15.二振りの仏刀
それから半年が経った春──弱音を吐いていた桃太郎の姿は既になく、率先して厳しい修行に取り組むようになっていた。
岩の上にあぐらをかいて合掌し、頭上から降り注ぐ雪解け水の滝に打たれながら、一心不乱に瞑想を行うふんどし姿の桃太郎。
「ふむ……少しは様になってきたか」
その様子を眺めていた役小角は呟くと、桃太郎に背を向けて森の中へと歩き出した。
そして、備前の山奥にポツンと建てられた、廃屋と化している鍛刀場へと足を運んだ。
「ここらで刀工といえば長船派か……ちと、使わせてもらうぞ」
役小角は桃太郎と山跳びをしている際に発見した、古びた鍛刀場の内部に足を踏み入れた。翌朝──。
「あっ! 御師匠様!」
鉄鍋に入った山菜汁を焚き火で煮込んでいた桃太郎のもとに、〈黄金の錫杖〉をチリンと鳴らしながら役小角がやってきた。
「滝行を終えたらどこにも見当たらなかったので、心配していたんですよ!」
「かかか。弟子に心配されたら師匠も終わりじゃな」
笑った役小角は、薪割り修行で一冬かけて積み上げた薪山の前に移動した。
「ほれ、飯の前に"気配斬り"をするぞ」
「はい!」
立ち上がった桃太郎は、役小角の前に移動すると、懐から取り出した手ぬぐいを目元にキツく巻いて視界を塞ぎ、腰帯に差していた木刀を引き抜いて構えた。
「御師匠様。手加減などなさらず、どうぞ!」
「かかか。抜かせ──ほッ!」
役小角は積まれた薪を一つ手に取ると、高速で投げつけた。
「ハァッ!」
意識を研ぎ澄ました桃太郎は、風切音と迫りくる気配を頼りに木刀を力強く振り下ろして、薪を弾き落とす。
「ほッ、ほッ──ほォッ!」
続いて役小角は、手だけでなく、足で蹴り飛ばす、頭突きで飛ばすなど、意表をついた多様な方法で桃太郎めがけて薪を飛ばした。
「デヤ! エイ! ヤェエエッ!」
桃太郎はあらゆる角度から飛来する薪を、木刀を縦横無尽に振り払って的確に弾き落とした。
10個、20個と薪を弾いたとき、不意に薪が飛んでくるのが止まった。
普段なら、100個以上の薪が連続で飛んでくるのが気配斬りである。桃太郎は油断せず、耳をそばだて、注意深く気配を探った。
「──よろしい」
「うわッ」
真後ろから役小角の声が発せられ、驚愕した桃太郎は振り返りざまに尻もちをついた。
「鬼を退治するにはまだまだ足りぬが、そこいらの侍よりはよほど腕が立っておる」
桃太郎が慌てて手ぬぐいを解くと、満面の笑みを浮かべた役小角が見下ろしていた。
「……ありがとうございます」
これまで役小角から褒められることなどなかった桃太郎は、困惑しながら立ち上がった。
「して、今日より修行の段階を引き上げようと思う」
役小角は言うと、後ろに回していた手を前に持ってきて、白鞘に収められた二振りの刀を桃太郎に差し出した。
「……!?」
濃桃色の瞳を見開いた桃太郎は、役小角の顔をうかがい見た。
「──抜いてみぃ、桃」
桃太郎は怖ず怖ずと手を伸ばし、白鞘から伸びる柄を左右の手でしっかりと握りしめた。そして、意を決した桃太郎は勢いよく刃を引き抜く。
すらっという小気味良い音とともに白鞘から引き抜かれた二振りの刃。朝の光を浴び、神秘的な銀桃色を光り輝かせたその刃を桃太郎はゆっくりと頭上に交差させながら掲げた。
「名を〈桃源郷〉と〈桃月〉という。わしが打ち鍛えたおぬしのための刀──鬼を退治するための仏刀じゃ」
「……仏刀」
仏の加護を受けし聖なる刃、仏刀──そのあまりの美しさに桃太郎は感嘆の声を漏らした。
──桃……おぬしはそのまま光の道を歩め。
役小角は希望に満ちあふれる桃太郎の顔を見ながら、漆黒の眼を細めた。
──わしには歩めなかった、光の道を……のう。
役小角は目を閉じ、深く息を吐いた──桃姫の匂いで蘇った桃太郎との思い出を封じるかのように漆黒の眼を開いた役小角は、足元の赤い鞠を見やった。
そして、白装束の懐に手を差し入れて赤い呪文が書かれた黒い呪札の束を取り出すと、宙空にバラ撒き、片合掌しながら孔雀明王のマントラを唱えた。
「──オン・マユラギ・ランテイ・ソワカ」
〈黄金の錫杖〉で地面をついてチリンと高く鳴らした瞬間、宙空を舞った呪札が紫光を放ち、互いにつながりながらバッと広がった。
それはちょうど"門"のような形状をしており、まさに開かれた門のようにその奥には向こう側の景色が見えた。
人気のない花咲山の頂きに突如として現れた呪札で形成された門──"呪札門"。
「桃……今宵、おぬしに会いたい鬼がおるそうじゃよ」
水面のように揺らめく"呪札門"の向こう側に見える景色は、花咲山の山道ではなかった。
黒い太陽が浮かぶ赤い虚空の下、鬼ノ城の広場に集結した100を超える鬼の軍勢が列を成す光景が広がっていた。
「楽しみにしておれよ……かかかッ!」
闇を内包した漆黒の眼を細めた役小角は、満面の笑みで高笑いしながら告げるのであった。