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39.伊達政宗と五郎八姫

 自室に戻った桃姫と雉猿狗が荷物をまとめ、館を出る準備を整えていたその頃──奥州の森を進む騎馬隊の姿があった。

 その隊列は伊達家の家紋が描かれた紺色の旗を掲げており、先頭を行く白と黒の馬に乗ったふたりが会話していた。


「父上殿、今しがた空が暗くなったのはいったい何でござるか……?」


 白い馬に騎乗し、長い黒髪を一つに結った活発そうな若い女武者が尋ねた。


「あれは"日食"だ。月が太陽の前を通ることによって起きる現象よ。しかし、あそこまで完全に隠されるのは俺も初めて見た……お天道様が見ておらぬうちに悪事を働こうなんて輩がおるかもしれぬな──例えば、ぬらりひょんとか」


 黒い馬に騎乗し、右目に眼帯を巻いた身なりのよい武将風の男が、馬上で腕を組みながら低い声で告げた。


「ぬらりひょんというのは、どのような妖怪でござるか?」

「ろくでもない妖怪だ。奥州妖怪の統制に役立つと思って生かしておいたが──今日でその関係も終わりやもしれぬな」


 武将風の男はそう言って大きなため息をつくと、独眼を鋭く細めた。


「父上殿は、ぬらりひょんに勝てるでござるか?」


 若い女武者が尋ねると、武将風の男はにやりと不敵な笑みを浮かべ、前方に見えたぬらりひょんの館を指差した。


「勝てぬなら、燃やすまでだ」


 指差された館の玄関では、荷物をまとめた桃姫と雉猿狗が、夜狐禅に別れの挨拶をしていた。


「……本当に、出て行かれるのですか」

「夜狐禅くん……」

「はい。今日まで桃姫様ともども、お世話になりました」


 夜狐禅が静かに問いかけると、桃姫は悲しげな顔で、雉猿狗は冷たい顔で答えた。


「すみません……僕はおふたりを引き止められるような立場では、ありませんよね」


 目を伏せた夜狐禅が言うと、玄関に続く長廊下の奥からけたたましいぬらりひょんの声が響いた。


「夜狐禅、出すな! 桃姫を館から出すでない!」

「……頭目様」


 黒杖をついたぬらりひょんが声を荒げながらやってくると、夜狐禅は嘆息した。


「わしの許可なく館から出ていくことは許さん! 断じて許さん!」


 ぬらりひょんは妖術で無理やりつなげた右腕の接合部分を左手で撫でながらわめき散らした。


「……ぬらりひょん、まだ"御理解"いただけていないようですね」


 雉猿狗が冷たい視線と声で告げる。


「理解もクソもあるものか! この館はわしの館じゃ! 入館するも退館するも館主であるわしの許可が──」

「──確か、夜狐禅様も館の扉を開けられるのでしたよね?」


 ぬらりひょんを無視して雉猿狗が尋ねると、夜狐禅は頷いた。


「はい、雉猿狗様」

「では、お願いします。開けてくださいませ」

「はい」


 雉猿狗に促された夜狐禅は、館の玄関に立つと大扉に手をかけた。


「これェッ、夜狐禅! おぬし、なァにをしとるか! だれがおぬしの命を救った! わしの言う事だけを聞かんかァッ!」


 大きなハゲ頭に太い血管をいくつも浮かべたぬらりひょん。顔を真っ赤にして叫ぶと、夜狐禅は静かに口を開いた。


「今の頭目様のお顔は、僕を悪事に使った伊達の役人によく似ています──そのような頭目様のお顔を、僕は見たくありません」

「──ぬッ!? ぬぅ……!」


 辛そうに告げた夜狐禅の言葉を受けたぬらりひょんは二の句が継げなくなり、うなりながらしかめっ面を浮かべた。


「……では、扉をお開けいたします」


 夜狐禅が桃姫と雉猿狗に告げて扉に手をかけたそのとき──扉の向こう側からよく通る男の声が響いた。


「──ぬらりひょんッ! ぬらりひょんはいるかッ!」

「……っ!?」


 その声を耳にした瞬間、ぬらりひょんは白濁した両眼を大きく見開き、あんぐりと口を開けた。


「──この館で人間のおなごが暮らしているという噂を耳にしたッ! おい、ぬらりひょんッ! 貴様、人間の女には手を出さないと、俺のこの独眼に固く誓うたよなぁ!?」

「あ、ああっ政宗じゃあ……! "独眼竜"ッ、伊達政宗じゃあッ……! くゥ、よりによって……こんなときに、やって来るとはァッ!」


 ぬらりひょんは老体をふるわせながら"伊達政宗"の名をうめくと、すがりつくように両手で黒杖を握りしめた。


「伊達政宗……伊達家の当主様でございますね」

「……雉猿狗、どうする?」


 雉猿狗が呟くと、桃姫が問いかけた。そんなふたりの会話を扉に耳を押し当てて聞いていた若い女武者が、政宗の顔を見やって口を開いた。


「──父上殿、中から女の声がしたでござる」

「それは誠か? ──よく聞け、ぬらりひょんッ! 自ら開けぬようならばこちらにも用意があるッ! 大樽一杯に詰め込んだ爆薬だッ!」

「父上殿……! そんなもの使ったら、女ごと吹き飛ばしてしまうでござるよ!」

「ん、そうか……そうだな、確かに」


 桃姫と雉猿狗は扉の向こう側でのやり取りを耳にしながら様子を窺っていると、夜狐禅が口を開いた。


「桃姫様、雉猿狗様……政宗公は豪快なお方ですが、奥州妖怪との共存を考える情け深いお方です……おふたりの信頼を裏切った僕の言葉は信用ならないかもしれません……ですが、政宗公ならきっと、おふたりの安全な居場所を作ってくれるはずです」

「……夜狐禅くん」


 夜狐禅の真摯な言葉を受けた桃姫は声を漏らすと、雉猿狗も覚悟を決めたように小さく頷いてから口を開いた。


「桃姫様──なにがあっても私が護り抜きますからね」

「うん。私も、なにがあってもがんばるよ、雉猿狗」


 雉猿狗と桃姫は互いの目を見て言葉を交わし合い、そして雉猿狗は夜狐禅に告げた。


「それでは……夜狐禅様、扉をお開けください」

「はい」

「……や、やめろぉ、開けるなぁ……」


 ぬらりひょんがうめく中、夜狐禅の手によって館の大扉が開かれた。

 大扉の向こう側に居並んでいた伊達の騎馬隊、その先頭に立った政宗と女武者に対して雉猿狗は毅然とした態度で告げる。


「私の名は雉猿狗。この娘の名は桃姫──今しがた、"ぬらりひょん退治"を果たした次第」

「……"ぬらりひょん退治"とな? ほう」


 雉猿狗の言葉を聞いた政宗は、にやりとした笑みを浮かべると、絶望の面持ちで長廊下に立つぬらりひょんの顔を独眼で見やった。


「そいつは面白そうだ。詳しく話を聞かせてもらおうか──なぁ、ぬらりひょん」

「……入れ……"独眼竜"」


 政宗の鋭い独眼に見抜かれたぬらりひょんは、力なく声を発すると、政宗と若い女武者を館の中庭"墨庭園"へと通した。

 敷かれた茣蓙の上にあぐらをかいて座った政宗。向かい合って座った桃姫と雉猿狗、夜狐禅はそれぞれ自身が知りうる限りの事の経緯を話した。


「──なるほどな。よくわかった……しかし、相も変わらず野心にまみれているな、ぬらりひょん」

「……これは野心などではない……わしは純粋に桃姫のためを思って」

「性懲りもなく、まだそんなことを言うでござるか」


 ぬらりひょんの言葉をさえぎった若い女武者。見知らぬその女武者の顔をぬらりひょんが白濁した眼で睨みつけると、政宗が口を開いた。


「ああ、顔を合わせるのは初めてだったよな──俺の娘の"ごろはち"だ。伊達五郎八という。どうだ、良い名前だろ?」

「……ごろはちちゃん」


 政宗の言葉を聞いた桃姫が、自身と近い歳に見える女武者の顔を見ながら呟いた。


「父上殿、拙者をごろはちと呼ぶのは父上だけでござる。本当の名は五郎八姫いろはひめ──"いろは"でござるよ」


 自身の名前を訂正した若い女武者・五郎八姫は、涼しい笑みを浮かべながら対面して座る桃姫の顔を見た。


「……いろはちゃん」

「あい」


 桃姫は改めて口にすると、五郎八姫は政宗ゆずりの茶褐色の瞳の片方をまばたきさせて返した。

 そんなふたりの様子を見ていた政宗が鼻を鳴らすと、ひざを叩いて声を上げた。


「そうであったか! いや、すまん。これだけ勇ましい姿をしているから、てっきり俺は、ごろはちかと思っていた!」

「……しつこいでござるよ、父上殿」


 五郎八姫に注意された政宗は、茣蓙の上に座る桃姫の顔を見やった。


「それで、桃太郎の娘っ子──桃姫と言ったか。お前はどうしたい?」

「えっ……」


 政宗は茶褐色の独眼を細めながら、桃姫に告げた。


「ぬらりひょんに襲われたのはお前だ。ぬらりひょんを罰する権利はお前にある──決めるんだ、ぬらりひょんをどうするか」

「……私が」


 一同が茣蓙の上に座る中、ぬらりひょんだけは黒石の上に正座させられており、顔を伏せて黙っていた。

 その態度からは、桃姫がどのような決定を下そうとも受け入れるしかないという覚悟が見て取れた。


「……私は」


 桃姫は言いながら、前に座る五郎八姫の顔を見た。五郎八姫は少しだけいたずらっぽい笑みを浮かべながら、桃姫にだけわかる小さな頷きをした。

 "自分の心に従えばいいでござるよ"──桃姫は五郎八姫の笑みからそのような想いを受け取った。


 今しがた会ったばかりの五郎八姫だが、目を見ていると互いの心が通じ合う、よき友になれるような温かな感覚が桃姫にはあった。

 桃姫は目を閉じ、己の心に従って決断を下すことにした。深く息を吐きながら濃桃色の瞳を開き、沈黙して正座するぬらりひょんに告げた。


「──赦しません」

「……えっ!?」


 桃姫を除いた全員が驚きの声を上げ、桃姫の顔を一斉に見た。ぬらりひょんですらも愕然とした顔で桃姫を見た。


「聞いたな、ぬらりひょん。では、そういうことだ──さらば」


 すっくと立ち上がった政宗は、左腰の黒鞘から〈燭台切〉の刃をスラッと引き抜くと、ぬらりひょんに向けて高く振り上げながら歩み寄った。

 〈燭台切〉は、10年前、夜狐禅の力を悪用した伊達の役人を政宗自ら処刑した際に、後ろに並んでいた燭台ごと斬り伏せたという逸話を持つ切れ味抜群の大業物である。


「あっ……ああっ」


 ぬらりひょんは口をぱくぱくさせながらうめいた。政宗の手によって振り下ろされた〈燭台切〉の刃が今まさにぬらりひょんの首筋に触れる──というところで桃姫は声を発した。


「──ですがッ!」


 ひんやりした刃が絶望を顔に浮かべたぬらりひょんの首筋にピタリと触れて止まる。

 政宗は桃姫の言葉を待っていたかのように静かな笑みを浮かべた。


「──赦しませんが、赦します」

「……もも、ひめ」

「ぬらりひょんさん。それが私の心からの言葉です──私は、ぬらりひょんさんを"赦しませんが、赦します"」

「……は……あ……あァァ……」


 ぬらりひょんは白濁した眼に涙を浮かべながら桃姫の言葉を聞き届けた。黒石の上にひれ伏し、桃姫に向かって形ではなく心からの土下座をした。


「──命拾いしたな。ぬらりひょん」


 政宗はぬらりひょんの大きなハゲ頭を見下ろしながら笑みを浮かべて言うと、〈燭台切〉を一回転させた後に黒鞘にスッと戻した。


「……自分の心に従えたでござるか?」

「うん……それに、雉猿狗に十分痛めつけられてるから──ね、雉猿狗?」

「そうですね。桃姫様が赦すというのであれば……私からはなにも言うことはございません」


 五郎八姫と雉猿狗は桃姫の意思を汲んで、これ以上のぬらりひょんへの追罰をやめた。

 "墨庭園"を離れた桃姫と雉猿狗は、政宗と五郎八姫とともにぬらりひょんの館の外へと出た。

 待機していた騎馬隊と合流した五郎八姫が白馬に騎乗すると、桃姫もその後ろに跨った。黒馬には政宗が乗り、その背後に雉猿狗が同乗した。


「ぬらりひょんさん。私はこの1年で、たくさんのことを学んで成長することができました。心から感謝しています。その想いは、これからもずっと変わりません」

「……達者でのう、桃姫」


 桃姫の言葉を噛みしめたぬらりひょんは頷きながら答えた。館から去っていく桃姫が馬上で振り返ると、手を振りながら声を発した。


「夜狐禅くん! 妖怪のみなさん! お世話になりました! ありがとうございました──!」


 別れの声を受けた夜狐禅は深くお辞儀をした。猫吉など他の妖怪たちは、遠ざかっていく桃姫と雉猿狗に向かって手を振り返した。

 こうして桃姫と雉猿狗は、1年の月日を過ごした奥州の森・ぬらりひょんの館を後にするのであった。

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