#103_少女の過去(2)
閉じ込められて少し経った頃、食べ物を運んできてくれた人と偶然遭遇した。
まだ動いている心の赴くまま、急いで声を掛けた。
「おねがいです、ここからだしてください。ママとパパにあわせてください」
「……はぁ」
その人は小さく息を吐いて銀色のトレイをその場に置いて、何も言わずに出て行った。
そして再び鍵か掛けられた。
もう、誰も私と話してくれない。
「……からだ、かゆい」
ここにはお日様が無いから今が夜なのか昼なのかも分からないし、何日経ったのかもわからない。
ご飯がどのくらいの時間を空けて運ばれてくるのかも分からない。
幸い、トイレは部屋続きですぐ隣にあったから困らなかったけど、ここの様子がおかしくなってからお風呂にずっと入れていない。
体中のいたるところが痒くなり、ひっかきすぎて血が出て最初こそ少し怖かったけど、それもいつもの事だと思うようになるまで時間はかからなかったと思う。
着ている服も所々ほつれが目立つようになった頃、変化があらわれた。
いきなりドアが開くと、宝石の部屋で怒られていたあの人が神官二人を連れて来た。
私を虫けらのような目で見ると、二人に指示を出した。
「押さえろ」
大きな足音を立てて私へ近づいてくる。
身の危険を感じて逃げようと後ろを振り返るけど、こんな広くもない部屋では逃げるのなんて無理だった。
なすすべなくあっという間に両腕と両足をがっちりと握られて体の自由が奪われた。
「や、こ、こないで、はなして……」
殺されるかもしれないと思うと体中が震え、大声を出そうとしても喉も委縮してしまったみたいで、蚊の鳴くような音しか出ない。
すぐにあの人が手にナイフと何か皿のようなものを持って私の隣まで来ていた。
その人は手紙でも書く時のような無表情な顔で、私の腕にナイフを押し当てて、切った。
「うああああああああああっ!いったあああいいいいいいいっ!ああああああっ!」
体に傷を負わされてから初めて大声が出た。
涙も出た。
痛みで泣き叫ぶ私の腕から、血がどくどくと流れ出す。
その血が流れ落ちる先は、皿の上。
こんな苦痛、早く終わってと強く願う。
顔色一つ変えずに人を傷つけるこの人は、自分のしたい事のためにはどんな手も使う人なのだろう。
そんな人に好いようにされるのであれば、痛みを感じる体と心なんかあっても苦しいだけ。
全てに諦めて、私は心を動かすことをやめた。
それからも何度も同じことをされたみたいだけど、よく覚えていない。
生きている事がどうでもよくなった私は、機械的に目の前にあるものを無意識に食べ、所構わず排せつ物を垂れ流すようになったらしい。
そうなった私でも、時たま心が発作を起こして、激しい感情に流されるまま周囲の物に当たり散らかす事もあったようだ。
手が勝手に木炭を持っていろんな場所に絵を描いてその世界の物語を夢想し、その世界に没入する事もあった。
でも結局は、また何も感じなくなる。
今まで、ずっとこれを繰り返してきた。
もう、苦しいのはイヤ。
痛いのはイヤ。
生きていても辛い事しかないのだったら、もう何も聞きたくない、何も見たくない、何も感じたくない。
もう、何も。
「こんな……こんな幼子に……これが人のする事かっ!」
少女がどうしてここに来たのか、その経緯を知るために記憶を探ったはずだったが、とんでもない過去が見えてしまった。
こうなっては目の前の少女を放っておくなど出来るわけもなく、少女を救える方法は無いかと模索する。
だが、どれだけ思考を巡らせても、壊れた心を元に戻す方法は浮かび上がってこない。
その時、この場にそぐわない能天気な女の声と共に、青い靄から少し離れた場所に緑色の靄が現れた。
「何かお困りですか?」
「ああ、貴女か。いい所に来てくれた」
「はあ。というか、この女の子はどうしてここにいるのでしょう?」
「それも含めて知恵を貸してもらいたい」
この少女の心がこのようになってしまった原因をかいつまんで話した。
青い靄の話が続くにつれ、顔が見えないはずの緑色の靄の顔がだんだん怒りに満ちてきたのが伝わって来た。
話を聞き終え開口一番、怒声を上げた。
「許せません!いくら神様が赦しても、必ず彼らには罰を受けてもらいます!ええ、この私が直々にっ」
「同感だ。とはいえ、まずはこの少女の心をどうにかして正常に戻す方が先だ。何か案は無いか?」
「そうですねぇ」
体があれば腕を組んでいるだろう。
暫し考えて、思い付いた案を口に出した。
「辛い記憶を消し去ってしまうのはどうでしょう?」
「私もそれは考えたが、駄目だ。連れ去られてからの記憶を消したとしても、両親の死は誤魔化せない。しかも、殺された現場を見ている。その時点で既に少女は限界だっただろう」
「……本当に許せません。殺しても殺し足りないです」
「まずは、何でもいいからこの少女に言葉なり意識なりを伝えられなければ進まない。どうしたものか……」
「せめて、もう一度だけでもご両親と会わせてあげたいです。あんな別れ方は辛すぎます」
「そうだな。それが出来れば、この娘の心を呼び戻せるかもしれないが」
「魂を呼び戻すとか姿を作り上げるなんて芸当、私たちにはできませんし……」
束の間の無言を挟んでから、青い靄はどこか希望を見出したかのような声色で言った。
「いや、もしかしたらだが……確か、貴女の大元の得意技能に夢見があったはず。その力で少女の夢の中に投影できないだろうか」
「なるほど!あ、でも、主さまは今は酷く弱っていて力が制限されていますから、夢見は……」
「手詰まりか……」
振出しに戻ったかと思ったが、緑色の靄がはっと気付いたように声を出した。
「いえ、待ってください」
「どうした?」
「聖石のエネルギーをこちらに供給できれば、夢を作るくらいなら私でもできるかもしれません!」
「だが、どうやって持って来るというのだ」
「天使さまにお話しして、こちらと聖石を物理的に接触させるしかありませんが、宜しいですか?」
「私は構わないが、それによって生じる影響を話して了承を得なくてはならんだろう。この方法が取れるかどうかは彼の決断に依る。まずは話してみよう」
「では、早速」
緑色の靄は急速に萎んで消えた。
残った青い靄は、やり切れない声音で呟く。
「これから待ち受ける過酷な人生を選ぶか、見殺しを選んだ罪悪感を死ぬまで引きずるか……」
少女の体が光に包まれたと思うと、今度は少女に触れさせた青い宝石からシスターが現れた。
「ど、どうしたんだ?」
呼んでもいないのにシスターが出てくるとは、どういうことだろう。
その理由を問うよりも先に、シスターがガラにも無く真剣な顔で占い師に言った。
「この少女の心は完全に壊れてしまっています。今の私たちではどうにもなりませんが、一つだけ可能性のある方法を彼が思い付きました」
「そうか。申してみよ」
不思議な空間での話し合いをかいつまんで伝えると、占い師は目だけを動かして後ろ暗そうに浩介を見る。
「じゃが、それではこやつが……」
「はい、ですので決断は天使さまに委ねる、と」
「そうか……」
ずっと隠し事をしているような表情のまま。
これから話の渦中に置かれる浩介と顔を向き合わせない。
訳が分からない浩介は、今のこの一刻を争う切羽詰まった状況もあり、説明を求めた。
「一体、何の話ですか。俺に何か関係があるんですか?」
「それは……」
口ごもる占い師は気のせいか、更に少し顔を背けたように見えた。
気持ちを察したシスターが助け船を出す。
「主さま、私がお伝えしましょうか?」
一拍置いて、占い師は首を横に振って告げる。
「いや、こうなってしまったなら、わしが伝えなくてはならぬ話。気持ちだけ受け取っておこう」
これは良い話などではなく、その凶報の中身は全くもって予想がつかない。
だから、身構えた所で無意味だ。フラットな心持ちで占い師の言葉を待つ。
占い師は数秒だけ目を瞑ると、大きく息を吸って目を開き、浩介に告げた。
「先ほどの話の通り、おぬしの石と聖石を触れ合わせれば、教皇の心を取り戻す可能性は生まれるじゃろう。じゃが、それと引き替えに、おぬしから失われてしまうものがある」
「俺が失うもの……?」
「おぬしがその青い石と契約をした時、酷い痛みが襲って来たじゃろう。何故そのような事になったか。その理由は、おぬしの体が少し書き換えられたからじゃ」
「俺の体が、書き換えられた?え、どういう事ですか?」
何に書き換えられたというのだろうか。
宝石と契約する前後で変わった事といえば、超人的な身体能力と思い描いた武器の創造くらい。
他に何かあっただろうか……。
「その石は本来、人に人を越えた力を付与する能力は備わっておらぬ。この世界の人間が石と契約したとて、そやつのような者を召喚して石の能力の一部が使えるようになるだけじゃ」
「えっと、バルガントみたいな使い方になるって事か……じゃあ、どうして俺は、いや俺たちはそんな力を使えるんですか」
スタングレネードの効果が未だ薄れず、苦痛と混乱でよろめく適正者二人を見た。
「このような事は初めてで断言はできぬが、おぬしらが異世界の人間であるからじゃろうな。おぬしらの体が変化したのは見ただけで分かる」
この世界に来る前、富士山中のブラックゲート前で総理が言っていたエクスドール。
初陣の時に聞いてた話と違うと思ったが、その理由がいま明らかにされた。
しかし、そうなると身体強化だけでなくシスターをエクスドールとして呼び出せる事の説明がつかない。
が、今は余計な口は挟まずに占い師の話の続きを聞く。
「その青い石は、この世界を支える四つある聖石の中の一つから生み出されたもの。小型とはいえ、その石の持つ潜在能力は絶大。その力を使うには、体をこの世界と石と精神体に適応させる必要がある。
この世界の大気中には瘴気が少量混ざっておるが、この世界の者たちは生まれながらにして耐性を持っておる。
おぬしの場合は体の構造をこの世界に合わせ、瘴気の耐性を付与し、更には力を使えるように調整を施さねばならんかった。
この世界の者が契約者であったなら調整だけで済み、精神体を使役するだけに留まるのじゃが、おぬしはそうはいかんかった。
その副産物が、おぬし自身の強化ということみたいじゃな」
「はあ。でも、それってそんなに深刻そうな話なんですか?」
無垢な顔を見て、占い師は辛そうに目を細めた。
「おぬしはもう、純粋な【人】ではない……」




