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21.悪い鬼ほどよく眠る

 冷めやらぬ興奮を抑えるため、幾度も熱い息を吐き出した巌鬼は、血溜まりに倒れ伏す桃太郎の亡骸をあらためて見下ろした。


「……桃太郎退治か」


 噛みしめるように言った巌鬼は、鬼蝶が胸に抱く桃姫の姿を見やった。


「そいつの様子はどうだ」

「だめね……ずーっと気を失ってる」


 鬼蝶は白目を向いたまま沈黙する桃姫の顔を見ると鼻で笑った。


「そうか。見てほしかったんだがな──己の父親が死ぬところを……しかたあるまい、血の一滴も見ずに暮らしてきたのだろうからな」


 巌鬼は低い声で言うと、鬼の足で地面を踏みしめて鬼蝶に近づいた。


「気を失ったまま死ねるとは……運のいいやつだ」


 鬼蝶の前までやってきた巌鬼は、桃太郎の心臓を握り潰して赤く血濡れた左手を桃姫の首元に向けて伸ばした。

 鬼の爪が桃姫の肌に触れようとしたとき、鬼蝶が左腕を引いて、桃姫の体を後ろに下げた。


「──ねぇ巌鬼。今日の私、けっこう働いたと思うのだけれど……この娘、ご褒美に私が殺してもいい?」


 鬼蝶が艶っぽい視線で巌鬼の顔を見つめ、おねだりするように言った。巌鬼は気絶する桃姫の顔を見やり、思案した。

 桃太郎は確かに殺し甲斐があった──しかし、無力な桃姫をくびり殺すことに果たして喜びがあるだろうかと巌鬼は考える。


「いいだろう」

「ありがとう……巌鬼はやさしい子に育ったわね」


 巌鬼の許可を得た鬼蝶はほほ笑みながら感謝を述べると、桃姫の肩を左手で掴んで眼前に突き出した。


「恐怖に怯える顔が拝めないのは残念だけど……あなたのお母さんを殺したこの爪で斬り裂くのは、きっと"快楽"よねェ」


 鬼蝶は黄色い目を見開き、宿っている赤い"鬼"の文字を興奮に光り輝かせると、御馳走を前にした行儀の悪い子供のように舌舐めずりした。

 桃姫の無垢なその顔を見つめた鬼蝶の脳裏に、人間だった頃の記憶がよぎった。

 燃え上がる本能寺──全身を焼き焦がしたあの夜──忘れ去りたい記憶をうかつにも思い出してしまった鬼蝶は、さらに鬼の心を荒ぶらせた。


「花が咲く前につぼみを刈り取る……これ以上の"残虐"って、この世にあるのかしら」


 陰惨な笑みで告げた鬼蝶は、右手の指先をキュッと束ねると、鋭利な鬼の爪を一体にして黒槍のように尖らせる。


「さようなら、大英雄・桃太郎のむすめ──桃姫ちゃん」


 黒槍の切っ先がかすかに上下する桃姫の喉元に突き出されようとしたそのとき。


「──待て」


 鬼蝶の白い手首が紫色の鬼の手によって鷲掴みされた。


「……なによ」


 鬼蝶が苛立ちを隠せずに声を上げると、細い手首を折れんばかりの強さで握りしめた巌鬼が威圧的な声を発した。


「──やはりこいつは、生かすことにした」

「……はぁ?」


 鬼蝶が眉をひそめて声を漏らすと、巌鬼は静かに呼吸する桃姫の顔を見つめた。


「こいつは、桃太郎が死ぬところを見ていない──母親が死ぬところを見ていない」


 そう言って巌鬼は腕から手を離すと、鬼蝶は興が削がれたように目を細めた。


「俺が味わった地獄の一片すら味わっていない──生かして、地獄を食わせ、それから殺す」

「じゃあ、私の楽しみは? ねぇ! 御馳走を取り上げられた私の楽しみはどうなるのよ!?」


 一方的に告げた巌鬼に納得のいかない鬼蝶は声を荒らげて抗議した。

 鬼蝶の顔を見た巌鬼は、グッと顔を近づけると、常人ならそれだけで失神する"鬼の睨み"を効かせながらうなるように告げた。


「──いいな?」

「……っ」


 至近距離での巌鬼の"鬼の睨み"は、同じ鬼である鬼蝶すらも恐怖を抱かせる凄まじいまでの迫力があった。

 積年の恨みを発露させ、見事に"桃太郎退治"を果たした巌鬼は、明らかに鬼としての"格"が上がっているように鬼蝶は感じた。


「わかった……わかったから……そんなに怖い顔で睨まないでよ……私たち、仲間じゃない」

「ふん──」


 目線を逸らした鬼蝶がふるえた声で言うと、巌鬼は"鬼の睨み"を解いて鬼蝶から顔を離した。


「はぁ……あなた、命拾いしたわね」


 ため息をついた鬼蝶は、肩を掴んでいた手を離して桃姫を地面に落とした。倒れ伏した桃姫の姿を口惜しそうに見やった鬼蝶は、気を取り直して顔を上げる。


「それで、次はどうするわけ? 鬼ヶ島の首領さん」

「目的は果たした。鬼ヶ島に帰還する──村に散らばっている鬼人兵どもを集めろ」

「わかったわ」


 巌鬼の指示を受けた鬼蝶は、袖から金色の篠笛を取り出し、美しくも物悲しい旋律を奏でて村中の鬼人兵の耳に届けた。

 音色を聞きつけて次々と集まってきた鬼人兵の中には略奪した金品を抱えている者もいれば、気絶した村人を担いでいる者もいた。


「108人の鬼人、全員無事みたいね」

「村の襲撃には……案外、役に立つのかもしれんな」


 集結した鬼人兵の軍勢を鬼蝶が見回しながら言うと、巌鬼も感心したように呟いた。

 そして鬼蝶は、着物の胸元に右手を差し入れると、黒い呪札をスッと一枚取り出した。


「──オン・マユラギ・ランテイ・ソワカ」


 マントラを唱えた鬼蝶が手にした呪札を宙空に投げると、紫光を放った呪札を中心に空間が歪み始め、グググと縦横に広がって、"呪札門"を作り出した。


「かかか。ご苦労、鬼蝶殿」


 "呪札門"の向こう側から役小角が満面の笑みで現れると、手を伸ばして浮かんでいる呪札をピッと取って白装束の懐に収めた。

 そして、燃えるやぐらの前に倒れ伏している桃太郎と桃姫の姿を見やると、ほんの一瞬だけ笑顔を崩したが、すぐさま満面の笑みに戻した。


「仇討ち、成功したようだのう。温羅坊」

「……どけ、小角」


 巌鬼は乱暴に言うと、役小角は身をどけた。大きな体を屈めて"呪札門"をくぐろうとした巌鬼は、やぐらの炎に照らされた顔で桃姫を一瞥した。


「──生きて地獄を味わえ、桃太郎の娘」


 重い声で告げた巌鬼が"呪札門"をくぐり抜け、続いて鬼人兵が次々と広場に転移していった。

 そんな中、鬼蝶は鬼人兵が担いでいるおつるの顔をじっと見ていた。


「あら、あなた起きてるじゃないのよ」

「……っ」


 薄目を開けているおつるに気づいた鬼蝶が目を細めて指摘すると、おつるはふっと顔を伏せた。


「ふふふ。人間では、あなただけが"桃太郎退治"の目撃者みたいねェ」


 鬼蝶が陰惨な笑みを浮かべながら言うと、おつるを担いだ鬼人兵が"呪札門"を通って広場へと転移し、そして最後に鬼蝶が"呪札門"を跨いだ。


「どうぞ門を閉じてくださいませ、行者様」

「うむ」


 鬼蝶が"呪札門"の隣に立っている役小角に報告すると、役小角は頷いて〈黄金の錫杖〉で石畳をついてチリンと鳴らした。

 その瞬間、門を形成していた呪札の群れは、紫光を失ってバラバラと崩れ落ちる。


「……行者様?」


 その様子を見届けた鬼蝶が役小角に声をかけた。


「門をつなげるだけじゃなく、門を開く呪術も教えていただけないでしょうか? そうすれば、行者様の負担を少しは減らせるかと思います」

「かかか──わしが簡単にやってるように見えるかな? しかし、"呪札門"は高度な呪術……まぁ、わしのような専門家に任せるがよろしい」

「そうですか……ならば、そういたしましょう」


 役小角の言葉を聞いて、鬼蝶は納得したように口にした。


「しかしだの。鬼蝶殿に呪術の才があるのは事実──さすがは、マムシのむすめ。育ちがよく、教養がありますわいの」

「ふふふ。おだててもなにも出ませんよ、行者様」


 笑みを浮かべた役小角の言葉に鬼蝶も笑みを浮かべながら答えた。


「おい。馴れ合ってるところ悪いが、俺は寝させてもらう……こいつらは貴様らが片付けておけ」


 巌鬼は低い声で言うと、鬼人兵が花咲村から略奪してきた金品と村人たちを見やった。


「わかりました。今日はお疲れ様──お休みなさい、"巌ちゃん"」


 鬼蝶がほほ笑みながら言うと、巌鬼はカッと"鬼の睨み"を向けた。


「──ガキ扱いするなと言ったよな?」

「……あら……怖い怖い」


 眉をひそめた鬼蝶が小さな声で言うと、そのやり取りを目にした役小角が笑った。


「かかか。なーんじゃ"温羅坊"。おぬし、桃太郎を殺してずいぶんと鬼らしくなったではないか」

「その呼びかたもやめろ!」


 役小角のからかいに巌鬼が吼えるように言った。


「かかか。おぬしはいくつになろうが、どれだけデカくなろうが、なにを為そうが、わしにとっては"温羅坊"じゃ──残念だったのう」


 役小角は飄々とした態度で言ってのけると、巌鬼はこれ以上付き合いきれないとばかりに強く鼻息を吐いて体をひるがえした。


「よく寝るのじゃぞ、温羅坊──悪い鬼ほどよく眠るというでな。かかか!」


 鬼ノ城の大扉へと歩き去っていく巌鬼の背中を役小角と鬼蝶は見送った。桃太郎退治を果たし、18歳にしてさらに成長の最中にある大きな鬼の背中であった。

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