4.足立の姉妹・千と蓮
東京都北部区足立町──古びた集合住宅の一階、表札に"木乃"と書かれた103号室にて、双子の姉妹が布団を並べて横になっていた。
「…………」
妹の蓮は寝つけず、枕元に置いてある2089年に放映された特撮ヒーロー『太陽の貴公子ベクター・サン』の限定版目覚まし時計をちらりと見た。
暗がりの中でぼんやりと青白く光っているディスプレイは、"2099年3月3日午前0時0分"を示していた。
時計に描かれている『ベクター・サン』に向けて蓮は白い息を吐きかけると、布団を持ち上げて寝返りを打った。
「……っ」
蓮の黒い瞳が驚きに見開かれた。隣で横になっている姉の千が、暗闇の中でじっと自分を見つめていることに気づいたからだ。
「……眠れない?」
千は長い黒髪の中に紛れている桃色の髪をさらりと顔に落としながら穏やかに言うと、蓮は静かに頷いた。
「お父さんのこと……考えてた?」
「……うん。あと……明日のお墓参りのこと」
尋ねる千に蓮は答えた。狭い六畳間には生活感あふれる物が雑然と置かれていた。
千のバイク雑誌、蓮の携帯ゲーム機、そして部屋の隅には両親の位牌を祀った小さな仏壇がたたずんでいた。
位牌の前に置かれた写真立てには二枚の写真が飾られていた。
一枚は、病院のベッドで生まれたばかりの姉妹を抱いて、静かにほほ笑む母の写真。
もう一枚は、撮影現場で青いバイクに跨り、『ベクター・サン』の衣装を着て笑顔でサムズアップする父と、『ベクター・サン』のフィギュアを嬉しそうに持つ幼い姉妹の姿が写っていた。
「……お姉ちゃんは、お父さんみたいなスタントマンになりたいの?」
蓮が尋ねると、千は眉を寄せながら考え込んだ。
「うーん、どうだろ……バイクに乗るのは好きだけど、べつに崖から飛ぶようなことしたいわけじゃないからね」
苦笑しながら言った千。心配そうな顔を浮かべた蓮は、千の布団の中に手を差し入れて重ねた。
「お姉ちゃん……私をひとりにしないで……」
「安心しな……姉ちゃんの体は、鉄より頑丈にできてるから」
千は蓮の手を握り返してほほ笑んだ。
「……それ、『ベクター・サン』のセリフ」
蓮が眉を曇らせながら言うと、千は吹き出した。
「バレたか。でもね、私と蓮は生まれてから死ぬまでずっと一緒……それだけは、ホント」
「……うん」
千と蓮は密着させた布団の中で互いの手のぬくもりを感じながら、残された家族の絆を確かめあった。
向かい合ったまま目を閉じ、安らかな眠りに落ち始めたそのとき──外でけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。
「……なんだよ」
千はうっとうしそうに言いながら、部屋着の白いパーカー姿で起き上がると、蓮も目を覚まして上体を起こした。
「……火事かな?」
「"足立タワー"の誤作動じゃない? ほら、前にもあったでしょ……こんなにうるさくはなかったけど」
アパートの中庭に続くガラス戸のカーテンを開けて外の様子を眺めた千は、あくびをしながら答えた。
不気味な重底音で鳴り続けるサイレンの音にしびれを切らした千は、ロックを外してガラス戸を開けた。
「あ……鈴木さん。こんばんわ」
中庭に顔を出した千が、ちょうど中庭に出てきた隣室の老婦人と顔を見合わせ、会釈をした。
「……あら。こんばんわ、千ちゃん」
婦人も会釈して返すと、千はサンダルを履いて中庭に出て、星の見えない東京の夜空を見回した。
「……いったいなんですかね、これ」
「……さぁ、なにかしらねぇ」
千の言葉に、婦人も困った様子で夜空を見上げながら呟いた。
そのとき千は、南の方角から、"銀色の三角形"が群れをなして飛翔して来るのを見た。
「……え?」
千が声を漏らし、黒い瞳を細めた。無数の"銀色の三角形"は、まるで磁石に引き寄せられるように、遠くにそびえる"足立タワー"の上空に集結し始めた。
それと同時に、けたたましく鳴っていた"足立タワー"のサイレンの音がプツリと消失した。
「全部、タワーに向かってる……」
千が不安げに呟いたそのとき、"足立タワー"の上空で渦を巻いていた銀色の物体群に変化が起きた。
まるで号令でも受けたかのように、一斉に四方八方へと散開を始めた"銀色の三角形"。
同心円を描きながら規則正しく配置についていき、わずか数十秒のうちに、足立全体を覆う巨大な銀色のドームを形成した。
騒々しいサイレンから一転、耳が痛くなるような金属質な静寂があたりを包むと、住宅地に暮らす人々の困惑した声が千の耳に入ってきた。
「なんだあれ……軍事演習?」
「やだ、停電してんじゃん! ネットもつながんないし!」
「おい、母ちゃん起きろ。空が銀色になってる」
深夜にも関わらず窓や玄関が次々と開け放たれていく中、千は気づいた。
ドームの中心、"足立タワー"の円盤型の頂上部に向けて、"銀色の三角形"が白い光を照射し始めたことを。
光は数秒のうちにタワー全体に広がり、やがて巨大な光の柱となってドーム内に囚われた足立を明るく照らし出した。
「あ──」
千が息を漏らした。"銀色の三角形"は、"足立タワー"に収束させていた光を、タワーを起点として住宅街に拡大させ始めたのである。
音もなく迫りくる極光の洪水を見上げた人々は絶句しながら光の奔流に飲み込まれ、婦人はあまりの恐怖に腰を抜かした。
「お姉ちゃん」
「蓮!」
部屋の入口で呆然と立ち尽くす蓮の姿を見た千は声を発しながら駆け出した。蓮の体に覆い被さり、部屋の中に押し戻す。
顔の左だけ千の体から出していた蓮は、千の背後から迫りくる極光のあまりの眩しさに愕然としながら灼熱の大波に飲み込まれた──。
──ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ、電子音が鳴り続ける白い空間。
ときたま、カチャカチャカチャと物理キーボードを叩く音がして、"だめか"や"いや、まだ"と言った女性の呟きが響く。
「…………」
蓮は、自分が生きているのか死んでいるのかもわからない朦朧とした意識の中で見知らぬ白い天井を見上げていた。
左目の視界は完全に闇に閉ざされ、右手以外の手足は消失してしまったかのように感覚がない。
神経が遮断されたように微動だにしない体を動かす試みを諦めた蓮は、ゆっくりと首だけを右に向けた。
そこには、白い椅子に腰かけ、禍々しい黒衣を身にまとった長い緑髪の女性がいた。
女性は、六枚の空間ディスプレイを睨みつけながら操作し、物理キーボードを素早く叩いて何かのプログラムを入力していた。
「ん?」
蓮の視線に気づいた女性が小さく声を漏らして顔を向けた。赤いサングラスをつけた女性は、不敵な笑みを一瞬だけ浮かべると、再び空間ディスプレイを睨みつけて物理キーボードを叩き始めた。
「…………」
蓮は"作業"に勤しむ女性の横顔を見るのをやめ、天井を見上げた。そしてふと思った。
──お姉ちゃんは?
「……っ」
蓮は自分の名を叫びながら、極光する中庭から血相を変えて飛び込んできた千の顔を思い出した。
そしてあの夜のように──寝返りを打って、目を合わせたあの夜のように──千がこちらを見てほほ笑んでいるのだと、そう願って、首を動かして顔を左に向けた。
「──ッ」
隣に横たわっていたのは、白い包帯で頭と全身を巻かれた少女だった。
包帯の隙間からのぞいた肌は黒焦げており、喉から幾本ものチューブが伸びている痛々しい姿。
しかし、蓮にはその少女が千だとすぐにわかった。黒髪にまじる桃色の髪が数本こぼれ落ちていたからだ。
現実を受け入れることができない蓮の右目から涙があふれた。
「おねえ、ちゃん……」
ふるえる声で呼びかけた蓮。白い包帯に覆われた顔の左側に落ちた涙がシミを作り出すと、蓮は意識を失った。
「私がひどいことをしてるのはわかってるし……苦情なら、あとでいくらでも聞く」
その様子を見ていた奈塚は椅子から立ち上がると、姉妹が並んで横たわる手術台に近づいた。
天井から伸びる二本の医療用ロボット・アームが静かに動作し、先端に取り付けられた手術用レーザーメスが姉妹の胸部に向けてゆっくりと降下していく。
「願わくば……あんたら姉妹の仲が良いことを祈るよ」
粛々と開始された心臓移植手術を見つめた奈塚は、瀕死状態の足立の姉妹に向けて静かに告げるのであった。