#1_狂った世界
「お前はどのような世界を望む?」
誰もいなくなった世界で、問いかける声。
「(キミが私を覚えている限り、ずっと一緒だよ)」
誰もいなくなる世界で、魂に響く声。
壺から溢れ出した災いは、世界を覆った。
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無風の荒野。
肉を切り裂く音と地面を擦る音が絶え間なく響く。
音の出どころは十人前後の戦士と、それらを相手取る一体の巨大な異形からだ。
牛に似た頭部には二本の角、背中にはコウモリのような漆黒の翼、肌は赤褐色で肥大した筋肉の鎧を纏っている。
まさにその姿は、様々な文献の絵から飛び出してきたようなイメージ通りのデーモン。
異形は暴れ回していた拳を止めて、両腕を天へ伸ばし、高密度の魔力の塊を頭上で精製し始めた。
「退避っ!退避ーっ!」
「そんなに必死に叫ばなくても」
「っていうかやばい。硬直長い技出しちゃったけど、もしかして死ぬ?」
「おけ。速攻で蘇生するわ」
「オネシャース」
この異形との戦闘の最中、私の体は私の意思と関係なく勝手に動いている。
戦場に響いている声も、ここで戦っている者の口から発せられているのではない。
何らかの方法でこの戦場全体へ響き渡らせているようだ。
その想像は恐らく正しく、張り上げた声ではないのに遠くの仲間にも届いている様子。
しかしながら、この声の主たちは一体どういう神経をしているのだろうと思う。
生きるか死ぬかという局面だというのに、談笑しながら戦っている。
よほどの命知らずか、それかこの程度は朝飯前だと言えてしまう英雄のどちらか。
ここまでの戦働きを見る限り、英雄に足るような人物は一人もいない。
かく言う私も、体が自由に動かせないので人の事をどうこう言えた立場ではないが。
現状で前に出過ぎている人物は三人。
防御力の高そうなプレートアーマーと大きな盾で身を固めた大剣の戦士。
ブーメランパンツに浮き輪を首にかけながら双剣で戦う、気持ちが先走っているにもほどがある男。
彼に何があったのか、パンダの着ぐるみを着て拳で語り合う者。
大剣使いはともかく、なんだあのふざけた格好は。本当に遊びに行く途中みたいではないか。頭が痛くなってくる。
彼らは外見は男(パンダは性別不明)。
だが、会話の内容からして、そのうちの誰かが女性の声を発している。
ホルモン注射や声帯手術でも受けたのだろうか?いや、これ以上はデリケートな話だ、詮索はよそう。
パンダは火球攻撃の範囲から逃げるためにこちらへ走ってきている。
残った二人はその場に留まり、重戦士は大剣で斬りつけ、ブーメランパンツは双剣で切り裂き続ける。
何故だかその姿に絶望や諦念のような負の感情は感じられず、ただ機械のように同じようなモーションの攻撃を繰り出していた。
デーモンは二人の斬撃だけではなく、離れた場所にいる戦士たちからの驟雨の如く放たれる矢と銃弾、魔法を浴びせられているが怯みもしない。
突如、大剣の戦士の体が一瞬光った。
盾を背中に仕舞い大剣を両手で持ち直し、力を込めた大ぶりな横薙ぎと上段の構えからの袈裟斬りを繰り出した。
「お、良いダメージ入ってるじゃん」
「準備中は案山子だから気兼ねなく大技出せるよね。撃ってる最中と後の隙がでかいからこういう時しか使えないけど。このあと死ぬけど」
「すんません」
「あ、そろそろ来るんじゃね?」
「もうちょいで倒せるだろうけど、一応バフ蒔いとく」
場違いな呑気な声に呆れていると、私と同じく退避している集団の中の一人が光った。彼が右腕を天に突き上げた途端、私の体は光に包まれて力が沸き上がってきた。
「さんきゅー」
直後、デーモンが頭上の巨大な火球を足元に叩きつけて周囲を焼き尽くす。
戦士たちといいデーモンといい、ここには己の身を考えない生き物しかいないのか。
近くで戦っていた二人は直撃を食らい、こちらへ走って火球から逃げようとしていた者も、残念ながら間に合わなかった。
「ばたんきゅ~」
重戦士が地面に伏し、力尽きた。
「やっぱこの攻撃は耐えられんよね。軽くオーバーキルだよね」
「ごめん、蘇生お願いします」
「待ってました」
女の声の重戦士は火球をまともに食らい絶命しているはず。
だというのに、声が出せるとは一体どういう事なのか。
私はデーモンの目の前で無残に斃れている人物へ駆け寄り、いつの間にか右手に持っていた薬瓶を横たわるそれへ振りかけた。
「蘇るがいい」
すると、死んでいた大剣の戦士がたちまちすっくと立ちあがり、何事もなかったかのように再び攻撃に参加し始めた。
「さんきゅー」
火球に斃れたブーメランパンツも誰かが薬を使って生き返らせたようで、数秒遅れて立ち上がっていた。
これは現実なのか、それとも私は悪夢でも見ているのか。彼らは不死の戦士だとでもいうのだろうか。
「モーマンタイ」
「え、それ何?」
「えっ、知らないの?マジで?うわー、これがジェネレーションギャップかー」
「歳を感じるよね……俺らもおっさんになったな……」
「こちとら、花のJDですからー」
「嘘くせー。今どきのJDは、ばたんきゅ~とか知ってるはずないだろー」
「いやいやウチおばあちゃん子だし。ホントだし。信じろし」
けらけらと笑い合う。
正気とは思えない。
生死をかけた戦いの最中なのに、この軽さはなんだ。いや、死んでも生き返るから、生死を懸けたとは言い難いかもしれないが。
私の想像する英雄像とは程遠い彼らだが、戦士としての力量は充分に備わっており、デーモンの攻撃を悉く避けては隙を突いて攻撃を差し込んでいく。
盾持ちの大剣使いは、味方への攻撃を防ぎながら威力の高そうな斬撃を繰り出している。
私は携えていた弓を背中に仕舞って刀に持ち替えて、他の戦士たちと共に正面からデーモンへ攻撃を仕掛ける。
巨大な拳から乱雑に繰り出される攻撃を刀の刀身でいなしてカウンターで切り返し、隙を見るや斬撃を見舞って攻撃の手を休めない。
客観的に見ると、私も歴戦の勇士のに値する戦働きをしているだろう。
後方からは弓や銃での援護、中距離からは魔法による味方全体の補助と攻撃、前衛は近接攻撃での攪乱と攻撃。
戦場に響き渡る場違いな会話には辟易しているが、個々の卓越した戦闘技術には舌を巻く。
それにしても、ジェイ・ディーってなんだ。新しい専門職か?
「瀕死からモーション変わるから気を付けてねー」
「言われても何がどう変わるのか、こちとら初見なんですけど」
「まぁ、攻撃速度が速くなるってのと、新しい攻撃が飛んでくる」
「ほー、なるほどよく分からん。多分死にまくるわ」
「次の蘇生は俺に任せろ!」
「さて、どちらが早いかな?」
「もしかして私、姫プされてる?」
「いや、どっちが早く蘇生させられるか遊んでるだけ」
「レイドボスだと、マルチの人も我先にってやってるよね」
「私恥ずっ」
「そろそろ攻撃パターンの変化くるよ」
この戦いの最中で遊びに興じているだと?
先程までの能天気な会話は辛うじて堪えることはできたが、さすがにこの言葉は度し難い。
私は渾身の力を振り絞って抗議の声を張り上げようとするが、やはり声は出ない。
どんなに力を込めても口を開くことも、瞬き一つすることも己の自由にならない。
自由なのは、思考と感情だけだ。
私の体は、どこか壊れてしまっているのだろう。
そんな私の無力感と憤りを余所に、戦況は移ろってゆく。
戦士たちが斬撃射撃打撃魔法を打ち出している最中、デーモンは大地をも揺るがしかねない程の強烈な咆哮をあげて、全身に濃紫のオーラを纏った。
これが奴の本気なのだろうか。
誰かが言った通りに、その後のデーモンの攻撃は目を見張る程に動きが機敏になり、単調だった動作は予測困難な連続技に取って代わった。
それでも戦場の戦士たちの大半はそれを熟知しているかのように易々と攻撃を躱し、ガードし、僅かに出来た隙に確実に攻撃をねじ込んでいく。
百戦錬磨の兵どもの活躍が目覚ましい中、変化に対応できずに幾度も地に臥せる者もいた。
その度に神の御業か悪魔の呪いか、例の不可思議な薬液を振りかけられると復活し、何事もなかったかのように攻撃を再開する。
もはや、生ける屍である。
勝利するまで死は許されず、戦いを強いられる地獄。
もしかしたら戦場に響き渡る声の主達は、この世界の無慈悲な理を幾度も経験して心が壊れてしまったのかもしれない。
気が触れているとしか思えないような言葉も、そう思えば同情の念も沸いてくる。
「お?おおお?痛っ!これ痛い!これ攻撃力も上がってない?」
「お気づきになられましたか」
「死にそうになったら一旦退いて回復して。即死級の技もちょいちょい飛ばしてくるから、次の為に動きを少しでも覚えておくと良いよ」
「わかったー」
「おぉ、さすが優しさの権化」
「いや、上手く戦えると楽しいじゃん?あ、もう退いた方がいいかも。攻撃によっては死ぬレベルだし」
「あい。んじゃ先輩方、あとはお願いしゃーす」
重戦士がデーモンから距離を取ろうと背を向けて走り出した瞬間、デーモンはその後ろ姿に右手をかざし、魔力を収束させたレーザーを放った。
「あ」
「あ」
「あ」
正確には重戦士を狙ったものではなく、もっと後方で戦っていた戦士を狙っていたものだったのだが、レーザーはその直線状に並んでいた重戦士の背中を貫いた。
背を打たれた重戦士は頭から地面に突っ込むように吹き飛ばされ、受け身すら取ることなく強かに全身を地面に打ち付けると、そのまま動かなくなってしまった。
一方、本命だった戦士はレーザーを難なく回避。
それまで賑わいを見せていた会話が止まった。
しかしそれも一瞬。女の嘆きと笑い声が大きく響く。
「なんでっ?!」
「嘘だろっ、こんなっ、こんなことってあんの?!スクショ撮っとけばよかったーっ」
「すげーっ!持ってるわー!」
「ちょっと、このタイミングで私に撃ってくるっておかしくない?!」
「やべぇ、腹痛い!」
「ちょ、のど飴さん笑わせないで!手元が狂う」
息も絶え絶えに言葉を紡ぐ……といったこの言葉は本来このような場面で使うものではないのだが、笑い過ぎて死にそうなのでまあ間違いではない、としておこう、今は。
傍にいた誰かが生き返らせたようで、嘆いていた重戦士も笑いながら前線に戻った。
その後からは笑ったまま戦いを続けるという、それはもう狂気としか思えない光景が繰り広げられて、私は戦慄した。
私の体はそれでも恐怖で竦む自由も許されてはおらず、デーモンに対して平然と刀を振るっている。
「そろそろ、終わりかな?じゃあ」
そんな声が聞こえた後、私の体が一瞬光り、刀を鞘に戻して抜刀の構えを取って気を練り始めた。
「気持ちよく終わりたいよねぇ」
「ん?」
「のど飴さん、大剣ってのは、こう使うんだよおっ!」
そう言うや否や、隣で戦っていた薄いピンク色のドレスを纏った女の大剣使いが一瞬光った。
大剣を両手で握りしめ、横薙ぎからの袈裟斬りがヒットするのに合わせるように、私の体は練っていた気を抜刀の瞬間に刀身へ纏わせ、神速の一閃を放った。
二人の攻撃が交わった直後、デーモンは呻き声をあげて地面に倒れ伏すと、その巨体は風に消えるように霧散していく。
デーモンの最期を見届ければ、斬撃や銃撃、弓矢による風切り音や魔法の発する音が全て消え去った。
驚くほどの静寂が、先ほどまでの戦いが幻であったかのような錯覚に陥らせる。
しかし、その静寂もすぐに打ち破られる。
「いやー、楽しかったわ」
「ね」
「楽しかったけど、あのレーザーはどう考えてもおかしいでしょ!」
「あれなー!あれ、どうやったら狙ってできるの?」
「うるさい!」
「いやー、ひと月分笑ったかも」
戦闘を振り返りつつ、時折茶化すかのようなやりとり。
死線を潜り抜け、全力で生きている実感を味わう事は非常に素晴らしい事だ。本来ならば。
あのような戦いを見た私には、とてもそうは聞こえない。
戦いが終わった今も、戦闘中の彼らの声と何ら変わりがない。
死ぬことが許されない、あの地獄のような現象。
あれが彼らをここまで狂わせてしまったのだろうか。
であれば、私の生きているこの世界は一体どのようなものなのだろうか。
そして、彼らはいったい何の為に戦っているのだろうか。