26.雷鳥赤火
「──日ノ本最高神、天照大神より授かりし、この神の御業をとくと視よ」
黄金の波動とともにバリバリと全身から雷光を解き放った雉猿狗。桃姫はその体にしがみつきながら固く目を閉じ、巌鬼と鬼蝶は驚きに目を見開いた。
「──天照神術・雷鳥赤火ッ!」
桃姫を抱きしめた雉猿狗が天界に向かって詠唱すると、波動を伴った雷光が凄まじい爆音を立てながら街道を黄金色に染め上げ、ふたりの体を宙空に浮かべる巨大な"雷塊"と化した。
「ぬッ!?」
「なんなの!?」
その信じがたい光景とあまりの眩しさにたじろいだ巌鬼と鬼蝶。"雷塊"は黄金を超えて緋色へと転じながら、左右からバサッと巨大な翼を広げた。
「桃姫様! このまま奥州まで飛びます!」
「うんっ!」
神々しい黄金色に瞳を染め上げた雉猿狗が告げると、桃姫は激しい紅雷の中で力強く頷き、信頼する雉猿狗にその身を委ねた。
そして、強烈な雷鳴を打ち放つ緋色の"雷鳥"は、大きく羽ばたいて飛翔すると、夕焼け空に光り輝く軌道を残しながら、奥州に向けて飛び去っていった。
「……なんだ、今のは」
黄金と緋色が入り混じった軌跡が走る空を見上げた巌鬼が声を漏らすと、鬼蝶が憎々しげに歯噛みした。
「……桃姫ちゃんだけじゃなく、雉猿狗まで妙な力が使えるってわけ……?」
鬼蝶が軌跡を睨みながら言うと、後方からチリンという金輪の音が響いた。
「──かかか。雉猿狗のやつ、あれほどの神術が使えるようになったか」
満面の笑みを浮かべた役小角が感心したように言いながら現れると、振り向いた巌鬼が怒号を発した。
「遅いぞジジイ! いまさらやってきて、なにを抜かす!」
「かかか。そう怒鳴るでない、温羅坊……わしにはわしの"事情"というものがあるのじゃよ」
役小角が笑いながら言うと、鬼蝶が口を開いた。
「行者様、今すぐふたりのあとを追ったほうがよろしいのでは……?」
「そうだ。今度は、力ずくで鬼ヶ島に連れていこう」
鬼蝶の言葉に巌鬼が同意すると、役小角は首を横に振った。
「いや、やめておいたほうがよい。あやつらが向かったのは、ぬらりひょんの館……わしですら容易に入り込めぬ、妖の領域ですわいの」
「……おい、ジジイにしてはやけに弱気だな。たかが妖怪ごときになにを臆している」
軌跡を粒子に変えながら、夜の帳が下りていく空を見上げた役小角が告げると、巌鬼が睨みつけながら言った。
「温羅坊。おぬしは妖怪のことをなにも知らん……やつらは狡猾、うかつに近づけば、わしらが捕らえられる危険すらあるでな」
そう言った役小角は足元に転がる野盗の亡骸を見やると、〈黄金の錫杖〉で血だまりを突いてスーッと地面に血の円を描き、中に三つの点を置いた。
「妖怪侮るべからず、特にぬらりひょん……やつは、わしの手に負えん」
漆黒の眼を細めた役小角の言葉を耳にしながら、巌鬼と鬼蝶は円の中に捕らえられている血の点を見つめた。
「桃姫を捕らえるのは一旦やめじゃ。わしらにはわしらのやるべきことがある……"来たる日"に向けて、鬼ヶ島の軍勢をさらに増やし、強化せねばなるまい」
「そうですね……でなければ、日ノ本の支配──"地獄化"など、夢のまた夢にございます」
役小角の言葉に鬼蝶は同意すると、ふたりは巌鬼の顔を見上げた。
「それでよいな、温羅坊?」
「ふん、構わん……桃姫が味わう地獄が長引いただけだ」
吐き捨てるように言った巌鬼が歩き出し、そのあとに鬼蝶が続くと、役小角は桃姫と雉猿狗が飛び去った北の夜空に浮かぶ北極星を見上げ、過去の記憶を蘇らせた。
「──御師匠様! 来てくださったのですね!」
鬼退治から2年後、夜の花咲村を訪れた役小角を桃太郎は歓待し、家の縁側に並んで腰かけた。
「桃や、遅くなってすまんのう。鬼退治を終えたらすぐに来ようと思うたのじゃが、ちと他の用事が忙しくてのう」
「御師匠様のことです。きっと日ノ本各地で善行をしておられたのでしょう?」
「かかか。まぁ、そのようなものだわいの──ほれ、わしの頭上に"功徳の傘"が見えるじゃろ?」
役小角は、〈黄金の錫杖〉を掲げて頭上を指し示した。
「……?」
桃太郎が頭上を見るも、月明かりに照らされた白髪が光るだけで、傘らしきものは見当たらなかった。
「見えぬか。だが、わしには見える。数多の善行によって築かれた"功徳の傘"が張っておるのがな」
役小角は言うと、花咲山の上で光り輝く北極星を見上げた。
「この日ノ本には、〈天照眼〉というものがある。"お天道様が見ている"というやつじゃ……悪事を働けばしっかりと天罰が下るようにできておる」
桃太郎は初めて聞く〈天照眼〉という言葉に小さく頷いた。
「しかし、この"功徳の傘"が張っておる限り、わしは〈天照眼〉から逃れられる。つまり、天照はわしの存在を知ることができぬというわけだ。かかか」
役小角は顔を下ろすと、桃太郎を見ながら笑った。
「……御師匠様は、天照様の目から逃れたいのですか?」
役小角の言葉を聞いた桃太郎は眉をひそめ、浮かんだ疑問を投げかけた。
「そりゃそうじゃ──わしは自由を愛する"風"じゃからのう! かかか!」
そう言って役小角は高笑いすると、家の奥からおぼんを持った小夜が現れた。
「行者様、お久しぶりでございます」
「おお、村娘……なぜおぬしが桃の家におる」
緑茶の入った湯呑みと茶菓子の小皿を並べる小夜を見ながら役小角が尋ねると、桃太郎が口を開いた。
「私たち、夫婦になったのです」
「なんと! かかか! そうかそうか。それはめでたいのう」
「ありがとうございます。すべては、御師匠様の助力によって鬼退治を果たせたからこそなのです」
桃太郎が幸せを噛みしめるように告げると、小夜も静かに頭を下げた。
「かかか。わしのような老いぼれでも、役に立てたようでなによりだわいの」
役小角は目を細めながら緑茶をすすった。
「ああ、そういえば、三獣のことは残念じゃったのう」
「っ……はい」
役小角がふと思い出して口にすると、桃太郎の表情が強張った。
「そう暗い顔をするでない。亡骸を持ち帰ったと聞いたぞ。供養塔でも建ててやれば喜ぶじゃろうて」
「はい。私に与えられた財宝を使って、花咲山に三獣の祠を建立しました」
「そうか、それはよい心がけじゃな……三匹とも由緒正しい出自の獣。きっと光栄に思っとるわいの」
役小角は笑みを浮かべながら言うと、桃太郎は縁側から見える夜の花咲山に目線をやった。
「不思議なのですが……祠に祈りを捧げると彼女たちの息吹を感じる瞬間があります」
「……彼女たち、とな?」
役小角は頭に疑問符を浮かべながら尋ねた。
「はい。三獣はみな雌でした……御師匠様は、ご存知ではありませんでしたか?」
「いや、知らん。獣の雌雄など、興味なかったものでな……なんせわしは、情が湧くから名前を付けるなと言ったくらいじゃぞ?」
「そうですよね……」
桃太郎が小さく頷くと、役小角はお茶を一口すすってから湯呑みを置いた。
「さて、桃や……わしは、そろそろ行くぞ」
役小角が縁側から立ち上がりながら告げると、桃太郎は慌てて声を上げた。
「もう行かれるのですか……!? せっかく花咲に来たのですから、一泊でもしていってください……!」
「かかか。その気持だけで結構。村を訪れた理由は桃の顔を見るため……それに、この村は居心地がよいでな、長居すれば離れ難くなってしまう」
役小角が腰を反らして伸びをしながら言うと、小夜が口を開いた。
「次は、どちらへ向かわれるのでしょうか?」
「どことは決めとらんが……また日ノ本行脚でも始めようと思う。そうだのう……日ノ本を一周したころに、またこの村で会えるじゃろうて」
役小角は穏やかな笑みを浮かべて言うと、桃太郎は家の奥に呼びかけた。
「お婆さん、お爺さん! 財宝のいくつかを、御師匠様に差し上げてください!」
桃太郎の声を受けた老夫婦は、ちゃぶ台越しに互いの顔を見合わせた。
「そ、そうだねえ……村長から我が家に配られたお宝は、そんなに多くないんだけど……ええっと、なにがあったかねえ」
しぶしぶといった感じで座布団から立ち上がったお婆さんが、タンスの引き出しを開けて中を物色した。
「いやいや、結構ですよ、お婆さん。桃太郎と師弟の関係となり、鬼退治の役に立つことができた……それだけでわしは満足ですわいの。かかか」
「ああ……なんと立派な御人なんだべか」
「ありがたや……なんまんだぶ……なんまんだぶ」
役小角の温かい言葉にお爺さんとお婆さんは手を合わせて拝んだ。
「では、達者でのう……桃」
「またお会いできる日を楽しみにしています……御師匠様!」
北の裏門で役小角が別れを告げると、桃太郎が深々と頭を下げ、小夜と老夫婦も頭を下げた。
白装束をはためかせながら身を翻した役小角は、花咲山の上に光る北極星を見上げながら〈黄金の錫杖〉をチリンチリンと鳴らして歩き出した。
その北極星と現在の北極星とが重なり合った瞬間──役小角に向けて、巌鬼の怒号が投げかけられた。
「おい、ジジイ! いつまで惚けてやがる! さっさと呪札門を開きやがれ!」
「……口が悪いですよ、巌鬼」
鬼蝶がたしなめると、役小角は小さく息を吐いてから漆黒の眼を開き、巌鬼と鬼蝶のもとへと〈黄金の錫杖〉を鳴らして歩いていくのであった。




