15.超常なる鬼の力
「立て、ごろはちッ──! "異形"ならば、奥州妖怪で散々と見てきたであろうッ! ──たかが鬼の見てくれ如きに伊達の武者が怯むでないッ──!!」
「し、しかし父上殿っ……! こんな恐ろしい姿をした妖怪は、奥州にはいなかったでござるよぉッ──!!」
五郎八姫は半泣きになりながら悲痛な声を上げると、差し出された政宗の腕にすがってやっとの思いで立ち上がった。
「雉猿狗……! どんな鬼が相手だろうと、私たち二人なら退治できる──そうだよね……!?」
桃姫は両手に〈桃源郷〉と〈桃月〉を握りしめながら雉猿狗に声を掛けると、雉猿狗は黄金の波紋がわずかに浮かぶ翡翠色の瞳を伏せ、力なく口を開いた。
「──桃姫様。申し訳ございませぬ……雉猿狗は先程の戦いにて、体内に蓄えていた神力を使い果たしてしまいました……」
「……っ──それなら……うん……! それなら、私がやるよ──! 雉猿狗、私が──」
ふらついた雉猿狗の背中を桃姫が受け止めて力強く声を発すると、雉猿狗が首を横に振りながら桃姫の目を見て告げる。
「──なりません。この鬼蝶の"異形"から発される凄まじい鬼の力……これは、今までの鬼蝶のそれとはまるで異なります……彼女は残っていた人間性を捨て去り──完全に"悪鬼羅刹"へと染まったのです」
「……悪鬼、羅刹……」
雉猿狗の言葉を受けた桃姫があらためて"異形"と化した鬼蝶──羅刹般若の恐ろしい異様を見やった。
畳につくまで深緑の長い髪を伸ばした巨大な般若の顔は怨嗟に歪んでおり、牙の伸びる口内の奥底からまるで"焼却炉"のように火炎を漏らして"ゼーハー"と荒い呼吸を繰り返している。
その一方で、後頭部から生え伸びるこちらに背中を向けた鬼蝶は、両手を夜空の黄色い満月に向かって気持ちよさそうに差し伸ばしていた。
「──ああ、力を感じるわァ。途轍もない鬼の力……! あっははは──!! これよォ……! 私が望んでいたのは、この圧倒的な破壊の力なのよ……! あァ、行者様──! あなたがおっしゃられた"超常なる鬼の力"とは、これのことなのですね──!!」
羅刹般若の"裏側"から不気味に発せられる鬼蝶の嬌声を耳にした雉猿狗は、一瞬にして全身に激しい悪寒が走った。
──禍々しい……あまりにも禍々しすぎる……。
──日ノ本の地に存在してはいけない。穢れきった冥府魔道の存在が今、私の眼の前にいる……。
雉猿狗は人の手に似た八本足で畳を踏みしめる羅刹般若の黄色く光る眼と視線を合わせると、戦慄しながら歯噛みした。
そして、後方に立つ政宗に向かって口を開いた。
「政宗様……! 桃姫様と五郎八姫様を連れて、早急に天守閣よりお逃げくださいませ──!!」
腰が抜けた五郎八姫の体を支える政宗に雉猿狗はそう告げると、政宗は慌てて口を開いた。
「──逃げるのは賛成だが、雉猿狗殿……! 雉猿狗殿は、如何にする気だ──!?」
独眼を見開きながら政宗が返すと、雉猿狗は一歩二歩と踏み出して、火炎の吐息を噴き漏らす羅刹般若と対峙した。
「──私がここで鬼蝶を引き止めます……三人はその隙に、可能な限り遠くまでお逃げくださいませ……」
「ッ、駄目だよ、雉猿狗──! 疲れた雉猿狗を置いていけるわけないでしょ──!! 戦うなら、私が戦う──!!」
桃姫がそう叫びながら雉猿狗の隣に駆け寄って並び立つと、二振りの仏刀を羅刹般若に向けて構えた。
「──そうよ、雉猿狗。力を使い果たしたあなたはもう糞の役にも立たないの──さぁ、桃姫ちゃん。"真の姿"になったこの私と、心ゆくまで殺し合いを楽しみましょう──♪」
「……そのようなおぞましい"異形"を、"真の姿"などとのたまうな……! おぬしそれでも、信長公の正妻かッ──!!」
鬼蝶の言葉を聞いた政宗がかつて安土城で謁見した美しかった帰蝶の姿を脳裏に想起しながら告げると、鬼蝶は恍惚とした笑みを浮かべながら口を開いた。
「──ふふふ、信長様もきっと気に入ってくださるに違いないわ♪ ──これが私の"本当の姿"……私が心の底から望んでいた"鬼の姿"なのよ──ああ、まるで極楽浄土にいるかのような夢心地だわ──♪」
「……黙るでござる! 般若顔をした大蜘蛛の化け物……! ──おぬしほどの醜い存在、拙者ついぞ見たことがないでござるよッ……!」
「──ふゥーん……言ってくれるじゃない──」
五郎八姫は鬼蝶に吐き捨てるように言ってのけると、鬼蝶は冷たい声を漏らし、笑みを浮かべるのを止めた。
そして、突如として頭部の左右から伸びる八本足をバタバタバタ──と畳を激しく叩きながら大きく蠢かすと、燃え盛る般若の大口を開いて五郎八姫に向かって咆哮しながら突進を仕掛けた。
「──グラァァアアアッッ──!!」
「……ひぃっ──!!」
「──ごろはちッ……!」
羅刹般若の牙が生えた大口が畳をこすりながら恐怖に硬直した五郎八姫に向かって前進すると、政宗が五郎八姫を抱きかかえて羅刹般若の進路から飛び退いた。
突進を続ける羅刹般若は燃やされた家臣団の亡骸を弾き飛ばしながら開かれたふすまを吹き飛ばし、轟音を立てながら天守閣の壁に激突した。
「──チッ──……この図体だと、なかなか……思い通りに動かすのは難儀なものね……」
羅刹般若の後頭部に生えた鬼蝶が手で支えた自分の首に力を加えてポキポキと鳴らしながら舌打ちして言うと、天守閣の大広間に居並ぶ四人を見やった。
「──でも、今ので感覚は掴めたわ。八本足で動く感覚──これが、真なる私の体──ふふふ♪」
鬼蝶はそう言って赤く光り輝く"羅"の文字が浮かんだ瞳をうっとりと歪めると、ガサガサガサ──と八本足を蠢かして方向転換をした。
その際、天守閣から階下に繋がる階段をメキメキ──と踏みしめて破壊すると、般若顔の黄色い両眼からボウッ──と赤い炎を噴き上げた。
「──この体になって間もないから、まだ何が出来るか自分でもよくわかってないの──だから、色々と試させて頂戴──♪」
そういたずらっぽく言った鬼蝶は、前の四本足で羅刹般若の体を持ち上げると、般若の閉じた口の奥で豪炎を燃焼させ始めた。
「ッ……皆様! 端に避けてください──!!」
その光景を見た雉猿狗が叫び、四人が天守閣の大広間の端に走って移動した。
次の瞬間──羅刹般若はドスンと音を立てながら思いっきり巨大な頭を落として、その勢いで膨大な火炎の渦を開け放った般若の口から解き放った。
「──アーッハッハッハ……!! ──すごいわ、すごい火力──!!」
羅刹般若の口から勢いよく一吹きで放たれた猛烈な火炎は天守閣に渦を巻きながら燃え上がると、崩壊した外壁から外に向かって吹き出して、夜空を赤く染めた。
桃姫は雉猿狗の腕の中で、五郎八姫は政宗の腕の中で、それぞれ火炎の渦を耐え凌いだ。直撃こそ免れたが、四人とも尋常ならざる熱風を身体に当てられて、満身創痍の状態となった。
「──はぁ……サイッコウの気分だわ──こんなに強いなら、もっと早く羅刹になればよかった──元の姿に戻れないですって……? はっ、頼まれても戻りたくなんかないわよ……アッーハッハッハッハッッ──!!」
ドスドスドス──と人の手に似た八本足を蠢かしながら天守閣の大広間に入ってくる羅刹般若の後頭部で鬼蝶が高笑いする。
「……桃姫様。今から雉猿狗の言うことを、よくお聞きくださいませ──」
青ざめた顔で息を切らした雉猿狗が胸元に抱いた桃姫に向かって告げる。
「──政宗様の元に全力で走って……そして五郎八姫様と三人で、この天守閣から脱出してくだいませ──」
「──なァに、ぶつぶつ言ってんのよ。雉猿狗──」
鬼蝶は天守閣の隅にいる雉猿狗に標的を定めると、八本足を蠢かして羅刹般若の顔をそちらに向けた。
「……雉猿狗……!」
「──お願いします、桃姫様──全力でお逃げください──!!」
雉猿狗は腕の中の桃姫を突き飛ばすように政宗の方に走らせると、自身は羅刹般若の前に走り出した。
「……雉猿狗っ──!!」
桃姫が振り返りながら雉猿狗の名を叫ぶ。鬼蝶は走る桃姫の姿を目で追うが、その一方で羅刹般若の炎を噴き出す両眼は、迫りくる雉猿狗の姿に気を取られていた。
「……鬼蝶ッッ──!! あなたの相手はこの私ですッッ──!!」
「──ふふ……そうね──私の体を何度も焼き焦がした雉猿狗──今度は私が焼き殺す番よねェッ──!!」
雉猿狗の挑発によって、鬼蝶と羅刹般若の注意が完全に雉猿狗に向けられた時、桃姫が政宗と五郎八姫に合流した。
「……桃姫。雉猿狗殿は、なんと……!?」
「脱出してって……! 三人で天守閣から脱出してって──!」
「……くっ」
桃姫に問いただした政宗は、桃姫の口から雉猿狗の言葉を聞いて歯噛みした。