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33.鬼醒蟲

 鬼ノ城の裏庭、悪臭を放つ腐敗した赤土を耕して作られた畑のような一画で、しゃがみ込んだ役小角が何やら土いじりをしていた。


「ふむ……太く醜悪で、なかなかに悪くない仕上がりだのう。かかか」


 満足げな笑みを浮かべた役小角が独り言のように呟くと、その後ろ姿を黙って見ていた鬼蝶がしなやかに近づきながら声をかけた。


「行者様、なにやら上機嫌のようでございますね」


 鬼蝶が艶やかな声で話しかけると、役小角は顔を横に向けて白眉を緩めた。鬼蝶もほほ笑み返すと、役小角の隣に移動した。

 赤い畑の様子を見ていた鬼蝶が役小角の手元に視線を移すと、芋虫に似た赤い生物の尾を指先で摘み上げているのを見た。


「……凶暴そうですわ」

「かかか。赤土に"鬼薬"を染み込ませて育てた虫じゃよ──わしはこれを"鬼醒蟲"と名付けた」


 役小角は、グネグネと体をくねらせる凶悪な見た目をした鬼醒蟲を眺めながらいつものしゃがれ声で告げた。

 指先で尾を摘まれた鬼醒蟲は、ブンブンと体を大きく振り回し、黒い口吻を噛み合わせて、ガチガチと嫌な音を鳴らしながら、役小角の手首に噛みつこうとしていた。


「可愛くは……ありませんわね」


 鬼蝶がその様子を見ながら冷ややかに言うと、役小角は苦笑してから、鬼醒蟲を赤土の上にぽいっと放り投げた。

 鬼醒蟲は元気よくバタバタとのたうち回ると、カラスのくちばしのように硬く尖った口吻で、グイグイと強引に赤土の中に体を押し込んで潜っていった。


「……この虫を、飼っていらっしゃるのですか?」


 鬼蝶が尋ねると、役小角はおもむろに立ち上がり、白装束の裾についた赤土を手で払った。そして満面の笑みを浮かべると口を開いた。


「"鬼醒蟲"を使えばのう──死者を蘇らせることが可能じゃ」


 役小角の言葉を受けた鬼蝶は、赤い"鬼"の文字が浮かぶ黄色い瞳を見開いた。


「死者が蘇る──それは……いったいどういうことでしょうか?」


 鬼蝶のふるえる声を聞いた役小角は、鬼醒蟲が埋まる畑を見回しながら〈黄金の錫杖〉で赤土をトンと強く突いた。

 その瞬間、ゾワゾワとあたり一面の耕されている赤土が蠢くと、大量の鬼醒蟲が赤土から顔をのぞかせ、頭をくねらせた。その数はゆうに百を超えていた。


「……うっ」


 あまりにもおぞましいその光景を目の当たりにした鬼蝶は、後ずさりしながら声を漏らした。


「鬼醒蟲が一度、死者の体内に潜り込めば──死者は、たちまち鬼となる」


 役小角は鬼醒蟲の姿を見ながら告げると、再びトンと〈黄金の錫杖〉で赤土を突いた。

 役小角の"命令"を聞き受けた鬼醒蟲たちは、一斉に赤土の中へと潜り込んで行き、再びただの赤い畑へと戻った。


「行者様……お願いがございます!」


 満面の笑みを浮かべながら畑を見回した役小角に対して、鬼蝶が懇願した。


「私の愛する信長様を、どうかその鬼醒蟲にて……蘇らせてくださいませ!」


 鬼蝶は鬼気迫る表情で、白髪を天辺で結い上げた役小角の後頭部に向けて言った。


「あの夜……本能寺にて、全身に火傷を負って死に瀕していた私を"八天鬼薬"でお救いくださったように……どうか。どうか、信長様を」


 鬼蝶の頼みに対して、目を細めた役小角は赤い畑の先──鬼ヶ島から望む広大な赤い海腹を眺めると、口を開いた。


「信長公は、わしがきた時にはすでに絶命しておった……それゆえ、"八天鬼薬"によって"八天鬼人"とすることは叶わなかった──これは以前、話しましたな?」

「……はい。"八天鬼薬"は生きた人間が飲まなければその効力を発揮しないと……"鬼人"にはなれぬと」


 役小角の言葉に鬼蝶が頷いてから答えると、役小角は鬼蝶に振り返り、赤い"鬼"の文字が宿る目を見て言った。


「違う、"鬼人"ではない……"八天鬼人"じゃ。"八天鬼人"であることがなによりも重要なのじゃ──現におぬしは、あの有象無象の"鬼人"どもとは別格であろう?」


 役小角に言われた鬼蝶は、裏庭の中央に穿たれた大穴に目をやった。その大穴の底には"鬼薬"が混ぜられた赤飯を食らい、村人から鬼人へと変貌した者たちが日ノ本襲撃の時を待っていた。

 彼らはもはや自我を持たず、役小角や巌鬼、そして鬼蝶の"命令"に従い、ただひたすらに略奪と殺戮を行う傀儡と成り果てていた。


「鬼蝶殿、おぬしの瞳に宿る"鬼"の文字──それこそが"八天鬼人"である証。わしは信長公にこそ、その"鬼眼"を授けたかった……しかし、それは叶わなかった──乱世の日ノ本に現れし第六天魔王……わしはずいぶんと、気に入っておったよ」


 遠い目をした役小角は寄せては引いていく赤い海原を眺めながら言うと、役小角の背中を見た鬼蝶は眉を寄せながら口を開いた。


「それでも私は、再び信長様にお会いしとうございます……生きた信長様にお会いしたい、その御身を抱きしめたい……たとえそれが、自我を失くした"鬼人"であろうとも……!」

「…………」


 声に熱を込めた鬼蝶は掴みかからんばかりの勢いで役小角の背中に肉薄すると、役小角は冷めた眼差しで赤い海に向けて息を吐いた。


「信長様の御遺体は、今も私の部屋にございます! 鬼としての目覚めの時を待っております! 行者様、どうか、鬼醒蟲を信長様にお与えくださいませ!」


 悲痛な面持ちで懸命に懇願する鬼蝶。役小角は一切動じることなく穏やかな笑みを浮かべながら静かに振り返ると、ポンと鬼蝶の肩に手を置きながら口を開いた。


「鬼醒蟲を与えられた死者は、"鬼人"として蘇るのではない──"鬼の虫"として蘇るのじゃよ」

「……っ!?」


 役小角の言葉に鬼蝶は絶望と驚愕が綯い交ぜになった表情を浮かべた。


「鬼醒蟲にとって、死者の肉体はただの"苗床"に過ぎん……そこから這い出し、生まれ出てくるのは、知性の欠片もない醜い"鬼虫"じゃ……決して、信長公がなるべき姿ではない──期待させてすまんかったのう、鬼蝶殿」


 役小角は静かに告げながら詫びると、鬼蝶の肩から手を離し、赤い畑を後にする。


「……鬼虫」


 鬼蝶は放心したようにそう呟くと、大量の鬼醒蟲が潜んでいる赤土の畑を物憂げな眼差しで眺めた。

 一方の役小角は、鬼ノ城に向かって裏庭を立ち去りながら、白装束の右の袖の中から一匹顔をのぞかせた鬼醒蟲を愛おしそうに見つめて、笑みを浮かべた。


「温羅坊の気の迷いで命拾いした桃の娘よ……おぬしが味わっておる現世の地獄は、こいつで終いにしてやろうではないか……のう」


 呟いた役小角は、前方の扉に向けて左手をかざしただけで、バァンと弾くように開いた。そして、〈黄金の錫杖〉の金輪をチリンと鳴らしながら鬼ノ城の城内へと去っていくのであった。

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