12.渦麻姫と断麻姫
今より500年前──関ヶ原にて桃姫が振るった〈雉猿狗承〉の聖なる一撃は、妖鬼姉妹・渦魔鬼と断魔鬼の体から"鬼の力"を削り取った。
名前からも鬼を失い、渦麻姫・断麻姫として純然たる妖怪姉妹となったふたりは、行くあてもなく日ノ本をさすらった。
そして途方に暮れ果てたふたりは、故郷である四国の土佐・四万十川へと帰ってきていた。
「……姉やん。あたいらこれから、どうすりゃいいの」
「知らないわよ……」
断麻姫が話しかけると、渦麻姫はため息混じりに答えた。そんな姉妹の姿を目撃したのは、釣りをしていたカボソであった。
凶悪な妖鬼姉妹が帰郷したことに愕然とした眼鏡のカボソは、手にしていた釣り竿を放り投げると、森の中へ駆け出して転がるように洞窟に飛び込んだ。
「てーへんでやんす! 刃刃鬼のむすめっこが四万十に帰ってきたでやんす!」
「あんだって!?」
血相を変えた眼鏡の報告を聞いて、ちゃぶ台を叩きながら声を張り上げた前掛け。
日中は洞窟内で暮らしているカボソの群れが戦慄と絶望の面持ちで一斉にざわめき出し、恐怖から泣き出す子供もいた。
「しかたあるめぇ……ここはおらたちカボソの領域だ。立ち向かっていくしかねぇだろ……!」
そう言って立ち上がった前掛けが竹槍を手に取ると、他のカボソたちも木の枝を束ねた鎧を着込んだり、石斧を握りしめて戦いの準備を始めた。
武装したカボソの集団が決死の顔つきで洞窟を出ると、四万十川の雄大な流れを並んで座りながら眺めている姉妹に近づいた。
「あっ……?」
「……ん?」
近づいてくるカボソの集団に気づいた断麻姫が声を上げると、眼鏡が放り出した釣り竿を手にしている渦麻姫もその存在に気づいた。
「ひっ、こっち見たでやんす」
「怯むでねぇ、カボソの度胸みせつけるんだ」
カボソと姉妹が距離を取った状態で対峙していると、渦麻姫が断麻姫の肩に釣り竿を軽く当てた。
「……言いなさい」
「……わーったよ」
姉の言葉に面倒臭そうに返して立ち上がった断麻姫は、赤い髪がなびく後頭部をぽりぽりと掻きながらカボソに向かって歩き出した。
「ひぃッ!」
「きたぁ!」
毛深い手で竹槍を握りしめていた眼鏡と前掛けが悲鳴を上げながら固く目を閉じると、断麻姫が口を開いた。
「あのさぁ……わりぃんだけど、うちらに釣りのやり方、教えてくんねぇ?」
「…………」
妖怪姉妹とカボソ集団が四万十川沿いで互いに見つめ合う中、「ピィヒョロロー」と鳴いたトンビが夕焼け空を気持ちよさそうに飛んでいた。
それから500年後──渦麻姫と断麻姫は、夕焼け空の四万十川沿いで並んで座りながら釣り糸を垂らしていた。
「姉やん……あたいイカが食べたい」
断麻姫が水面に浮かぶウキを見ながら呟いた。
「イカは海にしかいないの……500年も生きてるんだから、知ってるでしょ──んッ!」
渦麻姫は答えると、引っ張られた釣り竿を引き上げた。釣り糸の先にはアマゴがついており、渦麻姫は釣り針から外してカゴの中に入れた。
「いやだからさ……海に行こうよって話。姉やんだって、もう四万十の魚は食い飽きたっしょ?」
「魚に飽きるとか飽きないとかないから……それにね、海沿いは人間が多いの……面倒事に巻き込まれたくないでしょ」
渦麻姫は言いながら、慣れた手つきで釣り針にミミズをつけると再び四万十川に投げ入れた。
「でもさ、日ノ本の人間、ここ100年でめっきり減ったっていうよ。山菜採りにきた婆さんたちが町から若者がひとりもいなくなったって言ってたし」
「はぁ……わかったわよ。じゃあ、今夜試しに行ってみる?」
「やった!」
断麻姫は喜びの声を上げると、渦麻姫はカゴの中に入った十匹の川魚を見た。
「私だってイカ食べたいし……でも、人間の姿を見かけたらすぐに引き返す。いいわね?」
「いい! いい! すっごくいい!」
立ち上がった断麻姫が拳を握りながら答えると、遠くから近づいてくる小さい影を視界に入れた。
断麻姫が目を細めると、渦麻姫もそちらを見た。そして、毛布に包んだ四匹の赤ん坊を抱えたカボソの夫婦がやってくると姉妹に向けて頭を下げた。
「渦麻姫様、断麻姫様。無事におらたちのお子さ、産まれてくれましただ」
夫のカボソが笑顔で言うと、妻のカボソも笑みを浮かべた。
「どうか、抱っこしておくんなさい。カボソの"護り神"であられるおふたりに抱いていただければ、きっと丈夫に育ちます」
妻のカボソはそう言って、毛布で包まれた二匹の赤ん坊を渦麻姫に差し出すと、夫のカボソも二匹の赤ん坊を断麻姫に差し出した。
「……それは、おめでとう」
渦麻姫が興味なさげに言いながら受け取ると、引きつった笑みを浮かべた断麻姫も赤ん坊を受け取って胸元に抱えた。
「それで、おねげぇがあるんだすが。うちのお子たちに縁起のいい名前、一つつけてやってくんねぇでしょうか」
「とびきりいいのを頼んます、護り神様」
夫婦は水かきのついた短い両手を合わせながら姉妹に頼み込んだ。
渦麻姫はため息をつきながら赤ん坊の顔から視線を逸らすと、断麻姫は胸元で泣き出した赤ん坊に困惑の表情を浮かべた。
「……名前だって。つけてあげなさい」
「え、あたいが!?」
姉に名付けを任された断麻姫は毛布に包まれて四つ並ぶ、どれも似たような毛深い顔つきをした赤ん坊たちを眉を寄せて見つめた。
「……太郎、二郎、三郎、四郎! はい、これで決まり!」
「だそうです。よかったですね」
名付けを終えた断麻姫が赤ん坊を夫のカボソに突き返すと、渦麻姫も言いながら妻のカボソに赤ん坊を押しつけた。
赤ん坊を返されたカボソ夫婦は困惑した面持ちで互いの顔を見合うと、夫のカボソが姉妹に向けて叫んだ。
「うちのお子たち、みんな女の子なんだべが!?」
それから、しくしくと泣き始めた妻のカボソを慰めるため、川魚をカゴごと渡した姉妹は、去っていくカボソ夫婦の後ろ姿を見送った。
「……姉やん。あたいらってなんなの?」
「……さぁね」
夕焼け空と入れ替わるように満点の星空が広がっていく四万十川で、立ち尽くした姉妹が声に漏らした。
「……イカ釣りいこっか」
「……うん」
渦麻姫の言葉に頷いて返した断麻姫──次の瞬間、今まで耳にしたこともないような爆音が夜空から放たれた。
「──スタァーップ! 止まりなさい、そこの妖怪シスターズ──」
男の声に続いて、猛烈な突風が姉妹に向けて吹きつけた。ふたりが手にしていた釣り竿が吹き飛ばされ、サーチライトの黄光が四万十川沿いに立つふたりの姿を煌々と照らし出す。
「……なんだぁ!?」
あまりの眩しさに腕で顔を覆った断麻姫が声を上げると、上空でホバリングする〈デス・バード〉の胴体ハッチが開かれていき、徒花部隊が次々と飛び降りて着地した。
「……ッ!」
白いボディスーツに身を包んだ6人の女性兵士を目にした渦麻姫が、咄嗟に妖力を両手に込め、青光する渦を練り出そうとした。
しかし、素早く接近してきたガーベラが左腕を伸ばすと、手首から射出された赤いワイヤーが渦麻姫の体をまたたく間に拘束した。
「くッ!?」
ガーベラにワイヤーを引っ張られ、前のめりに河原に倒れ込んだ渦麻姫。
「姉やんッ!」
断麻姫が叫ぶと、ガーベラに続いた3人の手首からワイヤーが放たれ、断麻姫の体を三重に拘束して砂礫の上に倒れ込ませた。
「──そうです、その赤い方には特に気をつけなさい。古文書によると、とんでもない怪力の持ち主ですからね──」
〈デス・バード〉のスピーカーから男の声が響き渡ると、ふたりは降下してくる巨大な白い鉄鳥を睨みつけた。
そして、河原に着陸した〈デス・バード〉のハッチからタラップが伸びると、〈黄金の錫杖〉を右手に携えたアクロが降りてきた。
「初めまして、私の名はアクロ・ヌーン。あなた方を心の底より"リスペクト"──尊敬する者です」
満面の笑みを浮かべたアクロは、仰々しく頭を下げて挨拶をした。
「ざけんじゃねぇよ! なにが尊敬だ! てめぇの国では尊敬する相手にいきなりこんなことすんのか!?」
「なにが目的か知らないけど、今すぐ私たちの拘束を解きなさい……でないと、死ぬよりひどい目にあうわよ、異国人」
断麻姫と渦麻姫が黄色い目で睨みつけながら声を上げると、アクロは人差し指を顔の前に突き立てながら首を横に振った。
「ノンノンノン……解放することなどできません。あなた方は"鬼の力"を失っているとはいえ、いまだ強力な妖怪……なんせ、刃刃鬼と橋姫のむすめ、なのですからね」
「……ッ!?」
不意に亡き両親の名前を告げられた姉妹は目を見張った。
その顔を見たアクロは「ふっ」と鼻で笑うと、軍服の胸元に手を差し入れ、黒い呪札の束を取り出して見せた。
「……呪札!?」
赤い呪文がびっしりと書かれた呪札を目にした渦麻姫が驚きの声を発すると、アクロは呪札の束を宙空に放り投げた。
そして、左手で片合掌しながら右手に持つ〈黄金の錫杖〉で地面を突き、チリンと金輪を鳴らした。
「──オン・マユラギ・ランテイ・ソワカ」
サイバネ・アイを赤光させながら、孔雀明王のマントラを詠唱したアクロ。
マントラに呼応した呪札の群れが紫光を放ちながらつながり合うと、夜の河原に"呪札門"を出現させるのであった。