なんだろ。とっとと外しやがれ、卑怯だぞ!」
「自らの行いを棚に上げて他者を罵るのは、さぞ楽で気持ちが良いのだろうな。元々はその素質もあったとはいえ、石に拍車をかけられた末路というのは僅かばかりスッキリせんが仕方あるまい。
恨むのであればその性根と人間関係、そしてここに来ることになった運命じゃろうて。今生は運が無かったと同情はするが、死する者への手向けにその腐った性根を叩きなおしてやろう」
束縛から逃れようと身じろぎするが、宝石の力を纏っているとはいえ予備動作なしの動きに大きな力など宿るはずもなく、謎の拘束力に抗えない。
マリーレイアへ向かって大声で喚き散らかす。
「クソッ、おいこら、力じゃ勝てねえからってズルしてんじゃねえよ!早くこれ外せっ!じゃねえとボコすぞコ――――」
「では、さらばじゃ」
占い師は両手の平を二人にかざし、亜戯斗の言葉を途中でぶった切って死別の言葉を送った。
一言返す間もなく両手から光のレンズが飛び出して二人に当たった瞬間、亜戯斗と竜也はぴたりと動きを止め、仰向けに倒れる。
数秒後、二人は虚ろな目を宙に彷徨わせ、体を震わせながら微かな声を上げた。
「……あ、ああぁ、ち、ちがう、やめろ、そんなつもりじゃ……ご、誤解だ、謝る、謝るから許し……あああああああああっ!」
「俺は関係ない、ぜんぶ亜戯斗のやろうが仕組んだんだ、俺は被害者だ、俺ならわかるだろ、なあ、い、いや、こっちに来るな、たすけ……うわあああああああっ!」
目を開けたまま仰向けの姿勢で震えながら命乞いと悲鳴を上げる。
そして、悲鳴を上げた後は再び命乞いを始める。
それを繰り返している。
それを見るマリーレイアの瞳に同情はなく、当然の結果だと物語る。
元々二人に興味もないのですぐに倒れている浩介の傍に行き、膝を着いて宝石をこつんと叩いてシスターを呼び出す。
「はい、御用でしょうか?」
「うむ。まずは敵対していたあやつらの石を回収じゃ」
「了解しました!」
元気よく返事をすると、ものの五秒で仕事を終えた。
占い師は次の指示を与える。
「もうここに用はない。じゃが、敵の増援がこちらに来ておるらしくての。ちと強引な方法にはなるが、この場から引き揚げじゃ」
噂をすれば影が差す。
物々しい音が通路の奥からこちらへ近づいてきた。
猶予はない。
「わかりましたっ、私は何をすればよろしいでしょうか?」
「わしがおぬしに力を貸す。それを使ってここの天井をぶち抜いて逃げるとしよう」
「かしこまりました!」
敬礼でもしそうなシスターに軽く頷いて、犬のいる壁際へ向き直る。
「主様、大変お待たせして申し訳ありませぬ。用事を終えましたゆえ、すぐにこの場から去ります。窮屈な思いを強いてしまう事をお許しくだされ」
「ワンッ」
犬はマリーレイアへ駆け寄り、抱え上げられた。
そのまま占い師はシスターへ力を送り、その奔流は薄緑色に輝いて可視化できるほどに膨大だった。
「せやっ!」
バフを受けたシスターは真上に拳を突きあげると、天井が吹き飛んだ。
空いた穴からは夜空が見える。
雲がたなびき、星々が煌いていた。
ぱらぱらと木片や石の破片が落ちてくる中、今度は拳を突き上げた方の腕で浩介を抱えた。
抱えられたまま占い師は、思い出したかのように二人の適正者へ一言。
「ああ、ちなみにわしが貴様らを動けなくしたのはこやつと同じ方法と思っていたようじゃが、わしのは金縛りというヤツでの。少しの知識があれば容易く抜け出せたはずなんじゃが……ま、聞こえてはおらんよな」
シスターは短い気合と共に天へ向かって飛び上がり、屋根の上を飛び木を蹴って颯爽と逃亡。そうして、ひとまずは人気のない港付近へ移動した。
港に着くとすぐにマリーレイアを下ろす。
浩介は意識が無いのでそのまま担がれている。
「ふむ、夜釣りしておる者がいるやもと思うたが、おらんようで幸いじゃ」
「これからどうするのですか?」
「ほとぼりが冷めるまで身を潜めるしかあるまいて。問題は、今のわしらの力ではこの国から出られぬという点。
最悪、森や山で生活せねばならぬじゃろうなぁ」
雨風を凌げる家もなく、完全な自給自足生活を想像して深く大きな溜め息を吐く。
憂いが伝わったのか、シスターが一つ発言した。
「この国ではまだ存在を知られていない私なら街で買い物が出来ますので、食料は任せてください!」
「おぉ、確かに。金はこやつの懐から頂戴しよう。じゃが、最大の問題は住処じゃ。この細い体では一晩雨に降られただけでも死んでしまいかねぬ」
占い師は首を下に向け、所々に骨の浮き出る栄養不足がはっきりとわかるマリーレイアの体を憂いていると、その口から別人のように弱弱しい声が発せられた。
「ここからちょっと歩くけど、私が住んでたおうちはどう……?」
不安げな声色は、その体の正真正銘の持ち主のマリーレイアのものだった。
あの未来視を経験したことで、妖精を自称する存在と一つになるというのはどういう事かを少しは知ったのだろう。
不安を押し殺しきれないけれど、出来る事はしなければならないという思いがその言葉からは感じ取れる。
心が壊れていた頃と比べて目覚ましい変化に嬉しくなった占い師は、声を弾ませて是非にと頼もうとしたが、寸でのところで少女の過去を思い出し、トーンを落とさざるを得なかった。
「おおっ、じゃが……良いのか?そこはおぬしにとっては……」
「もう、だいじょうぶ。ママとパパとちゃんとおはなしできたから。思い出すとまだ苦しくなっちゃうけど、まえよりはへいきだから」
「そうか、強くなったのう」
健気な少女を労わる。
これらの会話は、マリーレイアの一つしかない口を二つの人格が交互に使ってなされていた。
本人たち以外からすれば、気味悪がられるのは間違いない。
しかし、シスターも犬もそこに二人がいると分かっているからか、当然の如く受け入れていた。
「では、案内を頼む」
「うん」
マリーレイアは港の端から伸びる、舗装されていない雑草の生い茂る細い獣道を進んで行った。




