29.妖刀憑かれの妖々魔
桃姫と雉猿狗がぬらりひょんの館に着いてから三ヶ月が過ぎたある夜のこと──小雨が降る中、歴史を感じさせる群青色の武者鎧が館の玄関前に浮かんでいた。
「──失礼。失礼つかまつる」
武者鎧の内側から低い声が響くと、手入れの行き届いた松に囲まれた大扉がギィと軋みながら開かれ、ランタンを手にした夜狐禅が顔を覗かせた。
「はい。どちら様でしょうか」
灯火で顔を照らした夜狐禅が尋ねると、漆黒の面頬と兜の隙間から青眼がボウと浮かび上がった。
「それがし、妖々魔と申す流浪の妖にござる──たまさか知り合った猫丸殿より、妖が集いし館の話を聞き及び、こうして馳せ参じた次第」
「……猫丸様でございますか」
「左様。"武者修行一年目だにゃ"と申しておられた」
紫色の瞳を細めた夜狐禅は妖々魔を見定めると、悪意が感じられないことを確認してから口を開いた。
「……猫丸様とは、どちらでお会いに?」
「あれは、一月ほど前のことでござろうか……北の湿地帯にて、鬼火の群れに襲われておるところを、それがしが助太刀に入って意気投合」
「そうでしたか。猫丸様は、まだこの辺りにいらっしゃったのですね」
奥州の森を北に抜けた先に広がる湿地帯には鬼火──死後供養されなかった人間や動物の魂が青い火の玉と化した妖怪が出没した。
青いうちは大人しく無害だが、生前の怨嗟を思い出して赤みを帯びてくると凶暴化し、通りがかった者に容赦なく襲いかかる危険な妖怪だった。
「かしこまりました。ただいま頭目様をお呼びいたしますので、しばしお待ちください」
「かたじけない」
夜狐禅が扉を閉めて数分後、再び扉が開かれると、長廊下の向こうから黒杖を突いたぬらりひょんが姿を現した。
「……いったい何時だと思うておる」
玄関口までやってきたぬらりひょんは、耳の穴を指で掻きながら面倒くさそうに妖々魔の武者鎧を見回した。
「妖怪とは夜分こそが本領と心得ておりましたが」
「わしは朝型の妖怪じゃ……ふわぁあ」
大あくびするぬらりひょんを見た妖々魔は、青眼を困惑に明滅させた。
「……して、猫丸のぼんくらはどうした? 帰ってくる気になったのか?」
「猫丸殿でありますれば、去り際に"蝦夷地に行くにゃ"と申して、さらに北へと歩いて行かれました」
「はあ? 蝦夷地じゃとお? こりゃあ、死んだものと考えたほうがよさそうじゃ……」
黒杖に顎を乗せて深いため息をついたぬらりひょんは、小雨に濡れる妖々魔を白濁した眼で見据えながら口を開いた。
「おぬし──"妖刀憑かれ"じゃな?」
「……! さすがは頭目殿。看破なされましたか」
妖々魔の青眼が驚きに揺らめくと、ぬらりひょんは左腰に帯びている大中小三振りの刀を睨んだ。
「その三振り、すべて妖刀と見た……それも相当の業物じゃ」
「いかにも。長物から順に〈夜桜〉、〈夜霧〉、〈夜露〉……三振りともに曰く付きの妖刀でござる」
妖々魔の返答に眼を細めて頷いたぬらりひょんは、にんまりとした笑みを浮かべた。
「気に入った。妖々魔、おぬしを客人として歓迎しよう」
「有り難き幸せ」
「ただし、条件がある」
頭を下げた妖々魔に対し、ぬらりひょんは一呼吸置きながら告げた。
「退館の際、妖刀を一振り置いていってもらおうか」
「……ぬらりひょん殿も意地が悪い。それがしは妖刀憑かれ……その身から妖刀を外すが叶わぬことは、ご存知でありましょうに」
悲しげな声を発した妖々魔。しかしぬらりひょんは首を横に振った。
「それは己の意思によって外そうとした場合じゃ。条件をつけられた場合は話が別……"妖刀を置いていけ"という"条件"に従えば外すことができる」
ぬらりひょんの言葉を受けた妖々魔は、面頬の奥に浮かぶ黒い影のような顔をゆらりと揺らした。
「そんなことも知らぬとは、さてはおぬし──"なりたて"じゃな?」
「……素晴らしきご明察。いかにも……それがしは蘆名に仕えていた剣術家。半年前の伊達との戦において落命し、妖刀憑かれとして黄泉帰った次第」
妖々魔が観念したように答えると、ぬらりひょんは眉間を寄せながら尋ねた。
「……剣術家のおぬしが、この館になにを求める」
「それがしがなにを求めているのか、なにゆえ妖刀に憑かれ妖の身分となったのか……まさにそれこそを探るため、妖の集う館に赴けば、糸口が掴めるやもしれぬと思い至った次第」
そう告げた妖々魔は、宙に浮かんだ左右の籠手をピタリと合わせて合掌した。
「──妖刀一振りを置いて退館する条件、謹んでお受けするでござる」
「よかろう……夜狐禅、空いている部屋に妖々魔を案内してやれ」
「はい、頭目様」
その翌朝──食堂で朝食をとっている桃姫と雉猿狗に、夜狐禅が昨晩の出来事を語って聞かせた。
「そのようなことがあったのですか」
「寝てたから、全然気づかなかったよ」
「はい。ただ、妖々魔様は夜型の妖怪ですので、明るい時間帯に活動されるおふたりと接する機会は少ないのかもしれません」
夜狐禅の言葉を聞きながら桃姫が味噌汁を飲むと、雉猿狗は思いついたように口を開いた。
「妖々魔様は、もとは蘆名の剣術家だとおっしゃられたのですよね?」
「はい。確かにそのように言っていました」
夜狐禅の返答を受けた雉猿狗は、味噌汁を飲んでいる桃姫の顔を見つめた。
「桃姫様。私たちはこの一年で体力こそつきましたが、独自の鍛錬では限界を感じています……もし剣術の専門家から手ほどきを受けることができれば、それは大きな成長につながるのではないでしょうか」
「そうだね……うん、教わりたい」
味噌汁を飲み終えた桃姫が空になった碗を置きながら答えた。
「では、朝の鍛錬はやめにして、仮眠を取ってから夜、中庭へと参りましょう」
「うん」
妖々魔から剣術を学ぶことに決めた桃姫は、雉猿狗の提案に力強く頷くのであった。




