12.紀伊の旅
燃える堺の都を脱出し、悪夢から逃れるように夜の街道を南へと走り続けた桃姫と雉猿狗は、和泉へと到着していた。
街道沿いの林の中に寂れた神社を見つけたふたりは、鳥居をくぐり、境内で休息を取ることにした。
「はぁ、はぁ……疲れた。疲れたよ、雉猿狗」
「はい……桃姫様」
二匹の狛犬が鎮座する本殿。その脇に立つしめ縄が巻かれた御神木の下で、ふたりは座り込んで呼吸を整えていた。
火照った体を冷やす涼しい夜風が吹き、桃姫は目を閉じて木の幹に背中を預けた。
夜明け前の暗い時間であったが、夜空の星々と月が桃姫と雉猿狗の姿を明るく照らし出していた。
「まさか、あのような強力な鬼が襲ってこようとは……人がいようと、お構い無しでしたね」
雉猿狗は、信長の正室を名乗った凶悪な鬼女の姿を思い出して身震いを起こした。
「うん……堺、燃えちゃった……やっぱり私のせい、なのかな……」
「そんなことは断じてございません……!」
桃姫の呟きに雉猿狗は声を荒げて否定した。
「でも、あの鬼の狙いは私だったよ……? 私が暮らしてたから、堺の都は」
「桃姫様!」
雉猿狗は桃姫の両肩を掴んで自身と向き合わせた。
「悪いのは、すべてあの鬼です! そのようなことは、おっしゃらないでください……!」
「…………」
「桃姫様のそのような言葉を聞くだけで……私は、とても悲しくなります……」
雉猿狗の痛切な表情を見た桃姫は顔を伏せながら答えた。
「わかったよ、雉猿狗……もう言わない」
「……はい」
両肩から手を離した雉猿狗は、立ち上がって近くの井戸に向かって歩き出した。
井戸に取りつけられている釣瓶を落として水を汲み上げると、手ですくって飲んでから、帯から取り出した手ぬぐいに水を浸して戻った。
「桃姫様、お水をお飲みください」
「うん」
雉猿狗に言われるがまま口を開いた桃姫。手ぬぐいが絞られて冷たい井戸水が口内に滴ると、自分が思っていた以上に喉が乾いていたのだと気づいた。
「お顔も拭きましょう」
絞られた手ぬぐいで顔を拭われる桃姫。鬼蝶との死闘とそれからの逃亡で汚れていた顔が綺麗になった。
「なんだか雉猿狗は、姉上みたいだね」
桃姫が呟いた言葉に雉猿狗がきょとんした顔を浮かべた。
「だって、もしも姉上がいたら、雉猿狗みたいな人なのかなって思うよ」
桃姫の何気ない言葉に雉猿狗は太陽のような笑みを浮かべた。
「その言葉、とても光栄です」
手ぬぐいを帯に仕舞った雉猿狗は桃姫の隣に腰かけた。そして、御神木の下でふたり寄り添っていると桃姫が雉猿狗の胸元を見た。
「……胸の傷、治ってきてるね」
「はい。太陽光を浴びればもっとよくなるのですが、月明かりでも癒やされるの感じます」
鬼蝶の薙刀で焼かれた雉猿狗の胸元は、肌の傷が塞がり、焦げた着物もまた修復し始めていた。
「でも、桃姫様の髪の毛が……また、いただけますか?」
「……10年後ね」
眉を曇らせた雉猿狗に桃姫は呆れながら答えた。
「……私たち、これからどこに行けばいいんだろうね」
途方に暮れながら息を吐いた桃姫。雉猿狗は満天の星空を見上げながら口を開いた。
「私が天界に居たとき、御館様の他にも強い祈りが届きました……それは、河童の祈りでした」
「……かっぱ?」
「はい。紀伊の山中で暮らす妖怪たちです。天照様はその見返りとして加護を与えました……邪なる者が、河童の領域に入り込めなくなるという加護を」
雉猿狗は言うと、これだとばかりに大きく頷いた。
「そうですよ。河童の領域に行き、助けを求めましょう」
「……でもそうしたら、河童のところにも鬼がやってきて」
「桃姫様。私は言いましたよね、鬼が悪いのであって桃姫様は悪くないと。それに河童の領域には天照様の加護があります」
不安がる桃姫を勇気づけるように雉猿狗は言葉を続けた。
「もし、河童に断られたらそれまで。また次に向かう場所を考えればよいのです」
「……そうだね。わかった。河童のところに行こう」
「はい」
桃姫が提案を受け入れると、雉猿狗は桃姫の身体を抱き寄せた。
「そうと決まれば、少しでも寝て、体を休めましょう」
「……うん」
桃姫は雉猿狗に寄り掛かると、雉猿狗は桃姫を胸の中に抱き入れた。
雉猿狗の体から発せられる太陽の熱を感じながら目を閉じた桃姫は、すぐに穏やかな寝息を立て始めた。
「天照様……あのとき、天界から"神風"を吹きつけて、私たちを助けてくださったのですか……?」
雉猿狗は桃姫を抱きながら夜空を見上げ、天界に向けて疑問を投げかけた。返答はなく、ただ星々が静かに光り輝くのみであった。
翌朝──御神木の下でひとり目覚めた桃姫は、晴天の光の中で、本殿に向かって祈りを捧げている雉猿狗の姿を目にした。
桃姫は雉猿狗の隣に歩み寄ると、黙って手を合わせ、御神木の下に一泊させて頂いた恩を伝える祈りを捧げた。
「おはよう、雉猿狗」
祈りを終えた桃姫は、ほほ笑みながら隣りで待っていた雉猿狗に挨拶した。
「おはようございます、桃姫様。体調はいかがですか?」
「うん、大丈夫」
ふたりは鳥居に向かって歩き出し、ふたり並んで本殿に向かってお辞儀をした。
「一晩、お世話になりました」
「お世話になりました」
雉猿狗と桃姫が名も知らぬ神社に感謝の言葉を述べると、桃姫はおもむろに帯に手を入れて亡き"大親友"の赤いかんざしを取り出した。
「おつるちゃん……私もっと強くなるから……だから、そばで見守っていてね」
桃姫は左耳の上に赤いかんざしを挿すと、隣の雉猿狗を見た。
「行こう、雉猿狗」
「行きましょう、桃姫様」
ふたりは鳥居をくぐって神社を後にした。
「……河童って、どういう妖怪なの?」
紀伊の山道を歩いているとき、桃姫が雉猿狗に尋ねた。
「私もよくは存じ上げないのですが、とてもいたずら好きな妖怪だと聞いています」
「…………」
「ですが、友好的になった相手には、とことん義理堅い妖怪だとも聞いています。私たちが真摯に応じればきっと協力してくれるはずです」
「うん」
新緑の季節、清々しい緑の色合いに覆われた紀伊の山道を、ふたりはひたすら歩いていった。
時折、手入れの全く行き届いていない獣道にも出くわしたが、山中にある河童の領域を目指すとあっては、贅沢など言っていられなかった。
「……これは大変だ」
とはいえ、桃姫が思わず声に漏らすときもあった。流れの早い川が山道を隔てており、間に飛び石が転々としていた。
「桃姫様、私の跳び方を見ていてください」
雉猿狗は言いながら着物の裾をまくりあげると、軽快に飛び石を跳ね飛んで対岸まで難なく渡りきった。
「雉猿狗ぉ……私には無理だよぉ!」
「そんなことありません。ウサギになったおつもりで、勢いよく、どうぞ!」
「あー! もう!」
対岸で手を振る雉猿狗に対し、桃姫は覚悟を決めて着物の裾をまくった。そして勢いをつけて走り出すと、ケンケンパの要領で飛び石を跳ねていく。
雪駄が飛び石にぶつかる度にカンカンと硬い音を鳴らすも、元来蹴鞠の達人である桃姫は止まることなく飛び続けて、見事対岸に着地した。
「桃姫様っ! お上手です!」
雉猿狗が歓声を上げながら拍手すると、桃姫は両手を高く上げて得意げにほほ笑むのであった。




