8.仙台城は燃えているか
鬼ノ城の広場──役小角の号令のもと、300を超える鬼人兵が集結していた。騒ぎを聞きつけた巌鬼と鬼蝶が広場にやってくると、その光景に目を見張った。
「温羅坊、鬼蝶殿、よくぞ参った」
巌鬼と鬼蝶の視線は、声を発した役小角ではなく両脇に侍る見慣れぬ陰陽師へと向けられた。本来ならばそこは、前鬼と後鬼がいる場所であった。
「おぬしらに紹介しようと思っていたところだ──ほれ、挨拶せい」
満面の笑みを浮かべた役小角が左右の陰陽師に目配せすると、赤い呪符を顔に貼りつけた道満が拱手した。
「俺の名は芦屋道満。千年にわたって鬼の中にいたが、陰陽師としての腕はなまっておらんはずだ」
低い声を発した道満は、自信ありげな笑みを赤い呪符の下に浮かべた。
次いで緑の呪符を顔に貼りつけた晴明が拱手した。
「私の名は安倍晴明。御大様の"夢"の実現のため、鬼ヶ島に加勢いたします。以後よろしく」
冷たい声を発した晴明は、緑の呪符越しに紫色の唇をつり上げて笑みを浮かべた。
巌鬼と鬼蝶は突如として現れた伝説の陰陽師、道満と晴明を見ながら困惑すると、役小角が口を開いた。
「前にも話したが、このふたりはわしの弟子じゃ。わしがこのふたりを前鬼と後鬼の中に封じ込めた、千年の時を超えさせるためにのう。かかか」
役小角の言葉を聞いて驚愕の表情を浮かべた巌鬼。鬼を"入れ物"として使っていたことに激しい嫌悪感が生じた。
一方の鬼蝶は火傷の完治した顔を高揚させながら喜びの声を上げた。
「なんと心強い! 伝説の陰陽師が揃って鬼の軍勢に加わってくださるとは!」
鬼蝶の言葉を耳にした道満と晴明は呪符越しに顔を見合わせて苦笑した。しかし、巌鬼はいまだ納得がいかず声を荒げた。
「おいクソジジイ! だからなんだってんだ! こんな数の鬼人兵を広場に集めやがって! "決行"はまだ先だろう!」
巌鬼の怒号が広場に響くと、道満と晴明は巌鬼に向けて不敵な笑みを浮かべた。役小角が鼻で笑いながら口を開いた。
「"余興"じゃよ。温羅坊」
「……あ?」
巌鬼が鬼の睨みをしながら返すと、役小角、道満、晴明──三人の伝説的な陰陽師が一斉に背中を向け、それぞれ取り出した黒い呪札の束を宙空に向けて放り投げた。
「──オン・マユラギ・ランテイ・ソワカ──」
三人同時に孔雀明王のマントラを唱えると、三人分の呪札の群れが紫光を放ってつながり合い、巨大な門の形を作り出した。
「見よ──"大呪札門"じゃ」
振り返りながら告げた役小角。"大呪札門"の巨大な鏡面に広がる庭のような景色を見ながら鬼蝶が眉をひそめた。
「行者様……この門は、どこに通じているのですか?」
「──仙台城じゃよ」
役小角は満面の笑みを浮かべながら答え、左右に侍る道満と晴明も笑みを浮かべた。
一方その頃──仙台城の天守閣では豊臣秀吉の死去の報を受けた政宗が伊達家の身の振り方をうなりながら思案していた。
「ううむ……太閤殿下の死は、"五大老"による権力争いの激化を意味する……"五大老"とは言うがその実、徳川派と石田派の争いだ……新たな体制を築こうとする徳川か、豊臣体制を継ぐ石田か」
政宗は天守閣の大窓から夕焼け空を見つめながら眉根を寄せて独眼を閉じた。
「俺の選択は……伊達家の選択は……ううむ」
「殿がどのような決断を下したとて、我ら家臣団は殿に最期まで付き従う所存にございます」
家臣団は政宗に信頼の眼差しを向けた。それは桃姫と雉猿狗も同じであった。
しかし五郎八姫だけはなぜかにやけており、そのことに気づいた桃姫は顔を寄せて耳打ちした。
「ねぇいろはちゃん……なんで笑ってるの?」
五郎八姫は、桃姫の耳元に口を近づけて答えた。
「戦が始まるでござるよ。日ノ本を二分する大戦でござる……拙者、武者震いが止まらないでござるよ」
「……うわぁ」
五郎八姫の嬉々とした言葉を受けた桃姫は引きつった表情で声を漏らした。
「拙者が日々鍛錬を重ねるのは戦で勝利するため。ももと違って、拙者は早く"人"と斬り合いたくてたまらないでござるな……ああ、わくわくするでござる」
茶褐色の瞳を輝かせた五郎八姫が言うと、政宗が意を決したように力強く独眼を見開いた。
「よし、決めたぞ──伊達は徳川につく! 俺は新時代を求める! それは旧態然とした豊臣の時代にあらず!」
「おおッ──!!」
政宗の決断に家臣団が呼応の声を上げた。
「殿! その御決断! しかと聞き届けましたぞ!」
家臣のひとりが声を上げると、血相を変えた伝令兵が大広間に駆け込んできた。
「殿ッ! 殿ォオオッ!!」
伝令兵は全身に返り血を浴びており、一見してただ事でないことがわかった。
天守閣にいる全員が注目すると、伝令兵は両目を見開いて声を上げた。
「──"鬼"の襲撃にございますッ! "本丸御殿"より、突如として鬼の大軍勢が現れましたッ!!」
次の瞬間──耳が痛くなるほどの爆音が轟き、大窓が開かれた天守閣の外壁が吹き飛んだ。
突然の事態に一同が騒然となると、崩壊した外壁から鬼蝶を肩に背負った巌鬼が飛び込んできた。
「なんだ、大勢集まってやがる」
「あら、なにかおめでたい席だったのかしら?」
巌鬼の肩から飛び降りた鬼蝶が爆風で吹き飛んだ料理の残骸を見ながら口にすると、伊勢海老をぐしゃりと黒い下駄で踏みつけた。
「お邪魔しちゃったみたいねェ」
陰惨な笑みを浮かべた鬼蝶が両眼から真っ赤な炎を噴き上げた。
「──者ども、刀を抜けッ!!」
政宗は叫ぶと〈燭台切〉を黒鞘から引き抜いて構えた。家臣団も一斉に刀を構えて鬼と対峙した。
「巌鬼ッ!」
桃姫は常陸の街道で会ったときよりもさらに成長している巌鬼の巨体を見やりながら、二振りの仏刀を抜いて両手に構えた。
「この2年で成長したようだな、桃姫……だが、俺はもっと成長したぞ。貴様に勝ち目なんぞ、微塵もない」
巌鬼が低い声で告げると、家臣団が一斉に駆け出して巌鬼と鬼蝶に斬りかかった。
「鬼どもォオオッ!!」
「ここが仙台城と知っての狼藉かァアアッ!!」
「覚悟ォオオッ!!」
雄叫びを発しながら迫ってくる家臣団を冷たく見やった鬼蝶は、両目に浮かぶ"鬼"の文字から赤い炎を噴き上げた。それを目にした雉猿狗が家臣団に向けて叫ぶ。
「みなさん、伏せてくださいッ──!!」
「──遅いわよ、雉猿狗ォオオッ!!」
鬼蝶の両眼から放たれた豪炎は、家臣団を巻き込みながら大広間を駆け抜けてふすまを弾き飛ばし、その奥の階段までも燃やした。
家臣団はひとり残らず赤い炎に包まれ、手にした刀を放りながら畳の上をのたうち回った。
「あっはっはっはッ!! サイッコウにまぬけよあなたたちッ!! そのまま踊るように死に絶えなさいッ!!」
鬼蝶はその悲惨な光景を、満面の笑みを浮かべながら大いに楽しんだ。
「……ッ」
信頼する家臣団のむごたらしい死にざまを見せつけられた政宗と五郎八姫は、怒りを通り越して、絶句してしまった。
「どんな気持ちかしら、伊達男さん? "仙台城は燃えているか"──それがこの"余興"の名前よ」
独眼を見開いた政宗に対して、鬼蝶は"残虐"によって興奮した頬を紅潮させながら、うっとりとした声で告げるのであった。