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40.桃姫伝説

「なぜわしを狙う!! わしがおぬしになにをした……!?」


 腰の抜けた家康は、泥の上を後ずさりしながら上ずった声を上げた。

 巌鬼は黄色い眼で家康を見下ろすと、太い腕を伸ばして着物の胸元を掴んだ。


「ウァああっ!」


 乱暴に持ち上げられてうめき声を漏らした家康は、鬼の顔を間近で見て気を失いそうなほどの恐怖心を覚えながらも、なぜ大鬼が自分を狙うのか感づいた。


「そうか……天下人を殺して、再び日ノ本に戦乱を呼び込もうと言うのだな……だが無駄なこと、わしを殺しても天下泰平は続く……殺すなら殺せばよい!」


 家康は威厳を込めて言葉を発するが、鬼の眼光を見つめているうちに、強がりは崩れ去った。


「いやだ……やはり、殺さないでくれぇっ! ようやく天下を掴んだのだ! ようやく天下人となったのだぁッ!」

「グルルルル!」


 圧倒的な力量の差を持つ鬼の腕に掴まれた家康はわめきながらもがくと、巌鬼は低いうなり声を上げ、右腕を持ち上げて鬼の爪を光らせた。


「……頼む、頼む! 殺さないでくれぇ……頼むぅ!」

「──殺す」


 家康の懇願に対して地獄からの響きで無慈悲に返した巌鬼。右手を握りしめて鬼の拳を作り出すと、グッと後ろに引き下げた。

 天下人が鬼に殺される──関ヶ原に居合わせた誰しもがそう思った次の瞬間、不思議な桃の香りが周囲に漂い、次いで翠緑色の閃光が巌鬼の背中に向けて振り下ろされた。


「──巌鬼、楽になりなさい──」


 巌鬼の背後にて、〈雉猿狗承〉を振り下ろした体勢で桃姫がそう告げると、巌鬼の背中に袈裟懸けのように刻まれた翠緑色の軌跡が極光を放ち始める。


「ぐ、ぐぁアアッ!」


 家康を手放した巌鬼が両手で自身の胸を抑えながら苦悶の声を張り上げると、背中の軌跡が胸にまで拡がった。


「ひ……ひぃ!」


 光り輝く大鬼の姿を見上げた家康が悲鳴を上げながら後ずさりすると、極光は波紋のように拡大していき、巌鬼の体を引き裂いていく。


「がぁアア──!!」


 天に向かって絶叫した巌鬼の体が砕け散りながら崩壊していく。

 大鬼から放たれる眩い閃光がゆっくりと収まると、そこには一体の少年時代の巌鬼が立っていた。


「ううう……うう」


 少年巌鬼は体をふるわせ、涙を流した目を両手でこすっていた。桃姫は〈雉猿狗承〉を左腰に差し入れると、少年巌鬼と向かい合った。


「しんじゃった……鬼の仲間が、みんな……おれは、ひとりぼっちだ……ううっ」

「大丈夫──もう苦しまなくていい……もう戦わなくていい」


 桃姫は両手を広げると、ふるえる少年巌鬼の体をやさしく抱きしめた。


「もう、いいの……? もう、殺さなくていいの……?」

「うん──すべて終わったの……戦いは、すべて終わったのよ」


 少年巌鬼の後頭部を撫でながら桃姫が告げると、少年巌鬼は桃姫の胸の中で静かに頷いた。

 桃姫の極光天衣が少年巌鬼の体に輝きを移動させると、少年巌鬼は初めて感じる温かな安堵に全身を包まれながら光の粒子と化して天に昇華していった。


「かかか。鬼を成仏させたわいの──さすがは、桃太郎の娘よ」


 その光景を上空から眺めた役小角の風が、満面の笑みを浮かべながら感嘆の声を漏らした。

 極光天衣を失い、桃色の着物姿となった桃姫に向かって家康が声を上げた。


「桃姫殿、でかした! おぬしはまさしく、鬼退治の専門家!」


 家康は笑みをこぼしながら言うと、桃姫は冷たい眼差しで見やると、〈雉猿狗承〉を引き抜いて、その切っ先を家康に向けた。


「──ッ!?」

「家康公。人は誰しも弱い……だからこそ、他者を思いやる慈悲の心が肝要なのです」


 刃を突きつけられて困惑する家康に向かって桃姫が告げる。集まってきた仲間たちを見渡し、桃姫は穏やかな笑みを浮かべた。


「慈悲の心は、人から人へと伝わります──それこそが、人が持つ本当の強さなのです」


 桃姫は再び家康の顔を見やる。その濃桃色の瞳には、神仏の波紋が静かに走っていた。


「──日ノ本を良き国とするため……強くなれますか? 家康公」


 桃姫の穏やかながらも力強い言葉を受けて家康は涙をこぼすと、ただただ感服した。

 その瞬間、天界から天照大御神の光が関ヶ原の大地に向けて降り注ぐと、家康は両手を合わせ、拝んでひれ伏した。


 深く息を吸った桃姫は、〈雉猿狗承〉を胸に抱くと、かつての雉猿狗によく似たほほ笑みを浮かべた。

 これにて、長きにわたった桃姫の鬼退治は幕を閉じるのであった。


 それからの話。桃姫は伊勢に赴くと、心を入れ替えた家康とともに荒廃した天照神宮の大規模な復興作業に携わった。

 1年の歳月をかけて天照神宮を再建した桃姫は、白桜に乗って故郷へと帰った。


「わぁ……」


 春を迎えた花咲村では桃の花が見事に咲き誇っていた。村全体を取り囲むように植えられた桃の木々が、桃姫の帰りを祝福するかのように揺れている。


「おかえりなさい、桃姫様!」


 村人たちの歓声が響く中、桃姫は懐かしい我が家へと向かった。

 白桜から降りた桃姫が自宅の戸を開けると、ようやく静けさが訪れて桃姫はほっと一息つく。


 そして暗い玄関から陽光に照らされる居間に向かうと、何やら物音が聞こえてくる。

 桃姫はいぶかしみながらのれんを手で上げて中をのぞいた。


「おおっ! もも! ようやく帰ったでござるか!」

「桃姫! おぬしが帰ってくると聞いてのう! 邪魔しておるぞい!」


 ちゃぶ台の上で囲碁を打っていた五郎八姫とぬらりひょんが桃姫の姿を見ると笑みを浮かべる。

 居間の奥の縁側では、夜狐禅とたまこが一皿に乗せた吉備団子を食べながらお茶をすすっていた。


「吉備団子っていうのは、なかなか歯ごたえがあって、おいしいけろだね」

「僕も気に入りました。今度、猫吉様に作ってもらいましょう」


 仲良く会話している妖怪の姿を見て桃姫は思わず笑みをこぼすと、ちゃぶ台を挟んでいるふたりに視線を戻して口を開いた。  


「ふたりとも忙しいのに、こんな所にいていいの……?」


 桃姫は笑みを浮かべながら言うと、〈雉猿狗承〉を両親の位牌とおつるのかんざしが並ぶ仏壇に立てかけ、座布団に座った。


「よいのじゃよいのじゃ。そんなこと気にせんでも」

「奥州はだいぶ安定してきたでござるからな。拙者がおらずとも上手く回るようになったでござるよ」


 ぬらりひょんと五郎八姫、たまこと夜狐禅の和気あいあいとした声が家の外まで届き、花咲村はさらに賑わいを増した。

 そんな仲間たちの声を耳にしながら仏壇と〈雉猿狗承〉を見つめた桃姫は、心に想った。


 ──父上、母上。この現世を、桃姫は生きるよ。

 ──桃姫は百歳の百姫様ももひめさまになって。

 ──桃の花が咲き誇る、この美しい村を。

 ──雉猿狗とふたりで、いつまでも。

 ──いつまでも、護っていくよ。

 ──桃姫のことを愛してくれて。

 ──本当に。

 ──本当にありがとう。


 天照の桃姫様 第四幕 伝心 -完-

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