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25.本物の鬼

 雉猿狗が手にしている〈桃源郷〉は、鬼を斬るには適しているが人を斬るには適さない仏刀──しかし、天照から授かった神術"神雷"によって体内に雷光の力を宿した雉猿狗は、両手で握りしめる〈桃源郷〉の銀桃色の刃に向けて、バチバチと黄金の稲光を迸らせていた。

 常人がこの帯電する刃で斬られれば、ただでは済まない。太陽光によって神力を十分に補充している今の状態ならば、五人の野盗相手でも勝てる自信が雉猿狗にはあった。


「──さぁ、来なさい、鬼ども!!」


 雉猿狗が三本松の近くに立つ三人の野盗たちに向けて凛とした声で告げた瞬間、三人は戦慄の面持ちを浮かべ、雉猿狗の後ろに立つ野盗頭に向かって大声を発した。


「あ、ああ!?」

「お頭ッ……!!」

「ひいっ……!」


 不揃いの軽鎧を着込んだ三人の男が次々に慄きの声を上げ、その様子を目にした雉猿狗と桃姫も咄嗟に後ろを振り返る。


「……あん──?」


 野盗頭が面倒くさそうに声を出しながら隣をふっと見やると、黒尽くめの痩せ男の身体がぶらりと宙に浮かんでいた。


「──あ……ぎゃ、きゅ……き……!」


 痩せ男がネズミの断末魔のような声を漏らすと、野盗頭はゆっくりと顔を上げて愕然とした。


「十分楽しんだ後に……売り飛ばしてやるよ──ふん……貴様らなんぞ、誰も買わぬか」


 毒々しい紫色の肌をした大鬼・温羅巌鬼が、太い腕から伸びる鬼の手で痩せ男の頭を握りしめながら、低い声でからかうように告げる。


「ッ、ぎ、ぎ……や……べて……アッ──」


 パキャッという軽い音とともに痩せ男の頭が握りつぶされると、ドサッと血だまりの中へ身体が落とされた。


「──巌鬼ッ!?」


 記憶にある姿よりも一回り巨大になったように見える巌鬼の姿を見た桃姫が、濃桃色の瞳を大きく見開き、父親殺しの仇敵の名を叫んだ。


「ひっ、ヒィっ……! 鬼だっ! 本物の鬼だァッ!」


 それまで威勢の良かった野盗頭は、巌鬼の恐ろしい鬼の顔を見上げるや否や、即座に腰から力が抜けてその場に尻もちをついた。その勢いで頭から黒い兜が転げ落ちると、月代のほどかれたみすぼらしい落ち武者頭が露わになった。


「な、なんで……鬼が、太陽の下にいるっ!?」


 絶望の表情を浮かべた野盗頭の男が、引きつった声を上げながら後ずさりする。


「……鬼が太陽の下を歩けないってのは、いったいどこから得た情報だ──?」


 巌鬼は鮮血のしたたる鬼の爪が伸びた太い腕を、怯える野盗頭に向けて差し伸ばしながら、地獄の底から響くような低い声で告げた。


「──見てはなりません……!」


 雉猿狗は思わず、数珠をつけた左手を伸ばして隣で驚愕している桃姫の視界を遮った。

 次の瞬間、ぱきっ、ばきっと枯れ枝を折る音にも似た乾いた音と、野盗頭の壮絶な悲鳴とが夕方の街道に響き渡った。


「……あ、がっ──!」


 そして短い断末魔の声を漏らし、白目をむいて息絶えた野盗頭は、巌鬼の鬼の手から解放されて血だまりの地面に倒れ伏した。


「……あ、あああッ!! お頭ぁッ!?」

「ひぃ……!! ひやああああッ!!」

「……逃げろォッ!!」


 その凄惨な光景を目撃した三人の野盗が悲鳴を上げながら刀を放り投げると、巌鬼に背中を向けて一目散に逃げ出した。

 しかし、シュシュシュッと高速で飛んできた三本の銀色の閃光に次々と後頭部を刺され、断末魔の声すら上げずに街道の上に倒れた。目を見開いて絶命した三人の野盗の後頭部には、銀製のかんざしが深々と突き刺さっていた。


「まったく、殿方ともあろう者が……鬼の一つや二つで、騒がないでください」


 巌鬼の後方からしなやかに歩いてきた女が艶やかな声でそう言うと、左手に持った紫色の扇子で顔を扇いだ。

 女の顔右半分には包帯が巻かれており、露出した顔左半分と首、胸元には火傷が治癒した痕跡があった。その女の姿を見た雉猿狗は、翡翠色の瞳を見開きながら声を上げる。


「鬼蝶ッ!?」

「……雉猿狗。久しぶりね……元気してた? ふふふ」


 包帯の隙間から赤い唇を見せて微笑んだ鬼蝶は、扇子を閉じると着物の胸元にスッと差し入れる。


「巌鬼ッ!」


 桃姫は雉猿狗の手を振り払うと、憎き大鬼の姿を直視して叫んだ。


「一年ぶりだな、桃姫」


 巌鬼は不敵な笑みを浮かべると、鬼の足を前に踏み出し、頭の潰れた野盗頭の亡骸を虫けらのように踏みしめながら、ゆっくりと桃姫に近づいてきた。


「どうだ、"あの日"から一年間──地獄を味わった感想は。俺に教えてくれよ」


 黄色い眼球に赤い縦線が走る鬼の眼で、巌鬼は"あの日"から一年経った桃姫の姿を見定めるように、低い声で尋ねた。


「いわば、俺とお前は兄と妹のようなものだ……俺はお前の父親に両親を殺され、お前は俺に父親を殺された。似たような境遇、似た者同士──そうは思わんか?」


 巌鬼は桃姫に向けて己の理屈を説いてみせる。しかし桃姫の右手は〈桃月〉の柄を握りしめ、今にも白鞘から引き抜いて巌鬼に向けて駆け出しそうな勢いだった。


「桃姫様、いけません……今は、まだ……!」


 その勢いを制したのは雉猿狗だった。雉猿狗は桃姫の体を左腕でぐっと抑え、静かに声を発する。


「……離して、雉猿狗! こいつ──こいつら! 今すぐ殺さなきゃ、いけないんだ……!」

「桃姫様、なにとぞ……なにとぞ心を鎮めてください……! 今はまだ勝機がございません……! 今の私たちでは……!」


 桃姫と雉猿狗のそんな様子を、桃姫の父親を殺した巌鬼と母親を殺した鬼蝶が愉快そうに眺めていた。


「兄として、そろそろお前を殺して楽にしてやってもよいと考えている……この世の地獄を味わうのに嫌気が差した頃合いだろ?」


 巌鬼は怒りにふるえる桃姫に向けて、地獄の底から響くような声でささやいた。


「そろそろ、桃太郎に会いたくなってきたのではないか?」

「ッ、父上の名を……! 父上の名を口にするなァッ!」


 巌鬼の挑発を耳にして、桃姫は烈火のごとく怒り、雉猿狗の腕の中で叫んだ。

 その様子を見て満足げに鬼の眼を細めた巌鬼は、後ろに立つ鬼蝶を横目で見ながら口を開く。


「ふっ……しかし、我らが鬼ヶ島で話し合った結果、桃姫を殺すのは惜しいとの結論が出た」


 巌鬼はそう言うと、桃姫に向けて太い両腕を大きく広げてみせた。


「どうだ。我ら鬼ヶ島の軍勢に加わらぬか?」

「……ッ!?」


 巌鬼の言葉に、桃姫と雉猿狗は言葉を失った。


「鬼に追われているのが辛く苦しいのであろう? ならば、自らが鬼ヶ島の軍勢に入ってしまえばよいのだ。これ以上ない明快な解決法だ……なぁ、鬼蝶」

「ええ、その通り……ねぇ、雉猿狗。あなた、聞くところによると桃太郎のお供の化身だとか。主亡き後に娘の桃姫ちゃんに付き従ってるなんて、ふふ……なんとも忠義心の塊のようなお話じゃない」


 鬼蝶はそう言いながら巌鬼の隣まで歩み出ると、自身の顔に巻かれた包帯を右手で剥ぎ取るようにほどいた。


「私の体を焼いたこと、特別に許してあげるから……鬼ヶ島の軍勢に降りなさいな。雉猿狗、桃姫ちゃん」


 そう告げた鬼蝶の顔右半分には、いまだ仏炎で負った火傷が治癒していない痛々しい傷跡が、赤くひりつくように残っていた。

 "鬼"の文字が浮かんだ眼を細めて笑みを浮かべた鬼蝶は、包帯を手放して風に乗せ、夕焼け空に飛ばすと、雉猿狗と桃姫に向けて黒い爪を持つ右手を伸ばした。


「今日から私たちは仲間……そうよね?」


 穏やかな声音で告げる鬼蝶のほほ笑み。しかし、どう取り繕おうとも隠しきれない残忍さに激しい嫌悪感を覚えた雉猿狗は、左手で桃姫の体を抱き寄せた。


「桃姫様。私の体にしがみついて……絶対に手を離さないでください」

「……雉猿狗?」

「……私のことを信じてくださいませ、桃姫様」


 巌鬼と鬼蝶に聞き取られないよう小さな声で雉猿狗が告げると、桃姫は怪訝に思いながらも〈桃月〉を白鞘に戻すと、雉猿狗の体に寄り添うように両手を回した。

 それは端から見れば、二体の強力な鬼の出現に桃姫が怯え、戦意喪失して雉猿狗に抱きついたように見えた。


「どうだ、雉猿狗。そのように怯える桃姫を護りたいのであれば、桃姫とともに鬼ヶ島の軍勢に入れ。桃姫を護ることを何よりの使命としているお前にとっては、これ以上ない提案であろう?」

「……そうですね」


 巌鬼の提案に雉猿狗は静かに答えながら、黄金の波紋が浮かぶ翡翠色の瞳を閉じると、右手に握っていた〈桃源郷〉を左腰の白鞘に収めた。

 雉猿狗の観念した姿を見て巌鬼が満足げに笑みを浮かべた次の瞬間──雉猿狗は黄金に光り輝く両目を見開いた。


「それはこれ以上ない程に下劣で、卑劣で、虫酸が走る提案ですね──断固、拒否いたします」

「……何だと」


 凛とした声音で発せられた雉猿狗の言葉に、巌鬼は面食らって声を漏らした。

 その瞬間、黄金の雷光が雉猿狗の体から迸り、しがみつく桃姫の体ごと包み込むのであった。

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