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10.八天鬼・燃羅の力

 全身から白銀色に光り輝く"殺気"を放ちながら、〈桃月〉の柄を両手で構え直した桃姫。

 その勇ましい姿を見やりながら、斬り裂かれた左耳の先端を手で押さえた鬼蝶は、憎々しげに顔を歪ませた。


「なんで私がッ……! こんな小娘相手に怯まなきゃならないのよッ……! ──ふッざけんじゃアないわよォッ!!」


 仏刀を構えて対峙する十四歳の少女相手に、一瞬でも怯んでしまった己の弱い心を拒絶するかのように鬼蝶は激しく叫んだ。


「──そんなに死にたいならッ──骨の髄まで燃え尽きてしまいなさいなァッ!!」


 吠えるように叫んだ鬼蝶が、ギンッと見開いた左目から火炎の渦を桃姫に向けて盛大に撃ち放つ。

 しかしまるでその行動を読んでいたかのように、白銀色の"殺気"を身にまとった桃姫は、飛来した熱線をスッと冷静に避けると、舞うように一回転しながら鬼蝶との距離を詰め、熱線を放つその横顔めがけて〈桃月〉の刃を振り払った。


「──なんッ!?」


 流れるような動作に驚愕した鬼蝶は、桃姫の一撃を躱せないと瞬時に理解し、左目を閉じて強引に熱線を止めると、あえて桃姫の身体に向かって突進するように前方に踏み込んだ。


「……ぐぅっ──!」


 路地裏に立ち並ぶ家屋の外壁に身体を強かに押し付けられた桃姫。その衝撃によって桃姫がうめき声を上げると、身にまとっていた白銀色の"殺気"が霧散するように消え去った。

 鬼蝶はその全身を使って桃姫の身体に蛇のように組み付くと、黒く鋭い鬼の爪を桃姫の喉元に押し当てながら拘束した。


「──驚いたわ、あなた……なるほどね──"狼の子は狼"……どれだけ小さく、か弱く見えても、たった一噛みで命を奪う危険な牙を隠し持っているってわけね」


 鬼蝶は鬼になって初めて味わった"命の危機"に対し、怒りと興奮を同時に覚えると、顔を紅潮させながら熱い吐息混じりの声を桃姫の顔に向けて発した。


「油断して愛でていたら……危うく、顔面を噛みちぎられるところだったじゃないのよ──!」

「……ぐ、ぐぐ──!」


 家屋の外壁に桃姫の身体を押さえつける力を更に強めながら鬼蝶は声を荒げると、その真っ赤な唇を桃姫の耳元に近づけて、妖艶に囁くように言葉を紡いだ。


「──ねェ、桃姫ちゃん……? 私が殺してきた三千人の命に"意味"なんてものはなァんにもないの──すべての命は等しく"無意味"……でもね、私たまァに思っちゃうのよ……あれ、今私が殺した命って、もしかして"意味があった命"なんじゃないの……? ──なァんて」


 鬼蝶は桃姫の激しい怒りが宿った濃桃色の瞳を間近で見つめながら、赤い"鬼"の文字が浮かぶ黄色い右目をグッと近づけた。


「──桃姫ちゃん、私にはわかるわ……あなたの命、間違いなく"意味がある命"よ──人々の祈りを抱えて、希望の光を託されている命……だから巌鬼も行者様も、あなたを殺すことを躊躇しているってわけ──」


 鬼蝶は熱い吐息を桃姫の頬に吹きかけながら言うと、燃える左目を薄っすらと開いた。


「──でもね、私はそんな"意味がある命"を"残虐"した瞬間にこそ──サイッコウに生きてるって心地を実感できるのよ」


 "鬼"の文字を浮かばせた鬼蝶の両目はうっとりと歪み、そして桃姫の喉に押し付ける鬼の爪に力が込められた。


「──桃姫ちゃん、あなたの"意味がある命"……私に"残虐"させてよ……ねぇ、おねがァい──♪」

「……ぐ、うう……!」


 桃姫の首筋に鋭い爪がググッと喰い込む。鬼蝶は残忍な笑みを浮かべ、燃える左目を見開いた。


「──おつるちゃんが待ちくたびれてるわよ……早く逝っておあげなさい」


 耳元でささやく鬼蝶。赤く燃える左目と黒い鬼の爪、その両方が桃姫の命に狙いを定めた次の瞬間──。


「フッ──!!」

「ッ……!?」


 一陣の風のように鬼蝶の背後から迫る銀桃色の刃。鬼蝶は桃姫を解放し、振り返りざまに両腕を交差させて鬼の爪でその一太刀を受け止めた。


「──桃姫様ッ!!」


 雉猿狗の叫び声が響く。激昂した鬼蝶が〈桃源郷〉の刃を押し返し、弾き飛ばした。


「──ケモノ風情がッ!! 私の興を削ぐなァァッ!!」

「あなたの相手は私だと言ったはずですよッ──鬼ッ!!」


 両手を広げて絶叫する鬼蝶。距離を取った雉猿狗は〈桃源郷〉を構え直す。


「……っ!!」


 地面に尻もちをついていた桃姫は、家屋の外壁を支えに立ち上がった。雉猿狗と対峙する鬼蝶の隙を突き、右側面で〈桃月〉を構える。


「……雉猿狗っ!! 二人なら──!!」

「はいッ……!! 桃姫様ッ──!!」


 互いに言葉を交わし、視線を合わせて力強く頷く二人。この状況なら鬼蝶を討ち取れる──そう確信した瞬間、鬼蝶が顔を歪めて叫んだ。


「──舐めるんじゃないわよッ……!! "八天鬼・燃羅の力"を──舐めるなァァあああッ!!」


 天に向かって咆哮する鬼蝶。同時に、途轍もない熱風が桃姫と雉猿狗の全身を襲った。


「──アハハハハハハッ!! 初めてよ、私の"両の目"に火をつけたのは……! あなたたちが初めてッ!!」


 左目のみならず右目からもゴウゴウと炎を噴き上げる鬼蝶。興奮の雄叫びを上げながら、両手の指先から鬼の爪を突き出した。


「──殺してやるわ……! 二人仲良く焼き殺してやるッ!!」


 鬼蝶は両手の鬼の爪に炎を引火させ、赤々と炎上させる。雉猿狗に向かい、黒い下駄で地面を蹴り上げ、紫色の着物をはためかせながら跳躍した。


「──まずはあなたからよ──雉猿狗ッ!!」

「……ッ──!!」


 〈桃源郷〉を構えた雉猿狗に飛びかかる鬼蝶。ブォンッという風切音と共に、右手の鬼の爪を雉猿狗の胴体目掛けて振り抜いた。


「くッ──!」


 雉猿狗は〈桃源郷〉の銀桃色の刃で鬼の爪を受け止める。赤熱する爪から放たれた強烈な熱風を胴体に浴び、苦悶の表情を浮かべた。


「──潔く死になさいなァッ! 雉猿狗ッ!!」


 燃える両目を見開いて叫ぶ鬼蝶。左手の五本の鬼の爪を一本の黒槍のように束ね、雉猿狗の顔面目掛けて素早く突き出した。


「──断固拒否しますッ!!」


 声を張り上げた雉猿狗は、鬼蝶ごと後ろに飛び退くように身をかがめる。頭上を空振りした鬼蝶の鬼の爪が家屋の外壁に突き刺さり、ジュウウウと音を立てて大穴を穿ちながら黒煙を上げた。


「──ヤエエエエエエッ!!」

「ッ……!?」


 裂帛の気合いと共に桃姫が〈桃月〉を構えて駆け出す。鬼蝶は憎々しげに睨みつけ、両目に浮かんだ"鬼"の文字を熱く輝かせた。チュンッと音を立てながら左右同時に熱線が放たれる。


「ッ──アアあッ!!」


 凝縮された熱線を〈桃月〉で防いだ桃姫は、その衝撃で弾き飛ばされた。路地裏の地面を転がり、鬼虫の亡骸に激突して止まる。


「──桃姫様ッ!! ダリャァッ!!」


 雉猿狗の叫び声が響いた。桃姫に覆いかぶさろうとする鬼蝶の胴体目掛けて、渾身の前蹴りを叩き込む。


「──グうッ……!?」


 腹部に雉猿狗の蹴りを受けた鬼蝶が呻く。蹴られた勢いのまま後方に跳躍し、距離を取った。


「──ふ、ふふふ……だめね私……さっき油断しちゃいけないって思い知ったばかりなのに……頭に血が昇ると、つい眼の前のことしか見えなくなっちゃう質みたい──」


 腹部を押さえながら自嘲する鬼蝶。熱が失われた両手の鬼の爪をズズズと引き戻し、短くした。


「──そうよね……最初から本気で行かないと……もう手加減なしよ……あなたたちのような"ケダモノ"に対しては──」


 冷めた口調でそう告げると、燃える両目を閉じて精神を集中させ始める。


「……ッ──!」


 雉猿狗の"獣の直感"が警告を発した。鬼蝶から不穏な気配を感じ取り、即座に立ち上がって桃姫に向かって駆け出す。


「──桃姫様ッ!! 身を隠してくださいませッ!!」

「……えっ──!?」


 鬼気迫る雉猿狗が困惑する桃姫の手を掴み、鬼虫の死骸の後ろに引き込んだ。身を寄せ合った次の瞬間──ドオオオォン──という壮絶な爆発音と共に猛烈な爆風と熱波が襲いかかった。

 鬼蝶から放たれた爆風は、路地裏の木造家屋を木っ端微塵に吹き飛ばす。鬼虫の後ろに隠れた桃姫と雉猿狗は、互いに苦悶の表情を浮かべながら、飛び交う粉塵と瓦礫を必死に耐えしのいだ。


「──っっ」

「──くッ」


 焼却炉のような恐ろしい熱風が治まる。息を止めていた二人が戦慄しながら呼吸を再開すると、瓦礫と化した路地裏にひとり立つ鬼蝶が静かに口を開いた。


「──ふふ……楽しかったわ。私がこれほどまでに本気になれたのは、"八天鬼人"に生まれ変わって初めてのことよ……」


 両目を薄く開き、穏やかな笑みを浮かべる鬼蝶。しかし紫色の着物をまとったその体には、赤く燃える無数のアゲハ蝶がパタパタと舞い飛び、火炎の渦を形成していた。

 黒く焼け焦げた鬼虫の亡骸から恐る恐る顔を覗かせた桃姫と雉猿狗。鬼蝶のその姿を見て、ふたりは絶句した。


「──ですが、何事にも終わりの時が訪れるものです……今宵の祭りも、そろそろ"お開き"といたしましょう……」


 丁寧な口調で告げた鬼蝶が左右の手のひらを前に差し出す。体の周りを舞っていたアゲハ蝶が次々と手のひらに集まり、赤い炎で形成された一振りの薙刀を作り上げた。

 鬼蝶は炎の薙刀をブンッと振るい、炎の軌跡を描く。両目をギンッと見開くと、光り輝く赤い"鬼"の文字からゴウゴウと炎を噴き上げた。


「──この〈蝮揚羽〉にて、焼却してさしあげます……天下人、織田信長が妻、鬼蝶──いざ、参る──

 凛とした声で名乗りを上げ、炎の薙刀〈蝮揚羽まむしあげは〉を構える。桃姫と雉猿狗に向かって飛ぶように跳躍した。


「……ぐッ──! ダァアアッ!!」


 雉猿狗は鬼虫の死骸を両手で持ち上げ踏ん張って立ち上がると、咆哮とともに鬼蝶目掛けて放り投げた。


「──愚かなケモノが」


 鬼蝶は吐き捨てるように言い放つと、〈蝮揚羽〉を下から上へ一振りして死骸を寸断する。

 笑みを浮かべながらふたりがいた場所に迫った鬼蝶だが、そこには誰もいなかった。


「ん……」


 黒い下駄を鳴らして着地した鬼蝶が路地裏の入口に目をやると、雉猿狗に手を引かれて走り去る桃姫の背中が見えた。


「……笑わせないでちょうだいよ」


 失笑しながら告げた鬼蝶。両目を大きく見開き、ふたりの背中を睨みつけながらダンッと地面を蹴って跳躍する。

 ビュウウウという凄まじい風切音を立て、宙空を滑るように飛びながら〈蝮揚羽〉を後方に引き下げた鬼蝶は、路地裏を抜けて大通りに出た桃姫の背中に狙いを定めた。


「……桃姫様ッ──! お逃げくださいッ──!!」


 それに気づいた雉猿狗が振り返って叫ぶ。桃姫の手を離し、かばうように前に出た。〈蝮揚羽〉を構え、飛びながら迫る鬼蝶と対峙する。


「……これで終わりッ──!! 八天鬼術・飛炎鳳衝ッ──!!」


 両目から炎を盛大に噴き出した鬼蝶は、ふたりに向かって吼えると、身体を一回転させながら〈蝮揚羽〉を振り下ろした。

 対する雉猿狗は〈桃源郷〉の刃を横に倒し、獣のような咆哮を上げると地面を両足で踏ん張りながら振り上げた。


「……ダァアアッ──獣心閃ッ──!!」


 渾身の力で振るわれた火炎の刃と桃銀色の刃。燃える堺の大通りで、鬼と獣の猛烈な力がぶつかり合い、まばゆい極光があたりを照らす。


「きゃあ!」


 悲鳴を漏らした桃姫は思わず〈桃月〉を握る腕で顔を覆った。


「──もう手加減はしないって言ったでしょう!! ──雉猿狗ッ!!」

「ぐああッ!!」


 激しい鍔迫り合いの最中、鬼蝶が笑みを浮かべながら告げる。〈蝮揚羽〉の凄まじい熱量に耐えきれなくなった雉猿狗の手から〈桃源郷〉が離れた──次の瞬間、振り下ろされた炎刃の切っ先が雉猿狗の胸を焼き斬り裂くのであった。

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