37.三位一体の神雷
「きゃああああッ!!」
「桃姫様ッ……! ここは危険ですッ! 外に出ましょう!」
目が眩むような極光の中で悲鳴を発しながら身をかがめた桃姫に向けて、長廊下から"天象庵"に飛び込んできた夜狐禅が叫びながら手を伸ばす。桃姫は咄嗟にその手を掴み、二人して転がるように"天象庵"の外へと駆け出した。
"天象庵"全体が紫光と黄光とが渦を巻いた怒涛の極光の奔流で覆われる中、夜狐禅に手を引かれて何とか長廊下へと避難した桃姫は、赤い絨毯の上にふらふらとへたり込んだ。
「……はぁ……はぁ……!」
「桃姫様……お怪我は、ありませんか……?」
あまりの出来事に呆然としながら荒い呼吸を繰り返す桃姫に対して、同じく息を切らした夜狐禅が声をかけると、桃姫は小さく頷いて返した。
「夜狐禅くん、ありがとう……助けてもらえなかったら、今頃、あの渦の中に飲み込まれていたよ……」
雉猿狗によって吹き飛ばされ扉が消失した"天象庵"の室内で、激しく渦巻く凄まじい極光の様子を見ながら、桃姫は戦慄の面持ちで告げた。
桃姫とともにその様子を見て息を呑んだ夜狐禅は、突如として堰を切ったような滂沱の涙を紫色の瞳から流し始めた。
「う……ああ……! ごめんなさい、桃姫様ッ! 僕が悪いんですッ! ごめんなさい、ああッ……!」
「っ、夜狐禅くん……?」
突然の事態に困惑した桃姫が声をかけると、夜狐禅は激しく嗚咽しながら崩れ折れるように両膝をつき、桃姫に対して正座した。
「桃姫様っ、ごめんなさい、これは、僕のせいなんですッ! 二人が戦う羽目になったのは僕が原因です……!」
「ど、どうして……? 理由を聞かせて、夜狐禅くん……」
夜狐禅が震える声で桃姫に何度も謝罪すると、桃姫はなだめるような優しい声音で問いかけた。
「もう二度と、あの妖術は使わないと、政宗公の前で誓ったのに……! なのに僕は、雉猿狗様を騙してッ……! 僕の弱い心が、雉猿狗様をあれほどまでに、我を失わせるまでに怒らせてしまったんです……! 僕が……僕の心が弱かったせいなんです……! 本当に、ごめんなさいッ……!」
夜狐禅は両目からあふれ出て止まらない悔し涙を次々と頬から落としながら、情けなさと後悔とで震える両手を膝にきつく握りしめた。
「…………」
今の桃姫には、そんな夜狐禅にかけてあげられる言葉がなかった。夜狐禅が辛そうに慟哭するその姿を、ただ黙って見守ってあげることしかできないのであった。
「──ぬらりひょん、私は告げたはずですッ! 桃姫様に危害を加えれば、あなたの首が奥州の空を飛ぶことになるとッ!」
壮絶な極光の奔流が渦巻く"天象庵"の天井にて、雷撃の右拳を突き出した雉猿狗が黄金の閃光を放つ両眼を見開きながら、〈影鳩〉の刃を激しく紫光させるぬらりひょんに向けて叫んだ。
「抜かすなよ、獣風情がッ!! わしの魂魄を桃姫に与え、日ノ本最強の大強者へと進化させる──いったいそれのどこが危害かッ!」
「妖風情が桃姫様に憑依しようなどとは、虫唾が走るッ!! その下劣で腐った考えッ! 断固、拒否いたしますッ!」
「おぬしが決めることではないわ、雉猿狗ッ!! ──妖術・霞紫雨!」
ぬらりひょんは白濁した両眼を強く紫光させながら声を張り上げると、全身を紫光の粒子で包み込んで、フゥと姿を消した。
「ッ……!?」
雉猿狗は、ぬらりひょんが消えた天井のガラス窓に向かって勢いあまって雷撃の右拳を振り抜く。ガシャァンというけたたましい音を立てながらガラスが打ち砕かれた。
ガラスを失った大窓からビュォォと奥州の秋風が吹き込み、"天象庵"に渦巻いていた濃密な極光の粒子を霧散させていく。ガラスの破片が散らばった白い陰陽図形の上に、雉猿狗は着地した。
「──妖術ですか……くだらぬ真似を」
吐き捨てるように口にした雉猿狗は、大窓から降り注ぐ太陽光を直接その身に浴びて神力を補充しつつ、より輝きを増した緋色の瞳で"天象庵"の左右を交互に睨み、姿を消したぬらりひょんを探した。
「──ほっほっほ──くだらぬかどうか──おぬしの身体で試してみようぞ──」
"天象庵"に響き渡るぬらりひょんの声を耳にした雉猿狗は、右側にぬらりひょんの気配を感じ取ると、即座に上げた右手の人差し指からバリリッと電撃を撃ち放った。
「……ッ!!」
しかし、ぬらりひょんの姿はそこにはない。迸った電撃は空を貫き、天文学の蔵書が並ぶ本棚に当たって弾け飛ぶと、書物を発火させて次々と燃え上がらせた。
次の瞬間、雉猿狗の背後の宙空に紫光の粒子がまたたく間に集束していき、憤怒の形相を浮かべたぬらりひょんの姿を出現させる。
「──これ以上、わしの本を燃やすなッ!! キエェェエエエイッ!!」
両手に握りしめた〈影鳩〉を大上段に振り上げたぬらりひょん。甲高い金切り声を発しながら、雉猿狗の無防備な背中めがけて飛びかかる勢いで振り下ろした。
美しい軌跡を描きながら全力で振り下ろされた〈影鳩〉の紫光する刃──しかし、まるで霞を斬ったような手応えのなさにギョッとしたぬらりひょんは、宙空で一回転しながら燃える本棚の前に着地した。
「……ぬっ!?」
ぬらりひょんは当惑の声を漏らしながら即座に振り返ると、陰陽図形の上に広がるその光景を目にして驚愕した。
雉猿狗が立っていた場所に雉猿狗の姿はなく、その代わりとして、別の存在がそこには降臨していた。
「──な……にィッ!?」
それは、バチバチと激しく明滅する黄金の神雷を身にまとった 白犬、茶猿、緑雉の三獣の姿であった。
「三獣……じゃと」
愕然としたぬらりひょんが声に出した通り、それは桃太郎が引き連れていたお供の三獣──それらが天界で暮らしていた時の神霊体としての姿であった。
いずれも全身から極光を放ちながら、白犬は牙を剥き出しにして、茶猿は両手を懸命にこすり合わせ、緑雉は鋭い眼光をぬらりひょんに差し向けていた。
「──アォォォオオオンッ!!」
「──キィィィイイイッ!!」
「──ケェェェエエエンッ!!」
黄金に光り輝く三獣がそれぞれの鳴き声を天界に届く大きさまで一斉に張り上げると、身にまとっていた眩い神雷をぬらりひょんめがけてバリバリバリと同時に撃ち放った。
「……ッ!? 三位一体──ということかアぁッ!!」
ぬらりひょんは喚くように叫びながら、太陽が覗く大窓に向けて跳躍する。しかし、三方向から追尾するように飛来してきた高速の神雷に対して、逃げ場などなかった。
「──やりおったなァ、アマテラスッ!!」
黄金に光り輝く太陽に向けて憎々しげに叫んだぬらりひょんは、背後から迫ってくる三つの神雷を同時に浴び、全身を激しく感電させた。
「ギアアアアアアッ──!!」
神雷の直撃を受けて甲高い悲鳴の絶叫を発したぬらりひょん。三獣が放った神雷をその身に浴びきり、ようやく落下して陰陽図形の上に倒れ込むと、身体の節々から白い煙を立ち上げた。
「が……があ……ぐ……うう」
「──まだ、戦いますか……?」
顔を伏せたまま苦悶の声を漏らしたぬらりひょんに投げかけられる酷く冷たい声。ぬらりひょんは顔を上げると、自身を見下ろす雉猿狗と視線を合わせた。
三獣の姿から雉猿狗の姿へと戻ったその身体は、まとっていた黄金の神雷が解かれ、髪は荒ぶる稲妻から落ち着いた銀髪へ、瞳は緋色から翡翠色へと戻っていたのであった。