#100_救出作戦
地下へ続く狭い階段を下りる。
ライトで照らすのは、見張りに気付かれないよう浩介の足元付近のみ。
ここからは前情報なしの探索になる。
更に、空気の足場を作るために地形把握が必須で、移動速度はどうしても遅くなる。
空気の足場は音を吸収するだけのメリットしかないわけではなく、ドアや壁に触れてしまえば圧がかかり、罅が入ったり最悪粉砕してしまう。
なので、使用できるシーンは限られるのだ。
抜き足差し足で階段を下り、浩介は片手を上げて立ち止まって目を閉じて耳を澄ませる。
強化された聴覚に届いたのは、近くの部屋から数名のいびき。
「……ん?」
それ以外には物音はしなかったのだが、音の反響が奇妙な聞こえ方だった。
小声で憶測を伝える。
「この先は入り組んでるみたいです。見張りはいないようなので明かりは普通に使っても良いと思いますが、そこかしこで寝息が聞こえるので、これまで通り静かに移動しましょう」
「……ここまで完璧にエスコートされると、自信を失くすな」
「適材適所ってやつですよ」
浩介がスマホのライトで先を照らすと、右に曲がる道しかなかった。
曲がって数歩進むと、今度は直進と左に道が分かれた。
「変な造り」
どちらの先からも寝息が聞こえる。
果たして、救出対象のガルファや教皇は本当にここにいるのだろうか。
この寝息のどれがガルファらか確かめるには、ドアを開けてなくてはならない。
一発で当たりを引ければ良し、さもなくば気付かれる前に部屋を立ち去るか息の根を止めるか。
直進か左折かを隊員らの顔を見て窺うと、左と指示された。
全容が不明なら、外側からマップを埋めるのが最善なのだろう。
左折して数歩進んだ後、両側の壁にドアが一つずつあった。
中からは特に音はなく無人のようだったが、その先から一人分の足音が近づいてきた。
急いで引き返すよう促すと、すでに隊員たちは先ほどのT字路を二手に分かれて、足音がどちらに来ても対応できる準備が整っていた。
浩介と占い師は、来た道を戻って息を潜めて様子を窺う。
少し慌ただしくしてしまったが、歩行速度は変わらないので気付かれてはいないようだ。
足音の方向から、声が聞こえた。
「……ったく、なんだあのオヤジ。あれ持ってこいこれ持ってこいって。何者かは知らねえけど、牢番を召使かなんかと勘違いしてねぇか?……くんくん、おええっ!くっさ!あの部屋によく平気でいられるよな」
ブツクサ言いながら、足音は先ほど見つけた左側のドアを開けて中に入った。
今なら急いで通り抜ければ気付かれずに先に進める。
しかし、あの足音の主の言葉が気にかかる。
「(そのオヤジっていうのは、まさか前国王か?牢番が何かを取りに行かされている途中であれば、その後を付ければ……)」
独り言が聞こえなかった救出隊員たちが、この隙に移動しようと身を乗り出した。
急いで手を伸ばして制止したので、督責するような目を返される。
彼らの鋭い眼光に浩介は一瞬怯んだ。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
すぐそばの隊員に言葉短く耳元で制止した理由を話すと、一秒か二秒考えた後に反対側にいる隊員にハンドサインで待機を伝えた。
壁から乗り出しかけた体を引き戻し、再び息と身を潜めた。
しばらくしてから通路の先で再びドアの開く音がして、足音が遠ざかる。
程よく距離を置いてから見失わないように後を付ける。
道をくねくねと右へ左へ折れ曲がった後に足音は止まり、ドアの開く音がして声が聞こえた。
「ほら、ご所望の品だ。掃除もいいけど、あんた顔色悪いぞ。どこか具合でも悪いんじゃないのか?」
「はっはっ、それは部屋の照明の光度が足りぬせいではないか?心配には及ばぬ」
「そうか、ならいいけどよ。あんたに何かあったら責任とらされるのは俺なんだから、気を付けてくれよ」
「おぬしも大変だな」
「あんたが言うな」
言い捨ててドアを閉めると、鍵をかけて部屋の前で待機する。
「……お前、臭うぞ」
「だろうな。家内の鬼の形相が目に浮かぶよ……」
曲がり角から顔だけを出して様子を探ると、ランタンを持った見張りが二人立っていた。
それ以外に通路を照らす明かりはない。
音を立てなければ、ある程度まで接近しても気付かれはしないだろう。
だが、問題は部屋への侵入方法だ。
見張りがいては、どうやっても気付かれずに忍び込むのは不可能だ。
加えて、この近くに見張りの詰め所が存在しないとも限らない。
どうしたものかと考えあぐねていると、犬が占い師の裾を引っ張っていた。
最初こそどうしたのかと困惑していたようが、はっとしてから浩介へ耳打ちした。
「主様がここまでおびき寄せると申されておる。それでも持ち場を離れるのは一人だけじゃろう。そやつをとっ捕まえて刃物を突きつけながら、もう一人の見張りの前に出て声を出すなと脅す」
「……まるでこっちが悪役みたいだ」
「綺麗事だけで世の中は回っておらんよ」
隊員たちに説明すると、三人の隊員が浩介と位置を変わって先頭に立った。
ライフルの先に付いていたサバイバルナイフを外して、準備は良いと頷いた。
犬が見張りへ向かって歩いて行く。
確認できるのは音のみ。
視覚情報は何一つ入ってこないまま固唾を呑んで待つ。
「ワンッワンッ!」
「犬?どうやって入って来たんだ?」
「上の入口ちゃんと閉じたのか?」
「もしかしたら、他の奴が閉め忘れて迷い込んだのかもしれないな。どれ、俺が外に連れて行こう」
「悪いが頼む。俺が近寄ったら臭くて泡吹くかもしれないからな」
「ワンワンッ」
釣れた。
犬の足音と一人分の足音がどんどん近づいてくる。
浩介は自分が捕縛するわけでもないのに、緊張で鼓動が強くなる。
大きくなった鼓動が数回胸を打った時、曲がり角から犬が飛び込んできた。
直後、足音も角を曲がってその姿を現す。
同時にナイフを装備した二人が動いた。
「何も……っ?!」
一人が落としそうになったランタンを奪い、一人が見張りの右手首と左肩を取ってくるりと体を回し、いつの間にか結束バンドを用意していた三人目が両手首を後ろで縛った。
ランタンを持ちながらナイフを喉元に突きつける。
部屋の前の見張りが異常に気付き、その場から声を掛ける。
「おい、何か言ったか?」
返事がなく怪しまれるはずだが、この状態に持ち込めればもはや些事。
ランタンを置き捨てると、見張りにナイフを突きつけたまま部屋の前へ向かう。
「聞こえないのか?」
不審に思った見張りが一歩、二歩と進み、慎重に前方を探った時、ランタンの灯りが見張りの姿を薄っすらと照らす。
立ち止まって声を掛ける。
「なんだ、返事がないからどうしたのかと思ったぞ。それで、犬はどうし……」
ぼんやりと照らされた仲間が一歩、また一歩と近づき、輪郭がはっきり見えるようになった。
見えた彼の顔は強張っていた。
彼の喉元にはランタンの光を不気味に反射するナイフ。
一瞬でその正体が分かると同時に何者かのシルエットがぼうっと浮かび上がり、侵入者の出現に緊張が走った。
「……何者だ」
異世界の言葉が分からない隊員たちに代わり、浩介が答える。
「騒がないでもらいたい。そうすれば手荒な真似はしない」
「何が目的だ」
「この部屋の鍵を渡してもらおう」
余計な情報を与えないように慎重に言葉を選びながら話す。
鍵を渡せと言われた見張りは暫し躊躇いを見せ、大きく息を吐く。
そして、叫んだ。
「侵入者だっ!捕虜が狙われているっ!絶対に逃がすなあっ!」
「狙いは捕まえた老人だっ!」
まさかの仲間の命など勘定に入れていない大胆な行動に、浩介はひどく動揺した。
そして、ナイフを突きつけられている本人も、己が命も顧みずに大声で騒ぎ立てた。
「嘘だろ、おい……」
だが、隊員たちは動揺することなく速やかに捕縛していた見張りを後続に任せて、もう一人の見張りへ肉薄する。
仲間を呼ぶため、見張りは即座に踵を返して逃げようとした。
瞬間、カチャという無骨な音が聞こえた直後、毛布を針で突いたような音が連続で小さく響いた。
「うぁ……」
逃げ去ろうとした見張りは力なくランタンを落とし、膝から前のめりに倒れ伏して動かなくなった。
見張りの死亡を確認した隊員は、サイレンサー付きの拳銃をホルスターにしまう。
何が起こったのか。
いや、それは知っている。
頭で理解はしているはずなのだが、夢でも見ているように『射殺』という単語以外の事が何も考えられない。
呆然と立ち尽くしている浩介を余所に、隊員は死んだ見張りへ素早く寄り、鎧や衣服を検めて鍵を探す。
数秒もしないうちに、後ろから声が上がった。
「こっちに鍵はない」
振り返ると、捕縛されていた見張りは仰向けに寝かされて首から大量の血を流し、絶命していた。
そして今度は銃殺された方から声が上がる。
「あった」
扉を解放した。
部屋の中はいくつものランタンに照らされて視界は良好。
素早く室内の安全を確かめ、踏み入った。
「目標の生存を確認。加えて、同室内に少女一名を確認。指示を請う」
浩介の読み通り、ガルファがいた。
「……ま、まさか、助けに来てくれたというのか?」
歓喜に震えるガルファの声を聞いたおかげで、浩介の呆けた頭はどうにか元に戻った。
隊員におぶさったガルファは浩介の姿を認めると、目を瞠った。
「そ、そなたは確か、あの時ティアと共におった……」
「……そのお話はあとで。まずはここから脱出しなくては」
隊員たちは少女も保護した。
この地下通路、そして大聖堂から脱出するために来た道を戻り始める。
少女とすれ違った占い師は勢いよく振り返って叫んだ。
「この娘じゃ!」
「えっ?」
まさか、この十歳前後の少女が教皇候補だったとは。
とにかく、これで要人を一気に保護できた。
あとは大聖堂から無事脱出するだけ。
だというのに、浩介は何か見落としているような不安を感じていた。




