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28.雌獣の勘

「びっくりしたよ、突然あんなことするなんて! ぬらりひょんさんに嫌われたら、私たち館から出て行かなくちゃいけないんだよ!」

「申し訳ございません……ただし、気をつけた方がいいです。この館にいるのは私たち以外、すべて妖怪です……そのことを忘れないでください」


 怒気を込めた桃姫に、雉猿狗は眉を曇らせながら静かに告げた。


「私は、妖怪には悪い印象は持ってないんだけどな……」


 雉猿狗の忠告を聞いた桃姫は、眉をひそめながらそう呟いた。

 一方その頃、館の三階突き当り、大扉に"天象庵"と書かれた奥座敷で、白濁した両眼を見開いたぬらりひょんがうなり声を発していた。


「ぬおお……! よもや、桃太郎の娘がわしの館に来おるとは……! こんな奇跡があってよいものか……!」


 巨大な陰陽の図形が描かれた黒い床の上には、天文学にまつわるありとあらゆる書物が広げられており、ぬらりひょんはその中の一冊〈星律録〉と題された書物を睨みつけるように読んでから天井を見上げた。

 天井には円形の巨大なガラス窓が取りつけてあり、差し込む陽光がちょうど陰陽の図形を照らし出す作りになっていた。


「これほどの資質を持つ者は日ノ本には他におらぬ……! 桃姫こそ、わしの力を託すにふさわしい逸材……! わしの悲願を果たすための、唯一無二の継承者……!」


 ぬらりひょんはガラス越しに覗く太陽を白濁した眼で見やると、両手の人差し指と親指で三角形を作り、"心眼"にて太陽の動きを捉えた。


「今より一年後じゃ……その日、日ノ本一の大強者が誕生する……ほっほっほっほ!」


 ぬらりひょんは不敵な笑みを浮かべながらそう告げると、太陽に向けて大いに笑った。

 七ノ湯の露天風呂で身も心もさっぱりと洗い流した桃姫と雉猿狗は、夜狐禅の先導によって一階の食堂へと招かれた。


「わぁ……!」


 食台の上に並べられた料理を見て桃姫が声を上げた。焼き魚、刺身、味噌汁、酢の物、玄米という簡素なものだが、どれも新鮮で栄養が良さそうだった。


「この料理は、どなたが?」

「どうぞ、厨房の中をご覧になってください」


 雉猿狗が尋ねると、夜狐禅は食堂の脇にあるのれんの先を視線で示した。

 夜狐禅に促された桃姫と雉猿狗が挨拶をしようとのれんの先に顔を出すと、美味そうにキセルを吸いながら椅子に腰かける目つきの悪い大きな化け猫がいた。


「あの……お料理、いただきます」

「っ!? なんにゃあっ、とぇめぇら! 勝手においにゃの仕事場のぞくとは何事にゃあっ!?」


 桃姫に声をかけられた化け猫は、ビビビッと全身の毛を逆立てながら椅子から立ち上がり、二又に分かれた尻尾を揺らしながら怒号を発した。


「ご、ごめんなさいっ!」

「失礼いたしました!」


 桃姫と雉猿狗が慌ててのれんから首をひっこめると、夜狐禅はふたりに説明した。


「館の料理を担当していらっしゃる大猫又の猫吉様です。頭目様の古くからのご友人だそうで、強面ですがやさしい御方ですよ」


 夜狐禅はそう言ってほほ笑んだ。桃姫と雉猿狗が椅子に座って食事を取っていると、不意に視線を感じた桃姫が、ちらりと厨房の方を見やった。


「雉猿狗……」

「はい……」


 雉猿狗も厨房の方を横目で見て、ふたりが食事する様子をのれんの隙間から窺っている緑色の猫の目を見た。


「……んにゃ!?」


 見られていることに気づいた猫吉が慌てて厨房に顔を引っ込めると、桃姫と雉猿狗はくすりと笑った。


「ほら、雉猿狗……妖怪って別に、悪い人たちじゃないんだよ」

「……そうだといいのですが」


 桃姫が同意を求めると、雉猿狗は刺身を食べながら呟いた。


「ほっほっほ……猫吉は人見知りじゃからのう。悪く思わんでやってくれ」


 黒杖を突きながら食堂に入ってきたぬらりひょんが、笑いながらふたりに声をかけた。


「どうじゃ、奥州の魚と米は。備前育ちの舌には合うかね?」

「はい、とても美味しいです! 特にお味噌汁が!」


 ぬらりひょんの言葉に桃姫は笑顔で返すと、空になった味噌汁の椀を見せた。


「ほほほ。そうかそうか。おかわりがほしいなら、遠慮なく猫吉に申しつけるのじゃぞ」

「はい!」


 元気よく返事をした桃姫は椀を手に椅子から立ち上がると、厨房ののれんの前に立って「猫吉さん」と呼びかけた。

 すると、毛深い猫の手がのれんの向こう側から伸びて空の椀を受け取ると、すぐに湯気が立つ味噌汁を満杯にした椀が差し出された。


「ありがとうございます、猫吉さん!」

「んにゃ……」


 桃姫は毛深い猫の手から椀を受け取って食台に戻ると、ぬらりひょんが口を開いた。


「猫吉には猫丸という名の弟がおってのう。以前は二匹で厨房を切り盛りしておったのじゃが、あの恩知らずの猫又め……出奔しおったのじゃ」

「……出奔ですか」


 雉猿狗の言葉にため息で返したぬらりひょん。


「そうじゃ……ある日突然、"剣豪ににゃりたい"などと世迷い言を抜かしおってのう。どうせすぐに帰ってくると思って館から出してやったのじゃが……そのまま行方をくらませおった」


 ぬらりひょんの話を聞きながら味噌汁を飲み終えた桃姫は、椅子から立ち上がった。


「猫吉さんに食事のお礼を言ってくるね」

「はい」


 厨房に向かった桃姫の背中を雉猿狗が見送ると、隣に立つぬらりひょんもその姿を見ていた。


「うむうむ。礼儀正しくて実に健やかな子じゃ。さすがは桃太郎の娘じゃのう」

「……ぬらりひょん様」


 椅子から立ち上がった雉猿狗は、背の低いぬらりひょんを見下ろす形で声をかけた。


「身寄りのない私たちをこの館に迎え入れていただけたこと、深く感謝しております」

「うむ」


 雉猿狗の言葉にぬらりひょんは満足気に答えた。


「桃姫様がここまで安心なされているお顔を見たのは、私も初めてのことです」

「そうか、それはよかった」


 ぬらりひょんは、好々爺然としたほほ笑みを浮かべながら頷いた。


「ですが、一つだけお伝えしておかなければならないことがございます」


 そう言った瞬間、雉猿狗の表情がすっと冷たくなると、ぬらりひょんは白濁した眼でその顔を見上げた。


「──桃姫様になにか危害を加えた場合、その首が奥州の空を飛ぶとお考えくださいませ」

「……なにを」


 雉猿狗のまさかの発言に、ぬらりひょんは愕然として声を漏らした。


「いえ……ただの"雌獣の勘"にございます」


 雉猿狗は冷たく言い放つと、厨房から戻ってきた桃姫とともに食堂を後にした。


「……わ、わしを脅しおった……? ……このぬらりひょんを……脅しおったというのか……?」


 雉猿狗の発言を時間差で噛みしめたぬらりひょんは、大きなハゲ頭に太い血管を走らせていった。


「……獣女め……わしの悲願の邪魔立ては……絶対に許さんからな……!」

「頭目様の悲願とは?」


 怒りに震えるぬらりひょんの背後から夜狐禅が尋ねた。


「っ!? おぬしには関係ないわいッ!」


 驚きながら声を荒げたぬらりひょんは、黒杖を突いて食堂を出ていった。

 翌日──館の二階にある洋風の部屋にて桃姫が雉猿狗に尋ねた。


「ねぇ雉猿狗……ぬらりひょんさんが私のこと避けてるみたいなんだけど、なんでかわかる?」

「さぁ……」


 雉猿狗は蔵書室から運んできた役に立ちそうな書物の数々を本棚に並べながら返した。


「なんか気に障るようなこと、やっちゃったのかな……挨拶も返してくれないんだよ」

「……私の"お灸"が効いたからではないでしょうか」

「おきゅう?」


 雉猿狗が呟くと、椅子に座っている桃姫が首を傾げた。


「いえ、こちらの話です──さ、勉強を始めましょう」

「……勉強かぁ」

「桃姫様には文武両道を志していただきます。幸いなことに、この館には大量の書物が所蔵されておりますので、教育環境としては申し分ありません」


 雉猿狗はそう言うと、丸いガラス窓を開いて、新鮮な森の空気を部屋の中に取り入れた。


「それに奥州の森の奥深くとあって、空気が澄んでいて水も清らか……私も心が落ち着いて、枯渇していた神力が満ちあふれるのを感じます」


 深呼吸した雉猿狗の翡翠色の瞳には、輝かしい黄金の波紋が戻っていた。


「雉猿狗が幸せそうでよかった」

「あはは。私は桃姫様と一緒にいられれば、ただそれだけで幸せですよ」


 桃姫が書物を机に広げながらほほ笑むと、雉猿狗も太陽のほほ笑みで返した。


「私も雉猿狗と一緒で幸せ。それにここなら鬼も追いかけてこないから、もっと幸せなんだ」

「はい。桃姫様、この館に腰を据えて暮らしていきましょう」

「うん」


 人里離れた奥州の森の奥、青々とした木々に囲まれた広大なぬらりひょんの館に、穏やかな太陽の光がやさしく降り注ぐのであった。

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