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19.降臨、天照大御神

 その華奢な体からは想像できないような力で、14歳の少女とは思えぬ決死の形相で、一歩、一歩、死に物狂いで一心不乱に登り詰めていく。

 残り二百段、残り百段──そして最後の一段を登り切ると、色の塗られていない古びた鳥居をくぐったところで、桃姫は参道の上にどさっと倒れ込んだ。


「……ハァ……ハァ……」


 冷たく濡れる石畳に顔をつけた桃姫の全身から白銀色の"熱気"が霧散していくと、豪華な拝殿より遥かに地味で小さな本殿の姿を、目だけを動かして桃姫は見やった。

 これが、死の淵に立たされながら心臓破りの千歩階段を登り、追い求めて辿り着いた本殿の姿なのかと、そのあまりにも質素な姿に満身創痍の桃姫は、おかしさすら湧いてきて、笑みをこぼしながら目を閉じた。


「──桃姫ちゃん、あと少しだよ。頑張って──」


 雨に打たれる桃姫の耳元におつるの優しい声が届き、桃姫は濃桃色の瞳を開くと、玉子色の着物を着た足元が視界に入った。

 そして桃姫が目線を上に上げると、穏やかな微笑みを浮かべたおつるが、参道に倒れる桃姫を見下ろしていた。


「……おつるちゃん……最後まで……応援してくれる……?」

「──頑張れ、頑張れ、桃姫ちゃん──」

「……ははは……元気、出た」


 おつるの能天気で優しすぎる声音に、桃姫は思わず笑ってしまい、そして思っていたことを言葉に漏らした。


「……おつるちゃん……私、おつるちゃんに……会いたいよ……」

「──うん……会おうね。いつか、会おうね。桃姫ちゃん──」


 おつるはそう言いながら、桃姫の前にしゃがみ込んだ。


「……頑張ったら……会えるかな……」

「──うん、会えるよ。だから、今は立って、桃姫ちゃん──」


 桃姫に向かって差し伸ばされるおつるの小さな手。桃姫がその手を掴もうと右手を伸ばすと空振りし、代わりに雨に濡れる石畳を力強く突いた。

 右手首につけた巻き貝の腕飾りが応援するように揺れると、雉猿狗を左手で背負い直した桃姫が、グッと両足で石畳を踏みしめながら立ち上がる。


「──ぐッ──うおおおお……ッ!!」


 獣の咆哮にも似た声を発した桃姫が天照山山頂の参道を力強く歩き始めると、桃姫が進む道を見守るように、煙雨に煙る鳥居の下に桃太郎、小夜、おつるの影が優しく立っていた。


「……ハァッ……ハァ……! 祈るよ、雉猿狗……祈るからね……!」


 遂に本殿の前に辿り着いた桃姫は、雉猿狗を背中から降ろすと、質素な本殿の木製の両開きの扉に向かって、二礼二拍手をした。

 そして着物の胸元に手を差し入れて河童の形代を取り出すと、合掌するように両手で挟んで握りしめ、目を固く閉じてから口を開く。


「──日ノ本最高神でおわせられる天照大御神様──桃太郎の娘、桃姫……今、こうして千歩階段を登り切り、御身の元へ河童の形代を届けに参りました」


 目を閉じて合掌した桃姫は、声に出して祈ると共に、心の中で強く念じた。


「──天界までこの声が届いているならば……どうか、この大雨を止め、大風を止め──神々しく燃ゆる太陽を、再び天空に顕現させてくださいませ……なにとぞ……なにとぞッ!」


 ひときわ強く天界に向かって祈りを捧げたその時、周囲がシンと静まり返っていることに桃姫は気づいた。

 まるで音そのものがこの世から消えてしまったかのような完全なる静寂に全身を包まれた桃姫は、両手で握りしめる河童の形代が段々と熱を帯びていくのを感じ取った。


「……っ」


 冷たく濡れた体を芯から温める"太陽の熱"を手のひらに感じた桃姫は、恐る恐る閉じていた瞳を開いた。目の前で、本殿の両開きの扉が音もなくゆっくりと左右に開かれていく。

 扉の奥から姿を現したのは、黄金で装飾された美しい丸鏡だった。桃姫が思わず息を呑む間に、下を向いていた鏡面がひとりでに傾き上がり、桃姫の顔を映し出す。その瞬間──眩い黄金の極光が鏡から迸り、桃姫の視界を覆い尽くした。


「──桃姫──そなたの強き祈り、確かに天界まで届きました──」


 頭の中に響く声。それは天女の鳴らす高貴な鈴の音のような、この世ならざる神々しい響きだった。


「ッ……アマテラス様──!」


 黄金の極光に目を慣らした桃姫が感極まって声を漏らすと同時に、丸鏡から振り返り、黄金に光り輝く天空を仰ぎ見た。

 分厚い雨雲を引き裂く黄金色の光柱が天照山の山頂へと降り注ぐ。そして、黄金に極光する天衣をまとった見目麗しい黒髪の女神──天照大御神が悠々と天界より舞い降りてくる。


「──雉猿狗、いつまで眠っているのですか──いい加減、目覚めなさい──」


 黄金色の瞳を輝かせた天照が、桃姫の足元に倒れ伏している雉猿狗にそう告げる。天界から直接降り注ぐ高密度の光の粒子を全身に浴びた雉猿狗の顔色が、見る間に血色を取り戻していく。


「……ん、んん……」


 十分な神力を充填し、生気を取り戻した雉猿狗が目を覚ます。頭上に顕現している天照の御姿を見て、翡翠色の瞳を大きく見開いた。


「……アマテラス様!?」


 慌てたように立ち上がり、桃姫の隣に並ぶ雉猿狗。その様子を見て、天照はくすりと微笑みながら、手の届く距離まで降りてきた。


「──犬、猿、雉の姿の方が私には見慣れておりますが──雉猿狗としての姿も、"様"になってまいりましたね──」


 宙に浮かんだ天照が極光する天衣をなびかせながらそう告げると、雉猿狗は畏敬の念を込めて深々と頭を下げる。


「──日ノ本最高神として、現世に強く干渉することは本来忌避すべきこと──しかし、悪意ある者たちによって日ノ本が蹂躙されるとあらば話は別──二人の苦難の旅路に、私から"神の御業"を授けましょう──」


 天照は細めた黄金色の瞳から光の粒子を放ちながら、桃姫と雉猿狗に優しく告げる。そして右手をすっと持ち上げ、雉猿狗を見つめた。


「──雉猿狗、こちらへいらっしゃい──」

「……はい!」


 呼ばれた雉猿狗が天照の前へ進み出ると、天照は右手に神力を込めて黄金に極光させ、雉猿狗の目元を覆うように、撫でるように軽く触れた。


「……ッ!?」


 両目を通して身体に流れ込んでくる天照の熱い神力に、雉猿狗が思わず声を漏らす。天照の右手で撫でられた翡翠色の瞳の中央には、波打つような神々しい黄金色の波紋が宿っていた。


「──私の持つ御業の一部、神術〈神雷〉を授けました──苦難の旅路において、有効にお使いなさい、雉猿狗──」

「はい……! 有難き、神の御業……!」


 神術を授かった雉猿狗は、宙に浮かぶ天照に感服しながら深々と頭を下げた。


「あの……アマテラス様、一つだけお尋ねしてもよろしいでしょうか」


 その様子を見届けた桃姫が、天照に怖ず怖ずと声をかける。


「──はい。臆さず申しなさい、桃姫──」


 快く了承した天照に、桃姫は"祭りの夜"の惨劇以来、ただ一つだけ聞きたかった質問を投げかけた。


「ありがとうございます……! あの、その……父上と、母上……おつるちゃんは……天界で安らかに暮らしているでしょうか……」

「──はい、もちろん──」


 桃姫の言葉に、天照は太陽神としての温かな微笑みを浮かべ、しっかりと頷く。


「……ああ……よがっだぁ……」


 その返答を聞いた瞬間、桃姫の濃桃色の瞳にぶわりと大粒の涙が浮かび、安堵の声が漏れた。


「──天界より二人の旅路を、花咲村の皆が見護っておりますよ──臆さず前に進みなさい、桃姫、雉猿狗──ふたりの旅路を祝福いたしましょう──」


 黄金色の瞳を強く輝かせた天照が宣言するようにそう告げると、天照山の山頂に伸びる黄金の光柱を駆け上がるように飛翔していく。

 雨雲の高さまで一気に昇ると、極光する黄金の光の粒子を天衣から解き放ち、周囲を囲む分厚い雨雲を盛大に吹き飛ばして瞬時に霧散させた。


「……うわぁ!」

「……ああ!」


 灰色の雨雲が消え、青空が現れるその光景を見届けた桃姫と雉猿狗が、思わず歓喜の声を上げる。

 晴れ渡った青空に黄金に光り輝く太陽が姿を現し、天照山の山頂に立つ桃姫と雉猿狗の姿を明るく照らし出して祝福するのであった。

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