27.神仏分離の大呪法
「妖怪まで引き連れて、いったい何用ですかな」
わざとらしく両手を広げた道満が桃姫一行に告げた。
「そのような形相では美しい顔が台無しですよ。それに現在、関ヶ原は立て込んでおりまして。部外者が立ち入っていい場所ではないのです」
晴明も言うと、白桜から飛び降りた桃姫が陰陽師に向けて怒号を発した。
「しらばっくれないでッ!! あなたたち陰陽師が〈黄金の錫杖〉を奪って修羅巌鬼を持ち去ったことはわかっているのです! ──それから、家康公ッ!!」
「ひぃっ……!」
桃姫は怒りの眼差しを白馬に跨った家康へと向けた。
「あの日、私と天照神宮復興の約束を交わしたはずです……! それなのに、あなたという人はッ……!」
桃姫の言葉を受けた家康は拍子抜けした顔を浮かべた。
「ああ、"そんなこと"であったか! それは今年の夏から始めようと思っておったのだ。江戸城の建築で資材が不足しておったから、今年の夏から──」
「──"そんなこと"ではございませんッ!!」
「んひぃッ!?」
桃姫に一喝された家康は、馬上で慄きながら仰け反った。
「家康公、あなたは全くわかっていないッ!! この日ノ本は、アマテラス様のご尽力によって救われたのですッ!! 復興を後回しにするなど言語道断ッ!!」
桃姫の怒りの声に気圧される家康を横目で見ていた道満は、手を上げて制止した。
「待たれよ。この御方はそのような野蛮な口の聞き方が許される御人ではない──無礼にもほどがありますぞ」
「よいのだ道ノ者……桃姫殿の申すことは道理が通っておる……桃姫殿との約束を違えたわしに非がある」
家康は道満をたしなめると、白馬から降りて深々と頭を下げた。
「桃姫殿、すまなかった。"大戦陣の儀"が終わり次第、復興に取りかかろう。それでどうか、許してほしい」
「……"大戦陣の儀"?」
謝罪を受けた桃姫が聞き返すと、家康は後方に展開される1万人を用いた大掛かりな布陣を見やった。
「うむ、徳川の天下泰平を祈願するため、陰陽道に通ずるこちらの道ノ者と晴ノ者、そして天海上人の発案による儀式なのだ。どうじゃ、桃姫殿も参加するか?」
「……するわけないでござろう」
月影から降りた五郎八姫が呆れながら声に漏らしたそのとき、上空から声が発せられた。
「──まずいぞ桃姫ッ! こりゃ"大顕現陣"じゃッ! こやつら、役小角と同じことをしようとしておるッ!!」
「……ッ!?」
浮き木綿の上から関ヶ原に描かれた巨大な五芒星の陣を見たぬらりひょんが声を張り上げると桃姫と五郎八姫が陰陽師を睨みつけた。
「……余計なことを」
「これは"大戦陣"──そうだのう?」
道満が憎々しげに上空のぬらりひょんに向けて呟くと、困惑した家康が晴明に尋ねた。
「ええ、御安心くだされ。この者どもは小松姫のように陰陽の何たるかを知らずに騒ぎ立てておるのです。素人の言うことを聞いてはなりませぬ……どうぞ、しばし御休みくだされますよう──」
「ぬっ!? ぬぅ……」
晴明は〈黄金の錫杖〉をチリンと鳴らすと、家康の意識を強制的に閉じてその場に崩折れさせた。
「──何をしたッ!!」
その光景を目にした桃姫が〈雉猿狗承〉を素早く引き抜いて構えると、五郎八姫も抜刀して〈氷炎〉と〈燭台切〉の二刀を構えた。
「血の気の荒い女武者ですね。殿は疲れが溜まっておいでだったのです、ゆえに眠っていただきました。ただ、それだけのこと」
「おぬしたちが現れ、殿を混乱させたのが悪いのだぞ」
晴明と道満が不敵な笑みを浮かべながら桃姫と五郎八姫に言った。
「なにを無茶苦茶なこと言ってるけろ! さっさと鬼の本性を顕せけろだよ! この外道!」
たまこが陰陽師を指さしながら叫ぶと、晴明は鼻で笑ってから口を開いた。
「どうします、道満?」
「見たいと言うならば、見せてやろう」
「そうですね──オン」
晴明が〈黄金の錫杖〉を振るうと"呪力の膜"が剥がれ落ちていき、幻影によって隠されていた鬼の角と黄色い瞳、呪毒腕が顕わになった。
「ほ、ほんとに鬼だったけろっ!?」
たまこが腰を抜かしながら驚くと、桃姫は有無を言わさず〈雉猿狗承〉の切っ先を陰陽師に向けた。
「ずいぶんと物騒な霊剣をお持ちですね……鬼を刈り取るための形をしています」
「だが、それほどの恐ろしさは感じ得ぬな……そうか、"天照神宮の復興"……なるほどな」
晴明と道満は、桃姫が構える翡翠の霊剣を分析した。
天照大御神由来の神力が枯れていることを見抜いた道満は、桃姫の顔を見ながら口を開いた。
「……"大悪路王"が倒されたとき、俺たちは絶望した……よもや貴様のような小娘に、御大様が掲げた"闇の大空華"が砕かれようとは思ってもみなかったのでな」
「……ですが、"大悪路王"には世界を支配するだけの力があることもわかりました……ゆえに私たちは1年間、貴女への対策を練り続けてきたのです」
道満の言葉に続けた晴明は、"鬼"の文字が浮かぶ瞳を妖しく光らせながら桃姫に告げた。
「──そんなことは関係ないッ!!」
陰陽師の言葉を振り切るように瞳に浮かぶ神仏の波紋を光らせた桃姫は、〈雉猿狗承〉を下段で構えながら陰陽師に向けて駆け出した。
桃姫が五芒星の陣に足を踏み入れた瞬間──関ヶ原の空気が凍てついたように冷たくなり、降っていた雨がピタリと宙空にて止まった。
「……ッ!?」
桃姫の体も凍りついたように硬直しており、体の自由が奪われていることに気づいた桃姫は愕然とした。
時間が停止した世界で陰陽師だけが不穏な笑みを浮かべながら歩き出すと、桃姫の前までやってくる。
「──ところで、イザナミを御存知かな? 国生みの女神は死後、愛するイザナギに"桃"を投げつけられて冥府に閉じ込められたという」
「──私たちが編み出した"神仏分離の大呪法"は、すでに始まっていたのですよ……貴女が関ヶ原に足を踏み入れた、そのときからね」
道満と晴明が並び立って告げると、"神仏分離"という嫌な言葉を耳に入れた桃姫の背筋に凄まじい寒気が走った。
「──"神仏融合体"よ、イザナミの嘆き悲しみを受けるがよい──やるぞ、晴明」
「──あいや、道満」
言葉を交わした道満が両手で印を結ぶと、晴明は片手で印を結びながら〈黄金の錫杖〉を桃姫に向けた。
「──絶・陰陽大呪法──"冥府送り"──ヌゥンッ!!」
「──滅・陰陽大呪法──"冥府送り"──オゥンッ!!」
道満と晴明、ふたりの伝説的な陰陽師による激烈な陰陽術を一身に受けた桃姫。
「……ぐゥッ!?」
体内に晴明の"呪力"と道満の"法力"が同時に流れ込んでくると、その悪意ある奔流から桃姫の心を護るように、濃桃色の瞳に浮かぶ黄金の波紋が極光しながら広がり、そのまま弾けるように消失した。
「がアァッ!!」
両眼に激痛が走った桃姫は、しかし声を発する以外の体の自由が奪われており、ただうめき声を漏らすことしかできなかった。
笑みを浮かべた陰陽師が神の加護が消えた桃姫の瞳を見やると、不意に桃姫の背後から懐かしい声が聞こえてきた。
「──桃姫──桃姫──」
それは間違いなく小夜の声であった。不気味に反響しながら届く声。桃姫は"神仏分離"を受け、白銀の波紋だけが残った濃桃色の瞳で陰陽師を睨みつけた。
「……母上は天界にいる……私を騙せると思うな……!」
桃姫は憤怒の込められた低い声で陰陽師に告げると、道満が不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。
「この領域において、自由意志があると思うな──なぜ貴様だけ喋ることが許されているのか──それも我らの術だからだ」
「……ッ」
時間が止まり静寂に包まれたこの世界において、道満の言葉だけが反響すると、自身がある種の催眠状態に置かれていることに桃姫は気づいた。
しかし、"神仏分離"によって神の加護を失った桃姫は抗う術を持たなかった。心に反して体が勝手に動き、ゆっくりと首を後ろへ回していく。
「……いや……振り向きたくないのに……!」
桃姫の悲痛な声を嘲笑うように晴明が冷たく言葉を発した。
「"イザナミの喚び声"を一度でも耳にしてしまった者は、振り返ざるを得ないのです──さようなら、"神仏分離体"」
首が完全に後方を捉えた刹那、漆黒の裂け目からのぞく真っ赤な"イザナミの眼"と桃姫は視線を合わせてしまった。
「──ッ!?」
恐怖に絶句した桃姫に向けて、汚れた爪をした"イザナミの手"が伸びてきて体を掴み、引きずり込むと同時に裂け目が閉じられた。
次の瞬間、止まっていた関ヶ原の時間が動き出すと、雨粒が音を立てながら地面へと落ち始めた。
「ももッ……!?」
五郎八姫が声を上げて桃姫がいたはずの場所を見るが、しかしそこには桃姫の姿はなかった。
「……勝ったな、晴明」
「……勝ちましたね、道満」
ひしひしと湧き上がる達成感を味わいながら言葉を交わした陰陽師。互いに向き合うと、手を出し合って固い握手を交わした。
「──ももォオオッ!!」
桃姫を"冥府送り"にされた五郎八姫は、鈍色をした雨雲に向かって独眼を見開きながら叫ぶのであった。