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34.ぬらりひょんの野心

 桃姫と雉猿狗がぬらりひょんの館に来てから1年の月日が流れ、食堂では桃姫の誕生日を祝う祝宴が行われていた。

 16歳を迎えた桃姫は、もうあの頃の幼い面影を残しておらず、凛とした美しさを湛えた少女へと成長していた。


「桃姫様、お誕生日おめでとうございます! どうぞ、こちらがご所望のお食事です!」

「わぁ! これだよ! 雉猿狗の握ったおにぎりが食べたかったの!」


 厨房の奥から雉猿狗が現れる。両手で大切そうに抱えた大きなおぼんの上には、黄金に光り輝くおにぎりがずらりと並んでいた。

 それはまるで太陽の恵みを閉じ込めたかのような美しい輝きだった。


「ねぇ、夜狐禅くんも一緒に食べて! 本当においしいんだから! いただきまーす!」


 桃姫は濃桃色の瞳を輝かせながら夜狐禅に声をかけると、湯気の立つ黄金のおにぎりに勢いよくかぶりついた。


「んー! おいしい!」


 幸せそうに頬を緩める桃姫の姿に、夜狐禅も自然と笑みがこぼれる。


「ふふ、本当においしそうに召し上がりますね。それでは僕も一つ。いただきます、雉猿狗様」

「はい、どうぞ。たくさん握りましたので、皆様どうぞ遠慮なさらず召し上がってください」


 雉猿狗は食堂に集まった妖怪たちを見回しながら、温かな声で呼びかけた。

 妖怪たちが太陽の味がするおにぎりを頬張る様子を穏やかに見ていた雉猿狗は席を立つと、一着の着物を抱えて戻ってきた。


「桃姫様。館の皆様から、桃姫様への誕生日の贈り物がございます」

「……え?」


 雉猿狗の言葉に、桃姫は驚いて振り返る。その手に抱えられているのは、見覚えのある桃色の着物だった。

 体の成長で着られなくなってしまった、思い出深い着物。


「こちらは、妖々剣術を会得されて成長なさった桃姫様のお体に合うよう、身軽に動けるように仕立て直したお着物でございます。浮き木綿様の……"献身的なご協力"によって完成いたしました」

「……?」


 雉猿狗のほほ笑みに込められた意味深な響きに、桃姫は首をかしげる。すると隣に座る夜狐禅が説明した。


「桃姫様がお召しになるお着物の"布地"になりたいと、浮き木綿様が自ら志願なさったのです。その浮き木綿様を素材に、雉猿狗様が仕立て直してくださったのですよ」

「……え!?」


 桃姫は驚愕したが、恐る恐る着物を受け取り、自分の体に当ててみる。十四歳の記念に両親から贈られた桃色の着物は、十六歳になった桃姫の体にぴったりと合うよう美しく生まれ変わっていた。


「……ぬらりひょんさん、こんなことして大丈夫なのかな?」


 不安げに対面のぬらりひょんに尋ねた桃姫。


「ほっほっほ……浮き木綿を用いた着物など前代未聞じゃが……なに、自ら望んで"布地"となったのじゃ。遠慮なく着るがよい」


 ぬらりひょんは湯呑みを手に取り、一口茶をすすってから続けた。


「それに、浮き木綿由来の"妖力"が宿っておるやもしれんしのう……ほっほっほ」

「うん……そうですよね。ありがたく着させていただきます」


 桃姫は着物を胸に抱きしめ、深々と頭を下げた。


「雉猿狗、それに館のみんな……本当にありがとうございます!」


 感謝の言葉を告げた桃姫に食堂に集まった妖怪たちは、一斉に拍手を送った。

 しかし、その温かな祝福の中で、ただ一人だけ異なる想いを抱く者がいた。


「…………」


 ぬらりひょんは湯呑みから茶をすすりながら、白濁した眼を細めて桃姫の明るい笑顔をじっと見つめていた。

 その表情は穏やかだったが、心の奥底では別の感情が渦巻いていた。


 ──待ちわびた瞬間が……ついに訪れた……。

 ──桃姫よ、おぬしは今日……日ノ本最強の存在へと生まれ変わるのじゃ……。


 表面上は慈愛に満ちた笑みを浮かべながらも、ぬらりひょんの内では野心の炎が静かに、しかし激しく燃え上がっていた。


「──ぬらりひょんさん! ぬらりひょんさん!」

「……ん? んッ?」


 桃姫の呼びかけに我に返ったぬらりひょんは、慌てて空になった湯呑みを口から離す。


「……なんじゃ、桃姫?」

「それもこれも全部、ぬらりひょんさんのおかげです! 私と雉猿狗を館に迎えてくれて、家族のように接してくれて……本当にありがとうございます! これからも、よろしくお願いします!」


 桃姫は純真無垢な笑顔を向け、心の底からの感謝を込めて深々と頭を下げた。

 ぬらりひょんは静かに、深く頷いて応える。しかし白濁した眼は変わらず桃姫の顔を見つめ続けていた。

 やがて祝宴が終わり、賑やかだった食堂には静寂が戻った。妖怪たちが去り、広い空間にぬらりひょんと夜狐禅だけが残る。


「……夜狐禅よ。これより、"魂魄の儀"を決行する」


 ぬらりひょんが夜狐禅に低い声でささやいた。


「……頭目様……その御意思は変わらないのですね?」

「事前に伝えていた通りじゃ。よいな夜狐禅──わしが"消失"した後は、桃姫を新たな頭目として仕えるのじゃぞ」

「…………」


 ぬらりひょんの決して揺らぐことのない野心を感じ取った夜狐禅は沈黙した。

 しばらく後、桃姫と雉猿狗が洋風の自室でくつろいでいると、部屋の扉が控えめに叩かれた。


「雉猿狗様、居られますか……」

「ん、夜狐禅様……? いかがなされました……?」


 扉を開けた雉猿狗が廊下に立つ夜狐禅に尋ねると、夜狐禅は部屋の中にいる桃姫と目があった。

 勉強机に向かって椅子に腰掛けた桃姫は夜狐禅の様子を濃桃色の瞳で見ると、夜狐禅は視線を雉猿狗に移した。


「頭目様がお呼びです。お話があるとのことで、参りましょう」

「ぬらりひょん様が……?」


 夜狐禅の言葉を聞いた雉猿狗が廊下に一歩出ると桃姫が椅子から立ち上がって口を開いた。


「……夜狐禅くん、私も行っていい?」

「いえ、これは雉猿狗様への言伝なので、桃姫様はそちらでお待ち下さい」


 桃姫の言葉を受けて夜狐禅は言って返すと、桃姫の視線を避けるように扉を閉めて雉猿狗と廊下を歩き出した。


「……夜狐禅様」


 燭台の炎が揺らめく赤絨毯の長廊下を歩きながら、雉猿狗は前を行く夜狐禅の背中に声をかけた。


「……何か、"良からぬこと"をお考えではありませんか?」


 雉猿狗の言葉を聞いた夜狐禅は立ち止まると、振り返って雉猿狗の顔を見た。


「……雉猿狗様、初めて会話した時、僕の首筋に噛みつきたいとおっしゃれましたよね」

「……ええ」


 雉猿狗は警戒するように目を細める。すると夜狐禅は苦笑を浮かべ、長い前髪の隙間から覗く紫色の瞳をゆっくりと見開いた。


「そんなに妖怪は……信用ならないものでしょうか?」

「……ッ!」


 雉猿狗は息を呑んだ。その紫の瞳に淡く光る不思議な紋様が浮かび上がるのを見た瞬間、全身から力が抜けていくのを感じた。


「何を……っ!」


 膝から崩れ落ちそうになりながらも、雉猿狗は必死に夜狐禅を睨みつける。


「──夜狐妖術・夜船緩凪やせんかんな──」


 夜狐禅の声が、まるで子守唄のように響く。


「どうぞ、そのまま……ごゆっくりと……お休みください」


 紫色の瞳に浮かんだ紋様が、まるで夜空に輝く星座のようにゆるやかに回転し始める。その光を見つめる雉猿狗の意識に、抗いがたい眠気が忍び寄った。


「……どう……して……」


 最後の抵抗を見せるかのように雉猿狗が呟くが、やがてその体は力を失い、長廊下の絨毯の上に静かに倒れ伏した。


「……もう二度と使わないと決めていたのに」


 目を閉じて穏やかな寝息を立てる雉猿狗の顔を見下ろした夜狐禅が苦々しげに呟いた時、廊下の向こうから杖を突く音が近づいてきた。


「──でかした、夜狐禅──」


 現れたぬらりひょんは満足げな笑みを浮かべながら、眠る雉猿狗を見下ろす。


「この獣女を地下牢に閉じ込めるのじゃ……桃姫との"儀式"が終わるまでの間……のう」


 白濁した瞳に冷たい光を宿しながら、ぬらりひょんは命じた。


「……はい……頭目様」


 夜狐禅は目を伏せたまま答える。その声には、諦めにも似た響きがあった。


「──夜狐変化」


 漆黒の毛並みを持つ美しい妖狐の姿となった夜狐禅は、眠り続ける雉猿狗を優しく背中に乗せると、足音を立てずに長廊下の闇の中へと消えていった。

 その姿を見送ったぬらりひょんは、白濁した眼を細めながら、ひとり静かににんまりとした笑みを浮かべるのであった。

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