29.顕現、大悪路鬼王
「ああ! 私たちの"大空華"が! 私たちの"千年の夢"がぁ!」
「おのれ天海ッ! おのれ明智光秀ぇッ!!」
形成されていく"大悪路王"に向けて、晴明がすがりつくように手を伸ばしながら叫ぶと、道満は怒りのあまり、額に浮かんだ太い血管をブチッと切らして憤怒の雄叫びを吼えた。
「これより、明智光秀の世が来たるッ!! 悲願ッ!! 宿願ッ!! 大誓願ッ!! ヒィヒャハハハッ!!」
"黒液"の潮流に乗って昇天するように上昇していく羅刹天愚。長い天狗鼻を振り回しながら、声高々に勝利の雄叫びを張り上げた。
漆黒の巨体の天辺に出現した頭部から、悪路王特有の真っ赤な"魔眼"が見開かれると、"魔眼"を介して、眼下に逃げ惑う陰陽師の姿を見つけ出す。
「逃げよ逃げよ、どこまでも逃げ続けよ! だが逃げ場などあると思うな! この日ノ本この世界! 皆ことごとくにわしのモノなのじゃからなぁッ!!」
"大悪路王"の胸奥にて、四枚の大翼を広げながら宣言するように告げた羅刹天愚。両眼からは嬉し涙の"黒液"をしとどに垂れ流し、凄まじい絶頂の渦中にその身を置いた。
漆黒の巨体の中から、漆黒の両腕を出現させた"大悪路王"は、曇天から降る激しい雨を全身に受けながら猛烈な声量で叫んだ。
「──バオオオオオオッ──!!」
「──もう誰にも"三日天下"などとは言わせん! 明智の"千年天下"──否ッ! "万年天下"の樹立よォッ!!」
雨を弾き飛ばす爆音の咆哮とともに、羅刹天愚も甲高い笑い声を上げる。まさにこの世の春。耐えに耐え、待ちに待った歓喜の愉悦を味わっていた。そのときであった──。
「なァにが"万年天下"だよ、腐れ鳥公ッ!! 調子に乗ってんじゃねェぞ、ゴラァッ!!」
「ひえッ!?」
突如として背後から恐ろしい声が発せられると、羅刹天愚は悲鳴を漏らしながら四枚の大翼をバサッと閉じて身を細くして、すくめた。
「こっちだァ、こっちを見ろォ」
極楽から急転直下の悪夢を思わせるような恐ろしい声はなおも"大悪路王"の胸奥に轟き、羅刹天愚はびくつきながら首を回して後ろを見やった。
血脈のように流れる"黒液"によって作られた漆黒の壁面。その上部から刃刃鬼が顔を突き出して羅刹天愚を睨みつけていた。
「んギャアアッ!! 刃刃鬼ぃッ!? 刃刃鬼、なぜそこにおるゥッ!?」
驚愕と恐怖のあまり羅刹天愚は悲鳴を発しながら腰を抜かすと、刃刃鬼は"黒液"の壁面を破るようにして四ツ腕を突き出し、引き裂くようにして巨体を這い出させた。
「鬼大王たるこの刃刃鬼様を──封じれると思うたのが大間違いよォッ!!」
両眼に浮かんだ"真"の文字を燃やしながら、手狭な"大悪路王"の胸奥に出現した刃刃鬼。怯えた表情の羅刹天愚を隅へと追い詰めていく。
「晴明、道満……! だれでもいい、助けてくれぇ!! 刃刃鬼が現れおったぁ!!」
「──だァれも助けになんて来ねェよ、鳥ジジイッ!! 喰われて死ねやァッ!!」
羅刹天愚の羽毛に包まれた体を四ツ腕で拘束した刃刃鬼。牙の伸びる大口を開くと、首元に勢いよく噛みついた。
「がッ──!? うギッ!! だれかッ──!!」
羅刹天愚は大翼をバッサバッサと羽ばたかせながらもがくが、刃刃鬼の拘束を逃れるにはあまりにも非力であった。
容赦なく首の肉をちぎり取られると、ゴッソリと肉を失った羅刹天愚の首から黒い血がゴボリとあふれ出た。
「……がっ、がぁ……がっ……」
グッチャグッチャと音を立てながら咀嚼する刃刃鬼の顔をじっと見つめた羅刹天愚が声にならない声を漏らす。
「──んだこりゃあ!? まっじいなッ!! ジジイの肉は、クッソまじいッ!!」
自身の肉が鬼に喰われるさまを目の当たりにした衝撃と、身も蓋もない味の感想を耳にした羅刹天愚。
光を失っていく"羅"の文字が浮かんだ両目をグルンと上に向けると、苦痛と絶望の中で息絶えた。
「あ? んだよ、もう死んじまいやがったのか。まだ楽しもうと思ったのによ──まぁいいや、邪魔者はいなくなった。これで"大悪路王"は刃刃鬼様のモノってワケだ」
刃刃鬼は羅刹天愚の亡骸を雑に放ると、"大悪路王"の胸奥にドッシリと鎮座した。
「おい、わかってんのか? いまてめぇの主が入れ変わったんだぞ──わかったなら返事くらいしろやッ!!」
「──バオオオオオオッ──!!」
刃刃鬼が乱暴に言ってのけると、"大悪路王"は咆哮を発しながら、体の色を漆黒から真紅へと転じ始めた。
「お……いいねぇ。よォくわかってるじゃねぇかよ。そうだ……俺は"八天鬼人"みたいなニセモノじゃあねぇ。てめぇが心から望んでいた、ホンモノの鬼の"乗り手"なんだぜ」
「──バォオオオオオオッ──!!」
刃刃鬼の言葉に呼応した"大悪路王"は、両手を広げながらけたたましい咆哮を発すると、両肩からもう一対の赤腕が伸びるように現れた。
それと同時に、赤く染まった頭部から三本の鬼の角が生えて、内部にいる刃刃鬼によく似た形状となる。
「てめぇはもはや"大悪路王"ではない……鬼の時代の到来を告げし大鬼神──"大悪路鬼王"だッ!!」
"大悪路鬼王"──その姿は、かつて役小角が顕現させた"闇の大空華"とは異なっていた。
"黒液"を津波のように体外にあふれ出させることはなく、真紅の体内に"赤液"を凝縮させ、強大な力へと転じている。
その特性は、胸奥にいる者の"夢"の違いから生じる変質であった。役小角は日ノ本を闇に染めることを求めたが、刃刃鬼は圧倒的な鬼の力を求めていた。
それゆえに関ヶ原に咲いた赤い"鬼の大空華"は、彼に力を与えることでその望みに応えたのであった。