18.仏心奥義・仏炎掌
「──ふふ、そんなに怯えなくてもいいのよ、痛いの一瞬だけ……それからはずっと、父娘仲良く、私の"力"の一部となって生き続けるの♪ ねぇ、それって素晴らしいことだと思わない?」
鬼蝶は"羅"の文字が赤く光る瞳を歪め、陰惨な笑みを浮かべながらそう告げると、二本の前足を伸ばした。
伊達父娘の体を掴んで軽々と持ち上げると、炎を噴く般若顔の大口を開く。
「──それじゃ……いっただっきまァ~す♪」
鬼蝶が恍惚の表情で声を発した次の瞬間──。
「……デヤァアアッ!!」
五郎八姫が裂帛の声を張り上げながら、政宗の左腰に携えた黒鞘から名刀〈燭台切〉の白刃を引き抜いて、雉猿狗の一撃によって亀裂が走っている羅刹般若の左眼を全力で斬りつけた。
「ギヤッ──!!」
羅刹般若の左眼を通して、自身の左眼にも激痛が走った鬼蝶は短い悲鳴を上げると、羅刹般若の前足で掴んでいた政宗と五郎八姫の体を地面に手落とした。
そして、白い般若顔を傷つけられ、赤い肉が剥き出しとなった羅刹般若の黄色い左眼を憤怒に燃やしながら五郎八姫を見下ろした。
「──こンのッ!! 小娘風情がァアアッ!!」
いまだ激痛が走る自身の左眼を両手で抑えながら激昂した鬼蝶が、羅刹般若の前足の一本を持ち上げると、五郎八姫の顔面に向けて指から伸びる黒爪を高速で突き伸ばした。
「がァアアっ!!」
突き出された羅刹般若の黒爪の先端が、右目に深々と突き刺さった五郎八姫は喉が裂けんばかりの絶叫を放った。
「……ッ、いろは……!」
それを見た政宗が、内臓に重傷を負ってまともに言うことを効かない体を無理やり動かして地面に這わせながら娘の名を叫んだ。
「──まァったく、どいつもこいつも……なァんで、人間って生き物は……無駄な抵抗をしたがるのかしら……わっかんないわねェ」
鬼蝶は忌々しげに吐き捨てるようにそう言うと、黒爪を五郎八姫の右目から引き抜いた。
「いろは……! いろはッ……!」
もがき苦しむ五郎八姫に対して、政宗が吐血しながら呼びかける。
「──チッ……あァあ、父娘ともども右目を失っちゃって……そんなとこまで仲良くしたいってわァけ? くッだらないわねェ!」
舌打ちした鬼蝶は苛立ちながら低い声で告げると、羅刹般若の二本の前足を持ち上げて指を開く、そして地面に倒れる政宗と五郎八姫の体をググッと力を込めて掴み上げた。
「──決めたわ。このまま握り潰して殺します……うかつに顔に近づけたら、何されるかわかったもんじゃないからね」
鬼蝶はそう告げると、"人の手"に似た羅刹般若の前足に力を込めて、政宗と五郎八姫の胴体に万力のような圧力を容赦なく加えていった。
「ッ……ぐッ、アアッ!!」
「がァアアッ!!」
骨を砕く圧迫を受けた政宗と五郎八姫は夜空に向かって絶叫した。
「──あなたたちが悪いのよ。せっかく楽に逝かせてあげようと思ったのに……わざわざ"痛い方"を選んでしまったのですからね」
鬼蝶は冷めた口調で呆れたようにそう告げると、おもむろに着物の袖の中から煙管をスッと取り出した。
そして、燃える目元に近づけて着火すると、くわえて一吸いする。
「──勝利……圧倒的な勝利ね」
紫煙を吐き出して満足気に瞳を細めた鬼蝶が、仙台の夜空に向けて呟いたその時──高速で迫る銀光する"何か"を鬼蝶は視界の端に見た。
「──えっ?」
鬼蝶が気の抜けた声を漏らすと、自身の頭に一振りの刀が突き刺さった。
次いで、右胸に槍が突き刺さり、さらに、左脇腹に二振り目の刀が突き刺さる。
「──ナニ……コレ」
声を漏らした鬼蝶は煙管を手から取り落とすと、頭に刺さった刀を引き抜いた。
そして、刀が飛んできた方角──仙台城の脇に建つ、大穴が開いた蔵を睨みつけた。
次の瞬間──蔵の内部から、銀光する刀と槍が、鬼蝶目掛けて群れを成して飛来してきた。
「──何よ、コレぇエエッ!!」
両眼を見開きながら吼えた鬼蝶は、鬼の爪を素早く伸ばして鬼の心臓を護るように身を固めた。
刀と槍は銀色の雨のように飛来して、鬼蝶の全身、そして羅刹般若の後頭部に次々と突き刺さっていく。
羅刹般若は握力を維持できなくなって政宗と五郎八姫を手離して地面に落とす。
そして蔵の内部から放たれる刀と槍の銀雨が止むと、開かれた大穴の奥から月光に照らし出された桃姫が姿を現した。
「──ッ!!」
でたらめに刀と槍が体に突き刺さった鬼蝶は、黒爪の隙間から"羅"が浮かぶ黄色い瞳をのぞかせると、白い軽鎧と黄金の額当てを巻いた桃姫の雄々しい姿を憎々しげに睨みつけた。
桃姫は全身から白銀の波動をゆらゆらと放ちながら、瓦礫の上に落ちている槍の一本を拾い上げると、槍に白銀の波動をまとわせる。
そして瓦礫の上で軽やかに一回転すると、濃桃色の瞳を光らせながら全力で投擲した。
「──くッ……!!」
大気を切り裂きながら高速で飛来する銀光する槍──鬼蝶は両手を顔から下げ、両眼から熱線を撃ち放った。
熱線は槍に命中するが撃ち落とすことは叶わず、むしろ、刃を赤熱させた槍はその速度を増していく。
「──嘘でしょッ……!!」
鬼蝶は悲鳴に似た声を発しながら両眼を閉じると、羅刹般若の八本足をバタバタと蠢かして巨顔を反転させた。
赤刃の槍が飛来すると、雉猿狗が破壊して五郎八姫が斬り裂いた羅刹般若の左眼に、鈍い音を立てながら深々と突き刺さった。
「…………」
瓦礫の上に立った桃姫は、遠くで羅刹般若が巨顔を支える力を失い、地面に崩れ落ちるのを見届けた。
桃姫は深く息を吐き出しながら瓦礫の上から降りると、胸を張って堂々と羅刹般若に向けて歩みを進めていった。
「──動け、動きなさい……どうして動かないのよッ!!」
鬼蝶はふるえる声を発しながら、沈黙する羅刹般若に必死に声を投げかけた。
「……わかったんだよ……私ね、ようやくわかったんだ……この胸の奥底から湧き上がる、"心の力"の、正しい使い方」
桃姫は静かに言いながら羅刹般若に向けて歩み寄る。白銀の"闘気"は、うねりながら桃姫の全身を覆っていく。
「……この力はね、体から"発する"ものではないんだ……体に"まとう"ものだったんだよ」
桃姫は白銀の"闘気"をまとわせた右手を握り込む。凝縮された"闘気"が拳の中で白銀の炎──"仏炎"に転じた。
「……まるで、鎧を着るように……"仏の力"を"まとう"んだよ……そうすれば、ほら──」
"仏炎"が煌めく白銀の拳を自身の左胸に押し当てた桃姫──その瞬間、濃桃色の瞳の中央に白銀の波紋が咲いた。
「──私はもう、負けないんだ──」
桃姫は白銀の波紋を両の瞳に拡大させながらそう告げると、地面を力強く蹴り上げ、仙台の夜空を天高く飛翔した。
「……く、くるなぁッ!!」
首を持ち上げて強引に背後を見やった鬼蝶は、上空から迫りくる桃姫目掛けて、振り絞るように灼熱の熱線を発射した。
「──フッ……!!」
桃姫は一息発すると、"仏炎"が燃える右拳を熱線に叩きつけて粉砕しながら、炎の中を駆け抜けて鬼蝶目掛けて急降下していく。
「イヤァアアッ!!」
熱線を打ち砕き、赤熱する火の粉の中をくぐり抜けて迫りくる白銀色の瞳を極光させた桃姫の勇姿。
"鬼退治を必ず果たす"という壮絶な熱量を前にして、鬼蝶は悲鳴を張り上げながら両腕を交差させて顔を覆った。
「──仏心奥義・仏炎脚──!!」
眼下に迫る怯えた鬼蝶の顔。桃姫は白銀色の瞳を光らせながら宣言するように声を発すると、左脚に"仏炎"を燃え上がらせた。
「イヤッ……! その炎はッ!! それはイヤア!!」
驚愕に目を見開いた鬼蝶が懇願するように声を発すると、桃姫は鬼蝶の顔面目掛けて空中で一回転しながら"仏炎"をまとった左足で全力の蹴りを撃ち放った。
奇しくも、その左足に履かれた白い足袋の足裏には──おつるの血が赤黒くこびりついていた。
「ギャアアアアッ!!」
桃姫渾身の蹴り上げを左目に食い込ませるように受けた鬼蝶は顔面を激しく歪ませながら右目をひん剥いた。
そのあまりの衝撃に羅刹般若の巨顔ごと蹴り飛ばされると、般若顔を地面に向けて激突させる。
「うっウグッ!! ッ……私が、負ける──!? 人を捨てて、"羅刹"にまでなった私が……こんな小娘ごときに、負けるっていうのッ!?」
鬼蝶は桃姫に蹴り上げられて潰された左目を両手で抑えると、白銀の"闘気"を全身にまといながらふわりと着地した桃姫の姿を見やりながら慟哭した。
羅刹般若は機能を停止し、五郎八姫と政宗は眼前に立つ白銀色の聖なる光をまとった桃姫の姿を目にして瞠目しながら息を呑んだ。
「──鬼蝶、もう終わりにしよう──」
「いや……あああッ!!」
桃姫は死刑宣告を渡すように静かにそう告げると、潰れた左目から黒い血を右目からは涙を流しながら悲鳴を上げる鬼蝶目掛けて跳躍した。
そして羅刹般若の後頭部に着地すると、鬼蝶に向けて大きく指を開いた両手のひらを掲げる。
「──仏心奥義・仏炎掌──!!」
両眼を白銀色に極光させながら桃姫が力強く告げると、両手にまとった凝縮した"闘気"が"仏炎"へと転じて燃え上がった。
「──これは、母上の味わった恐怖ッ──!!」
桃姫は小夜への想いを込めながら大声を発すると、白銀色に燃え上がる左手のひらを鬼蝶の顔面に強く押し当てた。
"仏炎"はその火力を増していき、鬼蝶は声にならない声を発しながら助けを求めるように両手を黄色い満月に向けた。
「──これは、おつるちゃんの味わった絶望ッ──!!」
桃姫は白い巻き貝の腕飾りがついた右手を見つめながら"大親友"の名前を口にすると、鬼蝶の左胸の上に右手のひらを強く押し当てた。
桃姫の"仏心"から右腕を通じて、出力を上げ続ける"仏炎"に鬼の心臓を焼き焦がされていく鬼蝶は声にならない咆哮を上げ続ける。
「──そしてこれは、雉猿狗のッ!! お前が今まで殺して来た人々ッ──その全員の、嘆きと苦しみッ!!」
桃姫は両眼から滂沱の涙を流しながら、体内の"仏の力"を最大限に発揮して、鬼蝶の体を完全に"仏炎"の塊へと転じた。
全身を聖なる炎に包まれた鬼蝶は声を失い、羅刹般若もろとも白銀色の巨大な"火達磨"と化すのであった。