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20.桃太郎退治

 花咲村の中央広場では、やぐらの残骸を背にした桃太郎が、巌鬼と対峙していた。


「小夜は……桃姫は……」


 切断された右肩を左手で抑えた桃太郎が絶望に目をくらませながら問うと、四人の鬼人兵を引き連れた鬼蝶が、笑みを浮かべながらしなやかに歩いてきた。


「捕らえたか、鬼蝶」

「ええ」


 巌鬼の言葉に答えた鬼蝶の左腕は、虚ろな表情を浮かべている桃姫の首に回されていた。


「っ……桃姫!」


 ボロボロになった着物を着て、今までに見たことのない暗い表情を浮かべる桃姫の姿を目にして桃太郎は叫んだ。


「……父、上……」


 桃太郎の言葉が耳に届いて、目にかすかな光を取り戻した桃姫は、仁王立ちする巌鬼の前にひざまずいている桃太郎の姿を見て絶句した。


「待たせたわね……でも言われた通り、その場で殺さずに連れてきたんだから。褒めてよ」


 鬼蝶はそう言うと、左腕で拘束した桃姫の首にグッと力を込めた。


「ああ……よくやった。ここに連れてくるまでの間、殺したくて、うずうずしただろうにな」

「ふふ、私のことよく知ってるわね」


 鬼蝶が嬉しそうに答えると、巌鬼は鬼人兵の肩に担がれているおつるの姿を見やった。


「そいつは?」


 力なく手足を投げ出し、顔を伏せているおつるを見ながら巌鬼が尋ねると、鬼蝶はちらりとおつるを見てからほほ笑んだ。


「おつるちゃんよ、私の戦利品」


 あっけらかんと鬼蝶が言うと、巌鬼は一瞬で興味を失って桃太郎に向き直った。


「さて、桃太郎……父と娘の感動の再会だな──どうした、喜べよ?」


 桃太郎の頭を見下ろした巌鬼が告げると、心配そうに桃姫の姿を見ていた桃太郎は巌鬼を見上げた。


「妻はどこだ……小夜はどこにいる……」


 桃太郎の悲痛な訴えを聞いた巌鬼は、横目で鬼蝶の顔を見た。眉を上げた鬼蝶は、おもむろに自身の黒爪が伸びる右手を掲げた。


「ああ、"これ"のこと?」


 鬼蝶は指の間に引っかかっている血濡れた長い黒髪を見ながら告げた。

 その黒髪は間違いなく──鬼退治の英雄として人々から腫れ物のように扱われていた桃太郎に、以前と変わらず接してくれた孤児の村娘、小夜の黒髪であった。

 鮮血に染まった小夜の黒髪を目にした桃太郎は絶句し、その筆舌に尽くしがたい絶望を味わった仇敵の顔を巌鬼はすかさず鬼の目に焼きつけると、満足げな笑みを浮かべた。


「……母上……」


 同時に、至近距離で小夜のちぎれた黒髪と鮮血を見せつけられた桃姫の脳裏に、小夜との思い出──愛する母とのやさしい光に包まれた日々がまたたく間に駆け巡った。

 そして、桃姫の脳が現在と過去の状況の著しい落差に強い拒絶反応を引き起こし──心を強制的に閉じた。


「……あっ」


 小さく声を発した桃姫は、両目をグルンと上に向け、全身を脱力させた。


「おっと?」


 鬼蝶は全体重を預けて左腕に寄りかかってきた桃姫の体を抱き直した。


「あらら……この娘、気を失っちゃったみたい……ちょっと刺激が強すぎたかしら」


 白目を向く桃姫の顔を見つめた鬼蝶があざ笑って言うと、巌鬼は絶望する桃太郎の顔を見下ろしたまま口を開いた。


「なぁ桃太郎……なぜ、貴様の娘をここに連れてきたかわかるか?」


 濃桃色の瞳から完全に光を失った桃太郎に向けて、巌鬼は低い声で告げた。


「貴様が俺に地獄を見せたように──俺も貴様に地獄を見せてから殺すためだ」


 桃太郎は歯噛みしながら顔を伏せた。


「貴様は忘れていた、18年前に鬼ヶ島で行った"虐殺"を……貴様は忘れ、妻と娘と安穏に暮らしていた。戦い方を忘れ、刀すら抜けなくなっていたのだ貴様はッ!」

「──忘れたことなどないッ!」


 顔を上げた桃太郎の言葉に巌鬼は黄色い目を見開いた。


「忘れようとしても、忘れられるはずがない! 私は一日たりとて、あの鬼ヶ島の惨劇を忘れたことなどなかった!」


 苦悶の表情を浮かべた桃太郎は、切断された右肩を抑える左手の指にグググと力を込めていった。


「毎夜、うなされながら目が覚める。私はなんてことをしてしまったんだと……私がしたことは正しかったのかと自分を責める」


 切断面の赤い肉の中に桃太郎の血管が浮いた左手の指がズズズと押し込まれていく。


「でも、そうしていると穏やかな寝息が聞こえてくるんだ……私は隣で眠る桃姫と小夜の安らかな顔を見て……そしてなんとか、心を落ち着ける」


 桃太郎は、目を閉じ一筋の涙を流した。


「そうやって、今日まで、なんとか……生き延びてきたんだ」


 桃太郎は巌鬼に向かって頭を下げるように伏せると、流れた涙を自分の血溜まりに落とした。


「──ならば、どちらを生かすか選べ」


 巌鬼は桃太郎を見下ろしながら、いっそう低い声で告げた。


「貴様の命を生かすか、娘の命を生かすか。今、そのどちらかを選べ」


 巌鬼が桃太郎に厳しく問うと、後方に立つ鬼蝶が"面白い"とばかりに目を細めた。


「ぐ……ううッ!」


 巌鬼が提示した二択に対して、桃太郎は顔を伏せたまま、苦渋の嗚咽を漏らした。


「これは意外だ……即決できぬとは。この期に及んで、自分の命が惜しくなったかよ──桃太郎」


 巌鬼が桃太郎の後頭部に吐き捨てるように言うと、桃太郎は左手を切断面からズッと抜き取り、血濡れたその手を地面につけた。


「桃姫は、まだ14だ……この世の悪意から遠ざける……親が、必要だ」


 桃太郎がふるえる声で話し出すと、次々とこぼれた涙が血溜まりに落ちていった。


「ひとり残された桃姫は……この世で、地獄を味わうことになる……愛する桃姫に、地獄を見せたくはない」


 滂沱の涙で顔を歪ませた桃太郎は、巌鬼の後ろに立つ鬼蝶──その左腕が抱え持つ気絶した桃姫の顔を見やった。


「親がいなければ、子は地獄を味わう……か」


 桃太郎の父親としての顔を冷めた目で睨みつけた巌鬼は、黄色い鬼の目に縦に走っている赤い瞳孔をグッと広げた。


「そのような戯れ言ッ! 貴様が親を奪った俺の前で、よくぞ言えたものだなッ!」

「──ッ!? うっ! うう!」


 鼓膜が破れんばかりの凄まじい怒号を食らった桃太郎は、激しく体をふるわせ、嗚咽を漏らした。


「頼む……! どうか、私を赦してくれ……! 殺さないでくれ……! これ以上、家族を奪わないでくれ……ッ!」


 前方に倒れ込むように顔を血溜まりに押しつけた桃太郎は、土下座の形で泣き叫びながら巌鬼に懇願した。


「赦してくれ……! 赦してくれッ……! 頼む……! 頼むッ……!」

「なっさけない。これが鬼退治の英雄様だなんてね」


 慟哭しながら命乞いする桃太郎の姿を見た鬼蝶は、呆れたように小さく首を横に振った。


「ふぅむ……」


 血溜まりに顔面を押しつけて全力で赦しを求めるその姿。仇敵・桃太郎の心からの謝罪を見届けた巌鬼は、深い満足感を得ながらうなると、低くはあるがやさしい声で桃太郎に告げた。


「桃太郎。もうよい」

「……うう」


 穏やかな巌鬼の言葉を耳にした桃太郎は、血に染まった顔をゆっくりと上げて、巌鬼の顔を見た。


「──赦す」

「……っ!?」


 巌鬼は穏やかにそう言うと、太い右腕を伸ばして桃太郎の左腕を掴んだ。そして引き上げて、立ち上がらせる。


「……本、当に?」


 桃太郎はよろよろと立ち上がりながら、巌鬼と視線を合わせた。


「──ああ。赦す」


 鬼には似つかわしくない笑みを見せて、巌鬼は繰り返した。


「──桃太郎、赦す」

「……っ」


 巌鬼の言葉を聞き、その穏やかな顔つきを見て、顔を赤く染めた桃太郎は、安堵の笑みを浮かべた。

 笑顔の桃太郎、笑顔の温羅巌鬼──計り知れない因縁を抱えた宿敵同士のほほ笑みが、燃え盛るやぐらの前で交差する。


 ──赦された……。


 桃太郎が心からそう思い、ほっと一息ついた瞬間。


「──ワケがあるまイイイイイッ!」

「ッ!?」


 鬼の目をひん剥いて、凄まじい咆哮を吼えた巌鬼。掴んだ腕を高く掲げて宙に浮かすと、鋭い鬼の爪が伸びる左手を桃太郎の左胸めがけて突き刺した。


「──地獄に落ちろ、桃太郎」


 桃太郎の背中から飛び出した脈打つ濃桃色の心臓は、呪詛をささやいた巌鬼の鬼の手に握られながら、ドクッドクッと激しい鼓動を繰り返した。


「も……も……」


 桃太郎は、急速に光が失われていく視界の中で巌鬼の向こう側──鬼蝶に抱かれている桃姫の姿を見て、息を絞り出すように呼びかけた。


「──ふンぬッ!」


 一息発した厳鬼の分厚い鬼の手によって桃太郎の心臓がグシャアッと音を立てて容赦なく握り潰される。

 指の隙間から桃太郎の心臓の残骸がこぼれ落ち、その落下する音と生暖かい感触を存分に味わった巌鬼は満足げに深く息を吸ってから、呟いた。


「──桃太郎、討ち取ったり」


 勝利宣言とともに熱い息を吐き出した巌鬼。この18年間、この日のためだけに生きてきた巌鬼が、生まれて初めて勝利を実感し、心の底からの笑みを浮かべた。

 巌鬼の左腕に刺し貫かれた桃太郎の全身から力が抜けていくと、その瞳は完全に光を失った。

 だが、その光を失った瞳は、それでもなお愛する桃姫に向けられており、全細胞が機能停止していく中で、桃太郎は一筋の涙を流す。


 ──鬼退治の英雄・桃太郎は絶命した──。


 巌鬼が冷たくなっていく桃太郎の亡骸から腕を引き抜き、血溜まりの中にドチャリと落とすと、静寂を破って小さな拍手の音が響いた。


「素晴らしいわ巌鬼。見事にやりとげましたね……"桃太郎退治"──格好よかったわよ」


 桃姫を胸元に抱き寄せた鬼蝶が妖艶な笑みを浮かべながら、巌鬼による復讐の完遂を祝福するのであった。

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