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25.埋葬

 意識がゆっくりと浮上していく中、桃姫は目を閉じたまま、温かな布団の感触を肌に感じていた。

 何か恐ろしい悪夢を見ていたような気がする。内容は思い出せないし、思い出したくもない。

 ただ、その悪夢の終わりに一筋の希望の光があったような、そんな不思議な感覚だけが桃姫の心に残っていた。


「んん……」


 団の中で小さく声を漏らした桃姫は身体を丸めた。

 肌寒くて、まだ眠い。両隣の布団では父上と母上がまだ眠っているに違いない。桃姫は目を閉じたままそう思った。しかし、それにしても寒すぎた。


「んっ……」


 分厚い布団さえも貫く凍てつく寒さに、桃姫は起きざるを得なかった。

 ゆっくりと布団から顔を出し、いつものように右隣で寝ている小夜の寝顔を確認しようと、濃桃色の瞳を開いていく。


「…………」


 視界に飛び込んできたのは、無残に破壊された我が家だった。焦げて煤けた畳の上に布団が敷かれ、外壁と屋根の一部は崩れ落ち、冷たい秋空が剥き出しになっている。


 ──地獄は、まだ続いていた。


 愕然とした桃姫の脳裏に、昨夜の出来事が一気に思い出された。同時に、血と肉の焼ける嫌な臭いが鼻腔を突き、肺を満たすと、桃姫は激しく咳き込んだ。


「ぐっ! ごほっ! ごほっ、げふっ!」


 桃姫は胸を押さえて苦悶の表情を浮かべた。悪臭に嘔吐感が込み上げたが、空腹の胃からは何も出ず、ただ乾いた咳だけが続いた。


「うう……!」


 悲痛なうめき声を漏らした桃姫は現実から目を逸らしたくなった。布団に潜り込んで、両親が生きていた温かな夢の世界に逃げ込みたかった。

 しかし、意識はもう完全に覚醒していた。鼻を突く強烈な臭い、肌を刺す秋風の冷たさ──眠りに逃げることは不可能だと思い知った桃姫は、上体を持ち上げた。


「…………」


 半壊した外壁の亀裂に目を向けた桃姫。その隙間から、遠くで人影が動いているのが見えた。青い着物をまとい、長い銀髪を持つ女性の姿だった。

 そのとき、桃姫の脳裏に昨夜の出来事の最後の記憶が蘇った──地獄の中に咲いた、一輪の救いの花。


「……雉猿狗」


 その名前を呟いた桃姫。亀裂越しに見える雉猿狗は、ひたすら鍬を振り上げては、地面に振り下ろしていた。

 意を決した桃姫は布団から身を起こす。立てるか不安だったが、足はしっかりと体を支えてくれた。しかし、自分の足元を見た桃姫は違和感を覚える。


「……?」


 桃姫は両手を広げ、身にまとった着物を見回した。昨夜着ていた汚れた萌黄色の着物ではなく、咲き誇る桃の花が描かれた桃色の着物を着ていた。


「これ……見たことない」


 呟いた桃姫。一目で気に入ったその着物は、14歳の桃姫の体にぴったりと合っていたが、しかし、初めて見るものだった。

 疑問は残るが、仕立ての良い清潔な着物をまとっていることで桃姫の心は少しだけ明るくなった。

 少なくとも、足を前に踏み出し、玄関で雪駄を履き、引き戸を開けて半壊した家から外へ出るだけの気力は湧いていた。


「ふッ……ふうッ!」


 雉猿狗は桃の木が五本並ぶ村の一画で、一心不乱に鍬を振るって穴を掘り続けていた。その数はすでに六十を超えていた。

 無数に穿たれた穴の脇には、村人たちの遺体が男女に分けられ、積まれていた。


「…………」


 桃姫は見覚えのある村人たちの顔が並ぶ遺体の山を見ながら、懸命に穴を掘る雉猿狗に近づいた。

 そして、いつも蹴鞠の練習に使っていた桃の木の前に掘られた穴が、ちょうど人ひとりが入る大きさであることに気づいた桃姫は呟いた。


「……お墓、なんだね」


 その声を耳に入れた雉猿狗はハッとした表情で鍬を振る手を止めると、顔を上げて桃姫を見た。


「ありがとう……雉猿狗」

「……桃姫様」


 感謝を述べた桃姫の濃桃色の瞳を、翡翠色の瞳を見開いた雉猿狗が見つめた。


「……そのままでは、あまりに忍びなくて」

「……うん」


 雉猿狗の真摯な言葉に桃姫は静かに頷くと、遺体の山に向かって歩き出した。


「あ……桃姫様!」


 その様子を見た雉猿狗が声を上げ、白い数珠の巻かれた左手を伸ばして制止をかける。それでも桃姫は止まらず、遺体の山に両手を伸ばした。


「触れてはなりません、穢れが御身体に」


 雉猿狗の忠告を聞いた桃姫は、背中を斬り裂かれ苦悶の表情を浮かべている女性の顔を見つめながら口を開いた。


「……花咲村に住む人たちを汚いなんて、一度も思ったことないよ」


 桃姫の言葉に雉猿狗は返す言葉を失った。女性の開かれたまぶたを手でさすって閉じた桃姫は、亡骸を遺体の山から降ろし、両脇に手を差し入れて墓穴へと運んでいく。


「雉猿狗は穴を掘って……私は、みんなを入れていくから」


 桃姫はそう言いながら、運んだ女性を墓穴にやさしく横たえた。穴に収まった女性は苦悶の表情を浮かべながらも、どこか救われたような安らぎを思わせた。


「……桃姫様」

「雉猿狗……急がないと夜になっちゃうよ」


 呟いた雉猿狗に桃姫は告げると、次の亡骸を遺体の山から引きずり下ろして墓穴へと運び始めた。

 自分の着物が汚れることも気にかけず、村人の遺体を運び続ける桃姫の姿に感銘を受けた雉猿狗は翡翠色の瞳をふるわせながら答えた。


「はい……!」


 鍬を固く握りしめた雉猿狗は、残りの墓穴を掘るため力強く地面を打ち始めた。

 それから6時間後──桃姫と雉猿狗は、200体に及ぶ村人の埋葬作業をすべて終えた。

 雉猿狗が最後の墓穴に鍬で土をかけ終えると、ふたりは桃の木の根元に背中から倒れ込んだ。


「はぁ……はぁ……はぁ!」

「ふぅ……ふぅ……ふぅ!」


 桃姫と雉猿狗の荒い呼吸が、カラスの鳴く夕焼け空に放たれた。

 先程からずっと20羽ほどのカラスが上空を旋回したり、近くの家屋の残骸に止まったりして、ふたりの様子をうかがっていた。


「やーい、カラスのばーか!」


 雉猿狗がカラスに向かって悪態をついた。


「ははは……やつらの御馳走、全部埋めてやりましたね」

「……うん」


 雉猿狗が笑顔で話しかけると、汗だくになった桃姫は頷いて答えた。

 カラスの一羽が恨めしそうに雉猿狗に向かって「カァ!」と一鳴きすると、一斉に飛び立ち、花咲山に向かって、せわしなく鳴きながら遠ざかっていく。


「……雉猿狗」

「はい……?」


 その光景を雉猿狗と眺めていた桃姫が呟くと、雉猿狗は桃姫の横顔を見て返事した。


「なんで雉猿狗は……汗をかかないの?」


 桃姫がそう言って雉猿狗の顔を見ると、この重労働で汗一つかいていない端正な麗人の顔があった。


「それは……」


 雉猿狗は言いかけると、すっと立ち上がった。


「ついてきてくださいませ、桃姫様」


 雉猿狗の言葉を受けた桃姫は、その顔を見上げた後、桃色の着物の裾を払いながら立ち上がった。


「こちらです」


 凛とした声でそう告げ、桃の木の下から歩き出した雉猿狗の背中──青い着物を着たその背中には、仏の曼荼羅が描かれていた。


「…………」


 桃姫はその背中を追いかけ、桃の木の一画に設けられた村人たちの墓地を後にするのであった。

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