6.桃太郎の物語
『桃太郎の物語』 作・絵 桃姫
日ノ本備前にある花咲村という小さな村で、お爺さんとお婆さんが仲むつまじく暮らしておりました。
ある日の朝、いつものように、お爺さんは花咲山へ芝刈りに、お婆さんは花咲川へ洗濯に行きました。
洗濯物が詰まった桶を草の上に置くと、お婆さんは雲一つない青空に向かって腰を抑えながら伸びをしました。
「腹減ったなあ。腹減ったあ。何でもええから、腹いっぱい食いてえ」
お婆さんが愚痴をこぼすと、川上から今まで見たこともない大きな桃が流れてくるのを発見しました。
「桃だ! でっけえ桃だ! あ、ああ!! どうすりゃええだ!?」
驚愕したお婆さんは川辺を右往左往しながら叫びますが、このままでは桃は流れ過ぎてしまいます。
「や、やるしかねえ!!」
ついに意を決したお婆さんは、着物の裾をまくりあげ、草履を乱暴に脱ぎ捨てると、川の中に足を踏み入れました。
「ああ、冷てえ! だけんど、あんな立派な桃、めったに食えたもんじゃあねえ!!」
お婆さんは桃を狙い定めた黒い瞳をかっぴろげると、一歩また一歩、川の中に足を踏み入れました。
「なんちゅう、でけえ桃だ! ああ、食いてえ! 食いてえよお!!」
お婆さんは流れてくる桃を見つめながらわめきますが、川の流れが早過ぎて思うように前に進めません。
それでも何とか、もう一歩だけ足を踏み出したそのときでした。
「お、おわ! おわああ!!」
その一歩分から川底は深くなっていました。お婆さんは流れに負けて、水面に浮かんだ体ごと流されてしまいます。
「ああ、駄目だ! こりゃあ、駄目だ! 爺さん、爺さん!! 助けてくんろお!!」
川を流されていくお婆さんは、水面を両手で叩きながら助けを求めます。
ですがお爺さんのいる山奥まで届くはずもなく、押し流されるお婆さんはもはや絶体絶命の状況でありました。
「──かかか。お助けいたしましょう」
お爺さんとは異なる、特徴的なしゃがれ声がお婆さんの耳元に届いた次の瞬間、棍棒のような太い腕がお婆さんの腕を掴むと、軽々と水面から引き上げました。
ずぶ濡れになったお婆さんが困惑しながら振り返ると、後ろに立っていたのは赤の呪符で顔を隠した灰色肌の大男でした。
お婆さんの背丈の何倍もある大男は、川から難なく歩き出ると、掴んでいたお婆さんの腕を離して草の上に落としました。
「──拾ってこい」
しゃがれた声が再び発せられると、緑の呪符を顔に貼りつけた別の大男が現れて川に入り、流れて去っていく大きな桃を片手で掴み上げました。
大きな歩幅でザバザバと音を立てながら川から出ると、洗濯桶の前まで桃を運んで草の上に置きました。
「あらあ」
お婆さんが呆気に取られながらその光景を見ていると、〈黄金の錫杖〉を右手に携えた修験道の白装束を着た老人が現れました。
「──大事はないですかね、お婆さん」
大男に注意が行っていたお婆さんに対して、満面の笑みを浮かべた細身の老人は、白い髪を頭の天辺で結っていました。
「は、はい。助かりました。どこのどなたかは存じませぬが。助かりました」
何度も頭を下げて感謝するお婆さんに対して、老人は笑顔で頷きました。
「いえいえ、無事が第一。して、その桃はあなたが最初に見つけた桃。どうぞ、家に持ち帰って、たんと召し上がるがよろしい」
老人は満面の笑みでそう言うと、お婆さんはあまりの喜びに目を輝かせました。
「ありがたやあ! ありがたやあ!」
「かかか!」
両手を合わせて拝んだお婆さんに老人は笑い声を上げると、〈黄金の錫杖〉の頭に三つ並んだ金輪をチリンと鳴らしました。
すると、ふたりの大男が老人の左右に黙って立ち並びました。
「よく晴れておるから、お召し物もすぐに乾きましょうぞ。では、これにて失敬」
老人は終始変わらぬ笑みを浮かべながら、左手で片合掌をするとお婆さんに別れを告げました。
そして、二人の大男に目配せすると、彼らを引き連れて、お婆さんの前から立ち去っていきました。
「はあ、あんなに立派な行者様が、備前にはいたんだねえ」
お婆さんは声を漏らすと、草の上に置かれた大きな桃に目をやりました。甘い香りがこれでもかと漂い、お婆さんの心をくすぐります。
うっとりとした目つきで桃を見つめたお婆さん。いつの間にか濡れていた着物は乾いていました。
「ほんにありがたいねえ」
穏やかな笑顔を浮かべたお婆さんは、真上に昇った太陽に向けて感謝の合掌をしながら、お辞儀をしました。
するとそのとき、聞き覚えのある音痴な歌声がお婆さんの耳に届きました。
「いけねえ!! 村のもんに見つかる前に、早く持って帰らねえと!!」
お婆さんは一転して血相を変えると、用心深く辺りを見渡しながら声を発しました。
そして、洗濯桶の中身を豪快に投げ捨て、替わりに大きな桃を乗せると、村人に鉢合わせしないように気をつけながら家路を急ぎました。
それから数時間後。山から帰ってきたお爺さんに桃を見せながら、日中に起きた不思議な出来事についてお婆さんは話しました。
「なんと、そげなことがあっただか」
お爺さんは目を丸くして驚くと、手狭な室内に置かれた洗濯桶の上で、甘い香りを放ち続ける大きな桃をじっと見つめました。
「その行者様は、仏様の化身かもしんねえだな」
「そうかもしんねえだ。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
老夫婦は並んで正座すると、しばらくのあいだ立派な桃を拝みました。
そして、お爺さんが大きな包丁を持ってくると互いの手を重ねた包丁の刃を大きな桃に押し当てました。
その瞬間、桃の中から玉のように愛らしい男の子の赤ん坊が飛び出して来たではありませんか。
「こりゃあ、たまげた!」
「あら、まあ!」
これにはびっくり仰天。ふたりは若い頃に男児を流行り病で亡くしていたため、これは仏様の粋な計らいなのだと考えて、大事に育てることに決めました。
不思議な桃の中から生まれてきたので、お爺さんとお婆さんは男の子の名前を〈桃太郎〉──そう命名しましたとさ。