38.日ノ本の大守護者
一方その頃、"大悪路鬼王"を足止めしていたカパトトノマトとぬらりひょんが関ヶ原の異変に気づいて声を上げた。
「いったい何が起きた!? 光の大輪が花ひらいたと思うたら、今度は雨雲が晴れわたりおったぞ!?」
「桃姫じゃ……桃姫がやってきたのじゃ!」
ぬらりひょんが歓喜の声を上げたのも束の間。
「──なにがモモヒメだ、ゴルァアアッ!!」
刃刃鬼が鬼の咆哮を放つと、全身から憤怒の蒸気を噴き出した"大悪路鬼王"が四ツ腕の氷漬けを破壊して完全に拘束を解いた。
「目壁兵衛よ、もう少しの辛抱じゃ!」
「──グラァアアッ!!」
ぬらりひょんが呼びかけた次の瞬間、"大悪路鬼王"は四ツ腕を思いっきり開いて、"大々目壁兵衛"の巨体を四ツ裂きにする。
「──メェエエッ!!」
"大々目壁兵衛"は目玉をグルンと上に向けながら、野太い悲鳴を発すると、バゴォオオンという凄まじい音を立てながら粉々に砕け散った。
「──はぁ、はぁ……ようやっと自由の身になれたぜェ……妖怪ども、お前らやっちまったなァ。妖怪の身分は格下げ。人間と同じ奴隷に決定だ。お前らのせいだぞ。お前らのせいで、妖怪は──」
「のう、赤鬼。ごたくはそれくらいにして、後ろを見たほうがよいぞ」
「──あン?」
"大悪路鬼王"の胸奥から意気揚々と話していた刃刃鬼の言葉を遮り、ぬらりひょんが冷たく言う。
眉をひそめた刃刃鬼が苛立ちを込めながら、"大悪路鬼王"を振り向かせたそのとき──。
「──ヤェエエエエエエッ──!!」
桃太郎ゆずりの裂帛の声。神仏融合体として全身を極光させた桃姫が、仏炎で燃える長い髪を風になびかせて"大悪路鬼王"の眼前に迫った。
「──ッ!? グラァアアッ!!」
桃姫と初遭遇であり、その姿を初めて認識した刃刃鬼は、一瞬こそ驚愕したものの、すぐに"鬼大王"としての本領を発揮し、桃姫に向けて二本の右腕を振り抜いた。
たかが女、たかが人間──桃姫の姿を一見した刃刃鬼はそう高をくくって、カトンボでも潰すような感覚で伸ばした巨木のような二本の赤腕。
「──っ」
しかし、桃姫が後ろに構え持った神仏融合剣が迸らせる翠緑色の極光を目の当たりにした刃刃鬼の顔に緊張が走った。
──これは鬼を殺すために打たれた霊剣。
刃刃鬼は直感的にそう察知すると、ただ伸ばしていた二本の腕を組み合わせることにした。
桃姫を目指して伸ばされる二本の腕は、途中でその両者の指同士を固く組み合わせて、一本の巨大な腕、一つの巨大な"鬼拳"として完成される。
「──グルゥァアアッ!!」
──これで勝てる。これなら叩き潰せる。こんな小娘、こんな人間──俺は鬼の王だぞ──。
"大悪路鬼王"の惚れ惚れするような強靭な赤い腕に見惚れながら、刃刃鬼は己の勝利を確信した。
「──極光・桃心牙ァアアッ!!」
桃姫は眼前に迫りくる巨大な"鬼拳"に一点集中して、極光に光り輝く〈雉猿狗承〉を全神全霊で前方に突き出した。
突き出された〈雉猿狗承〉の極光する刃は、桃金色の突風を巻き起こしながら、一本の巨大な槍のようにして"鬼拳"に突き刺さった。
「──グぬゥううッ!?」
刃刃鬼は鬼の眼を限界までひん剥きながらうなり声を上げた。
〈雉猿狗承〉を桃姫の体ごと飲み込んだ"鬼拳"は、その固く組み合わせてしまった二本腕を離せないまま、内部から引き裂かれていく。
「──グがァああッ!!」
「──バォオオオオッ!!」
鬼殺しの霊剣によって傷つけられた"大悪路鬼王"の痛覚が胸奥に鎮座する刃刃鬼の腕にも走り、あまりの激痛に絶叫の声を上げると、"大悪路鬼王"も蒼天に向かって咆哮を放った。
"鬼拳"を形作っていた右側の二本の腕は桃金色の突風と翠緑色の極光を内部から外に向けて噴き漏らしながら、弾け飛ぶように消し飛んでいう。
ついに"大悪路鬼王"の右肩から〈雉猿狗承〉の光り輝く切っ先がのぞくと、光の羽衣を閉じていた桃姫の体ごと貫通して突き抜けた。
飛び出した桃姫の先に待っていたのは、浮き木綿に乗ったぬらりひょんと雪雲に乗ったカパトトノマトであった。
「桃姫ぇっ──!」
ぬらりひょんは桃姫の雄姿を見て白濁に戻った両眼から涙を流して声を上げると、カパトトノマトもまた青い瞳をうるませた。
「そなたが桃姫であるか」
桃姫は閉じていた光の羽衣を花ひらき、伸ばした八本の羽衣から太陽光を吸収して、パァッと極光の粒子を振りまきながら光り輝かせると、穏やかなほほ笑みを浮かべて頷いた。
「──はい。あなたはカパトトノマト様ですね。足止めしてくださり、ありがとうございました」
「わらわは、ぬらりを信じただけじゃ……あんなに必死になっているぬらりの顔は見たことがなかったのでな」
「それを言うなら、わしは桃姫を信じただけじゃ……そしてこうして来おった──礼を言うのはわしの方じゃよ」
カパトトノマトとぬらりひょんは桃姫の神々しい姿を畏敬の念を込めながら見つめた。
そのとき、右側の二本腕を失った"大悪路鬼王"がゆっくりと振り返り、憤怒の形相で桃姫を睨んだ。
「おーおー、怒りに燃えとるのう、赤鬼め……桃姫よ、情けない話じゃが、わしらは足止めだけで妖力を使い果たしてしもうた。これ以上は戦えぬ」
「──はい。おふたりは、いろはちゃんたちと合流してください──あとは、私がやります」
「おほほほほ! なんとも頼もしいおなごが日ノ本にはいたものじゃな。では、その言葉に甘えさせていただくとするかの」
カパトトノマトが雪雲を上昇させた次の瞬間、"大悪路鬼王"が左側の二本腕を振り抜いた。
すんでのところで、三人は分散して回避すると、"大悪路鬼王"は体勢を崩して桃配山の斜面に胸から倒れ込むように激突した。
「ぬらりよ、そなたの言う通りじゃった……桃姫は"日ノ本の大守護者"であるな」
「いかにも」
浮き木綿に乗ったぬらりひょんと雪雲に乗ったカパトトノマトは、ひとり残った桃姫の姿を見ながら桃配山の上空を離れるのであった。