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5.桃心呀

 桃姫の散髪をした翌日。五重の塔が建つ堺の古寺に足を運んだふたり。

 かつて役小角が桃太郎のために打ち鍛えた二振りの仏刀のうち、雉猿狗は〈桃源郷〉を桃姫は〈桃月〉を構え、広い境内の片隅で剣術の稽古を行っていた。


「ヤァッ! テイッ!」


 見事に咲き誇る桜の木の下、ふたりはかけ声を発しながら息を合わせて仏刀を振るった。


「ハァッ! セイッ!」


 桃姫は雉猿狗が用意した白い鉢巻きを額に巻いていた。短くなった桃色の髪と相まって活発な印象を与えるその装いは、よく似合っていた。

 雉猿狗の呼吸は穏やかなままだが、桃姫の額には汗がにじんでいる。それでも彼女の瞳は、まっすぐに仏刀の切っ先を見据えていた。


「はぁ……はぁ……ねぇ、雉猿狗……私、試してみたいことがあるんだ」

「はい、何でございましょう」


 雉猿狗が答えると、桃姫は勢いよく駆け出して雉猿狗から距離を取った。

 身を低く沈めた桃姫は、意識を心臓の鼓動に集中させた。ドクン、ドクンという脈打ちが、全身の血流と段々と共鳴していく。

 鼓動と血流の波動が一つになった瞬間、桃姫は力を解き放った。


「──桃心呀ッ!!」


 力強いかけ声とともに、濃桃色の瞳を見開き、全身全霊の突きを繰り出した桃姫。

 突き出した〈桃月〉の刃から突風が放たれる。猛烈な風切り音を伴いながら雉猿狗に向かって吹きつけ、後方に立つ桜の大木が強風に打ちつけられた。

 幹にぶつかり上方に吹き抜けた突風によって、盛大に桜の花びらが春の青空に舞い散る。


「……ッ!?」


 全身に風を受けた雉猿狗は翡翠色の瞳を衝撃に見開いた。桃姫の華奢な体から生じた力に桃太郎の面影を確かに感じ取った。


「はぁっ! はぁっ!」


 目を閉じた桃姫は両手を離して〈桃月〉を落とし、その場に膝をつくと左胸を押さえた。

 苦悶の表情を浮かべながら激しい呼吸を繰り返し、荒ぶる心臓の鼓動を必死になだめるように落ち着かせようとする。


「桃姫様……!」


 呆然としていた雉猿狗は、苦しそうな桃姫の様子を見て叫びながら駆け寄ると、しゃがみ込んでその背中をさすった。


「大丈夫、雉猿狗……ちょっと"心の力"を出してみたかっただけ」


 心配そうな顔をした雉猿狗に対し、薄く目を開いた桃姫は笑みを浮かべて答えた。


「"心の力"……確かに見届けさせていただきました。桃姫様は成長しております」


 雉猿狗の言葉に、桃姫は大きく息を吐きながら頷く。そして濃桃色の瞳に強い光を宿した。


「もう、鬼に負けたくないんだ……絶対に」


 桃姫は宣言するようにそう言って、〈桃月〉を掴み取って立ち上がった。

 雉猿狗は地面にしゃがみ込んだまま、立ち上がった桃姫の姿を見上げる。蒼天に桜が舞い散る中、桃姫が凛と立っている。

 短い髪が風に揺れ、瞳には決意の熱が宿っていた。


「……っ」


 雉猿狗は感激のあまり言葉を発せず、ただ確信した。"桃姫様は誰よりも強くなる"と。

 そのとき、背後から拍手の音が聞こえてきた。

 桃姫と雉猿狗が振り返ると、黒い羽織袴に大小の刀を帯びた七人の侍が立っていた。


「あら……会合衆のお侍様」


 立ち上がった雉猿狗が堺の商人・会合衆に雇われている侍集団に声をかけた。


「いやぁ、立派立派」

「まったく、実に見事なものだ」


 侍たちは笑みを浮かべながら桃姫の剣技を褒め称えた。どうやら稽古の一部始終を見ていたらしい。

 さっきまでの鋭い眼差しが嘘のように、桃姫は照れくさそうにお辞儀をした。


「みな様連れ立って、いかがなされたのですか?」


 雉猿狗が侍たちに尋ねると、その中の若い侍が答えた。


「堺の見回りですよ、今日は花祭りがありますからね」

「あら……お祭りの日でしたか」


 雉猿狗がほほ笑みながら返すと、不意に桃姫が表情を暗くした。

 "祭り"という言葉が、桃姫の心を突き刺した。赤い炎、崩れ落ちるやぐら──血溜まりに倒れる父の姿が脳裏に蘇る。


「……祭り」


 桃姫の呟きを耳にした雉猿狗は眉を曇らせた。


「どうです? おふたりも、遊びに行かれてみては」

「珍しい南蛮菓子の出店なんぞもありましたよ。桃姫殿は気に入られるのではありませんかな」


 侍たちは悪気なく花祭りに参加することを勧めるが、雉猿狗は顔を伏せる桃姫を見てから口を開いた。


「申し訳ございません。朝からの剣術稽古で疲れてしまいまして……本日は、もうお宿に帰らせていただきますね」


 雉猿狗は残念そうに侍たちに言うと、黙り込む桃姫の手を取って歩き出した。


「そうですか、それは残念」

「花祭りは夜通しやってますので、気が向いたら足を運んでみてください」


 侍たちは古寺から離れていくふたりの後ろ姿を見送りながら、そんな言葉をかけていく。


「……桃姫様、お祭りはまた今度にいたしましょうか」

「……うん」


 雉猿狗がやさしく声をかけると、桃姫は静かに頷いて返した。

 去りゆくふたりの後ろ姿を、五重の塔の尖塔に立つしなやかな人影が、長い濃緑色の髪を風になびかせながら見下ろしていた。


「──見つけたわよ、桃姫ちゃん」


 鬼蝶は妖艶な笑みを浮かべると、黄色い瞳に宿る赤い"鬼"の文字を陰惨に輝かせるのであった。

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