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12.紀伊の旅

 燃える堺の都を脱し、悪夢から逃れるように夜の街道を南へと走り続けた桃姫と雉猿狗は、和泉へと到着していた。

 林の中に寂れた神社を見つけると、鳥居をくぐり抜け、その境内で休息を取ることにする。


「……はぁ……はぁ……疲れた。疲れたよ、雉猿狗……」

「はい……桃姫様……」


 二匹の狛犬が鎮座する本殿。その脇に立つ古めかしい注連縄が巻かれた立派な御神木の下で、ふたりは座り込んで互いに労い合いながら呼吸を整えていた。

 火照った体を冷やす涼しい夜風が吹く。夜明け前の暗い時間であったが、夜空の星々と白い満月が桃姫と雉猿狗の姿を明るく照らしていた。


「まさか、あのような強力な鬼が襲ってこようとは……人があれだけいようと、お構いなしでしたね……」


 雉猿狗は言うと、信長公の妻を名乗った凶悪な鬼女の姿を思い出して身震いを起こした。


「……うん……堺……燃えちゃった……私たちのせいなのかな……」

「──そんなことは断じてございません……!」


 桃姫の言葉に雉猿狗は声を荒げて否定した。


「……でも、あの鬼の狙いは私だったよ……! 私が堺で暮らしていたから、堺の都は……」

「──桃姫様!」


 雉猿狗は桃姫の両肩を掴んで自身と向き合わせた。


「悪いのはすべてあの鬼です……! 断じてそのようなことはおっしゃらないでください……!」

「……っ」

「……桃姫様のそのような言葉を聞くだけで……私はとても悲しくなります……」


 雉猿狗の悲しげな顔を見た桃姫は深く反省して言葉を返した。


「……わかったよ、雉猿狗」

「……はい」


 桃姫の言葉を聞いた雉猿狗は頷いて両肩から手を離した。立ち上がると近くの井戸に向かって歩き出す。

 井戸に取り付けられている釣瓶を落とし、引き上げて水を汲む。手ぬぐいを取り出して井戸水に浸して戻って来た。


「桃姫様、お水をお飲みください」

「……うん」


 雉猿狗に言われるがまま口を開いた桃姫。手ぬぐいが絞られて冷たい井戸水が桃姫の口の中に流れ込んだ。

 桃姫はそれをごくごくと飲み、自身が思っていた以上に喉が乾いていたのだと気づく。


「お顔も拭きましょう」


 絞られた手ぬぐいで顔を拭われる桃姫。鬼蝶との死闘とそれからの逃亡ですっかり汚れた桃姫の顔が綺麗になっていった。


「……なんだか雉猿狗は、姉上みたいだね」


 桃姫が呟くように言った言葉に雉猿狗がきょとんした顔を浮かべる。


「私に姉上はいないけど……もしも姉上がいたら、雉猿狗みたいな人なのかなって、思うよ」


 桃姫の何気ない言葉に雉猿狗は太陽のような満面の笑みを浮かべて返した。


「雉猿狗が桃姫様の姉君ですか……! ははは、そんなに嬉しい言葉はありません」


 雉猿狗は嬉しそうに言うと、再び桃姫の隣に腰掛けた。

 御神木の下でしばらく二人で寄り添っていると桃姫が口を開いた。


「これから……どうしようか……私たち、どこに行けばいいんだろう……」


 桃姫の言葉を聞いた雉猿狗が満天の星空を見ながら応えた。


「雉猿狗が天界にいたとき、ひんぱんに強い祈りが届きました……それは、"河童"たちの祈りでした」

「……かっぱ?」


 雉猿狗の言葉に桃姫が聞き返す。


「はい。紀伊の山中で暮らす河童という妖怪たちの祈りが、天照様のもとまでよく届いたのです。そして、祈りの見返りとして天照様は加護を与えていました……邪なる心の者が、河童の領域に入り込めなくなるという強い加護です」


 雉猿狗はそう言ってから隣にいる桃姫を見た。


「河童の領域に行き、追ってくる鬼からの助けを求めましょう」

「…………」


 雉猿狗の言葉を聞いた桃姫の顔がふっと曇る。


「……でも、そうしたら、河童さんのところにも鬼がやってきて……」

「桃姫様! 私は言いましたよね、鬼が悪いのであって桃姫様は悪くないと。それに河童の領域には鬼を拒絶する強い加護があります」

「……うん」


 不安がる桃姫を勇気づけるように雉猿狗は言葉を告げた。


「もし、河童たちに助けを断られたらそれまで。また次に向かう場所を考えればよいのです」

「わかった……河童さんのところに行こう」

「はい……!」


 雉猿狗の提案を受け入れた桃姫は頷いて答えた。雉猿狗も頷いて返す。


「桃姫様、夜明けまではまだしばらくあります。少しだけでも寝て体を休めてください」

「……うん」


 桃姫は雉猿狗の体に寄り掛かるように倒れ、雉猿狗は桃姫の体を胸の中に抱き入れた。

 雉猿狗の体から発せられる太陽の熱を感じながら目を閉じた桃姫は、すぐに穏やかな寝息を立て始める。


「アマテラス様……あのとき"神の風"を吹いて、私たちを助けてくださったのですか……?」


 雉猿狗は桃姫の体を抱きながら夜空を見上げ、天界に向けて疑問を投げかける。返答はなく、ただ星々が光輝くのみであった。

 晴天の翌朝、御神木の下でひとり目覚めた桃姫は、釣瓶に汲まれていた井戸水を手ですくって顔を洗い、ひしゃくを使って水を飲む。本殿に向かって二礼二拍手をして目を閉じ、合掌する雉猿狗の姿を見た。

 桃姫はタタタッと走って雉猿狗の隣に並び、雉猿狗と同じく二礼二拍手をして合掌すると目を閉じた。

 御神木の下、一泊させて頂いたことに対する感謝の祈りを捧げ、目を開いて深々とお辞儀をする。


「……桃姫様、おはようございます。体調はいかがですか? 疲れてはいませんか?」

「おはよう雉猿狗。うん、大丈夫」


 隣でほほ笑みながら祈りを捧げる桃姫の様子を見ていた雉猿狗に桃姫は返事をした。

 ふたりは鳥居に向かって歩き出し、鳥居の前で二人並んで本殿に向かってお辞儀をする。


「一晩、お世話になりました」

「お世話になりました」


 雉猿狗が感謝の言葉を述べると、桃姫も繰り返した。

 桃姫はおもむろに着物の中に手を差し入れて亡き親友の赤いかんざしを取り出す。


「おつるちゃん……私、もっと強くなるから……だから、そばで見守っていてね」


 桃姫は左耳の上に赤いかんざしを通すと、隣の雉猿狗を見た。


「──行こう、雉猿狗」

「──行きましょう、桃姫様」


 ふたりは鳥居をくぐって神社をあとにした。


「……河童さんって、どういう妖怪なの……?」


 紀伊の山道を歩いているとき、桃姫が雉猿狗に聞いた。


「私もよくは存じ上げないのですが、とてもいたずら好きな妖怪だと聞いています」

「ふーん……私たちが突然お邪魔しても大丈夫かなぁ」


 雉猿狗の言葉に桃姫が不安がると、雉猿狗は河童の情報を付け足した。


「ですが、友好的になった相手には義理堅い妖怪だとも聞いています。私たちが真摯に応じればきっと協力してくれるはずです」

「……そうなんだ」


 新緑の季節、紀伊の山々は見事な濃い緑の色合いを見せていた。

 二人は整備された街道とは異なる紀伊の山道をひたすら歩いていく。

 時折、獣道のような手入れの行き届いていない道にも出くわすが、山奥にある河童の領域を目指すとあっては贅沢は言っていられなかった。


「……これは大変だ」


 桃姫が思わず声を上げる。流れの早い川が道を隔てており、間に飛び石が転々としているのだ。


「……桃姫様、雉猿狗の跳び方を見ていてくださいませ」


 雉猿狗はそう言うと、軽快に飛び石を跳ね飛んで対岸まで難なく渡りきった。


「……雉猿狗ぉ、私には無理だよぉ……!」

「そんなことありません。ウサギになったおつもりで、勢いよくどうぞ!」

「……あー! もう……!」


 対岸で手を振りながらそう言う雉猿狗に対し、桃姫は覚悟を決めて着物の裾をまくった。

 勢いをつけて走り出すと、ケンケンパの要領で飛び石を跳ねて飛び越えていく。

 雪駄が飛び石にぶつかるたびにカンカンと乾いた音を鳴らしながらも止まることなく対岸まで連続で飛んで着地した桃姫。


「わぁっ……! 桃姫様っ……! 大変お上手です!」


 雉猿狗が歓声を上げながらパチパチパチと拍手をすると、桃姫は両手を高く上げて得意気にほほ笑むのであった。

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