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5.奈塚鞠耶

 ──蓮、お墓参り行くよ、起きて。


 千の呼びかける声を聞いた蓮は目を覚ました。ベッドから上体を起こすと足元のスタンドミラーに反射した自分と目を合わせた。

 鏡に映るのは、かつての蓮ではなかった。復讐のサイボーグ戦士ブラック・セレンとして生まれ変わった姿。


「……ああ」


 まだ悪夢は終わっていなかったのかと右手で頭を抑えたセレン。

 ベッドから体をずらし、靴のように脱ぎ捨てられているサイバネ・レッグを機械化されているふとももに噛み合わせて一脚ずつ装着していく。

 両脚の神経を接合したセレンはベッドから立ち上がって再びスタンドミラーに目線をやった。


「……おはよう、お姉ちゃん」


 セレンは鏡に向かって声を投げかけた。黒いチューブトップを着たセレンの胸元と腹部には大きな手術の痕が火傷の跡と混ざり合って稲妻のように走っていた。

 この胸奥には二つの心臓が並んで脈動していた。左に蓮の心臓、右に千の心臓──セレンの体の大部分は蓮であるが、二つ目の心臓として千の熱が宿っていることは、蓮に姉との強い一体感を与えた。


「…………」


 鏡に映ったセレンの顔は以前の蓮と変わらぬ姿形をしていた。しかしよく見れば、皮膚の再建手術を受けた跡が顔の左側に継ぎ目のようにかすかに残っていたし、左眼は赤い眼球の強化型サイバネ・アイとなっていた。

 蓮は右の黒い肉眼を閉じて、左の赤い機眼だけで部屋を見回した。すると、そこかしこに情報が表示され、注視しようとすればどこまでも高解像度でズームされた。


「……ん」


 そこでセレンは視界の右上に新着メッセージが届いていることに気づいた。右手を上げて、指先でタップすると視界の中央に空間ディスプレイが表示され映像が再生された。


「あー。おはよう、セレン。昨晩の冥眼ビル襲撃は正しく成功だった。〈春と修羅〉の第一歩が華々しく踏み出せたことを嬉しく思う」


 白いチェアに腰かけた奈塚が笑みを浮かべながらセレンに語りかけた。


「この奈塚鞠耶なずかまりや。日本一の頭脳の持ち主とはいえ、ひとりでは到底成し得なかった偉業だ──セレン、キミたちには本当に感謝している」


 奈塚は、丸型の赤いサングラスから緑色の整った眉毛を持ち上げて出しながら、セレンに感謝の言葉を述べた。


「それで、これから流す映像は今の日本、2099年の東京で暮らす私たちが置かれている状況を正しく認識するための資料だ──少し長くなるが、キーワードまみれだからよく聞いてくれ」


 セレンは奈塚の言葉を聞きながら、デスクの上に置かれているサイバネ・アームを掴んで、左肩に装着して神経を接合した。


「事の始まりは2059年。アーサー・ネルゼンという名のフロリダのしがないドラッグ・ディーラーから始まった」


 空間ディスプレイには、2059年当時のヒゲ面の中年男アーサーと彼が作った何十種類ものネオ・ドラッグの一覧が表示された。


「その年の夏、アーサーは相棒のAIマーリンの挙動がおかしいことに気づいた……アーサーは面白がって、その状態のマーリンにネオ・ドラッグの生成を指示した──そしたら今までに見たこともない化学構造を持つネオ・ドラッグを作り出したんだ──マーリンいわく"神の啓示"を元にしたらしい」


 セレンの空間ディスプレイにAIマーリンの姿が表示された。それは、城を模した要塞の壁面に表示された八本の触手を八方向に伸ばした赤い一つ目の白い球体であった。


「アーサーは新作のネオ・ドラッグをまずは自分の体で試すことを流儀にしていた……〈エクスカリバー〉と名付けたそいつを服用をしたアーサーは……一発でイカれちまった。その日からアーサーは、自分のことを"アーサー王の生まれ変わり"、"人類の救世主"、"世界を統べる大帝"だと言い出した」


 黄金の王冠を被り、白いマントを身につけた騎士甲冑姿のアーサーが表示される。フロリダの街並みとのあまりのギャップに滑稽に見えるが、アーサーは威風堂々としていた。


「まぁ、それだけだったらフロリダにヤバい奴が誕生した"おもしろ話"でおしまいなんだが、問題はAIマーリンが輪をかけてヤバかったってことだ──アーサーを本気で"世界を統べる大帝"にするために全力でサポートしだしたんだ」


 空間ディスプレイに表示された映像では、次々と人々を集めていくアーサーの姿が表示された。


「マーリンの指導のもと、〈エクスカリバー〉漬けになったアーサーは大言壮語と異常な行動力とで脅威のカリスマ性を発揮した──人生と政治に対して無気力になっていた若者を中心に一大ムーブメントが起こり、2068年──ついにアメリカ大統領に就任」


 連邦議会議事堂にてアーサーが宣誓する姿が表示されるのを見ながら、セレンは下着の上に漆黒のボディスーツを着た。


「そして就任の翌日、アメリカを改名した──大アーサー帝国〈Great Arthur Empire〉と……OK、まだここまでなら笑い話で済むよな──でもな、"アーサー大帝"も"魔術師マーリン"も改名するだけでは満足しなかった……なんせ、"世界を統べる大帝"になることが本来の目的だからな」


 セレンは奈塚の言葉を聞きながら、うなじ部分のダイヤルを回して、ボディスーツを圧縮させてぴたりと全身に密着させた。


「2072年。アーサーは大演説を行い、アーサー語録をたしなむ狂信的な帝国軍をヨーロッパに派兵することを決定した──軍事力に全振りした強大な帝国軍を前に、ヨーロッパ各国は為す術なく帝国の支配下に置かれていった。2084年にはアメリカの全土と、ユーラシアの西半分、そしてオーストラリアが帝国の領土となった」


 奈塚のナレーションとともに表示された世界地図が大アーサー帝国のシンボルカラーである白で次々と塗りつぶされていった。


「しかし、帝国の領土拡大は突如として止まった。それはもう一つの大国、大インドラ共和国との間で衝突が起きたからだ。共和国は、〈インダス・インダストリアル社〉の最新技術で作られた〈アバタール〉という人造人間を大量生産し、自国兵の代わりに戦わせた」


 大インドラ共和国のシンボルカラーである黄色で塗られた世界地図と、武装した〈アバタール〉の軍勢を前に帝国兵が苦戦している様子が映像に表示された。


「死を恐れない〈アバタール〉を前にして帝国軍は敗走を続けた。しかし、〈アバタール〉が帝国軍によって鹵獲されると、〈オランダ・エレメント社〉によって〈A.C.ロイド〉として模倣された。その結果として、今や中央アジアと、アフリカ大陸における戦場は、二大超大国の人造人間によって形作られている」


 奈塚はそう言って二種類の人造人間が表示された映像を切り替えると自分の姿に切り替えた。


「とまぁ、これが今の世界の状況だ。日本は、辺境の落ちぶれた島国扱いで占領する価値がないと見做されていたのか、幸か不幸か中立を維持したまま戦火の蚊帳の外だった──去年まではな」


 奈塚はそう言って白いチェアから立ち上がると、大型空間ディスプレイの前に移動してその前に立った。


「2098年、12月31日──突如として、大アーサー帝国が九州の太宰府ベースに攻撃を仕掛けてきた」


 神妙な面持ちで告げた奈塚の背後にはプラズマ・ミサイルの雨を受けて光り輝きながら破壊される太宰府ベースの姿が映し出された。


「宣戦布告を行ったのは、この男だ」


 ディスプレイに銀髪オールバックの細身の男が映る。銀縁眼鏡に赤い瞳、神経質そうな顔つきをしている。


「帝国貴族アクロ・ヌーン。そして彼の愛艦──」


 画面が切り替わり、カブトガニのような巨大潜水艦が現れる。


「〈ウンブラー〉。この化け物が太宰府を灰燼に帰した」


 背中に赤十字を描いた白い潜水艦。帝国軍最強のカリュブディス級──たった三隻しか存在しない。


「大宰府を破壊した〈ウンブラー〉は太平洋の深海に姿を消した」


 奈塚の声が重い。


「そして、3月3日──東京全土が停電している中、足立が丸ごと〈焼却〉された」


 セレンの体が硬直する。画面には真っ白に染まった足立町の空撮映像が表示された。それはまるで白い墓標のようであった。


「──ッ」


 映像を見た瞬間、セレンの胸が締めつけられた。二つの心臓が別々のリズムで激しく脈打つ。

 左の自分の心臓、右の千の心臓。どちらも怒りと悲しみで打ちふるえていた。


「あのとき、私はこの鞍馬ビルの屋上にいた」


 奈塚の目が遠くを見つめる。


「無数のドローンが足立を覆い尽くすのを、この目で見た。そして白い閃光が──」


 奈塚の声がふるえた。科学者といえども、あの光景は忘れられないのだろう。


「私はすぐにディピティで足立に向かった……そしてその異様を見た」


 セレンは奈塚の言葉を聞きながら肉身の右手と機械の左手を固く握りしめた。


「真夜中だってのに、すべての建物が白く変色してやけに明るいんだ──人が焦げる臭いに気がやられそうになりながら……私は必死になって生存者を探した……そして」


 セレンは左手を開閉する。機械の指が滑らかに動いた。そして、デスクの上の漆黒のヘルメットを見た。

 それは仮面というより、戦鬼の面のようだった。両手ですくい上げると、冷たく、重い。

 これを被れば、もう17歳の少女・木乃蓮ではなくなる。復讐の鬼・ブラック・セレンとして生きることになる。


「私はあんたら姉妹を見つけたんだ」


 セレンがメットを顔に近づける。カシュ──という機械音とともに、メットが展開して頭部を包み込んだ。

 視界が変わる。左右非対称の赤い光が外側のディスプレイに浮かび上がった。

 左の大きな赤い瞳、右の小さな赤い瞳。メットから伸びる鬼の角に似たアンテナも含めて、その姿は鬼神を思わせた。


「セレン。元凶はアーサーだが、日本侵略の首謀者はアクロ・ヌーンだ。奴に協力する裏切り者もすべて殲滅し、東京を取り戻そう──以上だ」


 奈塚はそう告げて、映像を閉じた。


「……了解です。奈塚博士」


 応じた声がメットを通して低く響く。セレンは胸に手を当てた。二つの心臓が、今は同じリズムで刻まれている。


「アクロ・ヌーンを……必ず」


 メットの双眸が復讐の熱で赤く燃えた。千のために。足立の人々のために──ブラック・セレンは立ち上がるのであった。

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