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4.鬼退治

 それから一週間後──朝焼けに染まる海岸で、船作りの最終工程として帆柱に帆を取り付けていた桃太郎。

 帆といっても木綿帆ではなくゴザ帆であり、イグサを編んだ桃太郎の手製であった。


「かかか。仕上がっておるようだのう、桃」


 チリンという金輪の響きとともに、聞き慣れたしゃがれ声が桃太郎の耳に届いた。


「御師匠様!」


 村人の群衆を割って現れた役小角の姿を目にした桃太郎は、帆を固定する麻縄をキツく縛ってから帆柱を滑り下りた。


「──"船作り"、独力にてやり遂げました!」


 船尾に立った桃太郎が胸を張りながら言うと、役小角は「助太刀無用」の看板をちらりと見てから、砂浜に置かれている紫と橙の風呂敷包みを見下ろした。


「あっ……」


 桃太郎は声を漏らした。帆を取り付けている作業中に小夜とおつるが置いていった今日の分の弁当である。顔を上げた役小角は、満面の笑みで口を開いた。


「わしも食っていいか?」


 砂浜にあぐらをかいた役小角が弁当を食べていると、桃太郎は看板を砂浜から抜き取って村人たちに告げた。


「ただいま船が完成いたしました! 見護ってくださり、ありがとうございました!」


 村人たちが一斉に拍手と歓声を送ると、その中から三獣が現れた。


「三獣……!」

「きおったか」


 桃太郎が声を上げると、弁当を食べ終えた役小角が呟いて立ち上がり、〈黄金の錫杖〉を突きながら桃太郎の隣まで歩いた。


「日ノ本各地を巡ってな、見合う装備を受け取ってきたのだ。どうだ、見違えたであろう?」


 桃太郎は役小角の言葉を耳にしながら三獣の装いに注目した。

 白犬は仏の曼荼羅が描かれた青い法衣を、茶猿は白い数珠と黄装束を、緑雉は小刀と赤備えを身に着けていた。


「これは……鎧?」


 そして桃太郎は、近づいてきた三獣が白い軽鎧の各部位を背負っていることに気づいた。


「信長公が桃太郎へと授けて下さった〈鬼退治具足〉だわいの」

「……信長公が、私に」

「みな鬼退治に期待しておるのじゃよ。さっそく着てみせい、桃」


 役小角に促された桃太郎は、白犬から籠手とすね当てを、茶猿から胴鎧を、緑雉からひざ鎧を受け取って着物の上から着込んだ。

 白い軽鎧を身にまとった桃太郎の雄々しい姿に村人たちがまたもや歓声を上げ、役小角が満足げに頷いた。


「これにて修行は終いじゃ。よくやったのう、桃」

「ありがとうございます、御師匠様」


 6年間に渡った修行の完了を告げる役小角の言葉に桃太郎は感極まりながら答えた。


「ではさっそく──鬼ヶ島へ発て」

「……は?」

 

 思わず声を漏らした桃太郎に役小角は背を向けた。


「村人たちに別れを告げる時間をくれてやる──10分、それまでに済ませろ」


 役小角は言うと、高下駄で砂を蹴り上げて跳躍し、船尾に着地した。


「冗談ではないぞ?」

「……ッ」


 横目で告げた役小角。桃太郎は慌てて村人たちのもとに駆け寄って、鬼ヶ島への出立を告げた。

 役小角は、〈黄金の錫杖〉の先端で擦るように敷板に五芒星の陣を描くと、片合掌しながら迦楼羅天のマントラを唱えた。


「──オン・ガルダヤ・ソワカ」


 マントラに呼応した五芒星の陣が強く赤光し、敷板にジュッと刻み込まれた。


「これでよし……これにて、この船は鬼ヶ島に向かう」


 呟いた役小角が船から飛び降りると、集まった村人たちに桃太郎が別れを告げていた。


「桃太郎や、ほんに立派になったねえ……吉備団子を握ったから、道中でお食べ」

「ありがとうございます、お婆さん」


 桃太郎は目に涙を浮かべるお婆さんから受け取った巾着袋を着物の懐に仕舞った。


「桃太郎さん。こちらは村のみんなでお金を出し合って作った額当てです。花咲村のみならず、日ノ本で暮らす者すべてが鬼退治の成功を祈っています──もちろん、私も」


 小夜はそう言うと桃太郎に歩み寄り、黄金の額当てをその額に巻いた。


「桃太郎さん、必ず生きて帰ってきてください」

「……必ず生きて帰ってくるよ。お小夜さん」


 顔を近づけた桃太郎と小夜が瞳を深く見交わしながら告げ合うと、役小角が近づきながら声をかけた。


「かかか。あまりそういうことは言わん方がよいぞ。くだらぬ死を招き寄せるからのう」


 役小角の笑い声を耳にした桃太郎と小夜は、慌てて互いの距離を取った。


「はい、心得ます……それでは御師匠様、ともに鬼ヶ島に参りましょう」


 力強く頷いた桃太郎が三獣を引き連れて船に向かうと、その背中に向けて役小角が声を放った。


「──いったいいつ、わしが鬼ヶ島に行くと申した?」

「……ッ!?」


 低い声で発された役小角の言葉を受けて、桃太郎は唖然としながら振り返った。


「わしは弟子であるおぬしに仏刀、技法、お供、そのすべてを伝授した。これ以上、わしになにを求める?」

「ですが、御師匠様がご同行してくだされば、その卓越した法術にて私と三獣を」


 桃太郎が声を上げた瞬間、役小角の満面の笑みが崩れ去った。


「甘ったれるでないわ、桃ォッ!」

「……!」


 ぴしゃりと放たれた役小角の一喝。その強烈な一声は桃太郎のみならず、集まっていた村人たちの身もすくませた。


「この期に及んで、そのような腑抜けごとを抜かすとは呆れたわいの……ああいっそ、この船、燃やしてくれようか」

「ッ……御師匠様! ただ今の言葉、撤回させてください! 申し訳ございませんでした!」


 桃太郎が血相を変えて頭を下げると、役小角はその桃色の髪を見つめながら漆黒の眼を細めた。


「よいか、桃……これよりおぬしは日ノ本の生ける伝説となるのじゃ。わしがなるのではない、おぬしがなるのだ。そしてそれこそが、わしの人生に大いなる喜びをもたらすのじゃ」


 役小角は穏やかな声でそう告げると、〈黄金の錫杖〉の金輪をチリンと鳴らしながら掲げ、桃太郎の頭をスッと撫でた。


「ゆえにわしはおぬしを育て、6年かけて鍛え上げたのじゃ──わしが鬼ヶ島に行かぬ理由、分かってくれたな?」

「はい……御師匠様が直接手を下してしまえば、修行の日々が水泡に帰す、そういうことですね……」


 顔を上げた桃太郎が濃桃色の瞳に熱を込めて告げると、役小角は満面の笑みを浮かべながら深く頷いた。


「分かってくれたようでなにより。おぬしを弟子にしたわしの目に狂いはなかったようじゃの。かかか」


 漆黒の眼の奥に大宇宙の輝きを覗かせながら告げた役小角。桃太郎は颯爽と振り返ると、三獣を引き連れて船に飛び乗り、船尾に立って花咲村の人々に手を振った。


「それでは皆様! 桃太郎と三獣、鬼退治に行って参ります!」


 声を上げた桃太郎が櫂を手に取って砂浜から押し出すと、船は海面を滑り出して沖へと流れていった。


「坊主! 頼んだぞ!」

「桃太郎さん! どうかご無事で……!」

「桃太郎や! 必ず成し遂げてくるんだよ!」


 三郎、小夜、お婆さん──砂浜に集まった花咲村の人々が各々に声を上げながら、遠ざかっていく船を見送った。

 その様子を眺めながら役小角は深い笑みを浮かべ、細めた眼を完全に閉じた。そのとき──鬼蝶の声が投げかけられた。


「行者様」


 過去の追憶をしていた役小角が眼を見開くと、眼前には鬼ノ城の裏庭から望む赤い大海原が広がっていた。


「お休みのところ申し訳ございません。ですが……そろそろ血の雨を降らすのに、よい頃合いではないかと」


 鬼蝶は妖艶な笑みを浮かべながらそう言って役小角の隣に立つと、役小角は白い眉を寄せながら鬼蝶の横顔を見やった。


「血の雨とな?」

「堺の件にございます」

「ああ……ふむ。では、温羅坊が略奪から戻ってき次第、取り掛かるとするか」


 そう返した役小角に向けて、鬼蝶は冷たい声を発した。


「此度は私ひとりでお行かせくださいませ……察しのよい行者様ならば、お気づきでありましょう? 巌鬼は、桃太郎の娘を殺すつもりなど、ないのだと」

「…………」


 鬼蝶は赤い"鬼"の文字が宿った瞳を細めながら告げると、役小角は一瞬沈黙してから高笑いした。


「かかかッ! 教育係である鬼蝶殿には巌鬼の心などお見通しか。いやはや恐ろしい」


 笑う役小角を横目で見た鬼蝶は、赤い海原に視線を移してから口を開いた。


「……巌鬼は理由をつけて堺の襲撃を先延ばしにしておりました──桃太郎の血を絶やすには、私ひとりで堺に赴くより他にないかと」

「わしの助けすらも必要ないと?」


 役小角は尋ねると、鬼蝶は冷たい視線を向けた。


「行者様。正直に申し上げますれば……私はあなた様のことも少しばかり"疑って"おります──行者様は桃太郎と過去に"因縁"などおありでございましょうか?」

「…………」


 鬼蝶は役小角の眼の奥を覗き見るようにしながら告げると、役小角は満面の笑みのまま硬直したように沈黙した。


「失礼ながら先ほども、物思いに耽けったような顔つきで"もも"と呟かれているのを拝見いたしました──行者様……桃太郎の娘を殺すことを躊躇するほど、桃太郎となにか」

「くかかかッ! いやはや参った参った! マムシの娘ともなると、こうまで疑り深いものかと!」


 詰め寄りながら言った鬼蝶に対し、突如堰を切ったように大笑いし始めた役小角。


「信長公が惚れ込むわけですわいの! いやはや感服した! かかかッ!」

「…………」

「なーに、鬼退治の英雄。その娘となれば少しばかり情が湧いたに過ぎぬ……よもやわしともあろう者が、温羅坊に感化されたのやもしれぬなぁ」


 随分と饒舌になった役小角の顔を眉をひそめて見つめていた鬼蝶は、鼻から深く息を吐いてから、静かに口を開いた。


「では、桃太郎の娘──桃姫ちゃん……今から私が殺してきてもよろしいのですね?」

「よかろう……とはいえ、桃の娘には厄介な三獣の化身が付いているのはおぬしも知っておろう? いかな"八天鬼人"といえど、ひとりで行かせるのは気が引けますわいの」


 役小角は言うと、白装束の懐に手を差し入れて黒い箱をスッと取り出した。


「"蟲箱"じゃ。活きのよい子を選んでおいたでな……堺にて使うがよろしい」

「あら……ふふふ。ありがたく頂戴させていただきますわ」


 鬼蝶は陰惨な笑みを浮かべながら役小角から"蟲箱"を受け取ると、胸元を開いた自身の着物の中に入れた。

 役小角が堺の路地裏につながる"呪札門"を作り上げると、門の向こう側に見える景色に向かって片脚を踏み入れた鬼蝶が、おもむろに振り返った。


「行者様。あなた様の愛した桃太郎の娘──これより"退治"して参りますわね♪ あははは!」

「…………」


 鬼蝶は赤い唇を開き、いたずらっぽい笑みを浮かべながらそう告げると、"呪札門"をくぐり抜けて堺に消えていった。

 役小角は鬼蝶を転移させた"呪札門"を手早く片付けると、首を横に振りながら口を開いた。


「……やれやれ、肝が冷えた。女の勘というのは恐ろしいものだの」


 役小角は赤土の上に落ちた呪札の束を〈黄金の錫杖〉の先端で突いて燃やしながら呟いた。


「桃の娘……鬼蝶ごときに殺されるのならば、おぬしの力はそれまでだったということ……わしは助け舟など出さぬからな」


 潮風に吹かれ、赤い海原に向かって灰に転じながら飛んでいく呪札の群れを役小角は見届けるのであった。

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