6.アマテラス・オーロラ
部屋を出ると、まるで病院の地下のような無機質な通路が続いていた。青いLEDが冷たく足元を照らし、機械の駆動音だけが静寂を破る。
手術台とロボットアームが備えられた真っ白な手術室をガラス越しに見た瞬間、胸に鋭い痛みが走った。
あの手術台で自分の体が切り開かれ、千の心臓が埋め込まれた──セレンは思わず足を止めて息を呑んだ。
「……ふぅ」
思考を振り払うようにメット内で深呼吸したセレンは、通路の突き当たりにあるエレベーターに乗って鞍馬ビルの最上階である七階のラボに顔を出した。
「おはようございます、奈塚博士」
メット越しでも伝わるマシンオイルの臭いを嗅いだセレンは、ディピティの青い車体を開いて、内部を整備している奈塚に挨拶した。
「ハイ、ベイビー」
奈塚より先に気づいたディピティが半透明のフロントカウルに"HI.BABY"と点滅させて声を上げると、奈塚はディピティの車体から顔を上げた。
「おはよう、セレン。メッセージ見てくれたか?」
奈塚は分厚い溶接マスクを持ち上げて言うと、ディピティの車体の蓋を蹴って閉じながらチェアの車輪を転がして後退した。
「ドント・キック! ドク!」
ディピティが憤慨する絵文字をフロントカウルに表示しながら抗議の声を発すると、奈塚はまったく気にかけることなく溶接マスクとグローブを外して立ち上がった。
「もっと寝ててもいいんだぞ、昨夜あんな大仕事をしたあとなんだからな──見ろ。日本中が大騒ぎだ」
奈塚は言いながら、デスクの上に浮かぶ六枚の空間ディスプレイすべてにニュース映像を表示した。
"央都区 冥眼ビル 何者かによって襲撃される"
"100人を超える死傷者 単独犯による10分の凶行"
"冥眼衆総裁 無瀬武頼氏の謎 いまだ行方不明"
物々しいテロップがつけられ、警察が捜査する冥眼ビルの映像や無瀬武頼の資料映像が流れた。
「見つかるわけないのにな。光の粒子になって、消し飛んだんだから」
ニュース映像に見入るセレンを横目に、奈塚は皮肉な笑みを浮かべながらデスクの端に置かれているエスプレッソマシンを操作して、コーヒーを淹れ始めた。
「セレン、コーヒー飲みなよ」
「はい、いただきます」
セレンが答えると、奈塚は眉をひそめながら赤いサングラス越しにセレンの顔を窺った。
「メットつけてたら飲めないだろ?」
奈塚はセレンの頭に手を伸ばすと、鬼の角の根本にあるスイッチを押してメットを強制的に解除して、仮面状に変えた。
「あ……」
素顔を出すと同時に声を漏らしたセレン。奈塚は鬼の角を掴んだメットをデスクに置くと、代わりに湯気が立つコーヒーカップを手に取ってセレンに差し出した。
「まだ、気が立ってる?」
セレンは目を伏せたまま奈塚からカップを受け取ると、その湯気を自身の顔に当てた。
「そりゃ、初めて人を──」
デスクに寄りかかった奈塚は言いかけて口をつぐんだ。
「まぁ、そのうち慣れる」
空間ディスプレイを横目で見やった奈塚は、指を振って六枚のディスプレイに表示されたニュース映像を全部消した。
「いえ、そうじゃないんです」
「ん?」
カップの熱が右手だけに伝わってくる。左のサイバネ・アームには何も感じない。
セレンは改めて自分の体の変化を実感しながら、奈塚に赤と黒の瞳を向けた。
「顔の傷が、その……」
「まじか」
奈塚は一瞬言葉を失った。あれだけの修羅場をくぐり抜けたセレンの口から出たのは、ごく普通の17歳の悩みだった。
コーヒーカップに顔を寄せるセレンを見つめながら、奈塚は改めて思った──どんなに強くても、彼女はまだ少女なのだと。
「そうか、そうだよな……気になるよな」
「……はい。お姉ちゃんなら、そんなこと気にしないって笑うと思うんですけど……」
セレンは気恥ずかしそうに答えると、奈塚は機械部品や整備道具が転がる雑然としたラボの様子を見回した。
文東区に建つ七階建ての鞍馬ビル──表向きは鞍馬グループという商社が保有していることになっているが、その実態は〈東京奪還〉のためのアジトであり、奈塚のラボであった。
「すまない、ここの医療設備だとそこまでが限界なんだ。いずれは完璧に元通りの顔に戻してやる。そのときには、赤い目も黒い目に変えてやるからな」
奈塚が言うと、セレンは慌てた様子でカップから顔を上げた。
「あ、赤い目はそのままでお願いします……ベクター・サンみたいで、気に入ってるんです」
「ん? あはは──OK」
奈塚は笑いながら頷くとチェアに腰かけ、空間ディスプレイの一枚を指で操作し始めた。
「私も好きで見てたよ。まさかキミたちのお父さんが、ベクター・サンの"中の人"だったとはね」
奈塚が空間ディスプレイをタップすると、『太陽の貴公子ベクター・サン』のテーマ曲とともにオープニング映像が流れ出した。
次々と爆発炎上する荒野を青いバイク〈流星号〉に乗って駆け抜けるベクター・サン。
「……役者さんは違う人ですけど、ベクター・サンを見るとお父さんがまだそこにいるみたいで」
白い流線型のマスクに大きな赤い目を光らせたベクター・サンの顔がズームになると、"スタント担当・木乃滝"の名前が表示された。
「だから、ディピティを初めて見たとき、ベクター・サンの相棒〈流星号〉みたいだなって、思いました」
セレンがディピティを見ると、ディピティは嬉しそうに"WOW.COOL"の文字をフロントカウルに点滅させた。
「気に入ってくれてるみたいで嬉しいよ。なんせ、黒かったのを上から青く塗ってるからね」
「そうなんですか?」
「ああ。レーダーに映らなくなるインドラ軍の特別な塗装──普通は手に入んないんだけど、ちょっとツテがあってね」
奈塚はそう言ってセレンから空になったコーヒーカップを受け取ると、デスクに置いた。そして、後頭部が閉じている漆黒のメットに視線を移した。
「そうだ。昨夜サイバネヤクザどもから〈マインド・ハック〉を受けただろ? あのときのデータが欲しくてさ……外しといて悪いんだけど、抽出するためにもう一度つけてくれるか?」
「はい」
セレンは奈塚に促されるままメットを手に取ると、顔に近づける。そして、カシュッ──と音を立てて頭部全体を覆うように装着させると外部ディスプレイに非対称の赤い丸を表示させた。
「すぐ済むからね……」
チェアに腰かけた奈塚がデスクの下に置かれたコンピューターデバイスからコードを伸ばして、セレンの後頭部に接続しようとした。
「……っ?」
ラボの壁を睨んだセレンが建物の微細な振動を感知して赤い目を光らせた。
反射的に振り返ったセレンは、コードを向けていた奈塚をチェアごと突き飛ばし、自らの体で覆いかぶさった。
「うお!?」
奈塚が声を上げた次の瞬間、鞍馬ビルの外壁が紙きれのように吹き飛んだ。
コンクリートの破片が暴風のように室内を荒れ狂い、怒涛の銃弾の激雨が爆音とともにラボの設備を容赦なく引き裂いた。
"SHIT"と叫んで駆け出したディピティが、奈塚をかばうセレンの盾になるように移動した。
机も椅子もメンテ・ドックも何もかもが粉々に砕け散り、奈塚のラボはまたたく間に瓦礫の山と化していった。
「こんなことされる覚え──いや、あるけど!」
奈塚は銃弾の雨が止むようにセレンの下で祈りながら声を発した。
祈りが届いたのか単に弾切れしたのか銃弾の雨が止むと、砂煙の向こうから、影がゆっくりと現れた。
「……ッ!」
セレンの全身に戦慄が走る。音もなく浮遊する死神のような機影──青い装甲に覆われた黒いマシン・ウイング。
星型のエイが宙空に浮かんでいるような形状をしたマシン・ウイングは、"尻尾"に搭載したガトリング砲から白煙を燻らせながら"冥"の文字が紫光するモノアイを明滅させた。
「──ドクター・ナズカ」
マシン・ウイングから冷たい女性の機械音声が発せられた。
「どのようにして無瀬武頼を殺害したのか、答えなさい」
セレンの肩越しにマシン・ウイングをのぞき見た奈塚は、その肩を軽く叩いた。セレンは頷き、いつでも反撃できる体勢を保ちながら奈塚から離れた。
「この〈フォルネウス〉にはプラズマ・ミサイルが搭載されている。戦おうなんて考えないで」
プラズマ・ミサイル──太宰府ベースを焼き尽くした悪魔の兵器。2メートル大の〈フォルネウス〉の胴体を見ればちょうど一発は入りそうであった。
「帝国軍のマシン・ウイング……んなもんどこで手に入れた。アクロ・ヌーンから貰ったのか?」
「関係ない……今、質問してるのは私」
その返答を聞いた奈塚は、応じているのはAIではなく、人間。それも、だいぶ若い女性だと見て取った。
「あの男のサイバネ・ボディは対物ライフルでも砕けなかった……そんな男を丸ごと消し去るなんて、いったいなにをしたわけ」
〈フォルネウス〉は瓦礫にまみれたラボで浮遊しながら、モノアイを明滅させて問いかけた。
そんな〈フォルネウス〉の姿を見上げながら、奈塚は不敵な笑みを浮かべると口を開いた。
「──アマテラス極光を知ってるか?」
奈塚は言うと、ゆっくり立ち上がって、黒衣についた砂埃を手で払った。
「わずか2グラムで地球を消滅させる、黄金の粒子──私はそいつを、兵器転用することに成功したんだ」
そう言って奈塚は隣に立つセレンを見た。セレンもまた自身の左腕を見た。黄金に光り輝く必殺のダイナモ・バスターを放つ漆黒のサイバネ・アーム。
「そんなことして……本当に地球が消滅したらどうするつもり」
「地球が消滅したら、誰も私を責められないだろ」
奈塚は鼻で笑うと、赤いサングラスを直した。
「んで、あんたは誰だ?」
「……余計なことして……あの男は、私が殺すはずだったのに」
〈フォルネウス〉は呟くように口にすると、エイに似た体をくるりと反転させて、背中に描かれた"冥眼衆"のシンボルマークを見せながら壁にできた穴をくぐって去っていく。
「おい、質問に答えろ! てか、このラボどうしてくれんだ!?」
奈塚は慌ててその背中を追いかけ、壁に空いた穴から身を乗り出して叫んだ。
〈フォルネウス〉は振り返ることなく西に向かって飛翔し、東京上空を泳ぐように飛ぶ青い機影はどんどん小さくなっていった。
「……マジでどうすんだよ、これ」
ガトリング砲の猛火を浴びて、壊滅的な状態になったラボの惨状を見回した奈塚は、力なく声に漏らすのであった。