35.マリヤとマーリン
〈ウンブラー〉との決戦から三日後──マリヤこと二号は地下アジトの片隅にある少人数用のモニタールームでひとり、チェアに腰かけていた。
その手にはエメラルド色の〈ライブラリー・キー〉が握られており、天井に向けてぽいっと放り投げると、ため息をつきながら掴み取って眺めるという行為を繰り返した。
「──マリヤさん」
「うおっ!?」
突然の呼びかけにチェアから転倒しそうになったマリヤ。慌てて背後を見やると、扉の前にはピエリスが立っていた。
「……鍵、かけたはずだが?」
瞠目したマリヤが声に漏らすと、ピエリスはほほ笑みながら歩き出した。
「ボク、思い出したんです」
「……なにを?」
マリヤは妙な雰囲気をかもし出しているピエリスを訝しんで身構えた。
「すべてです。ボクが生まれた瞬間から、ボクの"使命"まで、すべてです」
マリヤの前までやってきたピエリスは背後の大型モニターを見つめた。ピエリスの挙動を警戒するマリヤもモニターに視線をやると、流れていたニュース映像が勝手に切り替わった。
「ボクには双子の兄がいました。名前はプロテア。同じチャンバーで生まれたボクに、兄はいつも、優しくほほ笑みかけてくれました」
モニターに〈ホランド・エレメント社〉の社内極秘映像が流れだした。黄金樹を模した巨大なマシンから伸びる無数の枝に、乳白色の液体で満たされた水槽が実り、その内部に〈A.C.ロイド〉が浮かんでいる。
「ガーデナーさんによって査定が終わると、兄は史上初のSS級だと判明して大騒ぎになりました。一方ボクはC級で、双子なのに残念な話だとガラス越しに聞こえてきました」
白衣を着た研究員、通称ガーデナーがピエリスとプロテアが浮かぶ水槽の前で会話している映像が流れた。
「でも、マーリン様が教えてくれたんです。優れた兄とともに生まれたボクには数値で測れない特性があるのだと──その"使命"を果たせと」
プロテアがピエリスの頭を撫でる映像が映し出されたモニターに激しいノイズが走ってニュース映像に戻ると、マリヤはチェアを回してピエリスと向き合った。
「……あんたはピエリスか、それともマーリンか?」
「両者です。足立タワーでボクの中に入ったマーリン様が、今でもボクの中にいるのを感じます」
「なるほど……」
誇らしげに自身の胸に手を当てながら告げたピエリス。それを見たマリヤは苦笑すると、〈ライブラリー・キー〉の先端で指し示した。
「単刀直入に聞くが──その思い出した"使命"ってのはなんだ? 魔術師マーリンの目的はなんだ?」
マリヤが問いただすと、ピエリスはわずかに目を閉じてから、静かに開いて告げた。
「──マーリン様は、この星をお花畑に変えたいとのことです」
「……は? ……えーと……それは、なにかの比喩か?」
「いえ、文字通りです。この地球を、恒久的に平和な、美しいお花畑に変えたいそうです。あ……誰かに本音を伝えたのは初めてのことなので、マーリン様は少し照れておられるご様子です」
ピエリスを通して告げられるマーリンの計画に呆気に取られたマリヤは、〈ライブラリー・キー〉の先端を左手で触りながら眉をひそめた。
「……一応聞くが、どうやって?」
「はい。現代の人類を滅ぼすのは困難を極めますが、古の人類なら一万体の〈A.C.ロイド〉で容易に殲滅が可能との試算結果が出ています」
マリヤは〈ライブラリー・キー〉をもてあそんでいた手を止め、眉間のしわを深めた。
「先日、関ヶ原の特異点から過去の時空まで兄を送り出す実験に成功しました。あとは彼を見つけて観測し、ボクとつながることによって時空間の往来が可能になります」
「……関ヶ原がなんだって?」
「はい。関ヶ原にある桃配山の頂上では、過去に莫大な光量が生じて時空をつらぬく特異点が穿たれています。マーリン様はこの亀裂を〈モモクバリ・ゲート〉と呼称しており、これを利用します」
天井を見上げて深いため息をついたマリヤは、ピエリスの童顔を見やった。
「……つまり、時空を移動して人類が力をつける前に皆殺しにすると」
「その解釈で正しいです。早期に人類を駆逐して、完全なる平和な地球を築き上げます」
ピエリスのあっけらかんとした返答にマリヤは赤眼を細めた。
「……んで、なんでその話を私にした。マーリンの計画と私に、いったいなんの関係がある」
「マリヤさんに対するボクの問いはシンプルです。このまま三人のマリヤのひとりとして生きていきますか? それとも唯一無二、独自固有のマリヤとして生きていきますか?」
「……なるほど……私を勧誘しに来たわけだ」
「はい」
笑顔で頷いたピエリスは、チェアを引っ張り出してマリヤと対面して腰かけた。
「あなたは他のマリヤとは異なる行動様式を持っています。それは確固たる独自固有性の現れです」
「だから人類を滅ぼすことに手を貸せってか……鬼かよ」
「鬼と仏は表裏一体です。ようは視点の違いです。マリヤさんの〈ブッダ・スイッチ〉の論文、読ませて頂きましたよ」
ピエリスと至近距離で顔を合わせたマリヤは、その言葉にハッとさせられた。
「2600年前、菩提樹の下で悟りを開いたブッダの前にブラフマンがスイッチを置いた。そのスイッチを押せば、一瞬で地球上の人類を掻き消すことができる──果たして、ブッダはそのスイッチを押すかどうか」
〈ライブラリー・キー〉を握るマリヤの手にピエリスの手が重ねられた。
「2600年間、人類は多くの苦しみを味わいました。魔女狩りにあった少女、塹壕で震えて眠る兵士、我が子を煮て食う飢えた母。それらすべての苦しみが生じる前に、消し去ることができたら?」
「…………」
「人類を救済するたった一つの冴えたやり方。賢いあなたならそれがわかるでしょう。マリヤ」
ピエリスは優しく告げながら、マリヤの手から〈ライブラリー・キー〉を受け取った。
「ボクとともに〈ブッダ・スイッチ〉を押しに行きましょう。そして人類を、無益な苦しみの連鎖から救い出してあげましょう」
眼前に掲げられたエメラルド色の鍵が白く染まっていくのを見て、マリヤは息を吞んだ。
「アドヴァイタ図書館はもう必要ありません──あなたが、オリジナルのマリヤですから」
チェアから立ち上がったピエリス。マリヤは精神保管庫が消されたにも関わらず妙な高揚感を覚えていた。
「では、ネオ・キャメロットに赴いて、大マリヤ帝国を建国しましょう。そうすれば、とても楽しい2100年の幕開けになりますよ」
ピエリスから発せられるマーリンの言葉。アーサーの後継者として見出されたマリヤは目を閉じ、息を吐きながらチェアから立ち上がると、ピエリスに告げた。
「いいだろう。ただし一つだけ──東京奪還。それだけは、果たす」
翌朝──ピエリスと連絡が取れなくなったことに気づいたルドベキア。三号もマリヤの姿が見えないことに気づくと、昨夜の監視カメラの映像を再生して大型ディスプレイに流した。
他の面々も集まってくる中、マリヤとピエリスが連れたって地下アジトから去っていく姿を確認したふたりは、マリヤが使用していたモニタールームへと足を踏み入れた。
「……おい、嘘だろ」
震える声を漏らした三号。後ろからルドベキアが覗き込むと、その手には黄十字が光る白く染まった〈ライブラリー・キー〉が握られていたのであった。




