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38.真眼ぬらり

「アマテラスの力を借りおったな……雉猿狗」


 ぬらりひょんが憎々しげに告げると、雉猿狗は電撃の消えた右手を見つめながら静かに答えた。


「アマテラス様の目をかいくぐって悪事を働こうとした、あなたへの"天罰"です」

「何が悪事じゃ……わしは、桃姫のためを思うて……」


 倒れ伏したぬらりひょんは、"天象庵"の消失した扉の向こうで長廊下に座り込む桃姫と夜狐禅の姿を見やりながら、なおも右手に握りしめた〈影鳩〉の柄に力を込めた。


「よかろう……雉猿狗……」


 ぬらりひょんが声を発すると、雉猿狗に向かってにんまりと不気味な笑みを浮かべる。


「なにゆえ……わしが奥州妖怪頭目であるのか──"神"を気取りし、その獣の身に……思う存分、叩き込んでくれようぞ──」


 低い声でそう告げながら、ぬらりひょんは雉猿狗に向けていた白濁した両眼をゆっくりと閉じた。


「──真眼妖術・真眼ぬらり──痲苹浪庭まほろば──」


 唸るような声でそう唱えると、大きなハゲ頭の額に紫光する四つの"真眼"がカッと見開かれた。


「……ッ──!?」


 "この眼を見てはいけない"──瞬時にそう感じ取った雉猿狗は、咄嗟にぬらりひょんから顔を逸らし、翡翠色の瞳を硬く閉じた。

 その瞬間──焼け焦げる血肉の悪臭が鼻腔を突き、不穏な熱風が全身に吹き付ける。


「──こ……ここは」


 猛烈な不快感から思わず目を見開いた雉猿狗は、驚愕しながら声を漏らした。目の前に広がる光景──それは間違いなく、"あの夜"の花咲村であった。

 辺りを見渡した雉猿狗は、燃え盛るやぐらの前、血溜まりに倒れる一人の男の姿を見るや否や、叫びながら駆け出した。


「っ……御館様ッ!!」


 右肩から先を丸ごと失った桃太郎の前に駆け寄り、血溜まりの上に座り込むとその上体を持ち上げる。


「御館様……! 御館様っ!」


 懸命に呼びかけると、桃太郎は光を失った濃桃色の瞳をうっすらと開いた。


「三獣、なのか……?」

「はいっ、御館様……! ああ、御館様……!」


 力ない声で尋ねる桃太郎に対し、雉猿狗はこの身体で生まれて初めての涙を流しながら頷いて返した。桃太郎は今にも死に絶えそうな青ざめた顔色で口を開く。


「なぜ、もっと……早く、来てくれなかった、のだ」

「……っ!?」

「……私の祈りが……足りなかったのか」


 苦悶の表情で告げる桃太郎に対し、雉猿狗は首を横に振りながら懸命に否定した。


「──違いますッ! 御館様の祈りは、確かに天界まで届いておりました!」

「……残念だ」


 雉猿狗の腕に抱かれた桃太郎はそう呟くように口にすると、絶望に顔を歪めながら事切れた。


「い、嫌……! 御館様っ……! 御館様ァアッ!!」


 雉猿狗は桃太郎の亡骸を腕の中で揺らしながら何度もその名を叫んだ。その時、か細い声が雉猿狗の耳元に届いた。


「……父上」

「……ッ!?」


 雉猿狗がハッとして声のした方を見やると、14歳の桃姫がそこに立っていた。桃姫は雉猿狗が抱きかかえる桃太郎の亡骸を目にしながら体を震わせ、父親譲りの濃桃色の瞳から急速に光を失っていく。


「……地獄では、生きていけない」


 小さく呟いた桃姫は、手にしている〈桃月〉を強く握りしめると、雉猿狗が制止する間も与えず、有無を言わさず自らの喉に向かって突き立てた。


「──駄目ェェエッ!!」


 叫んだ雉猿狗が立ち上がり桃姫に向かって駆け出すが、〈桃月〉の刃は既に桃姫の喉に深々と突き刺さり、桃姫はその場に膝から倒れ込んだ。


「ああッ……! 嫌ァアアッ!! 桃姫様ッ! 桃姫様ああッ!!」


 悲痛な金切り声を上げながら、雉猿狗は地面に跪き、息絶えた桃姫の小さな体を抱き上げた。

 やぐらの前に倒れた桃太郎の瞳が、泣き叫ぶ雉猿狗を責めるように見つめ、冷たくなっていく桃姫の瞳もまた、責めるように雉猿狗をじっと見つめていた。


「──ああっ!! いやあッ!! アアアアアッ!!」


 喉が張り裂けんばかりに、赤く燃える花咲村の夜空に向けて絶叫する雉猿狗。その背後の暗闇に、雉猿狗の後頭部を睨みつける四つの紫光する真眼がヌボォと浮かんだ。


「──ほっほっほ──いま楽にしてやろう、雉猿狗──」


 暗闇に身を潜めたぬらりひょんが低い声でそう告げると、雉猿狗の後頭部に向けて右手で構えた〈影鳩〉の紫光する刃を、風切り音を立てながらシュッと突き出した。


「…………」


 しかし、雉猿狗はその一撃を無言でかわすと、突き出された刃を右手で掴み取る──その瞬間、雉猿狗を取り巻いていた燃える花咲村の景色が紫光の粒子となって霧散し、"天象庵"の室内へと戻った。


「な、にっ……わしの痲苹浪庭が、見破られた!?」


 大きなハゲ頭に開いていた紫光する"真眼"がパタパタと次々に閉じられていくぬらりひょん。

 代わりに白濁した両眼を見開いて驚愕の声を上げると、〈影鳩〉の刃を右手で握りしめた雉猿狗がゆっくりとぬらりひょんに振り返った。


「──さっきから、すえ臭いニオイがしてんだよ……ジジイの悪臭が、ぷんぷんとな──」

「……なっ──!?」


 雉猿狗は自分の手が切れることなどお構いなしに紫光する刃を力強く握りしめ、翡翠色の瞳に黄金の波紋を走らせながら憤怒の形相を浮かべた。


「──私に嫌なもの見せやがってッ──!! ──このうすら外道がァアアアッ──!!」

「……がッ……!? ギァァァアアアアッ──!!」


 激昂した雉猿狗の全身から放たれた黄金の神雷が、右手から〈影鳩〉の刃を伝ってぬらりひょんに流れ込み、その体を芯の底から焼き焦がしていく。


「──ぬッ、ぐぐッ……!! 離ッ、れんッ──!!」


 ぬらりひょんは右手で掴んだ〈影鳩〉の柄を手放そうともがくが、感電した筋肉が強張って手放すことができない。

 むしろ、離そうとすればするほどさらに強く握りしめてしまい、より強く雉猿狗が迸らせる怒りの神雷に感電する始末であった。


「ぐ……やむを得んッ! ──ぬンッ!!」


 ぬらりひょんは自身の左手の指先に力を込めて手刀を作り出すと、勢いよく振り降ろし、自身の右腕をザッと切断した。


「……ガハッ!! がはぁっ……!!」


 右腕を切断したことにより感電する〈影鳩〉から解放されたぬらりひょんは、陰陽図形の上に落下して尻もちをつくと、右腕の切断面を左手で押さえながら激痛にうめいた。


「──おい、腐れ外道。まだやるか──?」

「ひ……ひぃ、雉猿狗……っ!」


 雉猿狗はぬらりひょんの切断された右腕を放り投げ、神雷を刃にまとった〈影鳩〉を構えると、その切っ先をぬらりひょんの眼前に差し向けながら憤怒の形相で告げた。


「──"様"をつけろよ……デコ助ジジイ」

「ッ、ち、雉猿狗……様ッ……! 参りました……参りましたぁああ!!」


 ドスの効いた声を発した雉猿狗に対してぬらりひょんが土下座する。


「──次は……"殺す"からな」


 雉猿狗は〈影鳩〉を"天象庵"の壁に向けて放り投げ、ダンッと突き刺した。

 深く息を吐き全身にまとっていた雷光を霧散させた雉猿狗は、土下座するぬらりひょんの頭上を跨いで"天象庵"の外へと向かった。


「雉猿狗っ……!」


 長廊下から雉猿狗とぬらりひょんの戦闘を見届けていた桃姫は立ち上がると、雉猿狗に向かって駆け出した。

 雉猿狗は胸に飛び込んできた桃姫を優しく抱きしめると、翡翠色の瞳で濃桃色の瞳を見つめながら口を開いた。


「……桃姫様、お手数おかけしました」

「……もう怒ってない、よね……?」

「はい」


雉猿狗の穏やかな微笑みを見て、桃姫はようやく安堵した。


「ですが、桃姫様。もうこの館にはいられません……出ていきましょう」

「……え」


 雉猿狗の言葉に桃姫は声を漏らすと、雉猿狗は桃姫越しに頭を下げて立つ夜狐禅の姿を冷たく見やった。

 桃姫もその視線に気づいて振り返ると、黙って詫び続ける夜狐禅の姿を見た。


「いずれは離れる必要があったのです。今日がその日だったというだけ……行きましょう、桃姫様」


 雉猿狗はそう言って桃姫の手を取ると、桃姫の返答を待たずに歩き出した。

 無言で頭を下げ続ける夜狐禅の前を雉猿狗は無視するように通り過ぎ、桃姫は心配そうな顔をして通り過ぎるのであった。

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