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4.鬼退治

 それから三日後の朝、和船を完成させた桃太郎は南の浜辺に集まった花咲村の人々に鬼ヶ島への出立を告げた。


「それでは皆様、桃太郎、鬼退治に行って参ります」


 自ら製作した白い軽鎧を身に着けた桃太郎が凛とした声を上げると、人々は一斉に拍手と歓声を発した。


「桃太郎や、ほんに立派になったねぇ……吉備団子を握ったから、道中お食べ」

「ありがとうございます、お婆さん」


 目に涙を浮かべたお婆さんが巾着袋を桃太郎に手渡すと、桃太郎は微笑みながら受け取り、腰帯に括り付けた。


「桃太郎さん」


 声を上げたのは小夜だった。小夜は群衆の中から前に出ると、手にした黄金の額当てを桃太郎に差し出す。


「こちらは花咲村のみんなでお金を出し合って作った額当てです。花咲村の皆、いえ、日ノ本で暮らす者すべてが桃太郎さんの鬼退治の成功を祈っています──もちろん、私も」


 小夜はそう言うと桃太郎に歩み寄り、黄金の額当てをその額に巻いた。


「……桃太郎さん、必ず生きて帰ってきてくださいませ」

「小夜ちゃん……必ず生きて帰ってくるよ」


 顔を近づけた桃太郎と小夜が瞳を深く見交わしながら告げ合うと、三獣を連れた役小角が姿を現した。


「かかか。あまりそういうことは言わん方がよいぞ──くだらぬ死を招き寄せるからのう」


 満面の笑みを浮かべた役小角の言葉を耳にした桃太郎と小夜は、慌てて互いから距離を取った。

 役小角を見た桃太郎は、船作りの最中には見かけなかった三獣の姿に驚く。

 白犬は曼荼羅が描かれた青い法衣を、茶猿は数珠と黄装束を、緑雉は小刀と赤備えをそれぞれ身に着けていた。


「桃が船を作っている間、日ノ本を巡ってな。見合う装備を受け取ってきたのじゃ。どうじゃ、見違えたであろう?」


 役小角が言うと、三獣は駆け出して桃太郎の周りに寄り添った。


「御師匠様! 本当に何もかも、ありがとうございます!」


 感動した桃太郎が声を上げると、役小角は静かに頷いてからダンッと高下駄で砂浜を蹴り、和船の甲板に着地した。

 〈黄金の錫杖〉の先端で擦るように五芒星の陣を描くと、片合掌しながら迦楼羅天のマントラを唱える。


「──オン・ガルダヤ・ソワカ──」


 マントラに呼応した五芒星の陣が赤光し、甲板に刻み込まれた。


「うむ。これでよし」


 満足気に呟いた役小角が甲板を蹴り上げて跳躍し、桃太郎の前に着地すると笑みを浮かべながら口を開いた。


「これにて、あの船は鬼ヶ島に向かう。よいか、決して鬼に船を壊されるでないぞ。帰ってこれなくなるでな──かかか」

「はい、心得ます……それでは御師匠様、鬼ヶ島に参りましょう」


 桃太郎が力強く頷いて和船に向かうと、その背中に向けて役小角が声を放った。


「──いったいいつ、わしが鬼ヶ島に行くと申した?」

「……えっ」


 低い声で発された役小角の言葉を受けて、桃太郎は呆然としながら振り返った。


「わしは弟子であるおぬしに仏刀、技法、お供、そのすべてを伝授した。それ以上何を求める」

「……ですが、御師匠様が鬼ヶ島にご同行くだされば、その卓越した法術にて私と三獣を──」

「──甘ったれるでないわ、桃ォッ──!!」

「ッ……!」


 満面の笑みを崩し、ぴしゃりと放たれる役小角の一喝。その強烈な一声は桃太郎のみならず、砂浜に集まっていた村人たちの身もすくませた。


「この期に及んで、そのような腑抜けたことを抜かすとは呆れたわいの……ああいっそ、この船、燃やしてくれようか」

「ッ……御師匠様! ただ今の言葉、撤回させてください! 20歳にもなって子供じみた戯れ言を口にしてしまいました……! 申し訳ございませんでした!」


 桃太郎が血相を変えて頭を下げると、再び満面の笑みを浮かべた役小角はその桃色の髪を見つめながら目を細めた。


「よいか、桃……これよりおぬしは日ノ本の伝説となるのじゃ。わしがなるのではない、おぬしがなるのだ。そしてそれこそが、わしの人生に大いなる喜びをもたらす」


 役小角は穏やかな声音でそう告げると、〈黄金の錫杖〉の金輪をチリンと鳴らしながら掲げ、桃太郎の頭をスッと撫でた。


「故にわしはおぬしを育て、6年かけて鍛え上げたのじゃ──わしが鬼ヶ島に行かぬ理由、分かってくれたな?」

「はい……御師匠様が直接手を下したら修行の日々が水泡に帰す、そういうことでございますね……」


 顔を上げた桃太郎が濃桃色の瞳を力強く燃やしながら告げると、役小角は満面の笑みを浮かべながら深く頷いた。


「かかか。分かってくれたようで何より。おぬしを弟子にしたわしの目に狂いはなかったようじゃの」


 漆黒の瞳の奥に大宇宙の輝きを覗かせながら告げた役小角。桃太郎は颯爽と振り返ると、三獣を引き連れて和船に飛び乗り、甲板から花咲村の人々に手を振った。


「それでは皆様……行って参ります!」


 声を上げた桃太郎が櫂を手に取って砂浜から押し出すと、和船は海面を滑り出して沖へと流れていく。


「坊主! 頼んだぞ!」

「桃太郎さん! どうかご無事で……!」

「桃太郎や! 成し遂げてくるんだよ!」


 三郎、小夜、お婆さん──砂浜に集まった花咲村の人々が声を上げながら、遠ざかっていく和船を見送った。

 その様子を眺めながら役小角は深い笑みを浮かべ、細めた瞳を完全に閉じた。そのとき──鬼蝶の声が投げかけられた。


「──行者様……」


 過去の追憶をしていた役小角が目を見開くと、眼前には鬼ノ城の裏庭から望む赤い大海原が広がっていた。


「お休みのところ申し訳ございません。ですが、そろそろ血の雨を降らすのによい頃合いではございませぬか……?」


 鬼蝶は妖艶な笑みを浮かべながらそう言って役小角の隣に立つと、役小角は白い眉を寄せながら鬼蝶を見やって口を開いた。


「……血の雨とな?」

「堺でございますよ」

「ああ。そうじゃのう……では温羅坊が略奪から戻ってき次第、準備に取り掛かるとするか」


 そう返した役小角に向けて、鬼蝶は冷たい声を発した。


「此度は私ひとりでお行かせくださいませ……察しのよい行者様ならば、すでにお気づきでありましょう。巌鬼には桃太郎の娘を殺すつもりなど、毛頭ないのだと」

「…………」


 鬼蝶は赤い"鬼"の文字が浮かんだ瞳を細めながらそう告げると、役小角は一瞬沈黙してから高笑いをした。


「かかか! 教育係である鬼蝶殿には巌鬼の心などすべてお見通しか。いやはや恐ろしや」


 鬼蝶はそう言って笑う役小角を横目で見た後、赤い海原に視線を移してから口を開いた。


「……これまで幾度も堺を襲撃する機会はあったのに……巌鬼は理由をつけて先延ばしにしておりました──桃太郎の血を絶やすには、私一人で堺に赴くより他にないかと」

「む……? その言い草……わしの助けすらも必要ないと?」


 鬼蝶の言葉を受けて役小角は尋ねると、鬼蝶は役小角の顔を見て冷たい視線を向けた。


「行者様……正直に申し上げますれば──私はあなた様のことも少しばかり"疑って"おります。行者様は桃太郎と何か過去に"因縁"などおありでございましょうか?」

「…………」


 鬼蝶は役小角の漆黒の瞳の奥を覗き見るようにしながらそう告げると、役小角は満面の笑みのまま硬直したように沈黙した。


「失礼ながら先ほども、物思いに耽けったような顔つきで"もも"と呟かれているのを拝見いたしました──行者様……桃太郎の娘を殺すことを躊躇するほど、桃太郎と何か──」

「──くかかかかッ! いやはや参った参った! マムシの娘ともなると、こうまで疑り深いものかと! かかかかッ! 信長公が惚れ込むわけですわいの! いやはや感服しましたわいの! かかか!」

「…………」


 詰め寄りながら言った鬼蝶に対して、突如堰を切ったように大笑いし始めた役小角は、眉をひそめた鬼蝶の顔を見ながら変わらずの満面の笑みを浮かべた。


「なぁに、伝説的な鬼退治の英雄。その娘となれば少しばかり情が湧いたに過ぎぬわいの……よもやわしともあろう者が温羅坊に感化されたのやもしれぬなぁ? かかか!」


 随分と饒舌になった役小角の顔を黙って見つめていた鬼蝶は、鼻から深く息を吐いた後、静かに口を開いた。


「では、桃太郎の娘──桃姫ちゃん……私が今から殺してきてもよろしいのですね?」

「よかろう……とはいえじゃの、桃の娘には厄介な三獣の化身が付いているのはおぬしも知っておろう? いかな"八天鬼人"の鬼蝶殿といえど、ひとりで行かせるのは気が引けますわいの」


 役小角は言うと、白装束の懐に手を差し入れて黒い箱をスッと取り出した。


「"蟲箱"じゃ。活きのよい子を選んでおいたでな……堺にて使うがよろしい」

「あらぁ……ふふふ。ありがたく頂戴させていただきますわ」


 鬼蝶は陰惨な笑みを浮かべながら役小角から"蟲箱"を受け取ると、胸元を開いた自身の着物の中に入れた。

 役小角が堺の路地裏に繋がる"呪札門"を作り上げると、門の向こう側に見える景色に向かって片脚を踏み入れた鬼蝶が、おもむろに振り返った。


「行者様。あなた様の愛した桃太郎の娘——これより"退治"して参りますわね♪ あははは──」

「…………」


 鬼蝶は赤い唇を開き、いたずらっぽい笑みを浮かべながらそう告げると、"呪札門"をくぐり抜けて堺に消えていった。

 役小角は鬼蝶を転移させた"呪札門"を手早く片付けると、首を横に振りながら口を開いた。


「……やれやれ、肝が冷えた。女の勘というのは恐ろしいものだの」


 役小角は赤土の上に落ちた呪札の束を〈黄金の錫杖〉の先端で突いて燃やしながら呟く。


「桃の娘よ……鬼蝶ごときに殺されるのならば……おぬしの力はそれまでだったということ……わしは助け舟など出さぬからな──」


 そう言って潮風に吹かれ、赤い海原に向かって灰と転じながら飛んでいく呪札の群れを役小角は見届けるのであった。

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