11.ドーマン・セーマン・鬼封じ
役小角の口から告げられた言葉の意味を、巌鬼は理解しかねていた。
「……なにを言ってやがる、クソジジイ」
鬼の目を細め、低い声でうなるように漏らした巌鬼。その当惑した顔を目にした道満が腕を組みながら口を開いた。
「御大様。どこまでも勘の鈍い鬼ですな、こいつは」
「かかか。そういうでない、道満」
笑った役小角は〈黄金の錫杖〉の金輪をチリンと鳴らしながら高下駄を持ち上げ、さらに一歩巌鬼に歩み寄った。
「よく聞け、温羅坊──わしが師匠となり、桃太郎を育てた──仏刀を与え、三獣を与え、鬼ヶ島の鬼どもを退治させた──これが真実じゃ」
漆黒の眼を細めて告げる役小角の言葉を聞き受けた巌鬼は、激しくふるえ出した鬼の目を見開いた。
「……ならばなぜ貴様は、今ッ、この鬼ヶ島にいるのだッ!?」
巌鬼は訴えるように吼えた。役小角は笑みを崩さず、後方に立つ陰陽師も嘲笑を顔に浮かべた。
「いや、18年だッ!! 貴様は18年以上鬼ヶ島で暮らし、俺とともに"悪行"をしたではないかッ!? あれはいったいなんだったのだッ!?」
「かかか。あんなものは"悪行"ではない……本当の"悪行"は、これより始まる──」
役小角は深淵の闇をのぞかせた細い眼で巌鬼の顔を見上げながら告げた。道満と晴明も足を踏み出し、役小角の左右に立ち並んだ。
「どういうことだ……鬼を殺しておきながら、鬼を助けるなど……おかしい……いったい、なにを考えて」
巌鬼は異様な雰囲気をまとわせた役小角の姿を見下ろしながら怯えの声を漏らした。
かねてから素性の知れない老人だと思ってはいたが、事ここに至り、役小角の底知れぬ恐ろしさが、大鬼の巨体の足元から侵食するようにひしひしと伝わっていた。
「──なぜだッ!? なぜあの日、俺を助けたッ!? 答えろッ!!」
巌鬼は悲痛な叫び声を発した。脳裏に役小角との過去の記憶が走り抜けた。
母鬼を食おうとした自分を制し、鬼蝶を教育係として与え、日ノ本を地獄に変えることに協力してくれた役小角。
経歴不明の謎の老人、いつも笑みを浮かべている薄気味の悪い老人であったが──しかし、確かに自分の育ての親であった。
「……貴様、いったい……何者だ」
「世の中、知らんほうがよいこともあるでな──温羅坊」
後ずさった巌鬼はふるえる声で告げると、役小角は得も言われぬ不気味な威圧感を発しながら答えた。
その瞬間──巌鬼の全身の筋肉がグワッと盛り上がり、黄色い鬼の目を真っ赤に染め上げると、玉座の間が揺れるほどの強烈な咆哮を放った。
「──鬼の敵がッ!! 俺の名を気安く呼ぶなァッ──!!」
体中の血管をふくらませ、壮絶な雄叫びを放った巌鬼は、鬼の手を大きく広げながら役小角目掛けて駆け出した。
「──かかった」
満面の笑みを浮かべた役小角が小さく呟くと、道満と晴明が両手で素早く印を結びながら、同時に声を張り上げた。
「──ドォーマンッ!!」
「──セェーマンッ!!」
そして役小角が、右手に持つ〈黄金の錫杖〉を迫りくる巌鬼の巨体に向けて掲げると、左手に力を込めながら方合掌した。
「──鬼封じィイイッ!!」
甲高い声を発した役小角。眼前まで迫った巌鬼の足元に、紫光する五芒星の陣が浮かび上がった。
描かれた五つの梵字から、それぞれ太い鎖が伸び上がり、巌鬼の両腕と両脚、大きく開かれた牙の伸びる口に巻きついてまたたく間に拘束した。
「ぬッ!? ぐガァアアッ──!!」
紫光する鎖に絡め取られ、身動きを封じられた巌鬼は、赤い目をひん剥きながらよだれを垂らして激しいうなり声を発した。
「悪鬼め! 我ら陰陽師が、これまで何百の大鬼を封じてきたと思うておるのだッ!」
「しかし、これはなかなか! ふふっ、御大様。立派に育て上げましたねぇッ!」
道満が拘束された巌鬼を見上げながら吐き捨てるように言うと、晴明は目を見張りながら感嘆の声を上げた。
「かかか。そうであろう、そうであろう──丹精込めて育てたこの温羅巌鬼こそが、"千年大空華"の仕上げには必要不可欠なのよォッ!!」
「グらァアアッ──!!」
高笑いする役小角の声を耳にした巌鬼は、キツく締め上げられた状態でさらにもがき暴れた。
紫光する五本の太い鎖がギチギチと音を立て、五芒星の陣から引きちぎれそうになる。
「こやつ、三人がかりの"鬼封じ"を……!」
巌鬼の怪力に慄いた道満は、両手で結ぶ印に力を込めて、さらなる法力を五芒星の陣に向けて送った。
「道満、晴明、全力で挑めよ! この鎖がちぎれれば、わしらは温羅坊に喰い殺されるでなァッ!! かかかッ!!」
「──御意ッ!! ヌゥンッ!!」
「──御意ッ!! オゥンッ!!」
師匠の呼びかけに、弟子が応えて返し、三人がかりで印相を極めて五芒星の陣を紫色に極光させた。
道満は法力を、晴明は呪力を、役小角はその両方を注ぎ込み、陰陽術の集大成として"鬼封じ"を実行する。
「ガァアアッ……!!」
鎖がさらに強く締め上げられた瞬間、巌鬼は鎖を噛み締めた口を開きながらうめき声を漏らした。
憤怒に燃えていた瞳をグルンと上に向けつつ、漆黒の玉座に倒れ込んだ。
「でかしたぞ、おぬしら」
満足げに呟いた役小角が懐から"黒い球体"を取り出して、気を失った巌鬼に向けてふわりと放った。
"黒い球体"はふわふわと巌鬼に向かって漂い、頭上で止まる。
「──ノウボウ・アキャシャ・キャラバヤ・オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ──」
役小角が虚空蔵菩薩のマントラを唱えた。"黒い球体"が回転し始め、その中にズズズと巌鬼の巨体が吸い込まれていく。
「おお、お見事でございます。御大様」
「御大様の"鬼捕珠"。千年ぶりにお目にかかれましたな」
晴明と道満が嬉々とした声を発しながらその様子を見届けた。
巌鬼の体が"鬼捕珠"にすべて吸い込まれると、ふわふわと役小角の手元に戻った。
「──満開の"大空華"を咲かせるのに、これ以上ないほどの"鬼贄"が手に入りましたわいの」
役小角は巌鬼を捕えた"鬼補珠"を愛おしそうに撫でながら告げ、白装束の懐に仕舞った。
「ふたりとも、ご苦労じゃったのう。しばし、休むがよろしい」
「御意に」
ねぎらう役小角に道満と晴明が拱手して応じると、玉座の間から歩き去っていく。
ひとりになった役小角は目を細めると、黒岩の玉座を見やった。
「さて……桃のむすめは、どうするかのう」
呟いた役小角は〈黄金の錫杖〉で黒い床をつき、チリンチリンと金輪を鳴らしながら城主不在となった玉座の間を後にするのであった。