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2.隠し事

 その夜のこと──並べて敷いた布団で眠りについた桃姫の隣で、雉猿狗はそっと布団から抜け出した。

 薄暗がりの中で桃姫の寝顔をやさしいほほ笑みで確認してから、引き戸を開けて静かに部屋を出ていく。


「…………」


 桃姫は薄目を開けて、布団の中からその一部始終を見ていた。

 夜明けが近づく頃、雉猿狗が引き戸を開けて戻ってくる。音を立てないよう慎重に戸を閉め、振り返った瞬間──。


「うっ?」


 雉猿狗は思わず声を漏らした。布団の上に正座で座り、じっと自分を見つめる桃姫の姿があったのだ。


「雉猿狗。なにしてたの」

「桃姫様……あの……」

「私に内緒で外に出てるの、知ってるよ」


 桃姫の声には少しばかりの怒気が込められていた。雉猿狗は観念したように息を吐くと、行灯に火を灯してぼんやりと部屋を照らした。

 雉猿狗は部屋の隅にある小さなちゃぶ台の前に座ると、不機嫌そうな桃姫に声をかけた。


「桃姫様、こちらへ」

「…………」


 桃姫は疑わしげな表情を浮かべながらも立ち上がり、雉猿狗の言う通りちゃぶ台の前に移動して対面で座った。


「私が夜な夜な外に出ているのは、このためでございます」


 神妙な面持ちで雉猿狗が言うと、腰帯の中から紫色の細紐でまとめられた十枚の小判を取り出し、重い音を立ててちゃぶ台に置いた。


「雉猿狗、どこでこんな大金……!」

「安心してください、桃姫様。決して悪事を働いて得たお金ではございません」


 驚愕した桃姫に雉猿狗は真摯な眼差しと声で答えた。


「お金があれば、より良い場所に住むことが可能です。そうすればもっと安全に暮らすことが叶います」

「ちょっと待って、答えになってないよ雉猿狗……どうやってこのお金稼いできたの?」


 桃姫は小さく首を横に振ると、心配そうに雉猿狗の顔をのぞき込んで尋ねた。

 雉猿狗は行灯の明かりに照らされながら翡翠色の瞳に力を込めた。


「私を信じてください……今はそれしかお答えできません」


 その声音と表情は、確かに悪事を働いた者のそれではなかった。

 桃姫は固く目を閉じ、自分の中に湧いた疑念を払拭するように静かに息を吐くと、目を開けて雉猿狗を見つめた。


「わかった……信じるよ、雉猿狗」

「ありがとうございます、桃姫様」


 信頼の込められた桃姫の言葉を受けて、雉猿狗はうやうやしく頭を下げた。


「でも、雉猿狗……無理はしないでね?」


 それでも雉猿狗のことが気がかりで、桃姫は心配の声をかけずにはいられなかった。


「大丈夫ですよ……普通の女性なら嫌がる仕事かもしれませんが、私は平気です」


 雉猿狗はゆらゆらと薄紙の中で火を揺らす行灯を眺めながら続けた。


「それは私の本性が"獣"だからなのかもしれませんが……問題ありません」

「そう……なの」


 桃姫は雉猿狗の言葉の真意が掴めないまま答えた。


「はい。ですから、桃姫様はなんらご心配なさらず」


 穏やかな笑みを浮かべる雉猿狗の顔を見た桃姫は、思い立ったように声を上げた。


「それなら、雉猿狗! 私も明日から一緒に働くよ!」

「──絶対にだめですッ!!」

「……っ!」


 無邪気な桃姫の言葉に、雉猿狗は身を乗り出しながら猛禽類を思わせる鋭い目つきで声を荒げた。

 普段の雉猿狗とまるで異なるその鬼気迫る表情に驚いた桃姫は、仰け反りながら心臓を激しく脈打たせた。


「絶対にだめです。絶対に、絶対にだめです──いいですか、桃姫様。後をついてくるのも絶対にだめです。夜になったら部屋から出ないと、私と約束してください」

「う、うん……約束する……約束します」


 雉猿狗の迫力に圧倒された桃姫はふるえた声で頷くと、雉猿狗は表情を緩めてちゃぶ台から身を引いた。


「そうです、夜の堺は危険ですからね……それに、夜はぐっすり眠らないと強くなれませんよ。ね?」

「……うん」


 紐でまとめられた小判を帯の中に仕舞いながら言う雉猿狗に、桃姫は緊張した面持ちで答えた。


「眠りにつくまでは、毎夜お側にいて差し上げますから……良い子にして私の帰宅を待っているんですよ?」

「はい……」


 母親のように諭す雉猿狗の言葉に、桃姫はすっかり大人しくなると、ちゃぶ台の前から布団へと移動した。

 その様子を見た雉猿狗も行灯の火を消すと、桃姫の隣にやってきて布団に座る。


「ところで桃姫様。明日は晴れるようですから、剣術の稽古をいたしましょうか?」

「あ……いつものお寺で?」


 雉猿狗の提案に桃姫の表情から緊張が取れた。


「はい。そうと決まれば寝てください、桃姫様。稽古に備えましょう」

「うん……私は、強くならないといけないんだ……強く……」


 桃姫は呟きながら布団の中に潜り込むと、ふたりで剣術の稽古をしている光景を想像しながら眠りについた。


「お休みなさいませ、桃姫様……私の体は、"決して汚れない体"……どうか、ご安心ください」


 雉猿狗は小さな声で呟くと、穏やかな寝息を立て始めた桃姫の短くなった桃色の髪をやさしく撫でるのであった。

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