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3.船作り

 山ごもり修行を開始してから6年目の夏──20歳になった桃太郎は、花咲山の開けた草地で成長したお供の三獣とともに剣術の鍛錬に勤しんでいた。


「始めよう」


 手ぬぐいで目元を隠した桃太郎が静かに告げると、緑雉が羽ばたいて飛翔し、白犬と茶猿が並んで駆け出した。

 大小の仏刀、〈桃源郷〉と〈桃月〉を両手に握りしめた桃太郎は、精神を統一し、周囲に展開する三獣の気配をつぶさに感じ取った。

 次の瞬間、茶猿が背負う薪の一本を白犬が咥え取り、桃太郎めがけて勢いよく投げつけた。


「ハァッ!」


 気合を発した桃太郎は、的確に薪を斬り裂いて寸断した。白犬と茶猿は桃太郎のまわりを走りながら、次々と薪を投擲する。

 桃太郎は両手の仏刀をいかんなく振るい、斬り落とした薪を草地に散らせていった。


「……ッ!」


 頭上から強い気配を感じ取った桃太郎。上空を飛ぶ緑雉が、両爪で掴んでいる風呂敷包みをバサリと解き放つと、大量の薪が桃太郎めがけて降り注いだ。


「ヤエエエエッ!!」


 裂帛の声を張り上げた桃太郎は、二振りの仏刀を縦横無尽に振るって、薪の雨を怒涛の勢いで斬り裂いた。

 息を切らした白犬と茶猿が動きを止め、緑雉が草地に舞い降りると、桃太郎も荒い呼吸をしながら、二振りの仏刀を白鞘に収めた。


「はぁ、はぁ……っ」


 呼吸を整えながら目隠しを取った桃太郎は息を呑んだ。全く気配を感じ取ることのできなかった役小角が満面の笑みを浮かべながら前方に立っていたのだ。


「ふむ……"気配斬り"においては、達人の域に至っておるな」


 役小角は特徴的なしゃがれ声で告げると、〈黄金の錫杖〉の頭を散らばった薪の一本に差し向けて、ふわりと宙空に浮かべた。


「だが。薪と鬼とは、まるで別物ですわいの」


 漆黒の眼を細めた役小角。浮遊する薪に注意を向けていた桃太郎は、背後から強い気配を感じ取って、反射的に振り返った。


「ッ!?」


 高速で迫りくる三本の薪。桃太郎は慌てて白鞘から仏刀を引き抜こうとしたが、それより早く白犬と茶猿、緑雉が動いた。

 跳躍した三獣は、三本の薪をそれぞれ弾き飛ばして着地する。


「──フッ!」


 その光景を目にした桃太郎は、振り返り様に〈桃源郷〉を引き抜くと、役小角が放った薪を眼前で縦に斬り裂いた。

 二つに割れた薪が草地に落ちると、お供の三獣は桃太郎の背後を護るように布陣した。

 桃太郎と三獣が一心同体となって連携する様を見やった役小角は、「ふん」と鼻を鳴らすと、白装束の懐に手を差し入れた。


「これより、修行の最終段階に入る」

「……っ」


 桃太郎が目を見張ると、役小角は懐から一冊の本を取り出して見せた。


「鬼ヶ島に渡る船を完成させよ。ただし、おぬしの独力でやれ」


 役小角は手にした本を桃太郎に向けて放った。桃太郎が咄嗟に掴み取ると、それは『船匠図解』と題された船作りの指南書であった。


「大工道具は寝床に用意したでな。わしは三獣とともに日ノ本を行脚してくる。帰ってくる秋までには作り終えておけよ──来い、三獣」


 一方的に告げた役小角は、〈黄金の錫杖〉で地面を突いてチリンと金輪を鳴らした。

 しかし、三獣は桃太郎のまわりから動かず、役小角は漆黒の眼を細めた。


「行っておいで。大丈夫、船は私ひとりで完成させるから」


 桃太郎が三獣に言うと、三獣は渋々といった様子で役小角のもとへと歩いていった。

 そして、去っていく役小角と三獣を見送った桃太郎は草の上にあぐらをかいて座り、『船匠図解』を開いた。


「……船か」


 桃太郎は『弁才船』の項目を見ながら呟いた。そしてその日より、役小角から提示された最終課題"船作り"を開始した。

 最低限の大工道具だけ与えられた桃太郎は、花咲山の木々を切り倒し、木材として削り出していった。


 6年間の修行で体力と精神力を鍛え上げていた桃太郎は、『船匠図解』を参考に試行錯誤しながら、小型弁才船の部品を一つ一つ心折れることなく作り上げていった。

 そして、夏から秋へと季節が変わる頃、船の部品をすべて作り終えた桃太郎は、それらを手製の荷車に積み、花咲村の南にある海岸まで運んで砂浜に並べていった。

 何度も往復して船の部品を並べていると、桃太郎が山から降りて何かしているという噂が村中を駆け巡り、海岸には大勢の村人が押し寄せるようになっていた。


「よう、ありゃ鬼ヶ島に渡るための船だべ? そんなら、おらたちも手伝ったほうがいいんでねぇのか?」

「いんや、あの看板さ見ろ」


 若い男に尋ねられた中年の男は、桃太郎が組み立て作業をしている手前の砂浜に突き立てられた看板を指さした。

 若い男が目を凝らして見やると「助太刀無用 修行の一環 桃太郎」と書かれていた。


「はぁ……桃太郎のやつ、立派になったもんだなぁ」


 若い男は、14歳の時分とは見違えるほど精悍に成長した桃太郎の姿を遠くに見ながら感嘆の声を漏らした。

 黙々と作業する桃太郎を離れて見護る村人たちの中から、ふたりの女性が歩み出た。


「ちょっと……お小夜ちゃん、おかめちゃん。助太刀無用みたいだよ」


 おとよがその背中に声をかけると、それぞれ紫と橙の風呂敷包みを手にした小夜とおかめは、足を止めることなく、桃太郎のもとへ向かった。

 そして、看板を越えたふたりは、朝日を浴びながら船作りに集中している桃太郎の横顔を見上げた。


「あの……桃太郎さん」


 木槌を振るう桃太郎に声をかけた小夜。しかし頭に手ぬぐいを巻き、汗を流して作業に没頭する桃太郎は、その声に気づかなかった。


「……置いてこか」

「……うん」


 おかめの言葉に頷いた小夜。風呂敷包みを砂浜に置いたふたりが立ち去ろうとしたそのとき、部品を取ろうと振り返った桃太郎と小夜の目が合った。


「ッ……お小夜さん!?」

「……っ」


 濃桃色の瞳を見開いた桃太郎が驚きの声を発すると、小夜は一瞬にして頬を赤らめた。


「それに……おかめちゃんかい?」


 ほほ笑みながら告げた桃太郎は、記憶の中にある12歳のおかめと、18歳になった今の姿を重ね合わせた。おかめは気恥ずかしさから風呂敷包みに視線を下ろした。


「お弁当です……口に合うか、わからへんけど」


 おかめは小さな声で呟くと、小夜が続けた。


「桃太郎さん。船が完成するまでのあいだ……お食事を届けにきてもよろしいですか?」


 小夜がうかがうような眼差しで見上げながら尋ねると、返事をする前に桃太郎のお腹がぐうと鳴った。


「……お願いしても、いいかな?」

「はいっ」


 桃太郎が苦笑しながら言うと、小夜は笑顔で頷いた。そして、船の敷板に座った桃太郎が小夜とおかめが作った二つの弁当をあっという間に食べ終えたとき、「おーい」と声をかけられた。


「ん……?」


 小夜から渡された竹筒の麦茶で喉を潤していた桃太郎が立ち上がって船尾まで移動すると、眼下には三郎が立っていた。


「久しぶりやな坊主。いや……もう坊主って歳やないか?」

「いいんですよ、坊主で……お元気そうでなによりです、三郎さん」


 朗らかに笑う三郎に桃太郎も笑みをこぼしながら答えた。


「まぁな。おかめがおるから、なんとかやってこれた感じやわ……なぁ、少し俺と話さへんか?」


 頷いた桃太郎は、三郎の手を引いて遠浅の海辺に浮かぶ船に乗せた。


「その腰に差しとるんが、鬼を斬れるゆう刀か……村で噂になっとるで」

「そうなんですか?」


 桃太郎は左腰に差した大小の白鞘を見ながら尋ねた。


「ああ。坊主が山ん中で綺麗な刀振ってるの見たってな……しかし、船作るときくらい外したほうがええんとちゃうか?」

「いえ、御師匠様から頂いた大事な仏刀ですから……寝るときでも外しません」


 桃太郎の言葉を聞いた三郎はふっと笑みを浮かべると、南方に広がる青い海原を見やった。


「なぁ、坊主……おはるのやつ……今この瞬間も、鬼ヶ島でえらい苦しんどるはずや」

「…………」


 桃太郎は遠い目をして告げた三郎の横顔を見ながら表情をこわばらせた。


「おはるに引導を渡せるのは、坊主だけや……その仏様の力宿した刀で……おはるのこと、助けてやってくれ」

「……はい」


 三郎の言葉を聞き受けた桃太郎は、静かに応じた。


「それから、これな……おはるの化粧机ん中から、おかめが見つけたんやけど」


 そう言って三郎が懐から取り出したのは、桃色の頭をした小さな人形だった。


「あいつアホやから……ほんまに坊主と結婚したかったみたいやねんな」

「…………」


 差し出された人形を受け取った桃太郎は、6年前、この海岸で奪われたおはるの眩しい笑顔を脳裏に蘇らせた。


「鬼ヶ島に行く途中でな、そいつを海に放ってくれへんか……それを俺とおかめの、おはるへの別れとするさかい」


 三郎が苦渋の面持ちで告げると、桃太郎はおはるの人形を握りしめた。


「僕もそれを……おはる姉ちゃんとの別れの挨拶にします」

「……頼んだ、坊主」

「はい」


 桃太郎は敷板に広げられていた風呂敷で空の弁当箱を包むと、三郎に渡した。


「美味しかった、ありがとうって、おかめちゃんとお小夜さんに伝えておいてください」


 三郎は風呂敷包みを受け取ると、桃太郎の顔を見つめた。


「坊主、おかめとお小夜ちゃん悲しませたら、承知せえへんからな……必ず生きて、花咲に帰ってくるんやで」

「はい。生きて帰ります……必ず」

「ほならええ」


 確かめるように頷いた三郎は、船から降りて桃太郎の前から立ち去るのであった。

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