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31.手紙

 新しい朝を迎えられた喜びに小鳥たちがさえずる花咲山。木々の隙間から差し込んだ木漏れ日に照らされた三獣の祠。

 その向かいに立つ大樹の根元には、身を寄せ合って一夜を過ごした桃姫と雉猿狗の姿があった。


「……んん」


 眩しさと頬を打つ冷気に桃姫が目を覚ますと、自分の体が雉猿狗に後ろから抱きしめられていることに気づいて、昨夜の出来事を思い出した。

 桃太郎の亡骸の前で一晩過ごしたいと言った桃姫に雉猿狗は同意すると、"太陽の熱"を宿したその手で、一晩中桃姫の体をさすり、温めながら過ごしたのだ。


「……雉猿狗の体……温かいね」


 白い息を吐きながら呟く桃姫に、雉猿狗は桃色の髪を手櫛でやさしく撫でながら答えた。


「お気に召されたようでなによりです……私は桃姫様の御身体に一晩中触れていられて、とても幸せでした」


 翡翠色の瞳を静かに開き、ほほ笑む雉猿狗。桃姫は眉をひそめながら口を開いた。


「雉猿狗……もしかして、寝てないの?」


 桃姫の疑問に、雉猿狗は三獣の祠を見つめながら答えた。


「私は三獣の化身です……この"神聖な体"は汚れることもなければ、眠る必要もないのです」


 雉猿狗の言葉を聞いた桃姫は、再び白い息を「はぁ」と吐いた。


「雉猿狗のことが、怖くなりましたか?」


 胸に抱いた桃姫に尋ねた雉猿狗。桃姫は前を向いたまま答えた。


「んーん……便利だなって、思っただけ」


 意外な回答に雉猿狗は目を丸くし、桃姫を抱く腕に力を込めた。


「便利ですか……そうですね。確かに便利です」


 苦笑いを浮かべながら認めた雉猿狗は、桃姫の桃色の頭に自分の頭を預けた。そしてふたりは黙って三獣の祠──その下で穏やかな表情を浮かべて横たわる桃太郎の亡骸を見つめた。

 しばらくの静寂の後、雉猿狗がゆっくりと頭を上げて口を開いた。


「桃姫様……私が御館様をこの場所にお運びしたとき……鍬を背負っていました」

「……うん」


 静かに頷いた桃姫。


「それで、三獣の祠の後ろに穴を掘ったのです……私が初めて掘った、墓穴です」

「…………」


 この温かくて静かな時間の終わりを悟った桃姫は、目を閉じた。


「桃姫様……御館様に、お別れを言いましょう」

「うん……」


 目を閉じたまま雉猿狗の提案を受け入れた桃姫。雉猿狗は両手を離して桃姫の体を解放した。桃姫は目を開き、ゆっくりと立ち上がって雉猿狗から離れた。

 雉猿狗という熱源から離れた瞬間、桃姫の全身を冷気が覆った。それでも桃姫は歩き出し、桃太郎の前まで移動した。


「父上、ありがとう……」


 地面に両ひざをついてしゃがんだ桃姫が、安らかな顔で眠る桃太郎の頬に触れながら告げた。


「御館様、お疲れ様でした……」


 片ひざをついた雉猿狗も、桃太郎の頬に触れながら別れの言葉を口にする。ふたりは両手を差し出して桃太郎の体を抱き上げ、三獣の祠の裏へと運んだ。

 雉猿狗が鍬で掘った墓穴にゆっくりと桃太郎の体を降ろしたふたりは、周囲に盛られた土を両手ですくい、桃太郎の体にやさしくかけていった。


「……父上」


 桃姫の呟きとともに両手から土が落とされると、桃太郎の顔が隠され、鬼退治の英雄の姿が完全に見えなくなった。

 その後も土をかけ続けたふたり。桃太郎の埋葬を終えると、どちらともなく両手を合わせて合掌し、目を閉じた。

 合掌を解いたふたりは目を開くと静かに立ち上がり、三獣の祠の前へと移動した。


「……雉猿狗……母上の体は」


 山道に戻った桃姫が尋ねると、雉猿狗は心苦しそうな表情で静かに首を横に振った。


「探したのですが……どこにも」

「……そう」


 雉猿狗の申し訳なさそうな声に、桃姫は顔を伏せながら答えた。

 桃姫の脳裏には、この山道の先で自分を抱き寄せ、そして斜面へと突き放した小夜の決死の表情が蘇っていた。


「あの、桃姫様……そのお着物についてなのですが」


 沈痛な面持ちを浮かべた桃姫に雉猿狗が言った。桃姫は、たった一日でずいぶん汚れてしまった仕立ての良い桃色の着物の袖を持ち上げた。


「ああ……この着物。どこで見つけてきたの?」


 桃の花が咲き誇る絵柄を見ながら尋ねた桃姫に、雉猿狗は静かに答えた。


「そのお着物は、桃姫様のご自宅……ちゃぶ台の下に仕舞われておりました」

「……え?」


 桃姫が声を漏らすと、雉猿狗は青い着物の黄色い帯に左手をすっと差し入れた。


「桃姫様のお着替えを探していたところ、偶然に見つけてしまったのです──この"手紙"とともに」


 そう言って、雉猿狗は一通の手紙を取り出した。


「丁寧に折り畳まれたそのお着物の上に、置かれていたものです」


 桃姫は雉猿狗から差し出された手紙を受け取ると、四つ折りにされたその紙を開き、筆でしたためられた文面に目を向けた。


 ──桃姫、お誕生日おめでとう。

 ──もう十四歳になったのね。

 ──桃姫がお腹にいたとき、本当に自分に子供が育てられるのかと、とても不安になりました。

 ──でも、生まれてきてくれた桃姫のお顔を見た瞬間、私の不安は消え去りました。

 ──成長した桃姫は、とてもやさしくて、でも正義感の強い、格好いい女の子に育ちましたね。

 ──どうかそのまま、格好いい女の子として、強く、たくましく、誰よりもやさしい女の子でいてください。

 ──桃姫が何歳になっても、どれだけ格好よくなっても、桃姫は母上と父上の大切な宝物です。


 ──桃姫、十四歳のお誕生日おめでとう。

 ──この着物は、小夜と生地から選んで仕立てたんだよ。

 ──小夜はもっと格好いいのがいいんじゃないかって言ったんだけど、私はこれがいいと思ったんだ。

 ──どうかな。気に入ってくれたら嬉しい。

 ──桃姫はこの前、剣術を教えてほしいと私に言ったね。しかし、どうだろう。私は鬼退治以来剣を振ってないからね。

 ──でも、強くなりたいという気持ちが桃姫にあるのなら、私は全力で応援したいんだ。

 ──近いうちに、一緒に剣術の練習をして、一緒に強くなろう。鬼がやってきても、負けないくらいね。


「……うっ……うう」


 桃姫は大粒の涙を流しながら両親からの手紙を読み終えると、ゆっくりと四つ折りに戻してふるえる手で握りしめた。


「……桃姫様」


 桃姫の泣き顔を見た雉猿狗が心配そうに声をかける。


「雉猿狗……ありがとう……この手紙、この着物」


 桃姫は桃色の着物の袖で涙を拭うと、胸の中に手紙を差し入れた。


「桃姫様……私たちは、生きていかなければなりません」


 雉猿狗は、懐から白い角帯を二枚取り出し、その一枚を自身の黄色い帯の低い位置に巻きながら告げた。


「……私たちは、強くならなければなりません」


 そして、三獣の祠の前に置かれた〈桃源郷〉を掴み上げた雉猿狗は、その白鞘を角帯の左腰に差した。


「村に帰るのはやめにいたしましょう……私たちは、これより先に進まなければならないのです」


 雉猿狗は、もう一枚の角帯を桃姫に差し出した。桃姫はその細長い角帯に見覚えがあった。それは、普段から桃太郎が使っていた角帯であった。

 桃姫は手を伸ばし、差し出された白い角帯を握りしめた。そして、薄桃色の帯の腰骨の低い位置にしっかりと巻きつけた桃姫は、〈桃月〉を拾い上げた。

 今度は自らの命を絶つためではなく、生き延びて強くなるために、再び仏刀〈桃月〉をその手に握りしめた。


「雉猿狗……私、強くなりたい」


 桃姫は心からの願いを口にして、〈桃月〉の白鞘を角帯の左腰に差し入れた。


「はい。私とともに強くなりましょう、桃姫様」


 陽光を浴びた眩しい雉猿狗のほほ笑みが桃姫の瞳に映り込むと、桃姫は力強く頷いて返した。


「この花咲山を越え、さらに東に向けて山を越えると、播磨にたどり着きます。その播磨をさらに進めば、"堺"に到着いたします」


 雉猿狗の言葉を聞いた桃姫は、かつて小夜の口から聞いた覚えのある地名を思い出した。


「"堺"は日ノ本一栄えている港町です。人が多い場所ならば、鬼も迂闊には襲ってこれないはず……"堺"までたどり着いたならば、その地で鬼退治の力を蓄えましょう」


 雉猿狗はそう告げると、桃姫に左手を差し出した。


「参りましょう、桃姫様……鬼退治の旅路へ」


 桃姫は太陽に照らされて光り輝く雉猿狗の姿に思わず目を細めながら、おつるから贈られた巻き貝の腕飾りを着けた右手を伸ばして、"太陽の熱"を持つ雉猿狗の手を取った。


「うん……行こう、雉猿狗」


 互いの手を固く結んだ桃太郎の娘・桃姫と三獣の化身・雉猿狗は、桃太郎が眠る三獣の祠の前から歩き出した。

 透き通った秋空に昇っていく黄金の太陽は、陽の粒子を惜しみなく降り注ぎ、ふたりが挑む艱難辛苦の道のりを天空から守護するのであった。

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