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5.闇の大空華

 次の瞬間──九振りの太刀に全身を貫かれ、息絶えた悪路王の亡骸が小角の瞳に映った。

 鬼曼荼羅の描かれた黒い壁面に磔にされた悪路王。首、左肩、両腕、左胸、右脇腹、左腰、両脚──でたらめに突き刺された刀身から鮮血を滴らせ、祭壇に血溜まりを作っている。


「……ハァ……ハァ……」


 白い法衣を赤く染めた小角は、双眸に涙を浮かべながら震える両手で〈黄金の錫杖〉を胸に抱きしめ、荒い呼吸を繰り返していた。

 だらりと頭を下げ、長い白髪が死に顔を覆い隠している悪路王を見つめながら呼吸を落ち着けた小角は視線を下ろした。

 そこには死闘を繰り広げた侍衆の血肉が、弾けた柘榴のように大量に散らばっていた。


「……うう、ああッ……」

「──介錯御免」


 顔の潰れた侍がうめき声を漏らしながら手を伸ばす。しかし助かる見込みは皆無であり、他の侍によって手早く絶命させられた。

 生き残った侍は田村麻呂含めて9人、他40人の侍は、すべて肉塊に変えられてしまった。

 そのような壮絶な戦場でありながら、小角は奇跡的に無傷だった。飛び散る侍の血肉を浴び、法衣こそ赤く染まっているが全くの無傷。

 しかし、それは本当に奇跡だったのか。小角は数分前の戦場を思い返した。


「──オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケン・ソワカ」


 悪路王との戦闘を行う侍衆の後方で、〈黄金の錫杖〉を掲げながら大威徳明王のマントラを詠唱する小角。

 怒号を発しながら立ち向かう侍の群れに対して、悪路王は両手に携える隕鉄の阿吽像を縦横無尽に振り回し、ひとりずつ肉塊へと変えていった。


「デリャアッ!」


 振り下ろされた侍の一太刀が左手の吽形像で防がれると、驚愕した侍の顔面に右手の阿形像が高速で叩き込まれ、異様な音とともに破砕される。


「ひぃ……!」


 肉塊と化していく仲間を見て怯えきった侍が悲鳴を漏らして後ずさると、田村麻呂が一歩前に踏み出して声を張り上げた。


「怯むでないッ! ここで我らが屈すれば、日ノ本は鬼の天下になるでおじゃるぞよォッ!!」

「──ウォオオオオッ!!」


 田村麻呂の鼓舞に呼応した侍衆が雄叫びを上げて走り出すと、その光景を見て喜んだのは悪路王だった。

 べったりと血肉のついた阿吽像を激しく叩いてカチ鳴らし、満面の笑顔で魔眼を見開きながら嬉々とした声を上げる。


「素晴らしいッ! それでこそお侍様の生き様ですッ! 共に地獄の底まで落ち切りましょうッ!」


 血濡れた阿吽像を握る両腕を広げ、突撃してくる侍衆を歓迎するように仁王立ちとなった悪路王。


「鬼の王を野放しにすれば、日ノ本にどれだけの災禍が降るものか!」

「わしらで喰い止めるぞ! 鬼の種をここで摘み取るのだ!」


 互いに声を発しながら悪路王に迫った父子の侍。


「ダァアアアッ!」


 息子の侍が太刀を振るうが、悪路王は軽やかにかわして阿形像で胸骨を砕く。続く父の一太刀も、吽形像で押し返した勢いそのままアゴを打ち砕いた。

 父子の侍が瞬く間に駆逐される様を睨みつけた田村麻呂は、悪路王の背中めがけて裂帛の声を張り上げながら太刀を振り下ろした。


「ヤリェエエエッ!!」

「──愉快な御方だ」


 背後に回した阿形像で田村麻呂の太刀を受け止めた悪路王が笑みを浮かべながら呟くと、目にも止まらぬ回し蹴りを繰り出して、田村麻呂の胴体を蹴り上げた。


「ぐっほッ……!」


 豪奢な鎧がへしゃげるほどの威力を腹に受けた田村麻呂は顔を歪めて嗚咽を漏らしながら、洞窟の冷たい岩肌を転がっていった。


「殿ォッ……!」

「よくも殿をッ!」


 田村麻呂が蹴られたことを皮切りに、侍衆は"恐れ"というタガを失って悪路王に捨て身の攻撃を開始した。

 洞窟内に響くのは、侍たちの怒号と雄叫び、肉が潰れる音と血が飛び散る音──その中にあって、悪路王は終始笑みを浮かべたまま心の底から殺戮を楽しんでいた。

 いかに殺しが楽しいかを全身で伝えるように、両手の阿吽像を振るい、舞を踊るようにしてパッパッパッと真っ赤な肉塊の花びらを咲かせていく。


「ッグゴ……!」


 侍がまたひとり、物言わぬ肉塊へと変貌した。悪路王の赤い魔眼は、舞えば舞うほどに輝きを増し、いまや美しい真紅の色に染まっていた。

 小角は休むことなくマントラを唱え、侍衆を法術で支援した。しかし、その視線は悪路王ただひとりに注がれており、悪路王もまた時折、小角を見ては魅力的にほほ笑んだ。


 ──純然たる悪……超然たる美……これほどまでに鬼を極めた者が、いまだかつて日ノ本にいたであろうか。


 指ロウソクの甘い芳香と弾け飛ぶ血肉の悪臭が混ざりあった匂いを嗅ぎながら、白く長い髪をなびかせて舞い踊る悪路王を見つめる小角の心に、ある思いが芽生えた。


 ──ああ、悪路王……私は、おぬしになりたい……いな、おぬしを超えた存在なりたい。


 うっとりとした眼差しで悪路王の殺戮を見届ける小角の夢のような時間は、田村麻呂の一突きによって終止符が打たれた。


「──今ぞォッ!! 貫けェェッ!!」


 悪路王の右脇腹に太刀を突き刺さした田村麻呂が叫んだ。直ぐ様、決死の侍が突き伸ばした太刀の一突きが悪路王の左肩に突き刺さり、そこからは侍たちの怒涛の勢いだった。


「──殺れぇぇぇッ!!」


 怒号を発しながら次々と伸ばされた太刀の切っ先が白い体に向けて突き放たれ、田村麻呂率いる九人の侍衆によって祭壇の壁面へと押し上げられた悪路王。


「ヌーン──!」


 両眼を見開き、鼻から熱い息を吐き出した悪路王は、両手に肉片のこびりついた阿吽像を固く握りしめたまま、串刺しの芸術作品と成り変わって絶命した。

 小角は見惚れるように赤い血を流したその肢体を眺めるも、田村麻呂の声によって現実に引き戻された。


「──小角殿、無事でおじゃるか」

「……はい」

「あまり、見るでないぞよ。"持っていかれる"でおじゃるからな」


 そう告げて去っていく田村麻呂。小角はその言葉を呟いた。


「……"持っていかれる"……」

「さぁ、皆の衆! 彼奴を引きずり降ろすでおじゃ! そして早急に恐山まで運び、その存在をまるごと歴史から消し去るのでおじゃる!」


 田村麻呂が指示を出すと、生き残った侍たちの手によって悪路王から太刀が引き抜かれ、鬼曼荼羅の描かれた壁面から降ろされる。

 そして、担がれた悪路王の亡骸が小角の前を通り過ぎる瞬間──垂れ落ちた白い髪の隙間から覗く悪路王の満面の笑顔を、小角は見た。


「──ッ」


 その瞬間、小角は"持っていかれて"いた。そして"見出して"いた──自身の人生を捧げてこの世に咲かすべき、"闇の大空華"の花の異形を。


 ──見つけたぞ……私の大空華……。


 死してなお光り輝く悪路王の真紅の魔眼が小角の黒い瞳の内側へと入り込み、心の奥底へと深く染み込んで漆黒の色に染め上げていくのであった。

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