37.羅刹変化──羅刹獅弑
悪路王の頭髪はただの〈A.C.ロイド〉の頭髪であり、何一つとして効力はないが、千年にわたる役小角の片想いによって日本随一の呪物へと昇華された。
さりとて、SS級〈A.C.ロイド〉の蹴りを腹に受けて死なずに耐えた坂上田村麻呂は、やはりやんごとなき英傑なのやもしれなかった。
「マスター小角よ、天よりご照覧いただけておりますか? 長きにわたる時を経て、今あなたの四番目の弟子が、究極の悪路王を東京に誕生させようとしているのですよ」
満面の笑みを浮かべたアクロは、広大な"東京HQ"の屋上に巨大な八芒星の陣を〈黄金の錫杖〉の先端にて描いた。
淡く紫光する陣の中央に立ったアクロは、北海道で採取した悪路王の頭髪をズボンのポケットから掴み取ると、夜風に吹き上がらせる。
「ノウボウ・アキャシャ・キャラバヤ・オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ」
左手で印を結びながら右手に携える〈黄金の錫杖〉を掲げて虚空蔵菩薩のマントラを唱えると、陣に記された八つの梵字が輝きを増し出し、一斉に呪札門が開かれて中からぬうっと八天鬼が姿を現した。
現れた八天鬼はみな左胸にぽっかりと穴が開いて眼に生気がなく、陰陽力が注ぎ込まれた八芒星の陣をつかさどるアクロによって傀儡操鬼されている状態だとわかった。
「さぁ、鬼の宴を始めましょう。今宵、ここが新たな鬼ヶ島となるのです」
高らかに宣言したアクロが悪鬼温羅の亡骸を圧縮して収めた手製の鬼捕珠を懐から取り出した瞬間、爆音とともに銃弾の豪雨が降り注いだ。
「撃てッ! 撃ち続けろッ!」
一号の雄たけび。夜空を飛ぶ〈ゲンブ〉と〈スザク〉の開かれたハッチからサイバネ・ヤクザと仇花部隊が全弾発射する勢いで構えたライフルを撃ち放ち、衝撃で陣の上に倒れ込んだアクロの肉体を容赦なく引き裂いていく。
「HQにアクロが現れたって、アーサーのやつ! マジの情報寄こしやがったじゃねぇか!」
ハッチから身を乗り出した一号が全身から黒血を噴き出すアクロを見下ろしながら告げると、その隣からディピティに跨ったセレンが姿を現した。
「ディピティ、行くよ!」
「ROGER!」
アクセルを回し、けたたましいエンジン音を立てながらハッチから飛び出したディピティは、屋上に着地するやいなや全速力で疾駆した。
〈ウンブラー〉を用いて大宰府ベースと足立を焼き尽くしたアクロ。そして今、世界をも破壊せしめんとする首魁めがけて、左手で引き抜いた〈スサノオ〉のプラズマ刃をフル放射して突き伸ばしたセレン。
「熔けろォオオッ!」
メットの双眸を赤く光らせながら叫び、漆黒の刃を高く振りかざすと、黒い血だまりから顔を上げたアクロが、ごぼっと喉奥から鮮血を吐き出しながら呟いた。
「……羅刹変化──羅刹獅弑」
黄色い眼球の中央に宿った"鬼"の文字が"羅"の文字へと転じると同時に、アクロの体から白い波動がほとばしり、セレンを飲み込み、さらに〈ゲンブ〉と〈スザク〉をも巻き込みながら八芒星の陣の全体にまで広がっていった。
「──ッ!?」
真っ白に染まった視界の中、突如として身動きが取れなくなったセレンは、眼前で立ち上がった黄眼に輝く白い"羅"の文字だけをメット越しの視線で追った。
「……500年前、関ヶ原にて兄弟子がふたり掛かりで行った大呪法。それを私は、たったひとりで行える。これがなにより、私が獅弑王である証しだとは思いませんか?」
セレンの遥か頭上まで持ち上がった黄眼は声を発し、ゆらゆらと揺れながらゆっくりと近づいてくる。そして次の瞬間、振り上げたまま硬直していたセレンの左腕が黒爪の伸びる大きな手にガシッと掴まれた。
「ああッ!」
「驚きました。私の領域で、あなただけは意識がある。なぜです?」
白毛の生えた獣じみた手によって握りしめられる左腕を乱暴に持ち上げられ、ディピティのシートから体を浮かしたセレンが声を漏らすと、アクロはグッと顔を近づけてその獣鬼と化した顔を見せつけた。
「私は羅刹変化をいとわない。さらなる高みへと昇り詰めるためならば、よろこんで人の体は捨て去りましょう」
ライオンに似た顔で恐ろしい笑みを浮かべたアクロが告げると、セレンはしびれたように自由の利かない右手を何とか右ふとももまで伸ばし、〈アストラ〉を取り出しながら声を上げた。
「お前はお姉ちゃんを殺した……! 足立のみんなを殺した……! だから次は、お前が殺される番なんだ……ッ!」
「どんどん動けるようになっている。すごい」
驚きに黄眼を見開いた白い獣顔に銃口を突きつけ、トリガーを押し込んだセレン。しかし、反応はなくアクロは首を横に振った。
「この領域で動けてるのはあなただけだと言っているでしょう。まだわからないですか? すべて止まっているのですよ。あなたのバイクも、あのヘリも、すべてが。しかし、あなたは動けている。この左腕に、なにか秘密が」
アクロは言うと、奈塚鞠耶特製の〈ダイナモ・アーム〉に顔を近づけ、鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ、その正体を確かめるように分析した。
「なるほど。この匂い……今の私ならばわかります。この力でヤクザのボスを消し去ったと──ふっ、実に冒涜的なことをしますね」
「……なにを!」
「いや、私好みですよ。目的実行のためには手段を選ばないというところがね」
感心したように告げたアクロは、掴んでいる左腕を白い空間めがけて放り投げた。
黒刃を伸ばしたまま凍りついた〈スサノオ〉を手放し、陣の上を転がっていくセレンを見やったアクロは、停止したヘリを見上げて目を細めた。そこには、ガーベラを始めとした仇花部隊の姿があった。
「しょせんは機械人形。使い捨ての部隊になんの情も持ちえませんが──ですが、癪だ」
笑みを崩したアクロが筋骨の張った両肩に力を込めると、バサッと巨大な白翼が背中から生まれ出で力強く羽ばたいて獣鬼の巨体を宙空に浮かび上がらせた。
「ピエリス以外はいるか──死になさい、何が起きたかもわからぬうちに!」
身をかがめ、白い岩石と化しながら飛翔したアクロ。厚い装甲に覆われた〈ゲンブ〉めがけて体当たりをかまそうとしたその瞬間、緑光するプラズマ弾が領域外から飛来し、アクロは反射的に胸をそらした。
「ぬんッ!?」
白毛を削り取ったプラズマ弾は屋上に激突すると、石畳を吹き飛ばしながら爆発して陣の一部を崩した。直後、領域を維持できなくなった白い空間が消失し、時間が一気に流れ出した。
「なんだ!? なんか起きたか!?」
叫んだ一号。何か妙な違和感を意識下では感じるがしかしそれは、わずかな間うたた寝をしていたような感覚のずれだった。
「あれは! アクロ卿!?」
「ていうか、セレン! ていうか、爆発して、はぁ!?」
ガーベラが宙空を飛ぶ羅刹獅弑を見て声を上げ、一号が眼下に広がる景色を見て頭を押さえながら困惑した。
「出力上げすぎないで! セレンまで吹き飛ばすところだったじゃない!」
『安心して、舞零ちゃん。ヒマリンが絶妙に調整してるから』
東京の夜空を飛ぶ〈葬羅丸〉。突き出された右腕の先端からはプラズマ・フォトンの粒子がエメラルド色に燻っていた。
「なんだあれは……日本の秘密兵器か」
突如として現れた巨大ロボットの威容を遠くに見て、黄眼を見開いたアクロ。情報にないその姿に息を吞んだのも束の間、輝かしい紫光が弱まり始めた八芒星の陣の中央めがけて飛び込んだ。
「遊びが過ぎたか! あのような兵器を隠し持っていたならば、すぐにでも大空華を開花させねば!」
そそり立つように浮かび上がる〈黄金の錫杖〉、そして銃撃によって中断されていた鬼捕珠の元までやってきたアクロは一気呵成に儀式の仕上げへと入った。
一方その頃、パトランプを明滅させながら都内を疾駆する黒塗りの警察車両、水谷が運転するその助手席に三号は座っていた。
「今、全都民への避難指示が発令された。〈東幻京〉の浄化が事前に済んでいたのは幸いだ。叢雲の根城に送り込むわけにはいかなかったからな」
「手間かけるな水谷。私もなるべく被害出さないようにするから」
既に戦闘が始まっている東京HQを遠くに見やりながら三号が答えると、街灯が照らす海浜公園に鎮座する巨大な白いカブトガニが迫ってくるのを水谷は見た。
「そんな小さな鍵一つで、本当にこのバケモノが動かせるのか?」
「わからん。でも失踪した二号の置き土産だからな。一応は試してみないと」
手にした白い鍵を見つめる三号の横顔をちらりと見た水谷は、〈ウンブラー〉の前で車両を止めた。降車した三号が運転席を覗き込むと、巨体に比して狭い車内で首をかしげながら水谷が見返した。
「水谷、もうオリジナルの私はこの世にいないし、あげく三人に分裂までした有り様だ──それでもまだ、私のことが好きか?」
不意に問われた水谷は、表情のない機械化された顔でしかし、大学時代と変わらない穏やかな声音で告げた。
「キミの行く末を見届けたい──想いを伝えたあの日から、ただずっとそう思ってる」
「……そうか。ありがとな、水谷」
「こちらこそ、奈塚」
緑眼を細めた水谷に見守られながら走り出した三号は、芝生の上に身を伏せる〈ウンブラー〉によじ登ると、頭部に穿たれた亀裂から内部へと潜り込むのであった。




