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3.黄金の錫杖

 さらに三ヶ月後――厳冬が訪れた白く染まった葛城山にて、瞑想修行に打ち込む17歳になった小角の姿があった。

 雪上で結跏趺坐を組んだ小角の背後には、降りしきる雪によって褐色の肌を際立たせた一言主が無言で立っていた。


「師匠が言いたいことは分かる──この一ヶ月の間、どこへ行っていたのかということだろう」


 冬でも凍らぬ聖泉を薄目で見やりながら告げた小角の背中を、仮面の下で光る紫眼で見据えた一言主。


「ご察しの通り、京に出向いていた。新たな経典と世情を知るためにな……師匠は万年山にいても困らぬのだろうが、人である私はそうはいかない」


 小角はそう言って黒い瞳を開くと、振り返りながらほほ笑んだ。


「たまには人里に降りねば、野人と化してしまうからな。かはは」

「……ならば、出ていく前に一声かければよいではないか」


 笑う小角に一言主は静かな怒りを込めながら告げた。


「余がどれだけ──」

「すまない、師匠。だが山を降りると言えば、力づくで私を引き止めただろ?」

「……知ったことか」


 吐き捨てるように言った一言主はカラス羽根の黒衣を翻し、白い雪に高下駄の跡をつけながら歩き出した。


「おい、待て。ちゃんと土産も用意したのだ」


 小角は言いながら頭陀袋を漁ってカサゴの干物を取り出した。強烈な魚臭が雪の中でもぷんと漂うと、一言主はぴたりと足を止めた。


「少し話をしよう。な?」

「…………」


 小角の言葉に小さく頷いた一言主。ふたりは雪を避けるため、聖泉の前から森の中へと移動した。

 手早く焚き火を作った小角が倒木の上に腰かけると、仮面をずり上げた一言主が直接地面にあぐらをかいて座り、カサゴにかぶりついた。


「うまいか?」

「うまい」


 焚き火の明かりに口元を照らされた一言主が短く応えると、小角は鼻を鳴らした。


「京でな、面白い話を聞いたんだ」


 カサゴを貪り喰う一言主を見下ろしながら、小角は話し始めた。


「なんでも千年間に亘って善行を積んだ人間は、その功徳によって神にも等しい莫大な力を得られるそうだ。きっと、大空華も咲かせられるのだろう」

「……その話は、大嘘だ」


 カサゴの肉を咀嚼しながら一言主は低い声で告げた。


「千年を生きた人の子など、余はひとりとて見たことがない。余のような不死の存在にでもなれるならば、話は別だが」

「…………」


 目を細めた小角は、不死の存在である一言主の仮面に隠された顔を見やった。


「師匠はやってみたいとは思わんか。千年善行」

「くだらぬ。一日善行すらしたくはない」

「そうか」


 冷めた口調で答える一言主に苦笑した小角は、法衣の裾を手で払いながら倒木から立ち上がった。


「さて……実を言うと、葛城山に来れるのは今日で最後かもしれん」

「……?」


 疑問符を浮かべながらその顔を見上げた一言主。小角は倒木に掛けていた頭陀袋に手を突っ込むと、一枚の紙を取り出した。


「日ノ本の遥か北、蝦夷の大地に"悪路王"と呼ばれる鬼の王がいるそうだ。本物の鬼ではないが、信者と共に鬼の国を作り出そうとする狂人だ」


 喰いかけのカサゴを地面に置いて仮面をずり下ろした一言主は、差し出された紙を受け取って眺めた。


「征夷大将軍・坂上田村麻呂が率いる悪路王討伐隊に、私も参加しようと思う。蝦夷地への遠征で、何か"大空華"の手がかりを見つけられそうな予感がするのだ」

「勝手にすればいい。何に興味を持つかはそなたの自由……しかしそれがなにゆえ、今日で最後の葛城山になる」


 鬼の角が生えた人相書きと"悪路王討伐隊志願者求ム"と書かれた紙を突き返しながら一言主は尋ねた。


「葛城山にこもっている師匠は知らぬだろうが、今の日ノ本はまるごとが"死地"だ──戦、疫病、飢え……そして悪路王のような悪人の手によって、呆気ないほどに人々が殺されている」


 紙を頭陀袋に戻した小角は、肩に背負いながら眉をひそめた。


「私が生きて帰れる保証はない。いや、ほとんど死ぬ覚悟で討伐隊に参加するのだ」

「……そういうことか」


 一言主は呟いてから立ち上がると、小角と視線を合わせた。


「止めはせん。だが、余にひとりしかおらぬ弟子が見知らぬ地で無駄死にするのは、いささか気分が悪い」


 一言主がおもむろに両腕を掲げたその瞬間、黒光する神力が両手から迸り、棒状を形成しながら眩く極光すると、息を呑んだ小角の前に〈黄金の錫杖〉が姿を現した。


「……ッ」

「よいか小角、この〈黄金の錫杖〉は"授ける"のではない、"貸し与える"のだ――いずれ必ず、余の手元に返してもらうからな」


 そう言って差し出された〈黄金の錫杖〉を、小角は目を見張りながら両手で受け取り、固く握りしめた。

 常人が決して手にすることはない強力な神杖の波動を両手越しに感じた小角は、身震いしながら声を漏らした。


「……師匠」

「鬼の手から人の子を救って参れ──余の弟子・小角」


 蝦夷地という名の死地に赴く弟子に対して、一言主は慈悲深い声音でそう告げるのであった。

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