6.力の道満・技の晴明
鬼ノ城の地下深く──役小角の赤い部屋にて、千年前の古い記憶から役小角は意識を戻した。
「────!! ────!!」
「なぁにを騒いでおるか、師匠……大空華、おぬしが咲かしてみせよと申したのだぞ。かかか……!」
長い白髪を頭の天辺で結った役小角は、年老いた顔に満面の笑みを浮かべながらそう告げると、一言主を封じる自身のへその下、丹田を撫でた。
「そしてわしは見つけたのだ……千年前のあの日、蝦夷の死地にて……」
机の上に置かれた小さな祭壇には、赤い紐で結ばれた一房の白い頭髪──悪路王の髪の毛が置かれていた。
「さぁ、空虚で退屈なこの世に、咲かせようではないか……闇の大空華をのう。くかかかッ……!」
役小角の笑い声は、閉じられた赤い扉の外で待つ前鬼と後鬼の耳にも届いた。
そんな二体の大鬼が主人の帰りを大人しく待っていると、ギィと音を立てながら扉が開かれて、役小角が顔を覗かせた。
「……入るがよろしい」
"千年善行"によって顔面に貼り付いて剥がれなくなった満面の笑みを見せつけながら、特徴的なしゃがれ声を発した役小角。
前鬼と後鬼は、赤と緑の呪符越しに互いの顔を見合わせた。扉の先、役小角の部屋には決して立ち入ってはならない、そのように躾られていた二体の大鬼である。
「なぁにをしとる……はよう入れ」
「グググ」
「グガァ」
前鬼と後鬼は低いうなり声を発しながら怖ず怖ずと歩き出し、役小角が待つ赤い部屋へと足を踏み入れた。
真っ赤な部屋の中央には、鬼薬が詰まった不気味な大瓶が鎮座しており、その前に〈黄金の錫杖〉を突いた役小角が笑みを浮かべながら立っていた。
「前鬼、後鬼……覚えておるか? おぬしらの角をへし折って折伏した夏の生駒山を……あの頃はわしも若かったわいの。かかか」
「グガガ」
「ググガァ」
「言葉にならずともわかるぞ。顔に貼り付けられた忌々しい呪符を剥がして欲しいのであろう? だが、それはならん。剥がせばその瞬間、わしの四肢を引きちぎり、むさぼり喰うのじゃからな。かかか」
漆黒の眼を細めながら役小角が告げると、前鬼と後鬼の黒い爪が伸びる灰色の手がわなわなと動いた。
「おお、怒っとる怒っとる。そうよなぁ、立派な大鬼が千年の間、小間使いとして使役されるのは耐え難い屈辱じゃろう……して、今日でその苦役を終わりにしてやろうと思うておるのだが、いかがかな?」
「ガァッ!」
「グガガッ!」
呪符の裏に隠された黄眼を大きく見開いた前鬼と後鬼は、牙の隙間からよだれをぼたぼたと赤い床に垂らしながら歓喜するように吼えた。
「かかか。そうだ、もっと喜ぶがよろしい。千年の悪夢が今、終わりを迎えるのだからな──オン!」
掛け声を発した役小角が右手に携えた〈黄金の錫杖〉を振り上げてチリンと大きく鳴らすと、左手で印を結びながら虚空蔵菩薩のマントラを詠唱した。
「──ノウボウ・アキャシャキャラバヤ・オンアリキャ・マリボリ・ソワカ」
役小角のマントラによって梵字が書かれた赤と緑の呪符が眩い光りを放ち出すと、二体の大鬼は猛烈に苦しみ始めた。
「アッガァアア、ガギャアアッ!!」
「グギャギャア、ギギャアアッ!!」
体内を駆け巡る激痛に両膝をついた大鬼は、自身の分厚い胸板を鬼の爪で激しく掻きむしりながら赤い天井に向かって吼えた。
「この世で味わう最後の苦しみですわいの。惜しむことなく、存分に楽しむがよろしい」
「ガバァ!」
「グバァ!」
役小角が告げた直後、前鬼と後鬼の口が顎が裂けるほど大きく開かれ、喉奥から"人の手"がヌッと這い伸びてきた。
「かかか……! 出てきよったぞ……!」
その光景を目にした役小角が嬉々とした声を上げる。二体の大鬼の口内から伸びた人の手は、上顎と下顎をガシッと掴むやいなや、一気に引き裂いてこじ開けた。
「ガッガッ! アッ、ガァ……」
「グガッ! ギッ……ガァ……」
黄眼をグルンと上に向けた前鬼と後鬼は、熱い吐息を漏らしながら天井に向けて持ち上げていた両腕をガクッと降ろして絶命した。
すると、陰陽師の道着をまとった男がふたり、二体の大鬼の亡骸から、ぬるっと滑り出すように生まれいでた。
「かかか。生まれよった」
満足げな笑みを浮かべた役小角。ふたりの陰陽師は、前鬼と後鬼が顔に貼り付けていた呪符をそのまま自身の顔に貼り付けながら顕れた。
抜け殻のようになった大鬼の体を脱ぎ捨てた陰陽師は、待ち構えていた役小角に対して、左手のひらに右手の拳を押し当てる"拱手"をしながらほほ笑んだ。
「お久しゅうございます、御大様」
「御大様、千年ぶりの再会にございますな」
緑の呪符を顔に貼りつけた長い黒髪、色白細身の陰陽師と、赤の呪符を顔に貼りつけた大柄で筋骨隆々、坊主頭の陰陽師とがうやうやしく役小角に挨拶する。
「晴明、道満。よくぞ参った」
役小角が頷いて返したこのふたりは、千年前の日ノ本で活躍した伝説的な陰陽師──安倍晴明と芦屋道満、その人であった。
「かかか。どうであった。鬼の中での暮らしは?」
「不思議な心地でございました。生きているような死んでいるような」
「御大様は千年の時を生きることができる、しかし我らは生きられぬ。そのための苦肉の策とはいえ、鬼の"入れ物"の中で千年を過ごすというのは、決してよいものではありませぬ」
晴明と道満の言葉を聞き受けた役小角は、満面の笑みを浮かべながら口を開いた。
「かかか。すまなかったのう。とはいえ、すべては"闇の大空華"を完遂するため。千年の眠りからおぬしらを呼び覚ました意味、わかるな?」
「"近い"のでございますね」
晴明が緑の呪符から覗く紫色の唇をにんまりと歪ませながら応えた。
「まさしく。千年儀式もいよいよ大詰め。わしらの夢見た大花輪を日ノ本に花ひらかせる日が近づいておるのだ。我が弟子、"力の道満"、"技の晴明"よ──おぬしらの助力、しかと借り受けるぞ」
「御意に!」
「御意に!」
師匠である役小角の呼びかけに拱手しながら力強く呼応した晴明と道満。そんな陰陽師の足元には、千年に亘って肉体を縛り付けていた呪符が失われ、息絶えた前鬼と後鬼の亡骸が倒れ伏していた。
「──時は来たッ! これより、千年悪行をッ! 執り行ァアアアうッ!」
深遠なる大宇宙が宿る両眼を大きく見開いた役小角は、〈黄金の錫杖〉を高く掲げながら声高らかに千年悪行の開始を宣言するのであった。




